2.10 想定外
四月二七日 一五〇五時 第一実験棟地下
「つまり、藤本君はこの機兵が矢倉さんの精神に何かしらの作用を与えているというのかい?」
「はい。そういう事になります。何か定量的な根拠を示せと言われたら何とも言えませんが、茜に変化が発生した時期と、この機兵を装着した時期が近似しているのでそう判断しました。PTSDを疑いもしましたが、その原因になる程の事件ではなかった事及び、そもそもPTSDの症状とは異なる点が多いのでやはり機兵が一番かと判断しました」
放課後、俺と茜は地下研究室に足を運んで、鈴鹿先生に茜の一件について訪ねていいた。事が事だけに鈴鹿先生に聞いた所で分る可能性は低いし、むしろ精神科に聞いた方が早い気もしたが、俺としてはこれを機兵のせいにしたいという気があったのだろう。
定量的どころか定性的ですらない。技術者を志す者として失格だな。
「んーっとねぇ……たしか君たちはあの事件の後、八回装着した事があったよね?」
「えーっとたしかそれくらいな気が……」
「はい、事件後は八回装着しています」
茜が補足にはいった。
「そうか。だとするとなぁ……もしかしたら記憶が染みついたのかもしれない」
「記憶……ですか?」
「これはね、僕がハルビンにいた頃の話なんだけど。僕はそこで軍の機兵技術者として雇われていてね、損傷した機兵の修理をしていたんだよ」
ハルビン、機兵……あの有名なハルビン防衛戦か。やっぱり鈴鹿先生は第一世代型から携わっていたのか。
「その頃の機兵は今見たいに感圧センサもなければPWM制御回路もなくて、それどころか防弾板も薄板一枚ってお粗末な物だったから、付けていてもライフル弾で搭乗員が死んでしまうようなものだったよ」
遠くを見つめながら白髪頭を掻く。
「でも。それでも機兵は便利だから、使っている奴が死んだらすぐに別の兵が着て戦ったんだよ。そんな時、ある兵が修理の時に僕に言ってきたんだよ。『これを着て戦っていたら、これを着て死んだ筈の伍長が敵の位置を教えてくれた。だからスクラップにはしないで修理してくれ』って」
そこで先生は笑う。
思い出話をしている老人らしい仕草だ。
普段の鈴鹿先生は怒る事が無いのと同じくらい笑みを見せる事が無いの(笑う事はよくあるが)で珍しい。
「失敬、変な思い出話をしてしまったね。まぁ、正直な事を言うと僕にも分らない。取扱い説明書には一〇回でアップデートが完了するとかいてあるが、それがどういう事を意味しているのかは分からない。一応一度起動した後はヘルメットだけなら取り外せるようにしといたけど、とりあえず……様子見かな?」
「様子見という事は、当分はこの機兵を着用しないという事ですか?」
「そういう事だね。でも、そんなに気にする必要はないよ。あくまで様子見だ。それに現在において症状が現れていない藤本君までもが気にする必要はない」
「茜、それで大丈夫か?」
「うん……」
静かに応答する。
無表情というのだろうか……残念に思っているのか喜んでいるのかはわからない。
「しっかし、なんなんだろうねぇ……この機兵」
台の上に横たわる機兵を眺める。
背部から何本も出た配線は、一部は変圧器につながり、その他大多数は壁一面を覆い尽くすメインフレームコンピュータにつながれている。
「X線解析してみた所、この装甲の表面は炭化ホウ素を主成分とする物質で出来ていたよ」
「炭化ホウ素……ですか? という事は極めて硬くて安定した素材」
「そう。炭化ホウ素は研磨材、耐熱材、発熱材に使われる材質で極めて硬く腐食に強い。しかし、これは単なるコーティング剤で、恐らく装甲としては表面硬化装甲の硬化部分程度の意味合いしかないだろう」
装甲部分を撫でる。
「それで、装甲の主成分は何なんですか? 恐らくRHAの一種だと思うのですが、NVNCに似た成分の防弾鋼板とか」
「それが、驚いた事に鉄もニッケルもモリブデンも使われていない。詳細な構造解析は済んでいないけど、グラファイトとカーボンが主成分でチタンの存在も確認している」
「グラファイトとカーボン? それじゃぁ靱性が取れないじゃなですか!」
思わず声を荒げてしまう。
だって当然だ。黒鉛の使用例の代表的な存在は鉛筆。それも粘土が入っていないのだから極めて硬く、割れやすい。
「いや、僕に言われてもね」
「あっ……すみません……」
「でも、君のその勅勘は正しい。確かに純粋な炭素で構成された装甲なぞ、弾が当たれば砕けて粉々になる。むしろ、砕ける事によりエネルギーを消費させる装甲もあるが、少なくとも至近距離で三〇口径の連射はおろか、密閉空間における至近距離での手榴弾での爆発も耐えた。
その事からして成分はそれであっても最近研究されている炭素繊維強化材料の一つなのかもしれないね。
そう、これを見てちょっと気になって調べてみたんだけどね、全然進んでいないと思っていた炭素繊維に関する技術もかなり進歩していてね、特にCFRPと呼ばれる炭素繊維強化プラスチックと呼ばれるプラスチックの一種に関する研究がかなり進んでいて既に戦闘機の構造材料や釣竿、ゴルフシャフトなんかに採用されていたりするんだ。
発明したのは日本なのだけど、日本だけではなくアメリカでも盛んに研究されていて、ソ連でも航空宇宙技術への応用を使用と考えているらしくてね――」
息が荒くなっている。
この部屋は空調も無い事も影響し寒い室内であったが、先生の額には汗がにじみ出ていた。
あれほど興奮している鈴鹿先生を見る事はそうそう無い。
「そう。僕はね、てっきりこの機兵は基礎理論から隠蔽された未知の技術の集合体だと思っていたんだ。でもそれは違った。この機兵の基礎理論となる技術は既に存在して、この機兵はそれらを応用したものに過ぎないという事になる」
「つまり、日技研みたいな既存の研究機関が開発した可能性が大いにあるという事ですか?」
「そうだね。だから……」
突然、会話を遮る様に警報が鳴った。
《全校生徒にお知らせします。こちらは、中央委員会です。ただ今、中央委員会より、デフコン2が宣言されました。全校生徒は、生徒手帳の黄色三番の厳封を解除の上、記載された指示に従って行動してください。これは、訓練ではありません。繰り返します。こちらは――》
これを戦慄というのだろうか? 反射的に何かが全身を駆け巡るのを感じた。
「デフコン2?」
思わずつぶやく。
これが発令されると、学校全体が戦闘態勢にはいり、軍事系学科の生徒は総動員される。
俺もその例外ではい。
「純太郎、早く生徒手帳を!」
「おっ、おう」
ポケットから生徒手帳を取り出すと、黄色い紙に三とだけ書かれたページを開き、切り取り線に沿って封を解く。
出てきたのは印の押された命令書だった。
《キー三号命令。
発 中央員会書記長
宛 本生徒手帳所持者
本書ハ、でふこん2ニオケル第三種事案ガ発生シタ時ノミ閲覧及ビ行使ガ可能トナル。
本生徒手帳ノ所持者ハ、割リ当テラレタ機兵装備ニテ、第一委員会棟ニ向カイ、別途指示ガアルマデ待機セヨ。又、割リ当テラレタ機兵ガ無イ者ハ、乙種装備ニテ同箇所ヘ急行セヨ。
ナヲ、開封命令ヲ受ケテイテモ、別途委員会カラノ命令ヲ受ケテイル者ハ、其ノ命令ニ従ウベシ》
今では公文書にしか見られなくなったカタカナでの文章を熟読する。
とりあえず、機兵を着て第一委員会棟に向かえという事らしい。
第一委員会棟には旧軍時代の司令部設備があったと聞いているので、恐らくあそこが本部になるのだろう。
しっかし、機兵装備でか。
茜は機兵科なので自分の機兵が割り当てられているから問題ないが、機工兵科は自分の機兵が割り当てられるのは三年からだ。
つまり、俺は運良いのか悪いのか機兵を着ずに向かう事になる。
「よし、じゃぁ行くか」
リュックサックを背負うと茜に声を掛ける。
「行くって何処に?」
驚いた顔でこちらを振り向く。
「えっ?」
「だって、私たちにはこの機兵があるじゃない」
そういって、目の前に横たわる機兵を指さす。
「だって……これは割り振りが未だ……」
「この機兵の存在は機密情報よ。それに、未だ私たち以外でこのれ起動に成功した人はいないわ。
非常事態なんだから性能の良い機兵を着ても文句は言われない筈よ」
「それはそうだが、だって一〇回装着した時にインストールが終了するとか……」
「未だ八回。後一回はあるわ。ちょっと、あっち向いていて」
俺が未だ考えている合間にも、茜はセーラー服を脱ぎ始めた。
セーラー服に皺がつくのを恐れたらしい。
「うわっ、ちょっと」
慌てて背を向ける。同時に先生も向く。
「藤本君も装備するか。起動時だけヘルメットを装着したらその後は外せるようにしておいたから楽にはなったと思うよ。ただ、システム上外している時は機能が制限されるけどね」
「はい……」
俺もおとなしく機兵を装着し始める。
「純太郎、もう良いわよ」
ヘルメット以外の装甲を取り付けた後、声がかかる。
「おっおう」
振り返ると俺と同様、ヘルメット以外を取り付けた茜の姿があった。
これでヘルメットを取り付ければ俺も茜も九回目の装着になるのか。
いや待てよ、確か八回って『事件後』でカウントしていたよな。
あれって最初の『一回』を含めているのか?
「どうしたの? 早く付けて。時間がもったいない」
「おっ、おう」
ヘルメットをかぶる。
真っ暗になる視界。
続けて、声が聞こえる。
《メインシステム起動。増幅率、三デシベル。電圧、六〇・一八ボルト。電流値、〇・九アンペア。システム、オールグリーン。システムのインストール完了。オメガシステムを起動します。以降、機密保持モードで運用を開始します。システム変更には、プログラム変更の上再起動を行ってください》
少なくとも初回インストール時の様な衝撃は来ていないようだ。
それにしても『オメガシステム』ってなんだ? オメガ航法なら知っているが・。
「行きましょっ」
研究室内にあった自動小銃を手渡してくる。
「おう」
俺たちは、委員会棟に向かった。
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