2.6 不安定


四月二六日 一六三〇時 第一実習棟



 あの事件から一週間が経った。


 一時期はあれだけ騒がれた事件も、今は騒がれていない。当事者(つまり俺たちが)が校定機密指定されているので誰も核心に触れようとしないし、それ以上に迫ってきた観閲式典が迫っている。


 体育祭がないこの学校における唯一の運動系の行事、それが観閲式典だ。


 この学校の事だ。穏やかなものではない。


 簡単に言ってしまえば軍事演習。


 毎年東富士演習場で行われている自衛軍の演習程ではないが、それでも二,三年生に関しては大半が参加する軍事演習だ。生易しい規模ではない。


 当然にして軍事学部の生徒は訓練の最中。


 しかし、俺たちは違った。


「たっく、俺たちはなんでこう地味な作業だけなのかね」


 不満の声をぶつけてきたのは、先ほど切り取った装甲板の表面を確認している龍次だった。


 他の生徒が小銃や大砲で演習を行っている最中、機工兵科の生徒たちは工房内で作業を行っていた。


 作業内容は、観閲式典で使用する機兵の修理とメンテナンスだ。


 実際の軍隊では軍産業者が作ったものと取り変えるのだが、機工兵がいるこの学校ではたまに自前で作ったりする(そのための工具や材料は一式整っているが、量産向けの設備はない)。


「地味もなんも、こっちの方が楽しいだろ。鉄砲バンバン撃つより」


 プレス機に金型を設置しながら応答。


「ほら、俺達って工兵は工兵でも施設工兵じゃなくて戦闘工兵じゃん。戦闘工兵って言ったら戦闘工兵車に乗って銃弾の飛び交う中、障害物を爆破して突入口を開くとかカッコいいじゃん!」


 俺たち工兵じゃないし。理工学部の生徒だし。


「どうせ戦場に出る事は稀なんだ。本来の使命である故障機体の修理ですら精々演習の最中なもんだ。それより確実に動くように整備するのが俺たちの役目だろ」


 防弾鋼を金型の上に置くと、プレス機の調整を行う。

鈍い音とともにプレス機のスライドが上下する。


 電動機がフライホイールを回転させ、回転エネルギーを蓄え、クラッチでクランク軸に回転を伝え、スライドを上下させる。


 防弾鋼にかかる圧力。


 防弾鋼とはいえ、この種の防弾鋼は硬化処理を施していないため、大して加えていない。(そもそも硬化していたらプレス加工は出来ないが)


 それに、圧力はやたらかければいいというものでもないのだから加減は必要だ。


 スライドを上げると、そこには見事な曲面に加工された装甲板が現れた。


 表面を撫でてみる。


 亀裂はない。


 レンチでコツンと一突き。


 この音なら大丈夫だな。


「早いな。もうそこまでいったのか」


「マニュアル化された作業だからな」


 さっさと組立て作業に移る。


 もうここまでくればあと少しだ。


 その時、何やらいやな空気が工房内に流れる。


「おい、純太郎、矢野の奴が完成したらしいぞ」


 中央に視線を向ける。


 工房の中央、そこに設けられた台の上に、一体の機兵が置かれていた。


 その前には、若い男性教員。


 最後のチェックを受けているようだ。


 しかし、様子がおかしい。


 脚部の装甲板を外して、ねじ穴の位置を計測している。


 やらかしたか?


「おい矢野。ここの穴の距離いくつだ?」


「それはきゅう……」


「このノギスはいくつであると言っているんだ!」


 工房内に轟く声。


 おお、怖い。


「一〇四・八ミリです」


「図面には何と書かれている!」


「九五ミリです」


 どうやら一〇ミリ程穴がずれていたらしい。確かに大きな誤差だ。穴をあける位置を間違えたらしい。


「そうだ。全然違うじゃないか! それにてめぇ、ねじ穴合わせるために装甲板の穴の位置変えただろ?」


「そっそれは、誤差に合わせて……」


 バチン!


 出たっ、平手打ち。


 拳でないだけ慈悲がある。


 すると、今度は胸ぐらをつかむ。


「意識がたるんでいるんだよ! お前が作っているのはなんだ? 答えろ」


「……」


「答えろつってんだよ!」


「機兵です」


「機兵とはなんだ!」


「兵器ですっ!」


「そうだ! お前が作ってんのは人殺しの武器だ! だがな、味方にとっちゃ命を守る盾なんだよ! こんな適当なつくり方しやがって。戦場で壊れたらどうするつもりだ!」


「それは……修理を……」


 バチンッ


「修理だぁ? まともにネジ穴もあけられない奴が修理ができるのか! ちょっとこっち来い!」


 胸ぐらをつかんだまま工房内を引きずるとそのまま外に出る。


 これからお説教タイムの様だ。


 いつも通りなら一〇分ほど。それからタバコを取りに行くのが常だから、帰るまでざっと二〇分はかかるだろう。


 回りの生徒からは安堵の表情が出るが、それと同時にそれまでチェックが受けられないという懸念材料も発生する。そういえば、今日は会議があるから早く帰らないといけないとか言っていなかったっけ?


 どうすっか。とりあえず組み上げるか。


 作業工程はほとんど終わっていたので最後のネジ閉めだけをしっかりと行っておく。


 念のためにもう一度設計図と見比べるが、特に大きな誤差が発生している所はなさそうだ。


 ポケットコンピュータ(大きな電卓の様な物 通称ポケコン)から命令を送り、プログラムを試走させる。


 快調に動く間接部分。音にも違和感がない。


「おっ、完成かい?」


 後ろから声がかけられる。


 龍次かな?


「まぁな。とりあえず山じいが帰るのを待って……」


 そういいながら後を振りかえると、目の前に中年の男性教師が現れた。


「すっ鈴鹿先生っ! こっこれは申し訳ございません!」


 咄嗟に頭を下げる。


「いやいや、気にしなくていいよ。何にでも誤動作はつきものだからね」


 朗らかに笑う。


 危ない。ほかの先生だったら間違いなく殴られていた。


「今、川上先生が生徒の『指導』をおこなっているからね。その代わりに来た所だよ。藤本君の機体がちょうど終わったみたいだし、今確認しちゃうか。と言ってもさっきの音からして問題はないと思うがね」


 腰にぶら下げた工具バックからドライバーを取り出すとコツンと聴診。


 機体を手で揺さぶりながら締め付けや噛み具合を確かめると、ポケコンからプログラムを走らせる。


 無人のまま動く機兵。


 それをじっと眺める。


「うん。大丈夫だ」


 あっさり出る合格。


 どうやら長さを測らずともわかるらしい。


 鈴鹿先生は噂だと第一世代型機兵の製作に携わっていると聞いている。この程度は出来て当たり前か。


「じゃぁ、機兵は保管庫に入れて、片付けしちゃって」


「はいっ。ありがとうございます」


 俺が頭を下げると、鈴鹿先生は別の生徒の所へと足を進めた。


「うわっ、一発合格か。純太郎もよくやるな」


 先生がさるのと同時に声を掛ける龍次。


 しかし、プレス加工に入っているのですぐに終わるだろう。


 見た感じではズレも発生していないし。


「こういうのは好きだからな。じゃぁ、先に上がっている」


「おう」


 作業していた場所の掃除を終えると、工房を出た。


 案の定、外では銃声だの、沿岸で射撃する駆逐艦の砲声だのが響いている。


 そして丁度、目の前を歩兵科と思しき一団がランニングをしている。


 目の前を通り過ぎる歩兵科の生徒たち。


 ウジ虫だの、教官絶対だの、相変わらずの歌詞だが、これも如何なる命令も実行させるための一種の洗脳訓練らしい。


 以前はもっと酷くて、共学になってから主に下ネタ関連が消えたとか。どちらにせよ狂った歌詞だ。健全さは微塵もない。


 その一団が通り過ぎると、道の反対側に人影があった。


 服装は第一種女子学装セーラー服。小柄な体つきにくりっとした目つき。


 深く考えずとも彼女が誰だか僕には分かる。波音さんだ。


「じゅんくーん」


 相変わらず、高周波の声で呼ばれる俺の名前。


 誰もいない通路に響く。


 距離、周囲の構造物、そしてその材質から考えて、もっと少ない音量でも十二分な可聴範囲の振幅であるが、出力制御をしていないのだろう。


「やぁ波音さん。どうしたの?」


 とりあえず状況把握。


「きちゃったのっ!」


「きちゃった?」


 よく分からない。


「うんっ! 本当はじゅんくんが来ないといけないんだよ」


「ほう……それはなぜ?」


「だってじゅんくんはなみちゃんの王子様だもんっ! 本当は王子様がお姫様を迎えに来ないといけないんだよ」


 よく分らない。


「ほほう、俺は君の王子様なのか」


「うんっ! だからね、航海から帰ってきて真っ先に来ちゃった!」


 そうか、この一週間姿を見ないと思っていたら訓練航海に出ていたのか。


 潜水部の訓練日程は他言無用が原則だからな。突然消えて突然現れてもおかしくはない。


「そうか。おかえり」


「ただいまっ!」


 そう叫ぶと俺に駆け寄ってきて……


 ドンッ


 衝撃。


 運動エネルギーが体に押し寄せた直後、波音さんの両手が背中に回る。


 飛びつかれた……それが一番正しい表現だ。


「うん……鉄と油の匂い……あっ、じゅんくん、溶接もしたでしょっ?」


「あっ、わかるんだ」


「波ちゃんはなんでもお見通しなのっ!」


「そっそれより、波音さん、服、よごれちゃうよ」


 俺の作業着にこすり付けられている制服を心配する。

しわ一つ無いセーラー服。冬服は紺で汚れが目立ちにくいとは言え、それに機械油や鉄クズの汚れをつけるわけにはいかない。


「いいのいいのっ、それよりなみちゃんはじゅんくんにあえてうれしいのですっ」


 満面の笑みを向ける。


「それはうれしいけど、この態勢はあらぬ誤解を発生させるから……」


 そういっている合間にも、背後に視線を感じる。


 誰かが近寄ってくる様で――


 あっ


 突然、襟をつかまれた感触が発生したと思ったら、視界が空を向く。


 あれっ?


 ドンッ


 背中に伝わる衝撃。それと同時に、真上を何かが通り過ぎた。


「きゃぁっ!」


 耳をつんざく叫び声。同時に金属音が聞こえる。


 ばっと顔を向けると、眼前に現れたのはセーラー服姿の少女が二人。



 一人は波音さん。もう一人は……


「あっ……茜!」


 拳銃を波音さんに突き付けた茜の姿があった。


 今までに一度も見た事の無い無感情な目つきで波音さんを睨んでいる。


 何が起きているのかはわからなかったが、少なくとも拳銃まで使うとは冗談にしては度が過ぎている事は分かる。


「ちょと茜っ!」


 起き上がると茜の手を握り、スライドを抑え、後ろに後退させる。


 ぽろっと弾丸が落ちる。


 限定的だが、ひとまずは発砲できない筈だ。


「純太郎、やめて」


 振動する唇が動く。


「どうしたんだ。急に」


「対象を守らないと……」


「おい……茜……」


「護衛対象に異常接近した場合は、敵とみなし……」


 正気を失っている。


「あかね!」


 銃を抑える左手で弾倉を落とし、残弾を排出すると肩を揺さぶった。


「はっ……」


 何かに気づいたかの様に目つきが変わる。


 先ほどの様な、無感情な鋭い目つきではなくいつもの……いや、いつもの様な活発な瞳ではなく、気力の失った瞳であった。


「大丈夫……か?」


 大丈夫でない事は分っている。


「茜……お前、要人護衛の訓練、受けていたのか?」


 聞きたい事はいろいろあった。


 だが、何から聞けばいいのかわからず、咄嗟に思いついた質問がそれだった。


「ううん、受けていない……とおもう」


「思う?」


「うん……私……わからない。


 さっき、純太郎に誰かが駆け寄るのを見て、私はそれが波音さんだってわかったわ。でも、何故か救助しなきゃって思って……最初は部隊に救援要請を送ろうとしたんだけど、短波無線機も持っていなかったから実力を行使しようと思って。でも、あまりに至近だからまずは護衛対象を敵から離さなきゃって思って。それに、清水隊長が絶対に敵と護衛対象の間に入らなきゃいけないっておっしゃっていたから。自分は間に入ろうとして……」


 何かがおかしい。


 明らかに普段の茜とは何かが違う。


「ごめん……わたし、これじゃぁただの危ない人だよね」


 焦点の合わない目が宙を泳ぐ。


 肩が震えていた。


 これだけ意気消沈した姿を見るのは初めてだった。だが、これだけ気が動転しているのにもかかわらず、右手の拳銃は未だに波音さんの頭を狙っている。


 殺意を持っている?


 否、それは無いはずだ。


 そもそも、関わりがあの一度きりしかない。あって精々第一印象くらいなものだ。


 ならば、純粋に敵と認知したのか?


 それも考えにくい。なぜなら、外見から判断出来る限りでは波音さんに戦闘能力はない。


 腰には指揮刀を備えているが、それを武器と定義しているのだろうか?


「茜、落ち着け。とりあえず、銃を離せ」


「あれ……どうしよう……手が、動かないよ」


 動揺しているせいか?


「深呼吸しろ」


 と声を掛けると、ゆっくりと拳銃を握る指を外す。


 かなり強い力で握られているが、一本一本丁寧に外せば無理な力ではない。


 拳銃はガコッと鈍い音を立て、アスファルトの上に落下する。


「襲撃者の排除に失敗、護衛対象は……」


 茜は、唐突に何かを報告すると、そのまま地面に倒れた。

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