項目二 課外活動における励起状態

2.1 休息


一九七四年四月一九日 日本時間二二一〇時

  茨城県鹿島臨海特別行政区 統合術科学校第一委員会棟三階廊下




 静まり返った委員会棟。その廊下を、南条夏美は歩いていた。


 時折、眼鏡が廊下を照らす月明かりを反射させる。


 誰もいない廊下。しかし、遠くから音楽が流れていた。


 滑らかなピアノの音色。


 彼女はその音源に向かって足を進ませ、扉の前で足を止める。


〈第八多目的室〉


 その扉を開くと、月明かりに照らされた室内が視界に広がった。


 多目的室とあってか、雑多な物が置かれた部屋であるが、夏美の視線は部屋の中央で音を奏でるグランドピアノ――それを弾く雪江の姿に収束していた。


 やや激しめの曲を奏でる雪江。


 激しく体を揺さぶる度に、ショートカットの髪が揺れる。


 最後の一小節を弾き終えた雪江は、静かに口を開く。


「夏美か。よく分かったな」


「勿論です。『革命のエチュード』をこんな時間に弾く人は、お姉さまくらいですから」


「それもそうだな。この練習曲を好んで弾く人も少ない。この月夜には……そうだな、ショパンでいったらノクターンが合うだろう。だが、私はいつでもこの曲を好む。少し変わっているとは自覚しているがね」


 苦笑を夏美に見せた。


 夏美は、些か頬を火照らす。


「そのっ、お姉様。昼間の騒動で機兵を発見した二名の事なのですが……」


「話は聞いている。外そうとした途端、倒れたと。今は第四教育棟の集中救護室で安静中だったかな?」


「はい。先ほど続報が入りまして、藤本君が二一〇八時、矢倉さんが二一三三時に目を覚ましたとの事です」


「後遺症、言語障害、その他諸々の症状は?」


「はい。簡易テストを行いましたが、記憶、知能等に問題はありません。ですが、二人とも頭痛がするとの事。安全を図り、今夜は救護室で寝させる予定です」


「そうか、なら良かった。あの機兵も……機工兵科の教職員に意見を貰えばこちらで適正な処理が行えるだろう。嫌な臭いはするがね」


「それに関しては私も同感です。

それともう一つ。お姉さま。そのっ、高等監察官の事なのですが……」


 その言葉を耳にした途端、雪江の表情は強張った。


 しかし、直ぐに和らぎ、笑みが戻る。


「心配なのかね?」


「はい……」


「おいで」


 雪江は笑みを見せながら椅子にスペースを開ける。


 連弾に使う事を想定した二人掛けの椅子……それに夏美が座ると、雪江は頭を撫でた。


「お姉さま……」


「夏美、お前は私に残された唯一の肉親だ。そしてこの学校は私に残された唯一の居場所だ。あの女の思うつぼにはさせない。そして絶対に……母上の仇を取る」


「ですが。菅原叔母(・・)さんが本気で権力を使ったら……」


「ああ、この学校とて、まともな反撃をする事が出来ないだろう。だが、そうなったら私は持てる全てを尽くしてこの学校を守るつもりだ」


 凛々しく言い放った言葉。


 夏美の目が大きく見開かれる


「そんな……お姉さま、危ないです。去年の暮れの一件は相手が生徒でした。ですが……今回は違います。相手は、機構の高等監察官――」


「夏美、いつだか言った筈だ。私がこの学校の書記長である以上、この学校の全ては私の物だ。それが誰であれ、何であれ、奪う事は私の物を奪う事と同じだ。これを守るのは、中央委員会書記長として、そして夏美の姉としての義務だ」


 遮る様に言い放たれた言葉。真剣な眼差しが、その言葉の意味をより一層深くする。


 夏美の口は一瞬つぐんだかの様に見えたが、再び開く。


「ですが……ですがお姉さま! 私には、もう、お姉さましかいません。絶対に……絶対に、無事でいてください!」


 目を真っ赤にしながら叫ぶ。


 残響が、室内に木霊した。


 そして沈黙。


 ひと時の間の後、再び笑みを零した。


「かつて、キューバの革命家、チェ・ゲバラは言った。

『国民に意思を伝えるためには、国民の一人となって感じなければならない。国民の欲するもの、要求するもの、感じるものを知らなければならない』

また、こうも言った。

『国民の英雄たるもの、国民から遠くはなれていてはいけない。高い台座に上って、国民の生活と無縁なところにおさまるべきでない』

 私はこの学校の指導者だ。生徒から離れるつもりは無いし、ましてや夏美……お前から離れる事は絶対に無い。安心しろ」


「――はい」


 夏美の顔に笑顔が戻った。


「さあ、もう遅くなった。寮に帰ろう。いくら我々に門限が設定されていないとはいえ、こんな夜遅くまで出歩いていたら示しがつかない」


「はい。では、お姉さま、帰ったら一緒にお風呂入りましょう。今夜は寒いですから」


「全く、夏美はいつになったら一人で風呂に入れるのかね?」


「いいじゃないですか、お姉さま。ずっと一緒ですよっ」


 二人は席を立つと、教室を出る。


 誰もいなくなったピアノは、静かに月明かりに照らされた。





昭和四九年四月一九日 ██████作戦ニ関スル第一次報告書 乙種Ⅲ型機密指定

発 内閣情報調査機構第█課████室   宛 菅原真紀子高等監察官


(前略)

戦果報告 イ号目標 入手失敗   ロ号目標 入手失敗

     ハ号目標 入手失敗   二号目標 入手成功

(中略)

 以上ノ理由ニヨリ、物品及ビ資料ニ関シテハ入手ニ失敗シタモノノ、我々ハ███ガ製作シタト思ワレル新型機兵ノ新タナ搭乗員ヲ発見セリ。

 当初、新型機兵ノ搭乗員ハ███ノ工作員無イシ、退役、及ビ戦死扱イノ陸上自衛軍兵士デアルト想定サレテイタガ、搭乗員ハ統合術科学校二年機兵科ノ矢倉茜(資料三参照)及ビ同機工兵科ノ藤本純太郎(資料四参照)デアルト思ワレル。

 此ノ二名ニ関シ、興味深イ事柄ハ現時点デハ発見サレテイナイガ、其レガ███ニヨル情報操作ニヨルモノナノカ、単純ニ特記スベキ人物デナイコトカハ現状デハ判断シ難イ。

 留意スベキコトトシテハ、矢倉茜ノ父、矢倉勇少尉ハ陸上自衛軍(入隊時ハ陸軍)ニ所属シ、第二次長春防衛戦ニテ戦死シタ事ガ確認サレテイルモ、戸籍情報ニ矛盾ガ存在ス事デアル(資料五参照)。

(中略)

 ――又、ロ号目標ニ関シ、身元調査ノ結果、千歳波音ナル人物ハ██孤児院ニ存在シナカッタ事ガ判明セリ。

 然シ、公文書ハ全テ実物ト判別ガツナカナイ程ニ巧妙ニ偽造サレテオリ、行政官ノ中ニ███ノ内通者ガイル、無イシハ高度ナ偽造技術ガ存在スルトオモワレル。当初ハ文章ノ巧妙サヨリ前者ガ疑ワレテイタガ、現状カラ判断スルニ双方デアルト思ワレルガ、ヨリ慎重ナル調査ガ必要ト思ワレル。

(以下省略)



 四月一九日

 一九日って書いてあるけど、この日記は二〇日に書いています。

 今日は色々あり過ぎて書くことが困る程だけど、正直な感想は驚いた。

 委員会の人から詳しくは日記でも書いちゃいけないとか言われたから書けないけど、あの時の純太郎は何だか頼もしかった。いつもあんな風だったらいいんだけど、それは純太郎らしくないといえばそう。

 でも、何で純太郎は解除できたんだろう?

 もう一つ書きたかった事は今日の目覚めはすっごくよかった。純太郎は頭痛が残っているみたいだったけど、たぶん昼になれば治っていると思う。

 さて、今日も一日頑張ります。

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