1.6 審査
四月一九日 一七四七時 第一委員会棟三階廊下
「失礼します。藤本純太郎、矢倉茜、千歳波音の三名をお連れ致しました」
数多くの扉の中、ひときわ大きな扉の前で、俺たちは立ち止まっていた。
扉の両隣には武装した公安委員。
扉には〈中央委員会委員長室〉の看板。
一般的には〈生徒会長室〉になるのだろうが(そもそも生徒会長室なんて存在しないのだろうが)学校が学校なので仕方がない。
「入れ」
男とも、女とも判別出来ない声がする。
「はっ、失礼します」
開かれる扉。
同時に、部屋の光景が視界に映る。
最初に観測されたのは、部屋の奥一面に張られた窓を通して映る、真っ赤な夕焼けに染まった海だ。
そして、手前に存在する社長室にある様な机。
その机の向こうには、椅子に座る人影がった。
印象的なのは
本来は長かったのだろうが……バッサリと切られ、ショートカットとなっている。
こちらに向いた視線。瞳もまた黒く、それに対を成すかの如く肌は白い。
それに引き立たされた唇は、桃の様な薄いピンク色に染まっており、微笑んでいた。
この人が、この学校の生徒自治組織、その中核を成す中央委員会書記長、南条雪江書記長だ。
数カ月前に中央委員会の委員長やその側近十数名が退学処分になった事件があり(詳しくは忘れた)便宜的に書記であった先輩が書記長となって委員長代理を務めている。
書記長(本来なら委員長)は学校の生徒自治組織の長としての立ち位置であるが、その権力は絶大だ。
この統合術科学校は冷戦を勝ち抜く人材を育てる為に生まれた学校だ。それゆえ自己解決能力を高めるため、極めて高い次元で独立している。つまり、一種の国家の様なものなのだ。
現に、この学校は特別行政区に指定されており、日本の国内法の適用を受けない。
日本の属国という解釈が正しいだろうか?
従ってその頂点に立つ書記長は国家の最高指導者に相当し、この学校の指導者として学校の運営をこなせた者は、将来日本政府の重役に就く事が約束される。
いわば、この学校は日本を統治する為の練習場であり、試験場なのだ。
雪江先輩は視線を落とすと何やら報告書の様な物を読む。
恐らく、先ほどの事件の第一次報告書だろう。
流石公安委員会。仕事が早い。
しばらく時間がかかりそうなので、視線を泳がせると、雪江先輩の右隣に、似たような顔をした女子生徒がいた。
相違点を述べるなら、髪が腰に届きそうな程まで長く、メガネを掛けている所だろうか?
彼女は確か雪江先輩の双子の妹。名前は夏美って言ったっけ?
そして左にいる、恐ろしく体格の良い三年生。
彼は公安委員長の強羅先輩だ。
制服の上からも筋肉が分かるくらい腕が太く、がっちりとした逆三角形をしている。あれに機関銃を持たせたら
いずれも全校集会の時にしか見た事ない人達。
この距離で観測するのは初めてだ。
他にも何人か生徒はいるが、いずれも警護の公安委員。
顔はフェイスマスクで覆われており、制服の上にボディーアーマーを着用し、腰には拳銃を下げている。
しばし、静寂が流れる。
パタンッ
報告書が閉じられる。読み終わったのだろうか?
雪江先輩の瞳がこちらを観察すると、口を開いた。
「諸君等三名が、先ほどの事件で深くかかわっている三人かね?」
透き通った声が室内に響いた。
「はい。ですが、千歳さんは人質として誘拐されただけでありまして、私……自分と藤本の二名が今回の工作員の追撃を行いました」
丁寧な口調で茜が説明する。
やはりこれだけの空気を流されては怖い。
「そうか。報告書には……その機兵は第一実験棟の地下にある秘匿研究室から奪取した物だと記されているが、それを脱げないとは何故かね?」
「はっ、それは、脱ごうとすると解除コードの入力を要求され、更にロックされている事が告知されるからです」
今度は俺が説明する。
おお、すんごい緊張する。
「なるほど。恐らくは戦場で脱いで敵に機密情報が渡らない様にするための物だな。それだけの物だ。理解できる。しかし、藤本君、何故君はそれを装着しようと思ったのだ? 第一実験棟には無いが、その前の通りには通報機がある。それを使えば自動的に内務委員会警務課に繋がる」
「いえっ、そのっ、それは……事態が急を要すると判断したからです。更に、一時扉を爆破するとの声を耳にした事もあります」
「矢倉君。君は?」
「はっ、自分も、事態が急を要すると思ったからであります」
どうだろうか? 正直に言えば、付けてみたいという好奇心だったが、でもそれは流石に……
「フンっ」
鼻で笑う声。
「私に嘘をつこうなど十年早い。だが、良いだろう。私は好奇心を否定しない。むしろ肯定する。結果が善き方に傾いたのならなおさらだ。
宜しい。二人の手錠を外してあげなさい」
俺達の隣にいる生徒に視線を向ける。
「ですが書記長、この二名の顔による本人確認は……」
「聞こえなかったのか? 外せ」
「かっかしこまりました!」
顔面に冷汗を流した生徒は、慌てて鍵を取り出すと俺達の手錠を外す。
実際、付けている状態と外している状態で大差がないのだが、心情的には和らぐ。
「では、此処で私から礼を申し上げよう。今回の一件、君たちはその身を以て事態の収拾に取り組み、身の危険を呈してまでも我が校に尽力してくれた。中央委員会書記長、及び南条雪江として礼を申し上げる。ありがとう」
席を立つと軽く頭を下げる。
軽くといえど、相手は俺たちとは天地ほどの身分の違う人間だ。
立っていただいた事だけでも本来ありえない事だ。
「いっいえ、南条書記長、自分は何も……それに、工作員と交戦したのは純太……藤本の方です。そんな勿体ない」
「いいのだ。最も、君たちはこれから辛い思いをしてもらわねばならないがね」
辛い思い?
その時、扉がノックされた。
「失礼します。内閣情報調査機構、菅原高等監察官をお連れいたしました」
「来たか。早いな。案内してさし上げろ!」
言うと同時に雪江先輩は立ち上がり、机の横に立つ。
その両背後に立つ二人の先輩。
目上の人間という事らしい。
俺達も慌てて扉の方に体を向ける。
背を向けては失礼に値する事くらいは分る。
カチャッ
扉が開かれる。
すると、廊下からスーツ姿の女性が現れた。
メガネを掛け、髪の毛を頭の上で結っている。
年齢は四〇歳中盤だろうか? 唇は口紅のせいか、真っ赤だ。
菅原さんは笑みを浮かべながら雪江先輩に歩み寄る。
「あらぁー雪江ちゃん、お久しぶり。また綺麗になったわねぇ。夏美ちゃんも久しぶり」
この場の空気とはまるで違う空気を醸しだす。
知り合いか? いや、雰囲気的には親戚の様だ。
「高等監察官閣下、此処は公の場であります」
「あらぁ、いやだ、そんな怖い目つきをしないでっ」
「要件は何でありますか?」
「もぉっ、せっかちなんだから」
そういいながら、女性は口紅と同じくらい真っ赤なハンドバッグの中から茶封筒を取り出す。
中には紙が一枚だけ入っていた。
「さっき、物騒な事件があったでしょ? それでね、私、上に頼んでこの学校に私の部下を派遣できる様にしたから、此処にサインお願いね」
紙を受け取ると、雪江先輩は文面を凝視する。
その表情には、先ほどの様な笑みは一切無い。
「高等監察官閣下、無礼を承知で申し上げたい事が三点あります」
「なにっ? 言って言って。何でも聞くわよ」
「一つ目は、ご存じであると思いますが、本校の直上組織、内閣府統合術科学校教育委員会の承認及び学校長たる文部省大臣の署名が無い限りは私の署名があったとて、この書類は無効です。
次に、こちらにある『今回発見された機兵の所有権を内閣情報調査機構に譲渡する』とありますが、こちらは拒否致します。理由と致しましては、この機兵は本校に存在していたもであり、故に所有権は本校に帰属します。然るべき研究が終わった後には手放す考えでありますが、その先はふさわしい研究機関、日本技術研究機構ないし国防技術研究局に譲渡する所存であります。
最後に、こちらに記載されている、本事件に関与した三名の身柄の引き渡しに関しては許容しかねます。彼らは本校の生徒であり、彼らの身の安全は書記長である私が責任を持って確保致します」
淡々とした口調で述べる。
「あらぁ、でも、この子達はこわーい工作員の顔を見ちゃったのよ。口封じとか、報復の為に殺されちゃうかも? それに、まだあれで工作員全員だとも限らないし」
「その点は、我々が二四時間警護を付ける予定であります」
「でも、工作員入られちゃったんでしょ? だったら……」
「お言葉でありますが高等監察官。本校、つまり鹿島臨海特別行政区に工作員が侵入した一件につきましては、行政区境界域を警備する陸上自衛軍東部方面隊隷下、鹿島臨海特別行政区警備隊に問題があると思われます。この点につきまして、何がご不明な点がありましたら、この場で申し上げて下さい」
激しい剣幕だ。
何か恨みが……と思うが、菅原さんも特異的な対応を行っているが、雪江先輩の態度も正常値ではない。
慇懃無礼……という言葉が正しいのだろうか?
語彙力のない俺にとってはこうやって表すのが精いっぱいだ。
「言いたい事は分かったわ。でも、この三人を危険にさらす訳には……だから、悪いけど特別条項の……」
「夏美!」
「はい」
「記録開始」
「かしこまりました」
「中央委員会書記長命令
昭和四九年四月二四日、一八〇三時を以て藤本純太郎、矢倉茜、千歳波音三名を書記長直属の警備役員に命ず」
「記録しました」
――今、何が起きた?
あまりに突然の出来事に茫然と立ちすくむ俺達三人。
すると、雪江先輩がこちらを振り向く。
「藤本君、矢倉君、千歳君、すまないが、君たちにはしばらくの間私直属の警備役員になって欲しい。
高等監察官。右の通り、彼ら三名は私の護衛であり、本校委員会の『重き役職』に該当する人物であります。従い、特別条項の例外です。
仮に外部からの強制的な身柄引き渡し行為が行われた場合は、わが校の自治権の侵犯行為と断定し、我が校の持てる戦力を駆使し、この脅威を強制排除致します。宜しいでしょうか?」
室内に静寂が伝播する。
菅原さんを睨む雪江先輩。
彼女は――視線を下げるとゆっくりと口を開ける。
「そう、残念ね。雪江ちゃんがそう言うなら仕方がないわ。良いでしょ。ひとまずは帰るわ。でも、また何かあったら連絡して頂戴ね。私、直ぐに駆けつけるから」
そう言い残すと、くるりと身を翻し部屋から去る。
「沢瀬、御見送りをしろ」
「はっ」
同時に、先程入ってきた生徒も出て行く。
閉じられる扉。
再び室内に静寂が戻った。
視線を雪江先輩に戻す。
「――未だ会って一〇分も経っていないのに早くも見苦しい所を見せてしまった。申し訳ない。だが、あの女だけには絶対に譲渡する事は出来ない。何があってもだ」
雪江先輩は、再びその全てを許容する様な笑顔を見せると、椅子に座る。
他の先輩方も同様、所定の位置に戻る。
その無駄のない機敏な動きといい……まるでよく訓練を受けた兵士の様だ。
「そこでだ、先程の通り、諸君等三名は私の警備役員となって欲しい。何、難しい話ではない。
君たちは私とは学年が違うから……放課後、私の身辺にいてくれればそれで十分だ。勿論ずっといろという話ではない。週二回程でお願いしたい。丁度警備要員が少なかったんだ。これ以上強羅君に迷惑をかけるべきではないからな」
強羅公安委員長に向く視線。
「いえ、それほどでもねーです」
まるで親分と子分の様……いや、実際にそうか?
「さてと、こうしても話が進まないな。とりあえず、君達二人はその機兵を脱いだ方が良いな。その機兵が何時、何処で、誰が、何の為に、どの様に作ったのかは未知であるが、とりあえずコードさえ入力すれば脱げるのだろう。既に機工兵科の鈴鹿先生にその機兵の研究を頼んである。君ら二人はその機兵があったとされる地下室に向かってくれ。なるべく生徒の目に付かない方がいい。車はこちらで出す。最後に……夏美」
「はい」
先ほどから直立姿勢を保持したままであった夏美先輩が初めて声を発する。
「報道委員会へ連絡。先の一件、日本赤軍系過激派組織による侵入行為とだけ伝えろ。詳細に関しては報道委員に任せるが、彼ら三人については伏せるように。工作員の残党捜索に関しては生徒へ不安を仰がないよう、秘密裏に行え。乙種一級の装備の使用を許可する」
「かしこまりました」
どうやら、俺達はこの一件に関わらなかった事にするらしい。
「今回の一件に関し、君たちは極めて大きな貢献を我が校に行ってくれた。それは感謝する。しかし、英雄を作ってしまえば君たちは全校生徒の注目の的、今後起こりうる事態への対処もままならなくなる。申し訳ないが、君たちのことは伏せてもらっても構わないかね?」
俺達は、黙って頷いた。
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