項目一 学園生活における基本設計
1.1 初期値
一九七四年四月一九日 日本時間〇八五〇時
茨城県鹿島臨海特別行政区 統合術科学校第二教室棟三〇七教室
「純太郎、一つ聞いて良い?」
休み時間の教室。唐突に俺の名前が呼ばれた。
四月の風に運ばれる柑橘系の芳香。
それだけで誰が話しかけているのか分かる。
本来なら、音源に視線が行くであろうが、今、俺の視線は別の事柄に集中していた。
「何?」
「それって、どー見ても小説には見えないわよね?」
視線を感じる。
恐らく、今開いているページに書かれた回路図を見ているのだろう。
「うん。大日本書籍の〈機兵制御理論〉第五章、〈第二世代型機兵における閉ループ制御方法〉。それに記されているPWM制御回路の等価回路図だ」
ページを捲りながら応答。それにしても、この本は実に面白い。
「はぁ……」
音波の伝播により鼓膜に伝わるため息。
同時に視界の右上、丁度机の上に、スカートが乗るのを観測する。
微かに振動を起こす机。どうやら、机に座ったらしい。
本来の用途ではないが、この程度の荷重なら設計上許容されているだろう。
当然耐荷重は超過しているだろうが、安全係数を考慮するとという意味だ。
「茜は読まないのか? 教科書とか、学術資料。自動小銃の動作機構についての書籍とかは面白いし為になると思うが? 防衛学部の使っている教科書にも長ガスピストン方式と短ガスピストン方式の違いについて書いてあったが、あれはなかなか面白い視点から……」
「あのね、純太郎。アタシはガリ勉でもなければ、優等生でもないの。そんな、休憩時間に勉強なんてしないの。フツーはね」
「勉強? 俺だって勉強しているわけじゃない。機兵が好きだから、機兵の本を読む。茜だってよくファッション雑誌読むだろ? それと同じだ」
ペシッ
突然、眉間に衝撃が走る。
じんわりと来る痛み。
今日もまたデコピンを食らった様だ。
ここでようやく俺の視線は教科書から目の前の少女へと向いた。
「純太郎、一つ言っておくわ。ファッション雑誌と教科書は違うの、この機兵バカ!
いい? あんたとは長い付き合いだからある程度は分っていたつもりだったけど、いい加減フツ―の人間になったら?」
そう発言するのは紺のセーラー服を着た少女だった。
セミロングの髪の毛は一つに束ねられ、ポニーテールとなって背中へと垂れている。整った顔つき。軍事教育や陸上部の過酷な訓練を受けてきた結果は足に顕著に現れており、健康的な意味合いにおいて細い。そのせいか、身長が同年代における平均値に近似しているのにも関わらず、目視における判断においては平均値より有意義な差があると錯覚させる。
他の個体と厳密な比較評価を行った訳ではないが、俗に言う「可愛い」に形容されるだろう。それを証明する例として、昨年度のミスコンでは上位入賞になったと聞いている。しかし、いつもは活発そうな瞳も、今は何かの病気の末期患者を診ている様な憐みの視線を送っていた。
彼女が矢倉茜。俺の知り合い? いや、友人だ。厳密な定義を知らないのでもしかしたら条件に合致していない可能性があるが、彼女とは小学校からの付き合いなので幼馴染と言える関係だろう。
「フツ―ったって、俺の固体値は同年代の平均値に近似している。
知能指数、成績もと平均値に近似する訳ではないが、それでも標準偏差から考えて特異的に良いとは言い難い。一般的な誤差範囲内に収まっている個体だ。普遍的と言えるだろう」
「だ・か・ら、その口調よ、その口調どうにかなんないの? いつも誤差範囲だとか、標準偏差とか訳の分からない用語を並べて。しかも何その服装。何で朝っぱらから作業着なのよ」
俺の服をじろじろと見る。
今の服装は一般的な作業着姿だ。強いて言うなら胸の所に校章が記されているくらいだろうか? 学校支給の作業着だ。地味に良い材質使っている。確か難燃素材。今日は午後から実習系の授業があるので着たままでいた。この学校では課業中の私服の着用は禁じられているが、作業着はその定義に含まれない。
故に――
「普通の恰好だろ」
そういうと、再び書籍へと視線を戻す。
「あーもー嫌になっちゃう。別にみいはあ族とか、太陽族になれとか言わないけどさぁ、何て言うのか……もーっ!」
何故か苦悩している。
カルシウムが足りていないのだろうか?
医学的知識は乏しい為、そのあたりの因果関係に関しては把握していないが、何かしらの問題があるのかもしれない。
「茜ちゃん、よしなって、こいつにはそういった事、何を言っても無駄だぞ」
会話に流入してきたのは龍次だった。
佐川龍次。推定全高一七〇センチメートル、推定質量六五キログラムの、一九七四年現在の水準からしたら大柄に分類可能な体格の持ち主がそこにいた。
昭和四九年現在の成人男性の平均身長が約一六三cmであり、標準偏差が約五cmであると聞いているので正規分布にあてはめると上位八 %にあてはまる。
「そうよねぇ、でも何かさぁ、勿体ないって言うのか、何と言うのか顔もいいのに…… もぉっ」
目の前でばたばたと足を揺らす。
伝わる振動。周期は三Hz程だろうか? 同時に甘い芳香も漂う。
丁度その時、チャイムが鳴った。予鈴だ。
途端、回路が切り替わったかの如く動きが停止する。
多分マイクからの信号をバンド・パス・フィルタかけて予鈴に含まれる周波数だけ抽出してコンパレータを通せばこういった動きをする回路は作れると思う。いや、そんなに簡単にはいかないか。
「あっ、私帰るから。 じゃぁ、お昼にね」
「おう、またね!」
「またな」
俺の口から洩れた言葉は条件反射的な物だった。
別にいいか。茜ももう慣れている様だし。何が問題なのかは分からんが。
扉の開く音。
次の時間は……確か機兵概論。
白髪交じりの髪が特徴的な鈴鹿先生が入ってくる。
良かった、この授業は誰も怒鳴られずに済みそうだ。
俺は、教科書を取り出すと視線を黒板へと向けた。
「従って、これらの式をまとめると、機兵の出力上限に関する大沢方程式を導出する事が出来る。これは昭和三八年に大沢博士が作られた方程式だが――」
今日も授業で語られる機兵の全て。
機兵――正式名称『機動歩兵補助装置』。(よく勘違いされるが機械化歩兵の略や旧軍時代の機動歩兵ではない)
それは、現代戦闘において主力戦車や戦闘ヘリと並んで陸戦兵器を代表する兵器の一つだ。
簡単に述べてしまえば電気補助付きの近代的な鎧や甲冑の様な物で、ある程度の耐弾防爆性能を持たせた鎧だが、これが実戦ではかなり役に立つらしい。
そして俺たちは兵器工学科としてそれを(専攻によって何かは変わるが)設計・製作・保守する側の人間として育てられている。
当然機兵ばかりに強くなっても技術者として応用性の欠片も無い存在となってしまう為、電気・機械系全般を学習するが、即戦力になる事を期待されて専門性の高い授業を受けている。
「よって、この数値が機兵に取り付け可能な装甲限界となる。これ以上装甲を追加すると電動機出力で補助する分を差引いても人体に負担がかかり過ぎ、またそれを大型化で補おうとすると人体では扱い切れない大きさになる。一般的な材料や電動機・電源から得られる定数を代入すると、一般的な機兵で距離四〇〇メートル以遠からの
教室に通る教師の声。
風が通り抜ける窓の向こうからは、かすかにランニングを行う生徒の掛け声が伝播したが、それを掻き消す様に戦闘機が校舎の上を飛び去った。
政立統合術科学校……
冷戦を勝ち抜く人材を育むべく作られた学校。
全国から集められた、狭き門を潜り抜けた生徒たちが政治経済、軍事、技術等を習っている。就学期間は高校と同じ三年。しかし、卒業すると大学二年への編入が許されているらしい。
つまり、実質飛び級が許された学校であり、それ目当てに入学する生徒も少なくない。
一方で、軍事学部に入学するために体育技能で選ばれた人間も多くその多くは軍事教練に日々いそしんでいる(と思われる)。
「この式より導出される曲げモーメントは……」
ジリジリジリ
突如、不快感を覚えさせる周波数・音圧でベルが鳴り響いた。
またか。
「訓練訓練、緊急核攻撃情報発令! 訓練訓練、緊急核攻撃情報発令!
生徒は直ちに防護板を下し、衝撃に備えよ。
繰り返す……」
この学校に1年もいれば慣れる。
月一程度の間隔で突如行われるこの訓練。
俺は窓側なので、窓枠の隣に取り付けられた箱の蓋を開け、スイッチを押した。
ギギギッ
鈍い金属の唸り音と共に降りる真っ白なシャッター。
相当な重量らしく、電動であるのにも関わらず下りるのに15秒程かかる。
当然ここも普通の学校や自治体施設と同じく核シェルターくらいならあるが、弾道ミサイルの配備が進んだ現代では間に合わないとかでこれが取り付けられたらしい。
ノートとペンを手に取ると机の下に隠れる。
警報が解除されるのを待つだけは勿体ないのでノートを取ろう。
防衛学部ならこんな事をしていたり、行動が遅かった生徒に『指導』が入るが、此処は理工学部なのでそんな心配は無い。
今日も日本は平和だ。
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