第九話 相対するもの、水龍の子孫




 神葛の東北地方にある葛北かつほくの村は、秋の収穫に涌いていた。

 葛北は琉斌との国境に近い扇川の上流に位置し、村人は農業と炭焼きで生計を立てていた。今年は豊作で、年料ねんりょうと呼ばれる租税を収めた後も手もとに米が多く残った。百姓らは、種籾たねもみを別にしても収穫祭と正月は米や餅が食えると喜んだ。

 爽やかな秋晴れの朝、村に暮らす正太しょうたは裏山へ茸を取りにいく準備をしていた。山はこの時期マイタケやシメジがよく採れた。

 家は病気で寝たきりの祖母と両親、三つ上の姉と二つ下の弟、産まれて半年の妹の七人家族だった。両親は朝から晩まで農作業に明け暮れており、祖母の看病や家事、弟妹の面倒をみるのは姉と正太の役目だった。

「コラ! 悪さばかりしてると、女王様が森へお帰りになってしまうよ。大きな地震が来て、雷が落ちるからね」

 母親が、悪戯をした弟を叱りつけている。

 その横で今年十三になる姉が、泣く妹を背中におぶってあやしている。

 姉は村一番の美人と評判で求婚は引きもきらず、年が明けたら隣村に駐在する官吏の息子の元へ嫁ぐことになっていた。ところが、義父になるはずの官吏が姉を見て「こんな田舎に埋もれさせてはいけない器量だ。領主様に献上した方が良い」と言いだした。

 領主に側女として差し出すのかと思いきやそうではなく、きちんとした教育を受け、歌舞をみっちり仕込めば県を代表するミブメになれるかもしれないという。ミブメは都へ行って神嫁かむよめになれるとも。よくわからないが、大層名誉なことらしかった。

 両親は神官でもある官吏の説得に応じ、娘をミブメの候補として領主の館へ行かせることにした。姉は破談を悲しむ風もなく、むしろ嬉しそうだった。

 夜、隣りで寝ている正太に「ミブメになりたいわ。村の誉れだし親孝行できるもの」と熱っぽく囁いた。正太は「姉ちゃんならなれるよ」と断言した。自慢の姉の幸せを願っていた。


 母親が、茸を入れるための籠を背負った正太に振り返った。

「ああ、山へ行くのかい。採った茸の半分は北の人たちに分けておあげ」

「うん、そうする」

 正太は素直に頷いた。

 村の外れに立つ掘っ立て小屋には、北部三県から逃げてきた難民が数十名、肩を寄せ合うようにして暮らしていた。彼らは国から食料や衣類を支給され、衰えた体力の回復に専念していた。

 役人が月に数回様子を見にきて、動けるようになった者から北部に帰していた。

 難民を初めて見た日のことを、正太はよく覚えている。

 ……最初は化け物かと思って悲鳴を上げてしまった。

 彼らは男も女も髪と歯がごっそり抜け、頬はこけ、目だけがぎょろりと飛び出していた。青白い手足は棒のように細く、腹だけが妊婦のように膨れていた。同じ人間とは到底思えなかった。

 北部の農村は飢饉で荒廃し、極限の飢餓は人を人たらしめる理性を容易く打ち砕いてしまった。障子の糊、木炭から草の根までありとあらゆるものを食べつくしてしまうと、人が人をかじった。食べるための殺戮が日常的に行われ、親が子の肉をかじり、子が幼い兄弟の肉をかじる凄惨な光景があちこちで繰り広げられた。

 その地獄からかろうじて逃げ出せた者だけが、心に大きな傷を負ったまま故郷へ戻る日を待っていた。村人たちは難民を哀れに思い、たびたび村で採れる食べ物を届けていた。


 囲炉裏の前で煙草を吹かしていた父親も二人の話を聞いていた。

「むごいこっちゃ。日照りは、陽の神様の祟りじゃけどうにもならん。じゃが、里長がゆうとった。北の飢饉は御言霊で防げたんじゃと。北部であれだけ人が死んだんは人災じゃと。葦原のお大尽様が止めてくださらにゃもっと死んどったと」

「ほんとやね。前の総代様が討たれたんも女王様のご命令やいうし。女王様が味方される方が正しいんやわ」

 母親も相槌を打った。難しいことは何もわからないが女王の、神が為すことに間違いはないと信じていた。

 正太は今日採る分の茸は全て難民にあげることにした。家族の分は明日また採りにいけばいいと思った。

「気をつけてね」

 姉が外まで出てきて見送ってくれた。

 正太は笑って手を振った。それが愛する家族との永遠の別れになった。


 裏山に入り、木々の間を縫って中腹まで上ったその時だった。

 下の方からドドドド……と地響きの音がした。

 地震かと思いふもとへ振り向いて、そこで彼は信じられないものを見た。

 馬に乗り、布で口もとを隠した賊とおぼしき男たちが、土煙を上げて村へ押し入ってきた。その数、数十騎。後方には馬に引かせた空の荷車が何台か見えた。

 音を聞きつけてか、ばらばらと外に人が出てきた。

 賊の一人が躊躇なく、出てきた男に剣を振りかざした。

 朝日に白刃がきらめいたかと思うと、男はどうっと仰向けに倒れた。女の悲鳴が聞こえた。賊たちは次々と村人に襲い掛かった。

「あ、あああ……」

 木の幹に掴まりながら、正太は震えた。村を見下ろしながら叫んだ。

「なんだよ。なんなんだよこれ……!」

 村には家族がいる。全員がまだ家にいるはずだった。弟妹は幼く、寝たきりの祖母は動けない。早く、一刻も早く知らせて逃げないといけない。

 しかし、自分一人が村に戻ったところでどうにもならない。賊と戦えるような武器もない。

 とにかく外部に助けを求めなければいけないと思った。

 隣り村へ走って、そこから東部に駐屯する警備兵に連絡してもらわないと。

 そう思い至ると、恐怖で震えていた足が動いた。

「……嫌だ。嫌だよ。助けて……神様、神様ァ!」

 叫びながらも、こみ上げてくる嗚咽を呑みこんだ。泣いている場合ではなかった。村に背を向けて全力で走り出した。


 正太は死に物狂いで山を越え、隣り村へ走った。

 村に飛び込んで事情を話すとただちに緊急の狼煙のろしが上げられ、駐屯所へ早馬が飛んだ。

 勇人ら国境警備の兵たちが駆けつけた時、葛北の村はもぬけのカラで、賊たちは逃げた後だった。

 通りには、斬り殺された村人の遺体が幾つも転がっていた。

 案内のため勇人の馬に同乗していた正太は、村に入るや馬から飛び降りた。

 村の中心にある生家に向かって駆け出した。

「おい、待て。まだ賊が潜んでいるかもしれないぞ」

 勇人は慌てて正太を追いかけた。

 正太は家に飛び込んだ。戸は開け放たれ、土間に父母が血まみれになって倒れていた。

 二人共に仰向けにひっくり返り、既にこと切れていた。奥の部屋では祖母が横になったまま同じく布団を血に染めていた。

「あああっ……! 父ちゃん、母ちゃん、ばっちゃ!」

 正太は叫び、母親の遺体に取り縋った。堰が切れたように大声で泣き始めた。

 続いて勇人も家に入った。

「ひでぇ……」

 血の匂いに顔を顰めながら、膝をついて倒れた父親の傷を見た。

 真正面から首を刺されて即死している。母親と祖母もそうだった。一撃で仕留めるとは随分と人殺しに慣れている。

「おい、こっちもか」

 同僚の瀬古せこが戸口から顔を覗かせた。勇人は振り向いて力なく頷いた。

「ああ、全員だめだ」

「他の家もそうだ。ただ死んでいるのは大人だけだ。子供の姿が見えない。賊に攫われたか」

「人買いの仕業か?」

「にしちゃ規模がでかいし手並みが良すぎる。もし子供連れならそう遠くへは行ってないはずだ。俺たちは生存者を探すぞ」

 二人は一旦家の外へ出た。

 合図を送ると、勇人と瀬古以外の兵士はわだちの跡を追って村を駆け抜けていった。

 その後、勇人らは村の端から端まで丹念に歩き回ったが、生存者は一人もいなかった。

 村外れの小屋に暮らしていた北部の難民たちも全員が殺されていた。

 家屋や穀物蔵は荒らされておらず、略奪を受けた様子はなかった。

 賊は電光石火の如く年寄りと大人を殺して回り、子供たちを荷車に乗せて攫っていった。正太の姉、弟、妹の姿もなかった。

 収穫祭を間近に控えた葛北の村は、朝の短時間で正太一人を残して全滅してしまった。



 東部から報告が上がると、祁幸来宮の大本殿では御前会議が開かれた。

 玉座の伊邪夜の前には御簾が下りており、高官たちが立ったまま長机を囲んでいた。

 葛北の村を襲った賊たちは、子供たちを連れて琉斌へ入った。

 他国へ逃げ込まれると、兵で追うことはできない。

 かねてからの中央の指示通り、賊が国境を越えた後は兵を引き、少数の間諜かんちょうを潜入させて慎重に後を尾けさせた。

 彼らは、賊が軍の駐屯地へ入っていくのを、更には数日後選別されたとおぼしき子供たちが奴隷商人に引き渡されるのを確認した。

 疑惑の通り、国境に近い東部の村々を襲っていたのは琉斌の正規軍だった。

 琉斌はここ数年、他国の人間を拉致しては奴婢とし、労働力の確保および国庫の資金源としていた。穀物や金品には目をくれず、非力な子供のみを攫っていくのは、生きた人間の方が高く売れるからだった。

 閏胡蛇に侵攻した際も現地住民を捕らえては本国へ送っていたが、閏胡蛇軍の凄まじい反撃を受けてままならなくなり、今度は神葛へと焦点を定めたようだった。


 この事実に高官たちは激憤した。会議は賊の討伐について紛糾した。

「ふざけた真似を。即刻、琉斌へ攻め込んで人民を取り返すべきです。放っておけば敵は増長する一方です」

「待て。これは元より露見することを見越した挑発行為だ。ここで我らが動けば相手の思う壺。これ幸いと難癖をつけて逆に攻めてくる」

「そんな弱気でどうする。村一つが壊滅の憂き目にあったのだぞ。こちらの被害は甚大だ」

 高官たちが喧々諤々けんけんがくがくと議論する中、特品覡の衣鳩いはとが吐き捨てるように言った。

「人攫いや女衒ぜげんはどこにでもおるが、一国が率先して他国の民を奪い人身売買にいそしむとはな。国策を定めるのが王ならば、この王こそが外道の極み。水龍の子孫が聞いて呆れる。未開の蛮族と何も変わらぬ」

 衣鳩は同意を求めるように、真向かいに立った大祇候の宇丁うていを見た。

 衣鳩は神和人の従兄弟で葦原の一員だが、軍門を束ねる宇丁は可留蛇かるだの一族の長だった。顎に立派な髭を畜えた堂々たる偉丈夫である。

 可留蛇は元々は閏胡蛇王家の傍系だが、七十年ほど前に政変に敗れて粛清され、生き残りが神葛に逃げてきた。

 彼らは滅法強く、神葛の南部を荒らしていた山賊を僅かな手勢で壊滅させてしまった。可留蛇の武力に目をつけた葦原は領地と官位と女を与え、更に生まれてきた子を幾重にも婚姻で縛って帰化させた。宇丁自身も神和人の妹の一人と従姉妹を妻にしている。

 宇丁は腕を組み、豪快に笑った。

「いやいや、あの蛮族の長なれば人攫いくらいでは驚くに値しませぬ。何せ、閏胡蛇に送ったおのが姉妹と家臣を見殺しにした男でございますからなあ」

 茶化すように言いながらも、声にはあからさまな侮蔑が滲んだ。

 元々、琉斌と閏胡蛇の王家は姻戚関係にあった。

 琉斌の皇王・淵龍えんたつの姉である皇女・珠雪たまゆきは閏胡蛇王のもとへ嫁ぎ、更には妹二人も後宮に入っていた。三姉妹に従って家臣やその家族、従者からなる数百人が琉斌から閏胡蛇へ移住した。珠雪は閏胡蛇王との間に六人の子をもうけ、その地位は安泰かと思われた。

 しかし、彼らは琉斌の突然の侵攻によって運命を一変させた。

 蛇の国の報復もまた苛烈だった。姉妹の家臣とその縁者は一人残らず処刑され、弟に裏切られた珠雪は正妃の座を追われて公の場に姿を現さなくなった。彼女も責を負わされて秘密裏に処刑されたという見方が強い。

 身内すら見捨てたこの一件で、淵龍の冷酷非情さは諸国に知れ渡った。


 御簾を挟んで伊邪夜の前に立った神和人は、机上の地図を見ていた。

 彼こそが人界における神の代言者であり、最終的な決定権を持っていた。

「神和人様はいかがなさるおつもりですか」

 衣鳩の問いに、神和人は顔をあげた。

 向かって右に立つ宇丁に静かに尋ねた。

「仮に琉斌と戦をしたとして、こちらに分はあるか」

 神和人の発言に高官たちがざわついたが、宇丁は飄々と答えた。

「ないでしょうな。琉斌は先年の閏胡蛇との戦いで戦慣れしております。撃退したものの、国土を荒らされたのは閏胡蛇の方。琉斌自体にさしたる損害はありませぬ。兵力でもこちらが劣っております。内戦で消耗するのを待っていたのやもしれませんが」

「私も同じ考えだ。争うなら軍の増強が先決か。だが東部が荒らされるのは看過できん。精鋭を連れてしばらく東へ行ってくれるか」

「賊を討伐してよろしいので」

「本来なら賊狩りなど大祇候の出る幕ではないが、琉斌の正規軍が相手なら不足はあるまい。様子見の必要はない。賊が領内に入ってきたら即刻討て」

「御意。これは血が騒ぎますな」

「蛇の血か」

 神和人は感心したように言った。

「左様。国を移っても始祖たる闘神の本能はなかなか衰えませぬ。最もそれがしは花を好む蛇ゆえ、みずちたいらげるのみにて」

 宇丁は伊邪夜のいる御簾の方を振り返り、ニヤリと笑った。


 伊邪夜は御簾の内側で、人間たちの会話を聞いていた。

 彼女は東部の現状を把握しながらも、人界の理とは違うことを考えていた。

 人間以外のありとあらゆる自然に宿る精霊たち。または高い知性を持った動物たち。無数に存在する動植物の霊体の中でも、最上位のものだけが神と呼ばれ、大いなる力を振るうことができる。

 各国の王家は、各々が信奉する神の子孫を標榜ひょうぼうしている。

 隣国の琉斌は水龍の子孫が治める国である。

 水の精霊・水龍。その真神名しんかむなは、天乃水分逸淵大虬命あまのみくまりいつえんおおみずちのみこと

 万物流転、変化変容へんげへんようを司る水の権化。性情は獰猛にして残忍。

 水龍自体は非常に厄介な存在だった。もし争いになれば、一枝いちえの人型では到底太刀打ちできない。対峙するとしたら同格の霊体、伊邪夜の本体である大霊樹、天恵森羅藤然大霊樹命てんけいしんらとうぜんおおたまきのみことでしかありえない。

 だが、水龍が人間に加勢して攻めてきているわけではなさそうだった。

 領土を侵犯しているのはあくまでも子孫の人間である。神ではない。

「主上」

 恬淡とした声がして、神和人が御簾の中へ滑りこんで来た。

 伊邪夜の前に、すなわち神前に拝跪はいきした。

「会議の通りでございます。勅令には及びませんが、今後は琉斌とことを構えるやもしれません。ひとまず宇丁と皇宮兵の一部を東へ派遣し、賊軍を討ち果たします」

 伊邪夜は第一の忠臣を眺め下ろし、厳かに言った。

「良い。存分にやれ」

「はっ」

 神和人は恭しく礼をした。


 数日後、宇丁は部下を引き連れて東部へと赴いた。

 将軍にあたる大祇候が自ら出ることで、琉斌の上層に圧力を加える狙いもあった。

 その後、宇丁は賊を装った琉斌の軍と交戦し、幾つかの部隊を壊滅に追い込んだ。東部の被害は激減したが敵も諦めず、国境を出たり入ったりのいたちごっこが続いた。両軍は水面下での攻防を繰り返した。

 どれほど損害を与えても皇王の淵龍を始めとして、琉斌からの公式の接触はなかった。それが返って不気味だった。

 神和人は来たるべき日のことを考え、軍部の増強も摸索し始めた。

  

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