第十三話 殉死
他の人たちは王宮内に留め置かれたまま、私たちは一度王宮を退出しました。
東のお屋敷で身支度を整えると、休む間もなく再び王宮へ戻りました。
白装束に着がえた氷雨様は奥宮へゆき、翠嵐様のご遺体と対面して深く悼まれました。
翠嵐様は、次期皇王になられる方でした。
かの方にお仕えするのが氷雨様の務めでしたが、亡くなられた以上今後はどうなるかわかりません。
言葉少なながらも、主の嘆きや戸惑いが私にも伝わってくるようでした。
翠嵐様が薨御された翌日の午後に、下手人が捕らえられました。
意外なことに、艶夜様にお仕えする女官三人でした。
彼女たちは、即座に翠嵐様の殺害を否定しました。
殺害の動機はわからず、犯人とする証拠も何一つとしてありませんでした。
そもそもこの女官たちは殺害現場である艶夜様の居室へ入室を許されたことがなく、中の様子がわかるはずもなかったのです。
翠嵐様は絞殺されたとのことでしたが、ご遺体は医師たちが調べた結果、とてつもなく強い力で絞められたために首の骨が折れてしまっていたそうです。
戻ってきた氷雨様は沈痛な面持ちで「女には到底できぬ」とだけ仰りました。
首の骨を折る……女の力でしかも短時間ではできない所業です。
女官にも、艶夜様にも無理です。おそらく現場の誰もがそう思ったでしょう。
ですが、陛下のお怒りを鎮めるためには、下手人の捕縛が必要不可欠でした。
女官たちはただちに牢舎へ入れられ、血も凍るような凄惨な拷問が始まりました。
後継ぎである翠嵐様を失った陛下のお怒りは大変なものでした。
成人した御子は、翠嵐様と艶夜様のお二人のみ。
凄まじい怒りは、犯人とされた女官とその血族に向かいました。
彼女たちは正式な裁判を経ることもなく、拷問で手足の爪全てと顔の皮を剥がされ、民衆の前に引きだされて四肢切断の刑に処されました。それでも息があった頭と胴体はぐつぐつ煮えたぎる油に沈められました。一族郎党も残らず捕らえられ、大人も子供も全員斬首となりました。
陛下は皇太子殿下を弑したとされる者とその一族に、凄惨な誅罰を下されたのです。
翠嵐様のご遺体は、七日後に
琉斌の王族は死亡後にからだが腐ることはなく、数日後に完全に水に還ってしまうのです。
球体を保てない七色の水となって、棺代わりの
御水壺は
私は毎日氷雨様に付き従いつつも、捕らえられた伊穂理様や他の人たちのことが気になって仕方ありませんでした。
あの夜以来、百余名にものぼる宮人たちの行方はわからなくなっていました。仮牢から移されてしまい、
ただ艶夜様が仰った「供御」の意味はわかりました。
王族への殉死は、元は琉斌の始祖である水龍への供物、食べ物として人を送った風習が形を変えたものでした。
神代の頃、人々は水を司る水龍へ毎年生きた人間を奉げていました。
要するに
供御となった者は水龍が棲むという
そして伝説では、ある日水龍は何も知らず泉に水を汲みにきた娘に恋をしました。
日が経つごとに恋情は募り、とうとう十日目に娘を絡め取ると水中に引き摺りこんでしまったのです。
数日後、娘は死体となって水面に上がりました。
不思議なことに、苦しんだ様子はありませんでした。外傷はなく、死に顔は恍惚の笑みを浮かべ、腹だけが大きく膨れていました。
奇妙に思った人々が恐る恐る腹を裂いてみると中から虹色に輝く赤子が現れました。その赤子こそが琉斌王家の祖先だったのです。
神代が終わった今では、王族こそを水龍の化身として崇め、死後もお世話ができるよう従僕を道連れにするのでした。
殯の後は、三日間かけて
陛下は国をあげての葬儀の前に、翠嵐様があの世でも不自由しないように、宮に仕えていた者たちへ供を命じられました。
都の北東には、王族のための大きな墳墓があります。
そこに代々の御水壺を収めるのです。
からりと晴れた夏日、御水壺を収める前の準備の儀式が行われました。
陛下はいらっしゃいませんが、艶夜様と氷雨様は出席し、その他豪族方も多勢つめかけ、墳墓の前に整然と並びました。
氷雨様は天幕の艶夜様のお傍ではなく豪族方と同じ席でした。椅子も用意されず、あくまでも臣下の扱いで立ったままです。私は少し離れた後ろに控えました。
丸く盛り上がった墳墓の両脇には、等間隔で穴が沢山掘られていました。
あまり深くはなく、ちょうど大人が踞って入れるくらいの大きさです。
穴を見た瞬間、私は氷雨様の言った「埋める」の意味を理解しました。
殉死とは生き埋めによる処刑なのでした。
おそらく、殺されてから埋めるのではありません。生きたまま暗く冷たい土に入れるのです。死ぬまでに時間がかかる、とてもむごい殺し方です。想像するだに身が震えます。
儀式が始まると馬車が何台も到着して、荷台から人が降りてきました。
ろくに食べ物を与えられなかったのか頬がこけ、ひどくやせ細っています。
衛士に縄を引かれ、目の前を通り過ぎてゆく時、見知った顔を幾つも見ました。翠の宮の人たちでした。
そして、とうとう私たちの前を伊穂理様が通り過ぎました。
伊穂理様も痩せておられましたが、頭を上げて前を向き毅然としておられます。
理不尽なる死を受け入れた気高いお姿でした。貴人としての誇りに溢れていました。
伊穂理様、私を庇ってくださったお優しい方。奴婢と知っても蔑まなかった稀有な御方です。その方の最期を目の当たりにするなんて……。
胸がじくじくと痛み、そっと手で押さえたその時でした。
「兄さん、あれだ」
突然、背後から大きな声がしました。
私たちの列から、髭を生やした初老の男性と若い青年が飛び出しました。
「伊穂理、伊穂理」
二人は真っ直ぐ伊穂理様へ向かっていきます。
しかし、途中で衛士たちに取り押さえられました。
周囲の豪族方がざわつきました。
「西郡殿、何をする気だ」
なんと飛び出したのは西郡の一族の方でした。伊穂理様のご実家です。
西郡様は組み伏せようとする衛士たちに両手を合わせ、地べたに崩れ落ちました。冠が取れて転げてゆきます。
「お願いだ。伊穂理を埋めないでくれ。頼む。すぐに代わりの者を出す。儂の奴婢を全て陛下に献上する。お願いだ、返してくれ。わが子の中で一番出来のいい娘なのだ。だからこそ翠嵐様に差し上げたのだ」
「なりません。お席にお戻りください」
「違うのだ。あの子は伊穂理ではない。伊穂理ではない! 間違いだ。身代わりだ。儂が誤った。宮に行ってまだ日も浅いのに、埋めるなどあんまりだ。やめてくれ。返してくれ」
伊穂理様も騒ぎに気づいたようです。
立ち止まり、茫然とご家族を見つめるとあらん限りに叫びました。
「お父様っ!
「伊穂理、伊穂理! 行くな。戻ってこい」
「お父様、来てくださったのですね。どうかお助けください。私は……私は死にとうございません。里に帰りたい。生きて故郷へ帰らせてください。お願い、お願いよ」
「どうか、どうかお許しを。後生です。この老いぼれの最後の頼みです。どうか娘をお返しくだされ……」
嘆きは汲まれることなく、衛士たちは西郡の人々を押し戻していきます。
反対に伊穂理様は強く縄を引かれその場に転んでしまいました。
立ち上がる暇さえ与えられず、ずるずる引き摺られていきます。
その頬に大粒の涙が伝っています。死に臨む貴人の誇りはもうどこにもありません。最後の最後で家族の情に触れ、平静を失ってしまわれたのです。
衛士に二人がかりで羽交い絞めにされた青年が怒鳴りました。
「伊穂理、伊穂理……行くな!
「ああああっ、貴方様。貴方様……! 嫌ああああっ!」
伊穂理様は何度も青年に振り向きながら叫びました。
綾女様……それこそが伊穂理様の本当の名前だったのです。
伊穂理様のか細い絶叫は途切れました。容赦なく口の中に布を詰め込まれています。足も縄で縛られました。そのまま、穴の中に落とされます。
待ち構えていた人夫たちが鋤とざるを使って穴に土を入れていきます。伊穂理様はどんどんと埋っていきます。最後に真っ白な、一切荒れてない手が見えました。細くて柔らかい貴人の手でした。
周囲を見渡せば、どこもかしこも阿鼻叫喚の地獄絵図でした。
伊穂理様だけではありません。
貴人が連れ出されて埋められるたびに、衛士と家族の間に衝突が起きました。
哀願、嘆願、泣訴の嵐です。親が子を、兄が弟を、妹が姉を、妻が夫を助けてくれ許してくれと泣き叫びました。西郡様をはじめ暴れる者は場外に連れ出されました。
いくら悶着が起きても、天幕の方に動きはありませんでした。
慈悲は一切下りませんでした。
淡々と、しかし着実に処刑は進められ、宮の人たちは近習から女官、炊屋の下働き、厩番、貴人の使用人まで全員が埋められました。殉死を免れたのは王族の氷雨様とその持ち物である私だけでした。
土を被せられれば、もう何も聞こえません。
地面の下で何が起きているのか、誰が窒息して苦しみもがいているのか何も伝わってきません。
私は処刑の一部始終を見ていました。
絶対に目を逸らしてはいけないと思いました。
私にも与えらえるはずだった死。本来来たるべきはずだった未来。
それが今、眼前にありました。怖いというよりは、不思議でなりませんでした。伊穂理様と私の、一体何が生死を分けたのか。
尊い貴人が殺され、牛馬以下の奴婢が生き残った……。
なぜ……?
全員が完全に埋められてしまうと、諦めた遺族のすすり泣きの声ばかりが空にのぼりました。
騒ぎが静まると、天幕から艶夜様が出てこられました。
敷き詰めた白い絨毯の上を進み、墳墓の扉の前で三度
厳粛に送葬の言葉を述べられると立ち上がり、私たちの方を向いて歌い出したのです。
送れ、送れ、水を送れ
星屑の空の下にも
砂礫の大地にも
夜の
かえる、まわる、水のふところ
流るる、うるおす、水のふところ
凍れよ、沸せよ、溶かせよ
霧、露、雨、みぞれ、雪、雲
とめどなく移りゆき
幾多の姿をとどめぬものよ
今はわたしの涙に溺れ
いずれは大地に染みとおり
寄り集まって川となり
大河となって海にそそぎ
龍の
かえる、まわる、水のふところ
流るる、うるおす、水のふところ
水送りの歌でした。
翠嵐様を弔う水の鎮魂歌が、高く切なく響き渡ります。
こんな残酷の後なのに、伊穂理様を殺め、数多の命を非情に刈り取った後なのに、その声はどこまでも澄みきって美しいのです。
なぜでしょうか。なぜ、神は艶夜様をこれほどまでに愛されるのでしょうか。
鶯舌を保つためには、数多の人間の命が必要なのでしょうか。供御が必要なのでしょうか。
艶夜様が歌い始めると、泣いていた遺族たちも静かになりました。
皆その場に膝をつき、目を潤ませたまま歌に聞きいっています。
氷雨様もぼんやりしたまま、艶夜様を一心に見つめています。
ふと艶夜様と、目が合いました。
艶夜様は歌いながら、先程から私をじっと見据えていました。
私は慌てて膝をつき平伏しました。歌が終わっても、艶夜様が天幕に戻られてもしばらく立ち上がることができませんでした。
宮の者を送った数日後、翠嵐様の御水壺は墳墓に葬られました。
氷雨様と私は納壺の儀にも参列しましたが、墳墓の周囲にはこれまでになかった奇妙な植物が生えていました。
白いもの、黒いもの、細いもの、太いもの、様々な種類の花。
いいえ、花ではありません。
それは埋められた後、助けを求めて突き出された人の手でした。
土の下で苦しみ足掻いたであろう手が、土の上ににょきにょきと生えていました。
片手もあります。両手もあります。
どれも天に向かって大きく開かれています。
男の浅黒く太い腕は枯れ木、女の細い腕や指は白い蓮の花を思わせました。
その中の一つは、指に深緑の青銅の指輪をつけていました。
伊穂理様がかつて故郷の想い人からいただき、肌身離さなかったものです。
伊穂理様も土の下から助けを乞い、やがて力尽きたのでした。
王家の墓に散らばるのは無謬の命の残骸。
限りある生を、雑草を刈り取るが如く突然奪われた者たちの手。
後に残るのは、手を
悲劇とは連鎖するものなのでしょうか。
翠嵐様が亡くなられた僅か一ケ月後に、今度は陛下が崩御されました。
陛下は翠嵐様を失った後はひどく塞ぎ込み、公の場には出ず後宮に閉じこもって酒色に耽っておられました。
気分の浮き沈みが激しく、笑っていたかと思うと急に怒り出し、女官たちを手打ちになさったりしました。虐殺を見かねて諌めた家臣にも死を賜りました。
誰もが陛下は乱心したと思い、恐れて傍に近づかなくなくなりました。
政は長年の忠臣である宰相様に委ね、唯一の御子となった艶夜様を昼夜片時もお離しになりませんでした。
そんな中、陛下は艶夜様の寝所にて突然身罷られたのです。
心ノ臓の発作による病死ということでした。
翠嵐様も陛下も、艶夜様のお住まいで亡くなられた……。
今度こそ、陛下の死に艶夜様の関与が疑われるのは当然でした。
家臣の中には徹底的に調べるべきと主張する者もおりましたが、現在の琉斌王家で王位継承権を持つのは艶夜様ただお一人です。
「王位を空席にはできない」という宰相様の鶴の一声で主張は退けられました。
陛下の
成人の披露目から、僅か三ヶ月足らずの出来事でした。
それから始まる暴虐の数々……艶夜女王の誕生により、琉斌は一気に国を傾けていくのです。
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