第一話 紫乃と氷雨
朝ぼらけの
空を見上げれば
あれはなんでしょう……?
もしや空の
それとも、大地を這う
いいえ。当初もやと思われたものは、満開の藤の花でした。
庭は一面、
周囲の木々には藤の
大ぶりの房が何十と垂れ下がり、視界を
ほんの数日前までは他の
ポタリ。ポタリ。
涼やかな音は、確かに二度聞こえました。
ああ、これはいけません。戻らなくては。
私の
新鮮な空気が入るように、引き戸を全て開きました。
寝乱れた髪をなでつけながら、
寝所の中央には、
天井を見つめたまま、まだ少しぼうっとしておられます。
空の色を少し濃くしたような薄群青の瞳が二、三度瞬きました。
静かな湖面を思わせる双眸です。とても神秘的な瞳です。私はこの方を形づくるものの中で、瞳こそが一等美しいと思います。
しかし、今は見惚れている場合ではありません。
夜は去り、一日は始まっているのです。
私は氷雨様のおからだを眺め渡し、こぼれ落ちたものを探しました。
失いものはすぐに見つかりました。
掛布からはみ出た右手の指先から、虹色の
水珠はくるんと丸まって、球体になっています。
それは確かに水……のはずですが、崩れて床に染みることはありません。
触れると寒天のような弾力があり、光の角度によって様々な色に見え、宝石のように
世にも珍しい「
水の精霊である水龍を始祖に持つ
注意深く虹水を拾うと、氷雨様の大きくすべらかな手に乗せ、ぎゅっと握りました。
すると押された水珠は、球体を保ったまま、皮膚にすうっと吸い込まれてゆきます。
虹水がなくなっても、そのまま手を握っていました。
手は温かく、昨夜触れあった際の甘やかな熱の名残りを感じました。
氷雨様がゆっくりと身を起こされました。
豊かな黒髪は昨夜の洗髪でまだ少し湿り、ほつれたまま背に流れています。
暑かったのか白の寝巻きははだけ、露出した逞しい胸が呼吸のたびに軽く隆起します。
汗をかいた肌が妙に色めいて、少し目のやり場に困りました。
自然と
「
どこまでも穏やかに、しかし
途端、かっと頬が紅潮するのを感じました。
朝を迎えて
そうです。わかっています。
氷雨様が夢を見せてくださるのは夜のうちだけ。朝になれば、決してお
氷雨様は琉斌の王族、万民の上に立つ貴人なのです。
そして私は、牛馬以下の卑しい奴婢。天地がひっくり返っても、その身分差が縮まることはありません。
慌ててその場に平伏し、額を床に
「ああ、そうか。手が
お怒りの様子はなく、恐る恐る顔を上げると、氷雨様は口端をゆるめて右手の甲を見つめていました。
私の無礼は、虹水を戻すためと気づいてくださったようです。
「私が水を零したことは誰にも言ってはならぬ」
続く冗談には、こちらも思わず笑ってしまいました。
できないとわかっていて、あえて
同時に氷雨様の
王族が人前で虹水をこぼすことは、俗語で「七色の小便」といって、気が緩んでいる証拠とされます。とても恥ずかしいことで、本来は絶対にあってはならないことなのです。
袖で口もとを隠した私に、氷雨様はずいっと顔を近づけてきました。
きりりとした男らしい眉が、今は優しく垂れています。
「お前といるとどうも気安くなる。肌が先に打ち解けたか」
そう言われると、私は喜びのあまり天にも昇る心地がしました。
頭は恍惚にゆるゆると
私といる時は気安くなる、氷雨様は確かにそう仰ったのです。
「肌が打ち解ける」などは、殊更に罪の匂うお言葉でした。
罪。そう、これは罪なのです。無論、罪悪を犯すのは私です。
日頃のご温情だけで満足すべきなのに、身分も
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