第6話 幼き頃の記憶③
中学校に入って始めに覚えた事って何かな?
制服を着なければいけないとか!
胸ポケットにボールペンを刺しておくとカッコイイとかさ。
腕時計はブランドから!とか
考えたらキリがない所だけれど、そんな僕が一番最初に覚えた事。
カンパだった。
名前の通りにカンパ。大衆に呼びかけて資金募集。そのままの意味だ。
その大衆って言葉が極少数で、たまたまってわけではないけれど、素行や態度で目を付けられる僕は中学校デビューの2日後には
カンパの対象になり今をときめ……かない3日目には鵺と一緒に釣りへ行きだす自称中学生って事になってしまったわけで
母が買ってくれた教科書は部屋の棚へ、母が買ってくれた学生服も部屋のクローゼットへ、母が買ってくれた時計は……
毎日付けてるが当初の目的とは違う形で使っていた。
じゃああれか?3年間一度も学校へは行ってないの?
と聞かれるとそういうわけではない。
2年間はあまり行った記憶はないが、3年目に入りやはり僕も鵺も高校を意識してなのか、3年目からは奇跡の皆勤賞だ。
無事に高校へ行く事になるが、その先は今の記憶の夢には出てこなかった。
2年間学校をほぼほぼ休んでいて何をしていたか。
実は結構なアウトドア生活だった。
もちろん鵺と家でゲームをして白熱なリアルファイトにまで発展していた事もあったが、基本的には外で遊んでいた事が多い。
小学の頃のスクーターが二人共250ccのバイクに変わった事によって行先にレパートリーが増えた。
目的地もなくただただ行った事のない場所へ行き、バイクのマフラーを変え、音を覚えた時には無意味にうるさい音を撒き散らし
その日その時間を淡々と生きていた。
退屈はしなかった、しかし感じていた。
毎日のように感じていた思いが一つだけあった。
時間が立つのって早いな、って
家で孤立していたんじゃないか
なんて自問自答してみるが、それが全然普通だった。
気づけば姉が家から居なくなりもう一つ部屋が増えた事も今思えば姉らしいと思える程。
母とはたまにバイクでドライブへ行ったり、買い物をするのに運転を任される程。
無免許に関して母は無関心であり、母が他界するまで一度も怒られる事はなかった。
僕や鵺の乗っているバイクでさえ窃盗車だと気づいてはいただろうに、一度も、ただの一度も言われる事はなかった。
どんな時でも笑顔で、僕の名前を呼んでくれる。
そんな母の事を少し思い出した。
僕の母、僕が言うのはあれだが、とにかく僕に甘い。
何をしても怒らないし、何を言っても笑顔が崩れる事はなかった。
無免許で捕まった時も、窃盗車が見つかり捕まった時も、母は笑顔で迎えに来てくれた。
いつも笑顔だった。
出かける時もたまに手を繋いでくる。もちろん当時の僕は反抗期真っ只中、繋ぐはずもなく拒否していた。
いつでもどこでも笑顔で名前を呼んでくる。
学校へ行かなくとも僕を早めに起こし一緒に御飯を食べていた。
僕の嫌いな食べ物を知っていていつも会話の最中には、裕太○○は美味しいんだよって
笑顔で僕に話しかけていた。
事ある事に名前を呼んでから内容を話す、僕の母は無意味に僕の名前を呼ぶことを前提付けていた。
よく母と銭湯へ行っていた。
銭湯は男女もちろん別々だが、上は繋がっている。
いつもお風呂から出る際は女子風呂から母が僕の名前を呼ぶ声が聞こえる。
名前を何度も呼び先に上がってるねって。
息子の名前を有名にしたいのか、僕はとても気恥ずかしくイライラする中、実はとても幸せでおかしな事に目から大量の涙が出ていた事を最後まで話せずにいた。
常に崩れる事のない母の笑顔に僕も鵺も高校を意識したのだと思う。
もちろん鵺も僕の母と話す機会が多く、鵺の誕生日や僕の誕生日なんかは僕の家で母が毎年違うケーキを作ってくれた。
喧嘩をして出来る怪我や傷も二人して僕の母に治療をされていた。
2年間はこのように時間の速度を気にしながらも充実して送っていた。
皆勤賞の1年間は、少しの社会常識と少しの勉学を学び、高校へ進学できた。
(あぁ……寒いなぁ……)
高校はもちろん鵺と同じ高校へ進学したが
(寒い……、そろそろ起きるか……)
そろそろ起きる時間らしい
愛心~王と呼ばれた男~ licca @yuta_k
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