第10話

 二人の女は立ち上がり、誓いの杯を交わした。


「本当にありがとうございます。これでゆっくりと眠ることができます」


 メアリはそう言って、ふたたび地下室へと下りていった。そして祭壇の前に跪き、両手で鎌を水平にかまえた。


 ぎっしりと部屋を埋め尽くし、成り行きを見守っていた精霊たちがぴたりと静まり返った。


 ガブリエルは言った。生贄は鳥や獣では代用できない。だが人間でさえあればよいのだと。


 メアリは気付いてしまったのだ。


 自分自身が生贄になるという、第五の選択肢があったことに。最初から、生贄と彼女とは、いつでもその立場を入れ替えることができたのだ。


 冷や汗が静かにメアリのこめかみを伝って、あごへと滴った。


 だが、彼女の手はもう震えてはいない。


 彼女の瞳には今ようやく、自分の選択への自信と、成功への確信がみなぎった。


 願いはもうすぐ叶う! 娘は目覚めて、あの親子に連れられ、西の町へ行くだろう。


 あの親切そうな婦人は本当に信用できるのか?否、それを問うてはならない。すでに信じると決めたのだ。


 メアリは鎌の刃をかまえた。自らの首に狙いをつけ、渾身の力をこめて一気に切り裂こうとした。


 と、そのとき、手にした鎌が忽然と消えてしまった。


 はっと見回すと、祭壇の横にガブリエルが立っていた。大鎌はいつの間にか、彼の手の中に戻っている。


「おっと、危ない! おまえはあやうく無駄に死ぬところだったよ。空を見てごらん、あと数時間で夜が明けてしまう。たった今月が沈んだよ。九回目の満月の夜は終わったんだ。時間切れだね。もう何もかも遅すぎる」


 彼の友人たちは騒然となり、翼をばたばたさせる者、角を振り回す者、口から火を噴く者、あるいはそれを止めようとする者などで大混乱におちいった。


 メアリは長々と苦悶の絶叫を放った。

 最後の手段もふいになったその失意の矛先は、ガブリエルに向かった。

 彼女は歯をむきだし、怒りにまかせてとびかかった。


「おのれ、悪魔! 最初から選択肢なんかありゃしなかったんだ。そうさ、無いも同然じゃないか。それをおまえみたいな道化の口車にのってその気になって、あたしゃばかもいいところだよ。全部おまえが仕組んだんだろう。よくも愚弄してくれたね、この悪たれ小僧、魔物の息子め!」


 ガブリエルは煙のようにふわりと伸び上がってやすやすと攻撃をかわした。

 彼は無邪気な顔で首をかしげた。


「心外だな、おまえには散々目をかけてやったのに。おまえは本当に出来の悪い生徒だね。やることなすこと、ことごとく失敗するんだから」


「おまえのような愚図な人間は、起死回生の機会を与えられてもそれを活用することなんかできはしないんだろう。まあ、しょうのないおもちゃだったけど、それなりにおもしろかったよ。さようなら、メアリ」


 次の瞬間、ガブリエルは一筋の青い炎となってかき消えた。


 それと同時にメアリの前にあった祭壇も、地下室も、館そのものも、轟音を立てて崩れ落ち、灰になってあとかたもなく消えてしまった。


 他の天使たちもいない。

 あの親子もいない。


 気がつくとメアリは、再びひとりぼっちで風の吹きすさぶ荒れ野にいた。



 だがそのときからメアリは、隠遁者であることをやめてしまった。そして自ら旅人の一人となって街道を歩いて行った。


 なぜなら世界は広く、見るべきものはまだある。


 彼女はいまやちょっとした社交家になっており、また、その気になれば大鎌を小脇に抱えたまま一気に二マイル疾走することもできるのだった。

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荒野の女と美しい悪魔 みるくジェイク @MilkJake

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