第9話:漆黒の足

 「…脳の視床下部のイメージが電気信号となって、的確に義足に伝えられるのだとしたら、もはや、義足の性能を評価することに意味はなくなる、ということだ」

 リサは嬉々として、昨日のオンラインメディアのスポーツコーナーの短報記事を読み上げている。

 「アレン復活。これでアビーロンドも安泰ね。…その浮かない顔だとそんな感じもしないけれど。」

 昨日の決勝戦で、ジョシュア・タンに0.02秒差で勝利をつかんだアレンだったが、腑に落ちないものが残っていた。

 あの後、アレン復活の熱狂の渦に包まれた競技場からジョシュアの姿が見つからなかったのだ。

 すぐ隣でたったコンマ数秒の争いをしていた彼の、汗や息遣いまで聞こえた距離にいた彼の存在が急にいなくなったことに不安を覚えた。

 かつ、ジョシュアが直前で言ったことを証明するかのように、ケヴィンがここ2日、オフィスにもトレーニングジムにも現れずにいた。

 ケヴィンはジョシュアに本当に買われたのだろうか。

 ジョシュアが話していた、ケヴィンがLKボムの元技術者だったのではという疑いが、じわじわとアレンの精神を不安に追い込んでいた。


 旧六本木の国立第3競技場。霞んだような夕焼けが透けて見える夏の夕暮れは、アレンが好きな時間帯だった。義足のヴァージョンを最新にした状態で、ソフトウェアを一段階ダウングレードする。身体にかかる負荷を最小限にするためだ。

 あの決勝戦後から、体がひどく軽く感じられた。自分の脳内のイメージが体を書き換えていくことが感じられたあの日の感覚から、アスリートとしての覚悟が芽生え始めていた。自分の新しい足は大したものではなく、かつてあった元の足と大して変わらない存在として、今はそこにあった。

 助走をつけるために何度かジャンプアップした後、前傾姿勢に入る。よーい、どん。

 「よーい、どん!」

 後ろから急に声が聞こえた。慌てて首だけ振り返ると、ケヴィンが誰もいない観覧席に一人座り、アレンをじっと見つめていた。


※※

 「探したんだ。どこに行ってたんだ。今まで」

 駆け寄るアレンに、ケヴィンは通常通りの平静な表情で答えた。

 「外部契約選手のコーチングに行ってた」

 2人の間に、沈黙が広がった。

 「外部選手って誰だ」

 「あいつから聞いたんだろ、俺が軍属の技術者ってこと」

  アレンはどう答えていいかわからず、黙った。なぜか頬が紅潮した。

  ケヴィンは目を細めて、そんなアレンをどこかからかうような目つきで見つめた。鳶色の瞳の色が、さらに薄くなり、ケヴィンよりもっと先の遠くを見つめているような気がした。

 アレンが切り出した。

 「…ケヴィンが過去に何をしていようと、今、ここで同じ目的を共有している仲間である限り、俺は詮索しない」

 ケヴィンは黙っていた。2人とも、長い沈黙の後で、ケヴィンが誰へともなく、独り言のように語り始めた。


 ※

 「罪滅ぼし、って言うと笑われるかもしれないが、それだけのことはしたと思ってる」

 黙りこくるアレンを前に、ケヴィンが空へ呟くように続けた。

 「…今まで言わなくて、すまなかった」

 「謝らなくていい」

 アレンが、一言続けた。

 「謝るなら、もっといい足をくれよ」

 夕暮れの中、二人はニヤリと笑いあった。

 




 

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漆黒の足 machi @komusume

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