Pain of rain-2

 梅雨の季節はもう間もなく明ける筈だったが、名残にまだ少し天候は曇りがちだ。今日は雨の予報ではなかったが、先程から麻美あさみの白磁のような額に、ポツポツと小さな雨粒が当たり始めていた。


 二件の納品を、手分けして終えようと言ったのは、麻美だった。麻美に関して心配性の博史ひろしは渋ったが、電話番号を訊かれたり食事に誘われてもちゃんと断るから大丈夫だと、押し切っての仕事だった。


 だが間の悪い事に、霧雨が降り始めて、麻美は待ち合わせ場所の葉桜の下で濡れながら博史を待っていた。生い茂った葉に遮られ、それほど濡れずに済んだが、時折たまった雨粒がポタリ、と麻美の肩に落ちる。


 入り組んだ雑居ビルでの納品の為、迎えに行ってはすれ違う可能性が高い。麻美は大きなアーモンド型の瞳を細め、天を見上げて細く息をついた。


「大丈夫かな、博史……」


 先に会社に帰っていても良いのだが、二人きりで過ごせる時間が惜しくて、麻美はその大樹の下を動かない。それに今日は二人とも期限の報告書がない事から、直帰してデートでも良いかな、などと話していた折だった。


 と、突然雨足が強くなり始める。少し時期は早かったが、夏の夕立にも似た唐突さで、葉桜の下にあった乾いた路面も、みるみる内に灰色に塗り潰されていった。横殴りの雨で、そこももはや雨宿りの意味をなさなくなる。


「……麻美!」


 その時、目の前の角を曲がって広場に博史がやってきた。その声が聞き取りにくいほどの雨に濡れ、小走りに麻美へ歩み寄ったかと思うと、その勢いのまま抱き締める。


「博史……!」


 人通りの殆どない路地裏の一角だったから、その必要はないのだが、人目をはばかって麻美が小さく抗議の声を上げる。しかし博史は耳を貸さず、ますます腕に力を込めながら、愛しげに麻美の纏められた長い髪を撫でた。


「悪かった、もうちょっと早けりゃ、濡れずに済んだのに」


「……仕方ないよ」


 その言葉に、麻美はやはり照れながらも、きゅっと博史を抱き締め返した。


「帰ろう、博史」


「ああ、濡れ鼠じゃデートも行けないな」


    *    *    *


 アパートに着く頃には晴れていたが、二人はすでにずぶ濡れだった。博史が、流れ落ちる前髪をうるさそうにかき上げ、オールバックにする。付き合ってまだ二ヶ月ちょっと、初めて見るその乱れ髪に、麻美は男の色気を感じて密かに心拍を上げていた。


「ん?」


 並んで歩きながら凝視してしまっていると、博史が聞いてくる。麻美は慌てて、


「な、何でもない」


 と俯くが、素直な麻美の表情を読み解くのは、博史にとって簡単な事だった。


「男前だろ」


「ちが……」


「何だ、麻美は俺が男前だと思ってないのか」


「え……いや思ってるけど……」


 他愛もない会話だが、麻美が頬を桜色に染めるには充分だった。照れる麻美をしきりに言葉で追い詰め、くつくつと人の悪い笑みを博史が見せる内、二人は麻美のアパートに着いていた。


 二人分の靴を脱いで傾けると、玄関に小さな水溜まりが出来る。部屋を濡らさない為には、そこで服を脱いでしまうしかなかった。下着になると、不意に浮遊感が麻美を襲い、彼女は小さな悲鳴を上げて手近なものに取りすがった。


「デート出来なかったからな。せめて、一緒に風呂入ろうぜ」


 そう言った博史は、麻美をしっかりと横抱きにしていた。驚いた麻美が両腕で掴んだのは博史の頭で、二人の顔の距離は極近かった。


「離すなよ。落ちちまう」


 麻美の行動を見越して博史が言うと、


「ひ、博史……下ろして」


 蚊の鳴くような声で返事があった。付き合って二ヶ月ちょっと、まだ一度も一緒に風呂に入った事はない。麻美がシャイな所為だったが、博史はもう決めていた。バスルームに直行すると、暖かいシャワーをその体制のまま麻美にかける。麻美から跳ねる湯で、博史も温まった。


「あったかいな」


「うん……下ろして」


 再度のオーダーに、博史が笑う。麻美は、湯の温度以上に、身体中を紅色に染め上げていた。


「一緒に入るから……」


 初めて許しの出た嬉しさに、博史は麻美をバスタブに下ろしながら、柔らかく口付けた。


「俺が洗ってやるよ」


End.

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