Pain of rain

 今年もまた、この季節がやってきた。梅雨だ。東京は例年になく、蒸し暑い梅雨を迎えていた。


 外回りに狩り出されて、終業時間になっても帰って来なかった博史ひろしを会社で待つのも変な話だったので、すでに麻美あさみは帰宅していた。が、程なくして空模様は雨になり、麻美はしまったと頭を抱えた。これから博史を会社に迎えに行くなんて、ますますおかしな話になってしまう。


 不精な博史の事だ、麻美のように折り畳み傘を用意している筈もないだろう。ベランダの窓ガラスにぽつりぽつりと斜めに線を描いては重力に負けて滴っていく雨粒を眺め、麻美はそわそわとした心地で、博史から連絡が入るのを待っていた。


 だが麻美の携帯が鳴る事はなく、


「あちぃ……麻美、帰ったぞー」


 と、合鍵で直接博史が帰ってきた。


 麻美は、ぱっと用意しておいたタオルを持って、玄関に向かう。やはりそこには、前髪から雨を滴らせた、ずぶ濡れの博史がいた。雨は嫌いじゃない、なんて言っていたが、そんな台詞で済むような濡れ方じゃない。


「博史、大丈夫?」


「ああ、サンキュ」


 タオルを受け取ると、濡れ犬のようにひとつぶるりと頭を振ってから、髪と顔を拭う。スーツはもうクリーニングに出すしか方法がなく、麻美は途方に暮れてその姿を眺めた。半同棲している為、着替えはあるので良いのだが、靴下までびっしょりなので、案の定博史はそのまま玄関で服を脱ぎ始める。


「博史、鍵しめて」


 滅多に来客はないが、もし新聞の集金にでも開けられたら、仰天するだろう。博史はその言葉に従うと、ボクサーパンツ一丁になって上がってくる。水を吸って重くなったスーツを受け取り、麻美は博史に確認した。


「お風呂入る?」


「ああ」


 脱衣所で水浸しのスーツをハンガーにかけていると、博史がやってきた。勝手知ったる風にシャワーの温度を温めに調節すると、蛇口をひねる。脱衣所にも、お湯のはねるマイナスイオンが充満した。そして博史は言う。


「お前も入るか?」


 まだたった二ヶ月、付き合い始めたばかりで、明かりの中に裸体を晒す事を恥じる麻美に、決まって博史はそう聞くのだ。バスルームのドアを開けっ放しでシャワーを浴びている博史に、麻美は羞恥から背を向けてスーツの手入れをする。


「なあ、こっち向けよ。水も滴るイイ男だぞ?」


 くつくつと喉を鳴らす博史の身体をシャットアウトする為に、麻美は素早くバスルームのドアを閉めてしまう。頬を淡く染め、梅雨の間中これが続くのか……と、麻美は脱力して、博史の代えのスーツを持って帰って貰うべきかどうか、半ば真剣に考え始めていた。


 それが『幸せ』な悩みとも気付かずに──。


End.

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