十円の恋
「喉が渇いたな」
二人揃っての引っ越し業務帰り、
自販機は硬貨しか使えないタイプで、掌の上に広げた小銭を数え、水澤はパートナーの
「悪い、藤井。十円貸してくれ」
「あ、はい」
藤井はポケットから二つ折りにされた財布を出し、小銭入れを開けた。中にはピカピカの銅貨が一枚だけ、垣間見えた。それを貸して貰えるものと思った水澤は掌を差し出すが、藤井は慌てたように小銭入れを閉じてしまった。
「す、すみません。あたしも小銭、切らしてて」
「え?」
その言葉に藤井の俯き気味の顔を伺うと、何だか気まずそうな色を見せている。
「今……」
「すみません」
再度謝って財布をしまってしまう藤井に、水澤は眉をピクリと上げて、見て見ぬふりをする事に決めた。藤井は小銭を惜しむようなケチじゃない、と胸中に思いながら。
「そうか。じゃあ、会社まで我慢するか……。行くぞ」
十五分ほどの距離を、水澤は今日の作業について語りながら運転する。だが助手席の藤井は、言葉少なに相槌を打つだけだった。喉の奥に言葉がつかえたように、いつもより無口な藤井に対し、だが水澤は常通りに明るく振舞った。
会社に戻るといの一番にドリンクサーバーに向かい、水澤は喉を潤して、盛大に息をついた。
「かーっ。生き返った。これがビールなら、もっと良いんだが」
冗談めかして藤井に言うが、彼女はまだ笑顔を見せない。
「どうした、藤井。お前も飲めよ。脱水になるぞ」
「あの……」
「ん?」
蚊の鳴くような声音に、水澤が耳をそばだてると、藤井が勢いよく頭を下げた。
「すみません、水澤さん!」
「痛てっ」
寄せた頭と頭がぶつかって、ゴツリと音を立てる。顔を顰めて額を押さえる水澤に、頭を上げた藤井が、泣きそうな顔でその赤くなった額を撫でた。しばらくそのままで唸っていた水澤だが、パッと瞳を見開くと、
「……なーんてな」
と笑みを見せた。
「す、すみません、水澤さん」
なおも撫で続ける藤井に、水澤がくすぐったそうに笑い声を上げた。
「だから。もう痛くないって。藤井の方は大丈夫なのか?」
藤井の頭をポンポンと撫でると、彼女はハッとしたように水澤の額から手を除けた。
「あたしは、大丈夫です。すみません」
「で?」
「え?」
「何が『すみません』なんだ?」
「え、今ぶつかって……」
「その前だ。お前が謝ってぶつかったろう、藤井?」
「あ……」
思い出して、藤井は再び表情をかげらせる。見当をつけて、水澤は聞いてみた。
「十円の事か?」
藤井は見透かされて、驚いて大きな瞳を更に大きくさせた。
「は、はい。あたし、嘘つきました。すみません。十円、持ってます」
「ああ、見えてた。何で嘘ついたんだ?」
嘘をつくのが嫌いだと言っていた藤井が、何故そうしたかと知りたくて、水澤は問う。藤井の言葉は、どんな小さな事でも聞いておきたかった。
「……笑わないで、聞いてくれますか」
意を決したように真っ直ぐ見詰めてくる鳶色を好もしそうに見返し、水澤は約束した。
「ああ」
答えは、水澤にとって意外なものだった。
「……子供の頃、母から教えて貰ったおまじないなんです」
「おまじない?」
「はい。ピカピカの十円硬貨を持ってると、願い事が叶うって」
そこまで言って、視線が逸らされる。まだ何か言葉が喉につかえているらしい。
「ふーん……。で、おまじないまでして、一体何を叶えたいんだ」
「……」
「ああ、言いたくなかったら良いけどな」
藤井の視線が目まぐるしく辺りをさまよい、頬が僅かに上気して、気恥ずかしそうに彼女は告白した。
「あの……えっと……水澤さんと、ずーっとパートナーでいたい、って……」
水澤はそんな藤井を、目を眇めてジッと見詰める。見る見る内に、藤井は耳の先まで真っ赤になった。居たたまれないように意味もなく、藤井が取り繕う。
「あ、いえ……あの……すみません」
「ただのパートナーで良いのか?」
「え」
水澤は、わざとゆっくりと音にした。
「プライベートパートナー、じゃなくて良いのか?」
二人きりの休憩室。これ以上ないくらい赤くなった藤井を眺め、水澤は笑う。
「十円、借りなくて良かった。願いが叶ったな」
「水澤さん……!」
今度は赤くなった頬に笑みを見せ、藤井は水澤に告白した。
「好きです、水澤さん」
「ああ、知ってる」
「……水澤さんは?」
「知ってるだろう?」
はぐらかしてくつくつと喉を鳴らす水澤に、藤井は不服そうに拗ねた表情を見せた。
「仕事とプライベートは分ける主義なんだ。今度の木曜、空いてるか? 俺からの告白は、デートの最後に取っておこう」
End.
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