ドーナツ遊戯

「ただいま」


「お帰り、孝明たかあき


 いつものように由佳ゆかの待つアパートに帰ってきた孝明は、玄関先に出迎えてくれた由佳の額に唇を押し当てた。軽くハグをして、二人はリビングに向かう。買い物をしてきたのか、孝明は大きな紙袋を提げていた。


「孝明、それ何?」


 二人がけのソファに座って、由佳は何気なく聞く。孝明はしたり顔で紙袋を胸の高さまで上げて、軽く振った。


「何だと思う?」


 その孝明の顔を見て、由佳も笑み返しながら眼球だけで天を仰いで考えた。今日は、ホワイトデーだ。何か甘いものか、小物だろう。


「んー。キャンディ?」


 ホワイトデーの定番プレゼントを口にするが、孝明は、


「ブー。ハズレ」


 と紙袋を開け出した。封を切ると、ふわりと甘い香りが広がった。当たらずとも遠からず、らしい。


「ヴァレンタインデーにはイイ思いさせて貰ったからな。お返しだ」


 中を覗き込んで、由佳は驚きの声を上げた。いつか新宿でのデートの時、「美味しそう」と何気なく口にした、自然派ドーナツブランド「DOUGHNUT PLANT NEW YORK CITY」の品が入っていた。


 やや値段が高い為、買おうとは思わなかったが、ディスプレイを見て思わず口にした言葉を、孝明は覚えていたのだ。


「孝明、嬉しい……! いっぱいあるね。夕食は、これで済ましちゃう?」


「ああ。良いぞ」


「じゃ、紅茶淹れるね」


 由佳はいそいそとキッチンに立つ。孝明は、食器棚から大皿を出してきて、ドーナツをその上に並べた。由佳がトレイにティーカップを二つ乗せて戻ってくるのと、色とりどりのドーナツが並べ終えられるのとは、同時だった。


「「いただきます」」


 二人はダイニングテーブルに向かい合わせに座り、それぞれ好みのドーナツを頬張った。柔らかく、ケーキのようにふわふわとした触感だ。由佳が一口飲みくだして、嬉しそうに言った。


「やっぱり、美味しい……! 高いだけあるね」


「そりゃ良かった」


「孝明は? 美味しくないの?」


「美味いけど、俺にはちょっと甘いかもな」


 孝明は、甘いものがあまり好きではなかった。それを思い出し、由佳はふと顔を曇らせた。


「あ、ごめん孝明。何か別なもの作ろうか?」


「いや、良い。お前が美味そうに食ってるトコ見るだけで、腹いっぱいだ」


 甘みの少ないプレーンを食べながら、孝明は笑顔を見せた。


「でも……」


 言い募る由佳に、孝明がその口をシナモンシュガーで塞いだ。


「むぐっ……」


 開いた口いっぱいに頬張らされ、由佳は慌ててそれを齧りとって租借する。頬一杯にもぐもぐと口を動かす由佳を見て、孝明が声を上げて笑った。


「ハムスターみたいだぞ、由佳」


「む……ん……」


 反論したくても、上品に躾けられた由佳は、口の中のものがなくなるまで、唇を開けない。それをいい事に、孝明は由佳の頬っぺたを摘んだ。


「由佳の頬っぺたは柔らかいな。これだけで腹いっぱいだ」


 ようやく口の中のものを飲み込んだ由佳が、抗議しようと口を開けて一呼吸吸い込む。そこへ、


「あーん」


 また孝明が、シナモンシュガーを突っ込んだ。


「むっ……!」


 再び頬袋に餌をため込んだハムスターのように、由佳の頬が膨れる。一生懸命小刻みに租借する様は、ハムスターそのもので、孝明が堪らないといった風に口元を覆った。


「由佳……! お前……」


 後は言葉にならずに、くつくつと肩を震わせる。由佳は視線だけに怒りを滲ませ、仄かに頬を染めてもぐもぐと口を動かしていた。ごくんと由佳の喉仏が上下する。途端、


「孝明……! 何やってんのよ!」


「だから、夜飯。おっと、動くな。シュガーが口の周りに付いてる」


「んっ……」


 孝明は身を乗り出すと、人差し指で由佳の顎を引っ掛け、その唇をペロペロと舐めた。


「孝明……くすぐったい……」


 恥らって身を引こうとする由佳のうなじにも手を回し、孝明は舐め続けた。シュガーの味と、由佳の味が混ざり合う。


「俺には、このくらいの甘さがちょうど良いな」


「もう……」


 間近に囁く孝明に、由佳が不服そうに零した。だが、この小さないさかいは、二人の距離を詰めただけだった。


「俺にもしてくれよ」


「何を?」


「『あーん』」


「いい歳して何言ってんのよ、孝明」


「じゃあ、夜飯抜きか?」


「……もう! 今日だけよ!」


 由佳は、孝明の食べかけのプレーンを彼の口に運ぶ。


「あーん」


「ん……美味い」


 孝明は、口にものが入っていてもお構いなしに喋る。もっと、と何度も強請る孝明に、由佳は散々『あーん』をさせられた。


「孝明……恥ずかしくないの!」


「恥ずかしくない。愛してるからな」


 ストレートに想いをぶつけられ、由佳は頬を上気させ、孝明は機嫌良くウインクして見せるのだった。


End.

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