テイクアウト
洒落たダイニングバーの大部屋では、思い思いに大勢の男女が会話を始めていたけれど、あたしは隣に座った
K大のテニスサークルと言えば、良いトコの子息が入る事で有名だった。その点、あたしと金田くんは見事に浮いている。ステータスが欲しいのではなく、純粋にテニスが好きだったから。今日は、懇親会という名の飲み会だった。
金田くんは二つ年上の近所のお兄さんで、あたしは小さい頃から金田くんの後を追っかけていた。テニスを始めたのだって、金田くんの為。
「
諭すように言われ、思わずあたしも言い返す。
「金田くんだって、強いからって呑み過ぎないでよ。休日を二日酔いで潰したくないでしょ」
「ざーんねん。俺は生まれてこの方、二日酔いになった事がない」
至近距離で、金田くんがあたしに向かってウインクする。ギクリ、とした。胸の鼓動が金田くんにも聞こえてしまいそうで。動揺は隠して悔しがってみせる。
「あたしなんか、二杯が限界なのに」
「おい弘美ちゃん、グラス半分でもう酔った? 顔赤いぞ」
「酔ってない」
「おうおう。酔っ払いは大抵、酔ってないって言うんだよな」
金田くんが笑いを噛み殺しながら言う。
金田くんが、ウインクなんかするからだよ。冗談でも、言えたらどんなに楽か。だけど、もう冗談にするには遅すぎて。
* * *
主催が早々に酔い潰れたから、席替えは各自自由で行われた。だから、はなから飲食が目的の金田くんと、その金田くんそのものが目的のあたしは隣同士のまま、そろそろ宴はお開きになろうとしていた。
金田くんが、お手洗いに立つ。と、それを目で追っていた白いワンピースが清楚な女の子が、後を追うようにお手洗いに立った。こういう席の参加回数こそ少ないものの、級友にさんざん話を聞かされて、事情は何となく知っている。お手洗いの前でさりげなくツーショットになり、親しくなるのもテクニックのひとつだ、と。胸騒ぎがして、あたしも席を立った。
角を曲がった場所にお手洗いはある。そこから、男女の話声が聞こえてきて、思わずあたしは壁に身をひそめた。
「金田先輩の事は、前から知ってました。憧れてます。あの……もし良かったら、付き合ってください!」
「……あー……」
金田くんの困ったような唸りが聞こえてくる。こんな時は、決まって頭をかいてるんだ。
金田くん……金田くん。断って。息を詰め、瞳をぎゅっとつむる。
「悪いけど。俺、好きな奴いるから」
「……分かりました。忘れてくださいっ……」
あたしの横を、女の子が走り去っていく。あたしはと言えば、ショッキングな事実に青ざめていた。断ったまでは良かったけど、その理由が。
金田くんに好きな人が……そうだよね。金田くんくらいハンサムなら、選び放題だもんね……。お酒の力も手伝って、自然と涙が頬を伝う。声が出てしまわないように、両手で口元を覆うのが精一杯だった。そこから立ち去るだけの余力がなく、しゃがみ込んでしまう。
「……弘美ちゃん?」
当然、金田くんに見付かってしまう。どうしたら良いか分からず、とにかく嗚咽を抑えるのに必死だった。口元を押さえているのを見て、勘違いした金田くんが、優しくあたしの背中をさすってくる。
余計涙が止まらなくなるから、今は、放っておいて……。
「弘美ちゃん、気分悪いのか? トイレまで連れてってやろうか?」
片膝を付きしゃがみこんで同じ目線になり。
「……あれ? 泣いて、んのか、弘美ちゃん?」
戸惑ったように一度頭をかいたが、すぐに同じようにあたしの頭も撫でかき乱した。
「ったく……。泣き上戸かよ。……それとも、今の、聞いてたか」
こんな時にも関わらず、くしゃくしゃと髪を乱す金田くんの指が心地良い。
「おい、聞いてんのか。さっきの聞いてたのか、って訊いてんだよ」
あたしはようやっと、こくこくと頷いた。
「……あー……。弘美ちゃん、誤解してるぞ」
不意に金田くんは、片掌を添えてあたしの耳に唇を寄せた。触れそうなくらいに近く、あたしはまた、こんな状況なのにドギマギする。
「俺の好きな奴ってのはな……君だ。弘美ちゃん」
「……え?」
前髪に、金田くんの唇が軽く触れる感触がした。顔を上げると、金田くんが優しく見つめている。びっくりしたあたしは、涙が止まってしまった。名残にヒクッとしゃくり上げ、
「金田くん……今なんて……」
「馬鹿、何回も言わせるな」
喉の奥の方で笑って、金田くんは煙に巻く。
嬉しい。あたしの片想いだと思っていたのに。自然と顔がほころぶ。
「どーせ俺たちは余ってんだ。ここでくっ付いても、問題ないだろ?」
「え……」
「イエスか、ノーか!」
有無を言わせない口調で、金田くんが顔を近づけてくる。そんなこと言われたら、返事は一つしかないじゃない。
「……イ……イエス……」
「よし。じゃ、気付かれない内に抜け出そうぜ」
金田くんがあたしの手を取り、立ち上がらせるとそのまま引っ張っていく。あたしは酔っている事もあって、なすがまま後を着いていくしかない。途中で、金田くんの同級生とすれ違った。彼もかなり酔っている。
「よぉ金田、お持ち帰りか?」
「ああ。内緒な」
大っぴらな物言いに、冗談だと思った彼が陽気に笑う。え? ええ? お持ち帰り? 足早に前を行く金田くんに引っ張られながら、おずおずと聞く。
「あの……金田くん。何処へ……」
「言っただろ。お持ち帰りだ」
金田くんは、振り返って鮮やかにウインクした。金田くん……確信犯だ。あたしは顔を真っ赤にしながら、でも逆らう事無く着いていった。
End.
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