初恋=失恋
「
「うん」
庭でサッカーボールを追いかけていたら、
東京生まれ東京育ちの、色の白い可愛い
東京は真夏日を超える予報だったけど、北海道は季節としてはまだ春の気温で、奈々美さんは過ごしやすいと笑っていた。
神前式っていうヤツだから、紋付き袴を着させられる俺達にとっても、この気温は有難かった。サッカーボールをつま先ですくって、俺はそれを小脇に抱えて家の中に入っていった。
近所の神社で家族だけの神前式をあげるのは、一朗兄ちゃんのこだわりだ。でも小さな神社より三世代住宅の農家のうちの方が数倍広かったから、奈々美さんも一朗兄ちゃんも、うちで着付けて神社まで歩いて行く事になった。
白い着物に着替えた奈々美さんの後ろ姿は綺麗だった。末っ子の俺は一番後列だったから、後ろ姿しか見えなかった。
ガサガサッ。その時、山の方から、茂みを揺らす音がした。何だ? まるでスローモーションのように、行く手に小さなヒグマが転がり出てくるのが見える。出てくるつもりじゃなく、急な斜面に脚を取られたように見えた。
「奈々美!」
「一朗さん」
一朗兄ちゃんが、身を挺して奈々美さんを庇うのが見えた。小熊は、鼻をヒクヒクさせて戸惑ってる。
「一朗兄ちゃん!
俺は考えるより先に、身体が動いていた。小脇に抱えていたサッカーボールを足元に落とし、思い切り蹴り込む。これでもフォワードだ。ボールは一直線に飛んで、小熊の鼻面に勢いよく当たった。
グォ。小熊が短く鳴いて、走って逃げ出す。あっという間だった。
「四季、よくやった」
一朗兄ちゃんが俺を誉めるなんて、滅多にない事だった。
「四季くん、ありがとう」
奈々美さんもよっぽど恐かったのか、涙声で振り返った。真っ赤な口紅が綺麗だった。
「四季くん、私もサッカー好きなの。新しいの買ってあげるから、あのサッカーボール貰えるかしら……?」
「え、良いよ」
薄汚れたサッカーボールが新しくなるんなら、そんな嬉しい事はない。俺は二つ返事で応じた。
サッカーボールは一朗兄ちゃんが拾って、母熊が居たら危ないから、急いで神社に入る。お巡りさんに知らせてしばらく様子を見たけど、もう熊が現れる事はなかったから、神社の中で神前式は行われた。
式の後、東京から奈々美さんの友達が電話をかけてきたようで、奈々美さんは声をつまらせてた。
「本当にありがとう。でも、ザンディーズはもう良いの。お祝いに折角サインボール貰ってくれたけど、貴方がたが持っていて」
ザンディーズって、東京のサッカーチームだ。何とはなしに聞いていると、奈々美さんの口から俺の名前が出た。
「四季くんっていってね。一朗さんの末の弟さんなんだけど、今日、あたしをサッカーボールで助けてくれたの。あたし、これからは四季くんファンになるわ」
盗み聞きするつもりはなかったんだけど、聞いてしまった。俺は、途端に頬が熱くなるのを感じた。何だろう、この気持ち。心臓に炎が
「奈々美。お腹の子に障るから、もう着物を脱いで楽な格好になれ」
一朗兄ちゃんがそう言うのも耳にしてしまって、今度は冷水をかけられたようにその炎が無理やり消されたのを感じた。ぷすぷすと煙がくすぶる。
ああ……俺、失恋したんだ。そう気が付いたのは、その夜、奈々美さんの左手の薬指に光る指輪を見た時だった。
眠る前、少しだけ涙が出た。
End.
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