第24話

一体なぜスライムが襲い掛かって来たのか、マヒルにはわからなかった。


それに、何だこれは。

戦うためだけに第二の生を与えられたこの肉体の内側に走った電流の正体がわからない。


わかるのは、服の中に侵入した液体は、ひどく粘着性を持っているということ。

そして意志と筋肉を持っているかのように蠢いているということ。


そして、自分の体の芯が熱いということだ。心臓がどくどくと脈打って、燃えるような熱さだった。


9歳のころからスパイとして味方国に潜伏し、私情を押し殺して生きてきたマヒルにとって、それは初めての経験だった。


マヒルはその場に倒れ、徐々に広がってゆく謎の液体を服の上から抑えるように身を丸めた。


「も、桃太郎――……」


最後の力を振り絞って名前を呼んだ犬は……尻尾を振りまわしながら、意気揚々と探索者たちをぼこぼこ殴っていた。


ああ、コボルトたちも。

なんて無邪気な顔をしているんだろう。


二足歩行の犬ってよく考えると怖い。

探索者は日本刀を固く握りしめ、無念そうに歯を食いしばっていた。


「か、可愛すぎて切れぬ……切―れーぬーぅぅぅぅぅ!」


打木の音が、ききんっと響く。


探索者たちも、よく見るとマヒルと同様スライムに全身を包まれていた。

もはやわずかに顔や手足が外に出ている状態である。


スライム除けの三度笠を飲み込むような勢いで天井からぼたぼたと垂れてくるスライムは、固まるとまるでジェル状の牢獄だった。

ひとつの意志を持っているかのようにうごめき、探索者たちを窒息させずに拘束し、生かし続けている。


天井から、にゅっとぶら下がってくる少女の上半身の形をもったスライム。

ルンバは、なにか文句を言いたげな眼で両者を睨みつけていた。


「ここ……私のダンジョン……血を流すの……禁止……」


「……はい?」


「禁止……ダメ……臭い取れない……」


そのとき、マヒルははっとした。

そうだ、ここは彼女の支配するスライムのダンジョン。

そして彼女のポジションは、確かアサシンである。


血のにおいがついてしまえば、敵ににおいで気づかれてしまう恐れがある。

さらに、あらゆる風景に擬態できる透明なスライムの色もわずかに濁ってしまう。

そうなったスライムたちは、暗殺用に使えない。処分せざるを得なくなる。

彼女のスライムたちは、みな透明で無臭でなくてはならないのだ。


マヒルはそう思っていたのだが、俺的にはルンバはただ清潔好きなだけなんじゃないかな、と思う。

ルンバはマヒルよりも先に迷宮に生まれた先輩モンスターで、ずっとお掃除番の役割を担ってきたんだ。

まあ、無口なので本心なんて俺にも分らないんだけど。


マヒルは、ぎゅっと服の裾を掴んで言いたいことをこらえた。


「……はい、以後……気を、付けます」


そう言うしかないのだった。悔し涙が出てきた。

軍人にとって上下関係とはそういうものであった。




7月7日の夜、第七皇女は静かに敵国を脱出した。


リベニア大河のほとりにぽっかりと空いた謎のダンジョン。

その奥にあった地下ダンジョンの水路をボートで渡り、緩衝地帯の地下を通って、静かに出国することに成功していた。


普通に歩けば4ヵ月はかかる距離を、スライムたちの牽引によってわずか1週間で踏破してしまった。


モンスターだらけのこの地下ダンジョンは、以降誰も無事に通過したものはいない。


それにしても、ひどい話もあったものだ。

戻りたい家があってもなかなか戻れないなんてのは。

モンスターにだって、家はあるんだぜ?


「助さん! おかえり!」


「核さああああああああああああああああ!」


桃太郎とコボルト軍団がさすがの脚力で真っ先に俺専用機に飛びついてきた。

やるな、桃太郎。

ダンボール素材を一新してスリムなR2D2風にしても俺専用機を見分けられるとは。

俺なんて「マインクラフトかよ」って自分で突っ込んだけどな。


マヒルは松葉杖をついて片足で歩いていた。

相変わらず顔色は悪い。どどめ色っていうんだ、こういう色のこと。


「マヒル、片脚だいじょうぶか」


「……少し、いや、だいぶん驚いた」


進化犬のヒール能力は桃太郎にも引き継がれている。

滅多な怪我をしてもあいつがいれば治してくれると説明していたのだが、じっさいに繋がってしまった自分の足を見て、いまだに正気に戻れないような顔をしていた。

そりゃあな、眉毛犬にぺろぺろ舐められたらな。


「……核さん、すまない。私は仲間の足をひっぱっただけだった」


「俺の代わりに助さんの傍に居てくれただろう。ありがとう」


「本当に、ここはなんてダンジョンなんだ?」


マヒルは苦笑まじりにそう言った。

助さんは、あたかもダンボールを溶かして俺と一緒に中に入ろうとしているかのように全身を駆使してぐりぐりしていた。


「ルンバは?」


「地下ダンジョンでなんかやってるよ」


「あ、さっそく泉を作ってみてるんだろうな」


「泉?」


「うん。泉が欲しいっていうから、成功したら作っていいって言ってあったんだ」


伏流水は地下を流れる河だ。

その流れをせき止めれば、どんどん水が地下に溜まって水位が上昇してゆく。


その水が最終的に地面から湧き水として染み出してくれれば、成功である。


スライムたちがどうやって川の流れをせき止めているのかは、あんまり想像したくもないが。


そのとき。

不意に、どどど、と大きな音がした。


「核さん、なにか変な音が聞こえるのですよ?」

「助さん、それは気のせいだろ」


気のせいだ。気のせいだと信じたい。

気のせいだと信じたいのだが、俺の目にはこの平地を飲み込むぐらい野放図に横に広がり、いい具合に混濁した川の水が一気に押し寄せてくる様子が映っていた。


その波の上に浮かんだ半透明の巨大スライムの上に、ぽよんと乗ったルンバの姿が見えた。

楽しそうだ。

生き生きしていた。半透明の目を輝かせていた。


砂っぽかった草原を綺麗に一掃してくれるひと筋の河が生まれたことを、心の底から喜んでいるような顔だった。


そのとき、俺は単純な真理を思い出していた。

うん、そうだよな。

生存リソースを奪い合う以上、すべての生物は敵だからな。

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10メートル・ダンジョンの核さん 桜山うす @mouce

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