第9話 翌朝の事件

「貴志、もう起きてっ、時間よ」スリッパで階段を昇ってくる足音とともに、お母さんの声がします。部屋のドアが開かれると、お母さんが入ってきて窓のカーテンをさっあと開きました。朝日のまぶしい光が窓から差し込んできます。

「貴志、起きる時間よ。遅刻するわよ」お母さんは貴志に呼びかけました。

「おはよう。あれっ、お母さんいたんだ?」

「何寝ぼけたこと言ってるの。ずっといるわよ」

「そうなの」貴志はそう言うと、なんだかずいぶん長いこと夢をみていたんだと思いながら、体を起こしました。すると貴志は不思議と眠気がいっぺんに消え去り、朝のすがすがしい気分が体中に満たされているのを感じました。

「もう6時半すぎたのよ。由佳も朝ごはんを食べてるわ。あなたも早くしなさい」お母さんはそう貴志を急かすと、リビングへと下りていきました。

「えっ、由佳もいるんだ」貴志は家族が皆いることに気づくと、やっぱなんかずいぶん長いこと夢を見ていたように思わされました。

「それにしても、話しが全部つながっているような、不思議な夢だったな」貴志はベッドから立ち上がり、部屋から廊下へと歩きながらしっかりしているいつもの家の雰囲気を感じます。元に戻ってる、そう思いながら階段を下りると、リビングでは妹の由佳が朝ごはんを食べていました。

「あれっ、ゆか、いたんだ」

「何言ってるのおにいちゃん?まだ寝ぼけてんじゃないの」由佳はもぐもぐと食事を口にしながら、横目で兄を見ました。

「そっか。不思議な夢を見たんだよね。船に乗って旅にでて行くんだよ」

「ふうん、おもしろそう。どんな夢」由佳が聞いてきました。

「さあさっ、時間がないわよ。早く朝ごはん食べて」お母さんが貴志の座るテーブルへと食事を運んできました。きのうの晩の残り物のシチューとご飯でした。

「うん。いただきます」そう言って、貴志は朝ごはんを食べ始めます。

「今日も朝練があるんでしょ。用意はできてるの?」お母さんがそう問いかけてきました。

「あっ、そうか。どうだっけ」貴志は夢からいつもの朝にもどらされて、毎日のしていることが急に増えた気がしました。貴志はテニスのラケットの用意もして、学校へ行く準備ができたので玄関で靴をはきます。

「じゃあ、行ってきます」貴志はそう言うと、玄関のドアを開けました。家の前の狭い庭と門の向こうには、いつもの見なれたアスファルトの裏道がありました。道の両側にはたくさんの家々が立ち並んでいます。夢の中で見た、あの砂利の小道は消えてなくなっていました。

「もとのままだ。やっぱ、夢だったのかな」貴志はそう思いながら通学路を進んでいきます。しばらく行きますと、裏道の角から仲谷君の姿が見えました。

「おはよっ」貴志は仲谷君に近寄ります。

「あっ、おはよう」仲谷君も貴志に気づき、後ろを振り向いて答えました。

「きのうさ、おかしな夢をみたんだよ」貴志はおそるおそる話しかけてみました。

「えっ、夢?」

「船に乗って、旅にでるんだ」

「あれっ?それってなんか同じかな。僕も夢見たんだけど。貴志君がいるんだよ」

「僕もそう、仲谷君とも一緒だったし」

「えっ、なに、どうなってるんだ。富田君はいた?」

「いたよ」貴志は答えました。

「澤口さんと山田も」

「一緒だったよ」貴志はそう言うと、仲谷君と二人でにんまりとした顔を見合わせると、同時に叫びました。

「おんなじだ!」二人は自分たちの張り上げた声がおかしくて、照れ笑いが止まりません。

二人は同じ学校の生徒がたくさん通学している大通りへと出ました。車のショールームのガラス張りの窓に、まぶしい朝日が反射しています。

「ミカエルさんいた?」貴志が聞きました。「いたいた」と仲谷君は答えます。

「ふっしぎだね。どうなってだろ。もしかしたら夢じゃなかったのかな」

「夢じゃないかもね。夢だったらこんなことにはならないよ。きのう、2人というか5人一緒だったとしたら、そんなことは夢でなんかありえないよ」

「そうだよね。5人が同じ夢をみるなんてありえないか」

「今日、学校で確かめてようよ。昼休みにみんなを校庭に呼んで集めるから」仲谷君は自分の考えを言いました。

「わかった。おもしろそうだね。それやろう」

貴志と仲谷君はそう話を弾ませると、意気投合して学校へと行きました。

給食後の昼休みになり、仲谷君は「先に校庭に行っててよ。みんなを呼んでくるから」と貴志をうながすと、廊下へと消えていきました。貴志も、うんとうなずいくと、廊下の階段を下りて玄関へと向かいました。

校庭ではもう生徒たちの遊ぶ声がそこらじゅうに響いています。貴志は校庭のはじにある、旗を上げる柱の横のベンチに腰かけて、いつもの目にする風景をながめていました。

しばらくすると仲谷君が富田君と澤口さんを連れてやってきました。

「ねえ、なんの話で呼び出したの?忙しいんだから早くしてね」澤口さんが不満そうに言います。

「今日ね、登校中に僕と山本君で、夢で見たことを話し合ったんだ」仲谷君がそう言いだしました。

「えっ、夢?やっぱり。もしかしたらその話になるんじゃないかと思ったのよ」澤口さんは自慢げに言います。

「あの帆船に一緒に乗ったゆめでしょう」

「あれっ、澤口さんもやっぱりその夢を見たんだ」仲谷君が聞き返しました。

「覚えてるわよ。ええと、ヨナタン王子を助けにいったのよ。どうお?富田君も一緒だったでしょ」澤口さんがそう富田君に聞きます。

「うん、覚えてるよ。夢か何かよくわからないけど。みんなと一緒に行ったよね」富田君はにこにこして言います。

「すごいね、こんなことってあるんかな。夢なのかな?それとも夢じゃないのかな」貴志はすこし興奮気味に言います。

「夢じゃないとしたら、なんだろね。四次元、それとも魔法の世界?」仲谷君は色々と夢の話を解き明かそうとします。

「でも朝、起きてみて夢かなと思って、もう忘れようと思っていたの。でも、こうやって集まって話しができてよかった。ミカエルさんの言ったこと忘れそうになってたもの」

「ああ、そっか。ミカエルさんが言ってたよね。忘れないでくださいって。そうだった」貴志はミカエルの言葉を想いだすように言いました。

「おい、みんなでなに集まって話してんだよ。なんで俺を呼ばないの?」山田君が急に顔をだして、話しの輪の中に入ってきました。

「お前は向こうで友達と遊んでいたじゃないか。声をかけれなかったよ」仲谷君が嫌そうに言います。

「何の話で集まってんだ」

「えっ、夢だよ。みんなで夢の話をしていたんだ。山田君は覚えてるかい」貴志がそう聞きました。

「夢か。なんか忘れかけてたけど、今言われてなんとなく思い出したよ。ここにいるみんなと一緒だったんだよな。それであつまってんのかあ。俺も呼べよ」山田君も自慢そうに言います。

「やっぱ、あの夢を覚えているんだ。すごいな。とても夢だとは思えないよ」貴志は感心しながら言いました。

「そうだね、あれはいい思い出になったよね。修学旅行より楽しかったもん」富田君がいいました。

「楽しかった?そうなんだ。僕はちょっと大変で嫌だったけどね」貴志が言います。

「楽しかったじゃん。今度は僕が狼兵士と戦って、手柄をたてるんだ」仲谷君が心をはずませように言いました。

「無理だよ、仲谷。狼兵士は子供の手にはおえやしないぞ」山田君がけちをつけるように言います。

「それにしてもカナンの国へ早く行ってみたいわ。ラハブ女王に会ってお話ししたいし、カナンの国を観光するの」澤口さんはカナン国をあこがれるように言いました。

「今度はソドムのようなはげ山ばかりの国じゃなく、きれいな国へ行きたいよね」富田君も合わせるように言います。子供たちがわいわいと好きなことを話しているうちに、午後の授業の始まるチャイムが鳴りました。

「じゃあね。またね」子供たちはめいめいに声をかけ合うと、それぞれの教室へと戻りました。

「山本君、クラブをつくろうか」教室へ向かう廊下で、仲谷君はそう提案しました。

「えっ、クラブ?どんなクラブ」貴志が聞き返します。

「ううん、カナンクラブとかなんか。名前はみんなで集まって考えてさ」

「ううん。よくわかんないけど、いいんじゃないかな」二人はそう話しながら教室へと入りました。

翌日、授業も終わり、帰りの会で担任の先生が連絡事項を話しました。

「最後になりますが、皆さんに伝えておくことがあります。4組のクラスに在籍していた、高田哲也さんという生徒が白血病という病気で長い間、闘病生活をしていましたが、治療のかいもなく亡くなってしまいました。1学期からほとんど入院で欠席していましたし、クラスも違いますので、皆さんは顔を合わせたこともないと思います。明日の土曜日、学年主任の先生と、4組の担任の先生で告別式にでることになりました。

それから山本君。帰りの会が終わったら、職員室へ来てください。お話があります」先生がそう言い終わりますと、帰りの会が終わりました。貴志は部活へ行く前に、職員室へと向かいます。

「先生、帰りの会で呼ばれましたので、こちらに来ましたけど」

「ああっ、山本君。ごくろうさん。ええと、高田哲也さんって、知ってますか」

「えっと、知りません。会ったことがないと思います」

「そうか。そうだよね。実はね、高田さんのお母さんからお話が合って、一度お会いしたいということなんだね。生前、哲也さんが君の名を何度か口にしていたらしいんだ。会いたがっていたようなんです。お母さんは山本さんの名を覚えていて、学校へ問い合わせてきたんだね。この学校で山本という名は、君だけなんですよね。それで君を呼んでお話ししているんです」

「はい。でも会って話をしたこともないです…」

「それは先生も分かっていますよ。でも、高田さんのお母さんがたってのお願いだと言ってきたんですね。告別式にどうか哲也さんを見送りにきてほしいというんです」

「ええっ。僕がですか?」

「うん、明日、学年主任の先生たちと一緒に、生徒代表として告別式に参加してほしいんだ。

哲也さんは入院生活が長くて、ここの学校へもほとんどこれなかったから、友達が一人もいないようなんだね。告別式に一人も同い年の子供がいないことに、お母さんがとてもつらそうでね。それで山本君にお願いしているんです。明日の部活の練習は、顧問の先生に話をして了解をもらってます。後は君から家の人にこのことを話をしてほしいんですね」

「僕から話すより、先生から言われた方が母は理解してくれると思います。僕が言うと、どうかなと思います」

「じゃあ、わかりました。先生から電話してみましょう。場所はこの学校から駅に向かう途中に、クリスチャンの集う教会堂がありますよね。大きな十字架のシンボルがあるから、山本君も知ってるでしょう」

「ええと、はい、見たことがあります」

「明日、午後1時に始まりますので、その時間に入り口で待ち合わせるとのことです。服装は学生服でいいです。何か聞きたいことがありますか」

「いいえ、とくにありません」

「山本君は大丈夫ですか」

「ああっ、はい、話が急ですから、ちょっと迷ってます」貴志は戸惑うように、先生の眼をさけながら言いました。

「大丈夫です。先生たちと一緒ですから。夕方になる前までには終わりますよ。お話はこれでぜんぶです。明日はよろしくお願いしますね」

「はい」貴志はそう返事をすると、職員室からそそくさと出て行きました。そして部活にでるのに、グランドのコートへと向かいます。たくさんの部員がコートでラケットを振って、練習をしていました。

「あっ、山本君。どうだった。なんの話?」

仲谷君が貴志が来たのに気づいて、話しかけてきました。

「うん。あした、帰りの会で話してた生徒の告別式にでて欲しいんだって」

「告別式?山本君はその生徒のこと知ってるんだっけ」

「いやあ、ぜんぜん会ったことないよ。でもその子のお母さんが、ぜひ来てほしいって言ってるらしいんだ」

「ふうん、そうなんだ。これはなんかあるかもね。わかった。僕も行く」

「何がわかったの?明日は部活もあるんだよ」

「大丈夫。これはカナンクラブの出番なんだよ。みんなに声をかけよう。時間と場所を教えて」

「大丈夫?そんなこと決めて。僕はひとりじゃなくなってうれしいけど」

「そうだろ、大丈夫。みんで行こう」仲谷君はそう話が終わると、貴志にコートへでるよう手招きして練習に戻ります。貴志も、そろそろとコートに入ってテニスの練習を始めました。

日も落ちて夕闇が辺りに立ち込める頃、部活の練習も終わり、生徒たちは帰りの支度を始めます。貴志と仲谷君は、帰り道を一緒に歩きました。

「じゃ、明日13時だね。駅へ行く途中の教会だよね。みんなに連絡しておくよ」仲谷君は貴志にそう答えました。

「うん。勝手に決めて、先生になんか言われないかな」

「だいじょうぶ。なにも悪いことしてないし、そん時はあやまればいいんじゃない」

「それ、なんか自分も言ったような気がする」

「そうだよ。僕も覚えてる。船に山本君が先に乗った時だ。それじゃあね、ばいばい」

「うん。さよなら」

仲谷君は片手を振りながら道角を曲がると、夕闇へと消えていきました。貴志も自分の家へ帰りました。

「ただいま」そう言って家に入ると、お母さんが話しをするのに玄関へでてきました。

「貴志、先生から連絡があったわよ。明日、告別式にでて欲しいんだってね。いいんじゃないの。お母さんはその子のためにも、出てあげたらって思うのよ」

「うん、分かった。そう言うと思ってたよ」貴志はそう答えると、2階の自分の部屋へと上がりました。部屋の窓から外をながめますと、晴れた夜空に三日月がぽつねんと浮かんでおりました。貴志は勉強机にひじを立てると、ほおづえをつきながら横の窓からじっと月をながめました。夜空に浮かぶ三日月が、なんとも言えない自分のそわそわした心と重なって見えるのです。

「貴志、夕飯の用意ができたわよ。おりてらっしゃい」お母さんの呼ぶ声を耳にして、貴志はリビングへと降りて行きました。


 翌日、貴志は昼の食事を早めにすませると、学生服に着替えました。家をでようと玄関で支度をしていると、チャイムが鳴りました。

「はあい、だれです」

「ぼくだよ。仲谷だよ」そう明るい声が返ってきたので、貴志は玄関のドアを開けました。

「来てくれたんだ」

「一緒に行こうと思ってさ」仲谷君がそう言いました。二人は家をでると、教会へと向かいました。本当に仲谷君が来てくれと思っていなかったので、貴志はとても喜びました。貴志は、よく晴れた朝の街並みと歩を合わせて歩いてるような気分でした。貴志と仲谷君はいつもの学校へ行く道ではなく、駅に向かう近道を通って教会へと向かいました。

「たぶんね、富田君と澤口さんは来てくれると思うよ。電話で頼んだら、わかったって言ってくれたからね。カナンクラブのことも話したんだ」

「カナンクラブって仲谷君が部長ってことにになってるのかな。でも、なんか名前が変じゃない。『カナンクラブ』って、別なのがいいかも」

「ああ、いいんじゃない別でも。いい名前がでたらね」二人は路地を通り抜け、車の多い大通りを横切り、駅の商店街のある裏道を進みました。表の駅前通りには銀行なんかの大きなビルが並んでいますが、教会は商店街がある裏道りの一角に、大きなとがった三角屋根のある、おごそかな西欧風の教会らしい姿でたたずんでおりました。屋根の上には黒いふち取りのされた白い十字架が立っています。入り口の数段ある階段のところで、2人の先生が待っておりました。

「こんにちは」貴志は先生がたにあいさつをしました。

「おっ、山本くん。ごくろうさま。よくきてくれたね」学年主任の先生が話をしてしてきました。

「こんにちは、山本さん。ありがとうね」4年のクラス担任の多田先生もあいさつをしてきました。

「おっと、君は仲谷君か。一緒に来てくれたんだね」学年主任の先生が仲谷君に声をかけました。

「あっ、はい。来てもだいじょうぶでした?」仲谷君は頭の後ろを手でなでながら、はにかむように聞き返しました。

「ああ、大丈夫だよ。高田君も喜ぶと思うよ。

ところで、山本君のお母さんにも話したと思ったけど、お金のことは気にしなくていいからね。こちらで代表して出すから」学年主任の先生がそう言いおわると、眼をあらぬほうへと向けました。

「あれ、君たちも来たんだ。こちらにおいで」先生の呼びかけに富田君、澤口さん、山田君も姿をあらわして、駆けよってきました。

貴志と仲谷君も振り向くと、みんなが来たのを笑顔で迎えました。

「あらあ、澤口さん。今日わざわざきてくれたの?」多田先生がそう澤口さんに声をかけました。

「はい。自分のクラスだった高田君には会ったこともないので、かわいそうだなと思ったんです。仲谷君から電話を受けて、来てみました」

「そう、女性同士で一緒に座りましょうか。ねっ」多田先生がそう澤口さんに言いました。

「はい!。そう思ってました」澤口さんはにこっとした笑顔で答えます。

「さて、はじまりそうだから入るよ。みんな静かにね」学年主任の先生はそう言うと、教会のドアをゆっくりと開けました。

おごそかなオルガンのしらべが、奥の部屋から耳に届いてきました。学年主任の先生は受付の机で係の人の案内を受け、ペンで書き込みをしていました。受付が終わり、学年主任の先生は奥の会場へと入っていくのに白い大きなドアを開けました。子供たちもみな、後に続いて行きます。会場ではもうたくさんの人達が正装した姿で席について、オルガンの曲に合わせて歌声をかなでておりました。中の係の人の案内で、学年主任の先生や子供たちは、後ろの空いている席を案内されて静かに座りました。

すると、前の席に座っている人たちが、ざわざわして急に立ち上がりました。先生と子供たちも、まわりに合わせて、あわてて立ち上がります。どうやら、牧師が入場してきたらしく、ガウンのような長い黒い服を着て入場してきたのが、人がきの間から見えました。

その後にひつぎが数人の人に押されて入場してきました。ひつぎの後ろからは高田君の両親と下の子でしょうか、黒いスーツのいでたちで後から続いてきました。牧師は祭壇の正面に立ち止まりますと、ひつぎに聖水をかけ、お祈りを始めました。そして牧師の祈りが終わると、参列者に向かって着席するように手でうながします。会場の人たちがゆっくりと席に座りますので、子供たちも合わせて座りました。祭壇には高田君の写真が飾られているのですが、小さな時の元気そうな顔が映っている写真でした。

牧師が正面を向くと、話し始めました。

「皆さん。ここで故人との告別式を行うにあたりまして、命のみなもとであります神様に心からお祈りましょう。今は私たちの手で天に召される兄弟が、主イエス・キリストの復活のみわざにあずかり、聖人の集いに加えられますように祈りを捧げます」

子供たちは初めてのクリスチャンの行事にでたためか、神妙な面持ちになりました。

牧師は聖書の一節を読み始めました。「創世記第三十一章、十節。さて、ヤコブはベエルシバを立って、一つの所に着いた時、日が暮れたので、そこに一夜を過ごし、その所の石を取ってまくらとし、そこにふして寝た…」貴志は、初めて聖書にヤコブという人物が出てくることを知りました。牧師の説教を聞きますと、ヤコブはイスラエルとも呼ばれ、民族の先祖であるとの話でした。貴志はふと、夢の中でヤコブという少年のいたことを思い出しました。牧師さんの話がなければ、彼のことをすっかり忘れてしまっていた自分を感じていました。

「ヤコブは少年の時から、穏やかで天幕の中にいた人です。ハランの地に行き、叔父ラバンに使えて働きますが、その報酬では10回もだまされるているのです。それでもヤコブは神へのあつい信仰を失わなかった人でした。

ヤコブは神の命により故郷に帰るように言われました。ヤコブがカナンの地に帰るとしても、兄のエサウは祝福を奪ったヤコブを殺そうとたくらんでいました。ヤコブはどれほどに恐れたでしょうか。ヤコブの神への深い信仰こそが、彼が頼みとするすべてだったのです。

神のみわざは時には人に理解しがたく、神につまづかない者は幸いです」貴志は牧師の話をよくわからずに聞いていました。

「私も高田哲也君を幼少のころより知っております。とてもやさしく素直な心の少年でした。この教会でも最近は哲也君と同い年の子がおりませんでしたので、将来どんなに立派な青年になるのかと楽しみにしていました。ところが白血病という重い病をわずらい、幼くして天国へと旅立ちました。

旧約聖書、伝道書3章11節に『神のなさることは、すべて時にかなって美しい』という聖句があります。神のみわざは私たちに思いもよらないことを行われます。ご両親様も哲也君が帰天されたことに、深く心を痛めておられますが、哲也君のみたまが安らかになるようお祈りましょう。」

オルガンが聖歌をかなではじめますと、会場にいる人たちは歌声をあわせて賛美します。

貴志はふと、となりにいた仲谷君と顔を見合わせました。そして小声で「歌ったことある?」と聞きました。すると仲谷君は「ないよ。わからない」と首を振って、苦笑いしました。

式典が次々と進んで、献花をする時が来ました。係の人に案内されて、前列の人から献花台に花が捧げられます。係の人にうながされて、学年主任の先生は立ち上がると、献花台の方へ向かいました。多田先生も後に続いたので、子供たちも席を立ちました。貴志は献花台の近くで花を受け取ると、先生たちがしたように、くるりと花の向きをかえて、おごそかな気分で献花台にたくさん並んだ花の間に置きました。それがいくぶんクリスチャンの告別式に出て、面白味さえ感じられていました。

会場のすべての人が花を捧げ終わったころ、高田哲也君のお父さんが祭壇の前に歩み出て、あいさつを始めました。

「本日、お忙しいところを高田哲也の葬儀に参列して下さり、心よりお礼申し上げます。息子が入院してるおりに、ここにいらっしゃる多数の方々にもお見舞いに来て下さり、暖かいはげましの言葉を頂き、息子も大変喜んでおりました。息子は皆様にとてもたくさん愛されておりました。一時は回復のきざしも見え、退院できるのではないかと期待もしておりましたが、一昨日深夜に、急に様態が悪化してしまい、みなさまにとても愛された哲也は帰天いたしました。本日は哲也のため足を運んで下さり、本当にありがとうございました」

哲也君のお父さんのあいさつを聞いて、澤口さんはすこし目頭が熱くなる思いがしました。「一度でもいいから、お見舞いに行けばよかったかも」同じクラスメートとして、哲也君に関心のなかったことを恥ずかしく感じたのです。

「みなさま、最後の出棺の時となりました。故人にたくさん花をたむけて、最後お別れをしてあげてください」司会の人がそう述べました。参列していた人たちは立ち上がると、次々と献花台から花を手に取り、棺の中の哲也君のまわりに花をそえると、別れの言葉をかけました。しげしげと棺の中をのぞいては、あまりに早い死をいたむ人。口に手をあて、涙にむせびながら、別れをおしむ婦人などは、しばらくその場から離れません。たくさんの人が哲也君に別れの言葉をかけると、お棺の横でたたずむ哲也君の両親にあいさつをしていきます。

係の人が学年主任の先生に近づいて来て、「どうぞこちらへ」と手招きしてきました。学年主任の先生と多田先生が立ち上がって、哲也君の眠るお棺へと歩みました。子供たちもそろそろと後ろについて行きます。哲也君のお母さんは先生と子供たちが来たのに気がついて、話しかけてきました。

「今日は哲也のために、ご足労して下さりありがとうございます。同い年の友達が一人もいなくてさびしい思いをしていたので、無理なお願いをして申し訳ありません」

「この度は、突然のことで、大変お気の毒でございます。一度は学校に出てこられそうともうかがっていましたが、このようなことになり残念です。こちらに立っている生徒が、お母さんが話されていた山本君です。お願いして来てもらいました」学年主任の先生が貴志の方に顔を向け、手を肩にかけると、ゆっくり引き寄せました。

「ああ、あなたが山本君。わざわざ来て下さり、ありがとうございます。哲也とは一度も会ったことがないでしょう」哲也君のお母さんは貴志にちかよってくると、そう話してきました。「あっ、はい」貴志は初めての告別式で、哲也君のお母さんになんとあいさつしたらよいのかと、おろおろしました。

「おとといの晩にね、哲也の具合が急に悪くなって、こん睡状態になったの。しばらく担当のお医者さんに様態をみてもらっていたら、

『山本君、山本君』って何度何度も名前を呼んだのよ。息を引き取る最後まで、山本君って名を呼び続けていたの。これは哲也が山本君という名の新しい友達が絶対いるのではないかと思ったんです。それで哲也がまだ一度も出席したことがない学校に電話をして、無理にお願いさせてもらったんです。普通ではありえないことでしょうけど、もうこれが最後の時なので、ごめんなさいね」哲也君のお母さんは、赤くはれた眼に薄く涙をためてそう言いました。

「ああ、はい」

「山本さんは、哲也と会ったことがあるかしら」哲也君のお母さんはそう聞きました。

「あっ、いえ、一度も会ったことありません」貴志はもうしわけないような思いで答えました。

「そうよね。ごめんなさい。わざわざ来て下さったのに、変なことを聞いてね。もし、できたら哲也の顔を見てあげてくださいます。たぶん哲也も山本さんが最後の別れにきてもらってとても喜ぶと思いますから。どうぞ先生方も哲也に最後のお別れをしてくださいますでしょうか」哲也君のお母さんは先生方に2度ほどおじぎをすると、哲也君のお棺へと手招きしました。学年主任の先生は一礼すると、係の人から白いカーネーションを受け取り、哲也君の眠るお棺をのぞいて、その胸元に花をそえました。多田先生も、すでにもらい泣きをしてるようで、ハンカチを口に当てながら哲也君に花をそえました。

貴志も係の人からカーネーションを受けると、お棺の方へ向かいました。そして初めて見る、同学年の遺体を少しとまどいながらのぞきこみました。

「あっ、ヤコブ君」貴志はお棺の中に眠る少年を見て、思わず声をもれました。哲也君の頭にはガーゼが巻かれていましたが、髪の毛は抜けてなくなっており、顔はすっかりやせ細っていました。

「えっ、なんで?」貴志は言葉がつまって、目にいっぱいの涙があふれてきました。ぽろぽろと、とめどもなくこぼれる涙をこらえることができません。

「えっ?ヤコブ君って?」澤口さんは貴志の声を聞くと、すっとそばによってきました。

「あっ」澤口さんもしばらく息がとまったかのように哲也君を見つめると、「ヤコブ君」と呼びかけました。そして眼に涙をうるませながら、哲也君のほおの横に花を置きました。

貴志が涙でにじんだ哲也君の胸元に、花を差しだしてきた別の手が見えました。貴志が顔を上げると、仲谷君も眼に涙を浮かべて、

「ヤコブ君だったんだね」と声をひそめて言いました。貴志も気がついて、手に持っていた花を哲也君のお棺にそえようとしましたが、顔が隠れそうなほどお棺の中はすべて花で一杯でした。それでしかたなく哲也君の目が隠れないよう花をそえました。富田君も、あの山田君でさえも、こんな姿のヤコブ君と再会するとは思わなかったのでしょう。眼から涙をこぼしながら、哲也君のお棺に無言で花をそえました。

出棺が終わり、先生と子供たちは、哲也君の両親にお別れのあいさつをしました。

「みなさん、ずいぶん泣いていらしたけど、哲也のこと知っていたの?」哲也君のお母さんは不思議そうにたずねてきました。

「えっ、はい。信じてもらえないかもしませんけど、夢の中で会ったんだと思います」貴志はとまどいながら答えました。

「そう。深くは聞きませんけど、神様がめぐりあわせてくれたのね。哲也もみなさんが会いに来てくれて喜んでいると思うわ。ありがとう」哲也君のお母さんは深々と頭を下げました。


哲也君のお棺を乗せた黒い車と、その後に家族の乗った車が教会から出る時、教会の鐘の音がごうん、ごうんと鳴らされました。陽が少し傾いた午後の街空に、悲しみを響かせているように聞こえます。

子供たちは学年主任の先生から「今日は一度も会ったこともないクラスメートの告別式に、わざわざ来てくれてありがとう。高田さんのご両親もとても喜ばれていたね。気をつけて帰ってね」と別れのあいさつを受けました。

「みんなどうしたの?ずいぶんと高田さんを見て涙していたけど。なにか高田君とあったの?」多田先生は不思議そうに、子供たちに問いかけました。

「いえ、なんでもないです。ただかわいそうだったから…。先生さようなら」澤口さんは話を打ち切るように別れの言葉を告げると、教会から出て行きました。澤口さんの後を追うように、子供たちも別れのあいさつをして、家路へと向かいます。商店街をとぼとぼと行く子供たちは、先ほどまで泣きはらしていた顔を、道行く人に見られないようにとうつむきながら歩いておりました。

「途中にある公園に行かない」仲谷君が言いました。

「公園って。どこの?」貴志が聞き返します。

「線路のむこうに川があるじゃない。その土手の向こうの河川敷に広い公園があるだろう。名前はなんて言ったっけ」仲谷君が言います。「ちょっと疲れたから、休みたくはなったんだ」

「ああ、そうだね。このまま帰りたくない気分だから、公園にでもいこうか」貴志が答えました。

「そこを曲がろう」仲谷君が喫茶店のある角の路地を指さしました。すると、後についていた山田君が声をかけてきました。

「どこに行くんだよ」

「公園だよ」貴志が振り向いて答えます。

「ふうん」山田君はそう言うと二人の後についてきます。

「えっ、公園へに行くの?」先に歩いていた澤口さんが、喫茶店の角を曲がろうとする富田君に聞きました。

「そうみたい」富田君はにこっとして答えます。澤口さんはあわてて富田君の方に戻ろうと、引き返してきました。

子供たちは八百屋さんや理髪店の横を通り過ぎていきます。

「ここで飲み物でも買おうか」仲谷君がドラッグストアーにある自販機の前で止まりました。

「いいね、そうする」貴志も何か飲み物を買おうと、財布を取り出します。子供たちは思い思いのジュースを自販機で買いました。

しばらく行くと遮断機のある小さな踏切へときました。左右から車が何台か来ますと、踏切を行き交うのにはば一杯になって通るものですから、子供たちは待つしかありません。子供たちは車が通り過ぎた後で、ささっと踏切をわたります。踏切をわたりきったとたん、かんかんかんと遮断機の警報が鳴りだしました。

「やばかったね。ここの踏切、長いんだよね」仲谷君は笑顔で貴志に言いました。線路をこえると、建物の間から小高い土手が見えます。子供たちは土手の上に続く歩道を上っていきました。土手に上りきると幅広い車道があるので、子供たちは横断歩道の信号が青になるのを待ちました。長く続く土手の右手のほうには車が何台も通れる大きな橋が、向こうの街へとつながっていました。川の橋のらんかんの上に、夕陽がだんだんと下りてきて、たたずもうしています。目を移すと、土手の下に広がる公園には緑の芝生があざやかに映えて見えます。公園ではサッカーボールで遊んでいる子供たちや、ジョギングをしてる人、犬の散歩をしている人もいました。

信号が青に変って車の列が止まると、子供たちは横断報道をわたり、草むらの土手を速足で下りて行きます。広い芝の広場に下りると、土手から見えていた川岸を、林が目隠ししていました。

「川辺にベンチがあるから、そこで休もう」仲谷君はみんなにそう言いました。

「いいわよ」澤口さんが相づちをうちました。

子供たちは川岸へと続く公園の歩道を歩きます。林の間を通り抜ける時に、夕陽が秋のような木もれ日を目に強くさしてきたので、貴志は目を閉じ気味にしながら歩きました。

川が見えてきますと、川辺にそって続く歩道に、ベンチがあちらこちらに置かれてありました。すぐ近くのベンチに進むと、子供たちはみんな並んで座ります。

「高田君がヤコブ君だったんだね」貴志はおだやかに流れる川面を見ながら、そうつぶやきました。

「うん、おどろきだね。ヤコブ君は何も言わないで、耐えてたのかな」富田君が言いました。

「おれたち、いてもいなくもよかったんじゃないか」山田君がそう言ううと、ジュースを一口飲みました。

「そんなことないわよ。ミカエルさんはそんな風には考えてなかったわ」澤口さんが言います。

「そうだよ。僕たちと会えて、新しい友達ができたと思って頑張ってくれたんだよ」仲谷君も反論するように言います。

「高田君、かわいそうだったわ。とてもやせていたもん」澤口さんが静かにそう言いました。

夕暮れをしらせるかのように、橋の下から夕陽が顔をのぞかせてきました。その夕陽が川面に反射して、光がきらきらとゆらめいて見えます。川べりの雑草も夕陽で赤色に照らされてるようです。

『貴志君!』そう呼ばれたかのような気がして、貴志は頭を上げて空を見渡しました。

「あれなんだい」仲谷君は川の中ほどで夕陽が反射していたのが、水上でもやわらかいもやが光っているのに気がつきました。

「えっ、なに?」貴志は仲谷君に聞き返します。

「あれだよ。ぼわっとなんか光っているの見えないか」仲谷君が指をさす方に、子供たちはみな目を向けました。するともやのような光の輪の中に、人影のようなのが見えだしました。しだいにそれは3人の人影が立っているのがわかってきました。背の高い2人の青年と、もう1人は子供です。

「ヤコブ君だ!」貴志は驚いて声を上げました。

「ミカエルさんよ」澤口さんもとても喜んで声を上げます。

「ガブリエルさんもいるよ」山田君もうわずった声で叫びます。

ミカエルとガブリエル、そして間に立っている哲也君の3人は並んで、ふせていた顔を上げると、子供たちにわらいかけてきました。ミカエルは軽く右手を上げて手を振ってきます。

ガブリエルも左手を高々と上げると、何度も振ってきました。哲也君は両手を振って、みんなに勇気を送っているようでした。

「哲也君、元気になったみたいだ」貴志が哲也君を見て、安心するように言いました。哲也君は夢の中で見たのと同じようにふさふさした髪の毛があり、顔もお棺の中で見たようにやせてはいません。

「おううい!」山田君が光の輪の中にいる3人に向かって手を振りました。貴志も子供たちもみな立ち上がって、手を振ってこたえました。

急にびゅううとつむじ風が、川下から吹き上げてきました。すると光の輪のもやが、風上へすうと吹き消され散ってしまったのです。

「あれっ、いなくなった。消えてしまった」山田君があっ気にとられて、上ずった声を上げます。

「さっきの3人見たよね」山田君がみんなに聞きました。

「うん、見たよ。今のなんだったんだろう?夢でも見てたのかな」貴志はそう言いながら、自分はまたあの光の御国『カナン』へ行く時が来ることを感じていました。

「いつか僕たちを呼び集めるため、忘れないように会いに来てくれたんだ」貴志はそう口にすると、何ともいえない強い決意を胸に秘めました。

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光の御国 吾輩は猫 @papyrus16

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