第9話 ダイヤ王子

               オブシディアンの中の王子


 ある晩のこと。それは真夜中の話。

 時刻は夜中の二時。居酒屋の無いこの通りはシーンと静まって、誰も歩かない。犬も猫も吠えない。ただ草花が星々を眺めてるだけ。

「チン」って、エレベーターが鳴った。その音は、「おりん」の音より高い。

「おりん」とは仏壇に置かれる仏具で、木魚と同じ梵音具ぼんおんぐのことだが、それは扨て置きエレベーターから田島がヌボーッと現れた。そして部屋へ行かずオブシディアンの横に立つと何気に話し掛けた。

「最近はどうなんだい?」

「変わりないよ」

 田島はオブシディアンの揺れた心が気になった。

「最近会ってないが、ルビーさんは元気かい?」

 田島はサーッと床へ座ったが、ダイヤ王子はオブシディアンの青い瞳から亡霊を切なく見つめた。

「僕は彼女を見ると、酷くもどかしくて心が落ち着かない。なぜだろう」

 王子はオブシディアンからスーッと抜け出た。と言ってもまるで亡霊だ。

 王子は夜中の二時から四時まで半透明な姿でこの世界へ現れる。

「お若いのにこの世を去って、さぞ心残りでしょう」

 田島は悲し気な瞳で王子を見つめた。

「いや。僕はまだ死んでないから、それはやめて欲しい。って言うか心残りで彷徨ってるのはむしろ田島さんでしょ!」

「そうでした……」

 田島は虚ろな瞳で王子を眺め片手を口に当て、「うふふふっ」と、不気味に笑った。

「ルビーさんがとっても気になるんですね」

 王子は静かに頷いた。

「僕は彼女のためならどんなことでもするつもりだ。たとえ火の中水の中。どんな敵が現れようと命を懸けて護ってみせる」

「これは本物ですね」

 田島は頬に人差し指を当て呟いた。

「こんなの初めてだ。田島さん。この気持ちは何なんだ?」

「それは恋、ですね。間違いなく恋です。あなたは人を好きになりましたね」

「そうか。恋とは苦しいものだなぁ。誰より傍にいるのに何一つルビーへ話し掛けられないとは……」

 田島はスーッと立ち上がりまた不気味に笑った。

「諦めずに頑張りなさい。きっといつか伝わる日がくるから」

 それだけ言い残すと、真っ黒な気は彼の部屋へ姿を消した。

「田島さんありがとう。頑張りなさい、か……。と言うより元の世界へ戻る方法を誰か知らないか?」

 王子は割り切れない気持ちを抱きつつ青い瞳で夜空を仰ぎ、ため息をついた。すると、「チン」と、再びエレベーターが鳴りドアが静かに開いた。と思えば、恰も泥棒猫のように背を丸め、「抜き足、差し足、忍び足……」と、ひそひそ声で囁きながら王子の前に妙な格好で止まった。彼は首だけ傾けた。

「ロボットさん、こんばんは。いい星空ですね。うん? ダイヤさん。今夜はいつもと違う悩みがあるようですね。どうしたのですか?」

 話し掛けたのは宇宙人の中島だった。

「中島さんはいいな……」王子は酷く落胆した。

「どうやら私は歓迎されてないようだ」大人の中島が呟いた。

「いや。そうじゃないんだ」

「分かってますよ。そう言ってみただけです」と、今度は小さくなりつつ呟いた。

「ちょっとだけさ。まあ。大人の悩みだよ」

 王子がため息をつくと、大きくなった中島がこう言った。

「ロボットの中の君は大人だったのか……。てっきり思春期の悩みと思ったが。ああ、そうだ。悩みは内に秘めてはいけないよ。そうさ、外へ出せばいいのさ」

「それが出来れば悩まない。たとえこの気持ちを外へ出せたとしても……」青い瞳は悲しげに俯きゆっくり頭を上げて中島を見つめた。

「オブシディアンの言葉にしかならない!」偶然二人で呟くやいなや、「ハッピーアイスクリーム!」と、囁きながら笑った。しかしながら小さな中島は続けてこう言った。

「お兄ちゃんは宇宙生物と戦う勇敢な人だね。ルチルさんもそうだよ」

「ルチルも? 彼はアゲット国の大臣になる男だ。どういうことなんだ」

 王子は漠然と中島を眺めたが話は淡々と続いた。

「君はこの世で姿が見えなくてもルビーさんを護ってる。でも死んだら終わりだ」

「私は死ぬのか? オブシディアンは不死身のロボットでないのか?」

「不死身? そうじゃない。ロボットの機能が完全に止まればその時が来る。だが真のオブシディアンは存在があるようでない。君には理解不能だ」

 大人の中島は笑った。

「さてと。私は部屋へ戻ることにする。死ぬ前に行動あるのみ、さ。ごきげんよう」

「待って下さい。どうか教えて下さい。中島さんはオブシディアンをどこまでご存知か? もしかして彼から脱出する方法を知ってるのでは?」

 王子は咄嗟に片手を伸ばしたが、恰も予想したように中島は小さくなりニコッと笑った。

「僕はわかりません」

 彼は身を丸め器用につま先立ちしてスタスタ進み部屋の前へ立った。そして王子にウインクしながら片手を軽く振るとドアノブに手を掛けゆっくり中へ入ったのだけれど、まさか中島の部屋と例の店が繋がってると誰が思うであろう。いや誰も思わなかった。王子はただ茫然と中島を見送り、「はぁーっ」と、腹がぺしゃんこになるまで酷く長いため息をついた。釈然としない何かを身に感じオブシディアンを眺め力なくしゃがんだ。

「なぜこんな目に合わなきゃならないんだ」

 王子は今を恨みやるせない気持ちで彼を睨んだ。知ってか知らずかオブシディアンの両眼がパッと開き王子をチラ見すると、両腕を真っすぐ伸ばして胸の位置まで上げた。それから手を大きく開いた。みるみるうちに辺りの星が闇に吸い込まれ空に一点の明かりもなく真っ暗だった。と同時に、白く霞んだ雲が浮かび上がり中でゴソゴソ動く黒い生き物が大量に映った。

「あれはなんだ?」王子はオブシディアンに視線を向けた。

「奴らがやってくる」

 オブシディアンは掌をぎゅっと閉じて胸の前で腕を交差すると瞬く間に星の輝きが戻った。

「奴らは星を食いつぶすものだ。戦いが待っている」オブシディアンは誰を見るわけでなく呟いたのだけれど、王子は彼の体に半分吸い込まれつつも尋ねた。

「オブシディアン。あいつらはどこから来るか教えて欲しい」

「何もないところだ。宇宙そのものが奴らを作り出し、やがて消えていく。ダイヤよ。お前は平和を求め戦う。それがシナリオであり変更はない。単にそれを受け入れよ」



               ゴッキー



「それで今回の情報に寄れば、かなり執念深い生物だ。皆、油断するな。もう一度武器の確認をしておくように」

 月島の発声だった。総勢二百人の部隊が例の自然公園へ集合し彼らは指定された場所へ徐々に移動した。当然ルビーとオブシディアンも部隊に含まれ出動した。

 

 月島はルビーの傍へ寄りオブシディアンをさり気なく眺め自信満々でこう呟いた。

「ルビーの命は俺が護る」

 月島は何気に片手を差し出しルビーへ握手を求めた。ルビーは、「クスッ」と、笑い呟いた。

「月島さん。私にオブシディアンがついてますから安心です。どうか自分の身を大切にお守り下さい」

 オブシディアンはルビーの代わりに彼の手をガッチリ握りニヤッとした。

「月島の身はルチルが護る。安心して戦え」

 月島は両手を腰に当て、「わっはははははっ」と、天を仰ぎ大声で笑ったのだけれど、つっと真顔でこう言った。

「はっ? ルチルに護られるだと? 冗談じゃない」鼻息を荒くし酷くムカついた。

「ルチルに何ができる。そもそもガキは現場にいないじゃないか!」そう呟くやいなや、「ガガガガガガッ」ミニ戦車が集まり始めた。そこへサッと男が駆け寄った。

「月島さん。指定場所へ移動して下さい。社長命令です」

 きりっとした顔つきで隊員は敬礼した。

「了承した。オブシディアン移動だ」

 次々並ぶ戦車の数にルビーは目を瞬かせた。ただ月島の命令が耳に入らず面白おかしくそれらを眺めた。しかしながら遂に目を閉じ頭の中でミニ戦車や戦闘機数をざっと数えワクワクした。

 一方オブシディアンは彼の命令に、「残念だが私は命令を聞かない」面と向かって返事した。

「なぜなんだ。オブシディアンは我が社の所有ロボットだ。それなのになぜ背くんだ?」

「私の気分だからだ」

「おい。冗談だろ?」月島は苦笑いしながら彼を指差した。すると、「真面目だ……」オブシディアンは月島の眉間へ人差し指を当てた。

 月島はガツッと当たった指先が大して痛くないのに驚いた。彼は瞳を中心へ寄せロボットのそれを眺めると呟いた。

「オ、オブシディアン。君の指はアンドロイドを超える造りで驚いたよ。まるで人間の指だ。ああ……。つまり分かったよ。俺はいつも単独行動だ。ルビーさんを頼む」

 月島はくるりと背を向けると、「あのロボットは全く以って我が社の何なんだ?」と、ぼやきながら武器を掴んで数名の隊員を引き連れた。

「私達も行きましょ!」

 ルビーはすぐさまオブシディアンへ命令し間を置かずに彼らの後を追った。

「以前と違う方向だわ」

 鬱蒼とした森林。 ルビーは耳を澄まし気を集中させた。


「バサバサバサ……」数十羽の小鳥が木の枝から空へ舞い一定方向へ飛んだ。ルビーは何気に構え気で気配を察した。僅か数十メートル先にくさむらがありその先に草原が広がってたが、素早く動く何かを感じた。そのうえ、「ザザザザザザザザッ」と、妙な音まで感知した。すでに草原へ罠が仕掛けられていたものの、地面を這う宇宙生物は知能が高くそれらを避けていた。罠はまるで効果なかった。ルビーは更に気を集中させるとつっと止まった。

「バン、バン、バン……」月島が銃撃した。ルビーとオブシディアンは草原へ一気に駆けた。

「ルビーさん。俺はこっちへ進む」

 月島は片手で合図し隊員を引き連れ走った。

「月島さん。危険です!」

 ルビーは目一杯叫んだけれど無駄だった。しかしながら事態は最悪である。宇宙生物は銃声に反応し、「ザザザザザザザザッ」と、結集するやいなや勢ある塊は黒く動く絨毯と言っても過言でなかった。ルビーはあれよあれよと囲まれた。

「お願いよ。気持ち悪いからこれ以上近寄らないで!」

 一匹の大きさは座布団ほどでゴキブリそっくりの宇宙生物だった。その名は、「ゴッキー」と、言う。

 ルビーは咄嗟の判断で目を閉じ素早く開いた。

「一度ゴッキーを埋めなくちゃ!」

 ルビーは両手を上げ大気を包むように指先を丸め、一度だけ平泳ぎで水をかく仕草をした。それから胸の前で両手を合わせスッと空へ上げた。するとどうだろう。固い地は見る間にどろっとしてまるで底なし沼となり、ゴッキーはもがきながらずるずる引き込まれた。

 オブシディアンは単なる時間稼ぎと分かっていたが、早々にルビーを抱きかかえ青い瞳で黒い地を冷静に眺めた。すると、「ぼこっ、ぼこっ」と、空気穴がここかしこに開き、むっとする蒸気に地の臭いを含みつつむらむら上へ上がった。ゴッキーは間もなく一斉に空へ上がるだろう。二人は予測した。

「オブシディアン、ありがとう」

「私はルビーを護るものだ」

 オブシディアンはルビーを背に載せ一気に空へ上がると、瞬く間に戦闘機へ変わった。

「どこかに親がいるはずだ。そいつを探さなければならない」

 およそ一分後。むらむら上がる白い蒸気は希薄し臭いも止まった。辺りが妙に静かになったと同時に、地の底からもぞもぞとゴッキーが這い上がり矢継ぎ早にルビーへ向かって飛んだ。

「ダイヤよ。奴らを切るのだ」

 オブシディアンは彼の中の彼へ命令した。ダイヤはオブシディアンの声でカッと瞳を開き、自身の剣を無意識に掴み半透明の体で空へ飛び出した。

「なぜ僕は落下しないんだ?」

「次元を超えて私と繋がってるからだ」

「それなら安心した。久ぶりに腕が鳴る」

 ダイヤは稲妻が走るがごとき全身でゴッキーを切り続けた。一方、戦闘機は次々ミサイルを発射し青い炎でゴッキーを燃やした。ルビーは眉間に気を集中しそれらを灰にするまで宙へ浮かせた。ただ残念なことに奴らを豪快に倒すダイヤの姿が全く見えてなかった。


 一方で単独行動した月島はどうなったか? 

「ルビーさん。君から離れたくなかった。君の傍に……」

 と、まあ、一人空想に耽りぶつぶつ呟く月島だった。と言ってもそれに浸りながらゴッキー並みに素早く動く姿は、ある意味では彼の才能と言えた。しかしながら、「ただ偶然に直感で動いただけに過ぎない」と、言えばそうだったかもしれない。彼の背後から一人の少年が無言で笑った。


「この辺が臭うぞ」月島は草茫々の中を警戒し少しずつ慎重に進んだ。

「月島!」不意に囁く声がした。ハッとして後ろへ顔を向けると、ルチルが片膝ついてしゃがんでた。

「はっ? いつの間に来たんだ。ガキが来る所じゃないだろう、って言うか、お前ゴッキーみたいだな」

「言っとくけどそれは月島だよ。けっこう素早かった。それに『月島を追ってともに動けっ!』これは社長命令なんだ。僕の意思じゃない」

「ふ~ん。そこまでガキが必要だったかね?」

「少なくとも社長に頼りにされ期待されたんだって僕は思う」

 ルチルは目をクリッとさせピースした。

「反吐が出そうだ。ガキは要らねぇよ……。俺一人で十分だ」

「ガキ、ガキッて言い方やめて欲しいよ。僕だっておっさんは要らない。でも社長命令だから仕方ないんだよっ!」

「よく言うぜ。言っとくが俺は『おっさん』じゃないからなっ!」

「いや。おっさんだよ」

 あぁ……。犬も食わない喧嘩だ。二人はくるっと向きを変えた。そして背中合わせになり何とも言えないピリピリ感を漂わせ互いに銃を構えた。すると、「ゴソゴソ、カサカサ」と、ゴッキーの動く音がした。

「ほーっ。数匹来たぞ。自分の身を護れ! 付け加えるが俺を撃つな!」

「おっさんこそ、間違えて僕を撃たないで下さいよ!」

「言ってくれんじゃねーかよっ!」と、二人は次々それを銃撃したのだけれど、月島がつっと上空へ視線を向けるやいなや茫然と立ち竦んだ。ゴッキーの大群が真っ黒な塊りになって彼らへ猛攻撃をかけていた……

「月島、何やってんだ。撃てーっ!」ルチルは腹の底から叫んだ。

「撃てって、どこを狙うんだよ。もう間に合わねぇ!」

 ルチルは極めて冷静なのだけれど月島の体はガクガク震えた。挙句に、「わあぁぁぁぁーっ」と、地獄の底から叫びをあげた。

「はぁ~? だめだこりゃ」ルチルは心で呟くと咄嗟に月島の頭を押さえ身を屈めた。


「ドドドドドドドッ!」猛突進のゴッキーがあれよあれよと一度は頭上で跳ね返った。

「おっさん。悪く思うなよ。打つ手がなかったんだ」

 酷く不貞腐れたルチルの声だった。

「どどどど、どうなってんだ?」

 ただ狼狽うろたえる月島にルチルは厭きれた。

「仕方なく僕がシールド張ったんだよ。これ。数か月は持つから」

 畳三畳分の広さが確保された空間だった。月島は立ち上がり見えない壁に手を当てた。

「おい。数か月もここにいたらミイラになっちまうぜ。冗談じゃない」

「助けが来るのを待つか、自力で脱出するか。どちらかだよ」

 ルチルは徐々にシールドに張り付くゴッキーを眺め呟いた。

 月島は上向きにゴロンと横になるとベッタリ張り付いた宇宙生物を胡散臭く眺めた。

「しかし。ガキが特殊な技を習得してたとは驚きだ!」

「まあね。僕はこう見えても戦闘に強い人間なんだ」

 ルチルはゴッキーを眺め警戒心を強めながら両ひざを抱え呟いた。その途端に異変が起きた。

「妙だな。ゴッキーが飛び立ってく」

 月島は首を左右に振りぱっと起き上がると周囲の状況を確認した。 一方でルチルは上空にルビーとオブシディアンがいると直感した。

「一体全体どうなってんだ? あいつら一瞬で空へ消えたと思ったら、今度は黒い物がパラパラ落ちて来やがった」月島はぐいっと背伸びして空を見上げた。

「これは灰だよ」ルチルがボソッと呟くと、「何のだよ」月島は見上げたまま質問した。

「疑いなくゴッキーだね」

「ちょっと待てっ! それじゃゴッキーはわざわざ灰になるために空へ上がったのか?」

「違うよ。きっと何かに狙いを定めたと僕は思う」

 ルチルは小さなため息をついた。

「ふーん。それが何だか知らないが、まるで黒い雪だな……」

 月島はちらちら舞う黒い灰を緑色の瞳に映し腕を組みつつ寝転がった。ルチルも釣られ仰向けになると万歳して空を仰いだ。

「ダイヤ王子。あなたはどこにいるんですか?」小さい声で囁いた。

 二人は森閑とした風景に吸い込まれゴッキーの存在すら忘れた。ある意味ではメランコリックな気分に浸り、時に風に煽られ渦を巻きながら落ちるそれを眺めて深いため息を零した。ところが……。

 途轍もない大きな塊が、「ブヨン、ブヨ~ン!」と、二人の目の前で重苦しく跳ねた。そしてもう一度跳ねた。そこそこ大きな落下物は二人を酷く圧迫し、それはシールドにしがみついてた。二人は咄嗟に起き上がった。

「な、な、何なんだ?」」

 シールドが落下物の重みで酷く歪んでる。そのうえ巨大な物体はどの角度から見ても決して目の保養にならなかった。月島は、「ヒューッ!」と、口笛を吹いた。

「ギラギラ目玉とグロテスクな口に死んでもキスしたくないね」と、唾を吐きつけた。更に、

「こいつ。俺の趣味じゃねえよ。おいルチル、『ギシギシ』って、音がするがシールドはこの状態で数か月維持できんのか?」

 月島は銃を構えながら呟いた。

「そう簡単に壊れないはずだけどね。この重さはどうかな……。ただゴッキーは一か月間何も食わなくても生きられる。僕達の方が先に体力消耗するよ」

「と、言うことは、頗るヤバいな。ゴッキーに弁慶の泣き所はないのかよ」

「ないわけじゃない。ただしシールドを外さないと攻撃できない。思い切り走れる準備をしてっ!」

 ルチルが呟くと月島はさっと端へ移動した。

「頼むぞ。ゴッキーに潰されるのはごめんだ。それにお前と一緒に死にたくないからな」

「僕も同感だね。月島準備はいいか?」

 ルチルは人差し指と中指を眉間に当て、彼をチラ見するやいなやこう叫んだ。

「シールド、解除!」

 途端に風を切るように二人は思い切り同じ方向を目指して走った。ルチルは頭脳のみならず運動能力も抜群だった。言うまでもなく走るのは得意だったけれど月島はルチルより更に頭一つ分抜き出てた。

「おっさん、やるな……」ルチルは心で「フッ」と、笑い、声を大にして叫んだ。

「月島、そのまま走れっ!」

 ルチルは速度を落とし足をぎゅっと踏ん張ると、逆向きになり特殊な弾の入った銃を一瞬で構えた。

「ゴッキー覚悟しろ! 3、2、1……。命中!」

 ルチルは当然のことながら月島が走り続けたと思ってたが、彼が傍にいたことに酷く驚いた。

「月島、なにやってんだよ」

「はっ!? ガキ一人を犠牲にできねぇよ。おい。それよりゴッキーが風船みたいに膨らんで、随分と醜い姿になってるぞ!」

「そうだよ。だから先に逃げて欲しかったんだ。つべこべ言わず全速力で走って!」

 二人は転がるように走った。間もなく、「ドドドドッカーン!」と、激しい爆音とともに二人とも爆風で吹っ飛ばされた。月島が落下しその上にルチルが折り重なったが、ルチルの耳へ微かに妙な唸り声が聞こえた。ルチルは静止し辺りを警戒した。しかしながらそれどころじゃないのが月島である。ルチルの重さに苛立ち、

「言っとくが。俺は男は好きじゃないから早く降りろ!」と、ムッとした。とは言うもの、「月島。やっぱり何か変だよ」ルチルは彼の耳元でそっと囁いた。

「いや。俺は頗る正常だ。変なのはむしろお前だろ」

「しーっ。本当のこと、話すから聞いてよ」

 ルチルは片足ずつ丁寧に体を移動させ月島から降りた。それからかなり気難しい顔をして彼の隣で囁いた。

「月島。聞いて欲しい。これは嘘じゃない。真剣なんだ。僕らは……」

「愛し合えないよ!」と、月島が睨んだ。ああ、何を勘違いしたか。ルチルの目が点だった。

「はっ? 何言ってんだよ。僕らは宇宙生物の上にいるんだ!」

「えぇぇぇぇぇーっっっ!」実に酷い叫びだった。

「月島、声がでかいよ。もう。気付かれた。逃げろーっ!」

 ルチルの瞳は一瞬だけキラッと緑色に輝いたが、月島は全く気付かなかった。ルチルは咄嗟に彼の腕を掴むと渾身の力でゴッキーの背面を滑り下りたのだけれど、その速度は単に人並み外れた能力と言っても過言でなかった。

「神業か? それよりさっきの弾丸でこいつを撃てよ」

「そうしたいとこだが、手持ちはあれだけなんだ」

 二人は全速力で地を走り、高さ二メートル程の草原へ逃げ込んだ。

「はっ? 何で一発しか持ってないんだよ」

「滅多に使わない弾なんだから、しょうがないんだよ。でも、もう一発凄いのがある。ただし走ってたら上手く弾を取り出せない」

 草をかき分け互いに同じ方へ進んだ。

「使えねぇ……」

「月島。声がでかいよ!」

「分かったよ。って言うか、高い草がなくなったじゃねぇか……」

「その通り。僕らは丸見えだよ」

 二人は必死で前進し暗黙の了解で二手に別れた。

 月島は直感で走りながらポケットへ手を突っ込み、真っ赤なスカーフを握ると片手を高く振り上げた。シルク製のそれは鮮やかな光沢があってひらひら靡き超巨大ゴッキーの目を間違いなく引き付けた。

「おい! こっちだ。こっちへ来いっ!」

 月島はゴッキーが眺められるように方向を変えつつ何度も叫んだ。

 ゴッキーは巨体の割に素早く方向転換をすると間もなく、闘牛のように狙いを定め猛スピードで月島へ迫った。果たして彼は逃げ切れるのか……

 ここは月島の見せ所だった。宇宙陸上大会でメダルを獲得した彼は、どんなことがあっても、『逃げきってみせる』と、意地を見せた。誰が見ても素晴らしい走りだった。

 一方のルチルは特殊な弾を素早く銃へ入れ思い切りゴッキーの方へ走った。そして走りながら、「月島、こっちだっ!」と、目一杯叫んだ。

 月島は脚を踏ん張り方向転換した。それにもかかわらず、ゴッキーは赤いスカーフを狙い相変わらず俊敏な動きで追い掛けた。

「諦めの悪い宇宙生物だ」

 月島はしつこいゴッキーへこう叫んだ。

「ゴッキーさんよ。言っとくが、俺は女以外興味ないからな! たとえ雌であってもキスは断じて拒否……」と、言い終わらないうちにゴッキーの前脚が頭上へ最接近した。月島は真に重圧で押しつぶされると思ったか頭の上に手を当てた。

「バキューン!」ルチルの銃声が鳴った。

 月島は九死に一生を得た。ルチルの放った弾は見事にゴッキーの口へスポッと入ったのである。と、同時に眩い光を四方八方へピカっと放ったが、何とも対照的に静かだった。月島は地へ伏し目を固く閉じ頭を押さえてた。ただそれより早くゴッキーは痕跡を残さず姿を消していた。


「あぶねぇ。危機一髪だったな。しかし何が何だかさっぱりだ……」

 月島は起き上がり真っ赤なスカーフで冷や汗を拭きつつ呟いた。それからゴッキーの存在してた位置を穴のあくほど見ては首を傾げた。

「どこにも肉片がない。どうやら爆発したわけじゃなさそうだな。だがあの光は何だったんだ?」

 月島は首を傾げたままルチルを眺めた。

 

 一方ルチルは落とし物を探すようにキョロキョロしながら歩いていた。するとつっと手の中に何か入った感覚があった。彼はニヤッとして閉じた手を眺めた。

「一か八かの懸けだ!」と、銃を放った時に月島へ叫んだなら間違いなく、「ふざけるなっ!」と、言われたであろう。

 ルチルは徐々に指を広げた。目に映ったのはそれ以前から紛れもないと直感した「もの」だった。ルチルは、「フッ」と、ため息をついた。たった今ゴッキーの口を狙って撃った弾は、それこそ滅多手に入らない特殊な弾だった故に、失った不安と戻った安堵がほぼ同時に起こった。

 ルチルはそれが恰も忠誠な生き物、本能で巣に帰還する伝書鳩に思え酷く感銘しギュッと手を握りしめた。すると体内に電流が走った。不思議な雑貨店で僅か三ピーチ(三百円)で購入した玉虫色の弾の威力は頗る素晴らしく、かつルチルが存在する限り弾は離れないという噂が真実だったと改めて確信した。


「おい、ガキ! 掌をじーっと眺めてるが金でも見つけたのか?」

 月島は歩きながら微塵も動かないルチルへ尋ねた。

「金じゃない。金よりずっと素晴らしいものさ。この世に二つないものさ」

 ルチルは心の中で呟いた。

「俺の話が聞こえてんのか?」月島は少々イラっとした。

「ちゃんと聞こえてる」ルチルはボソッと呟き、片手をポケットに入れると小さなケースを取り出した。それからゴッキーを跡形なく消した弾を慎重に仕舞った。

「それがゴッキーを消したのか? 大した弾だな。ところで……。奴はどこへ消えたんだ」

 ルチルは「フッ」と軽く息をもらした。

「それは僕にも分からない。どこかの星へ移動したんだ。恐らく迷惑かからない場所だよ」

 ルチルはポケットへ手を突っ込みながら嬉しそうに月島を眺めた。

「お前。ニタニタしてますます嫌な奴に見える。で、それをどこで手に入れたんだ?」

「それは……。秘密だよ」

「はっ! 俺に隠し事か?」

「では一つだけ言っておくよ。特殊な弾を扱えるのは特級資格を持った者だけだ。それは月島も知ってると思う。ただこの弾だけは自ら主を選ぶと言われているんだ」

 月島は目を思い切り見開き、「へーっ!」と言った。それから不意に怪訝な目つきで、

「俺は夢を見てるのか? 宇宙で特級を持った者は噂では二人しかいないと言われてるが、その内一人がお前だと言うのか? おったまげたぜっ! て、いうか相当の自慢だな」

「自慢する気は毛頭ないよ。それより僕は真っ赤なスカーフに興味がある。あれは何の武器なのか?」

 月島は、「ハハハハハハッ」と、腹を抱えて大笑いした。

「これか?」月島はスカーフの端を軽く掴みふわっと首に巻いて、先をキュッと結んだ。

「お前に言っても分からない。これはだよ。俺にとって日常的に大事な武器だ。まあ、大人の武器さ」

「ロマン? 大人の武器?」ルチルは眉間に皺を寄せ胸の前で両手を組んだ。するといい具合にオブシディアンとルビーが音もなく空から降りて来た。

 

 ルビーは目を閉じながらそっと足を地面へ着けると、小さくしゃがんでこう呟いた。

「ここに親がいたのね。でも消えたわ。どこへ行ったのでしょう」

「ああ。そいつなら、ルチルがどこかへ葬り去ったな」

「お言葉ですが、僕は葬り去ってなんかない。どこかの星へ移動したんだ」

 ルチルが、「はーっ」と、ため息をついた。すると辺りの黒い灰がひとりでに、ひらりと舞い上がった。と、思えば、渦を巻いて次々空へ流れた。彼らの髪もふわりと靡き、各々の瞳は果てしなく流れるそれを追った。灰はみるみる小さくなりやがて目に映らなくなった。

「これは驚いた。灰が勝手に動いた」目一杯首を持ち上げ月島が呟いた。

「宇宙へ帰った……」オブシディアンは地上二メートルの高さへ体を浮かせ暫く空を眺めていたが、つっとルチルを見た。月島はまるで気付かなかった。

「さて、宇宙生物もゴミも消えちまった。仕事は終わりだ。帰ろうぜっ……」

 彼は持っていた武器にぶつぶつ言いながらもきっちり確認すると、「ふーっ」と、長い息を吐いた。それから持ちやすい位置へ握り直し一人歩き出した。ところが誰もついてこない。月島は妙に思い振り返った。そこに死んだように動かないルチルと何となしにルビーが立っていた。

「おい、ルチル何してんだ?」

 ルチルは直感で王子の気配を感じていた。おもむろに首をあげオブシディアンをじっと仰ぎ、「王子……」と、小さな声で囁いた。彼の青い瞳を見つめ、今度は腹から響く声で、「王子!」と、叫んだものの、返事はこうだった。

「私はオブシディアン……」

「どうか姿を現して下さい」彼は硬く目をつむり心の中で祈ったのだけれど、月島にはただの戯れ言にしか思えなかった。

「ルチルさんよ。王子様がどこにいるんだって? 妄想癖があるんじゃないか?」

 月島は笑いながらルチルの背を、「トン」と、叩いた。

 ルチルは、「はーっ」と、ため息をつきこう呟いた。

「妄想癖なんかじゃない。直感なんだ。どういうわけかオブシディアンの陰に王子、いや、その……。行方不明の知人の気配を感じるんだ」

 ルチルは彼を見失った重大責任の罪を一人で背負い、もし一年以内に見つけられなければ完全に星を追放されてしまう……。ルチルはもやもやした遣る瀬無い気持ちに押しつぶされ、両手を頭に載せるやいなや体をぎゅーっと縮めてしゃがみこんだ。

「ああぁぁぁ……。このまま地の底へ沈んでしまいたい」念仏のように呟いた。と、思えば、

「だめだ。だめだ、だめだっ! 僕が消えたら大臣の跡継ぎがいないじゃないか。何年かかっても必ず王子を見つけ故郷の星へ連れて帰るんだっ!」

 ルチルは頭の中で叫び陰気な気持ちへ一発鋭くジャブパンチした。すると彼の応援のつもりか、腕に珍奇な蝶がとまった。両羽には生々しいぎょろっとした目があり、三人とも初観察なうえに酷く凝視した。

「どんな関係か知らないが、その気味悪い蝶みたいにひょっこり現れるかもな」

 月島は苦笑いしながら歩きだした。

「ルチルさん。きっと見つかります。だから元気だして」

 ルビーがそっと励ますとルチルに笑顔が戻りコクリと頷いた。ところで心の平安は余りに短かかった。なぜならオブシディアンは目にもとまらぬ速さで蝶を捕まえ、目前にして瞬時に握りつぶしたからだ。二人は唖然として顔を見合わせた。

「鼻を押さえ、呼吸を止めよ」

 蝶の粉は風に乗り地面へ流れ落ちた。二人は目を皿にして草花がみるみる生気を失い茶色く変化したのを茫然と眺めた。

「命を奪わう蝶だ。ゴッキーの大群に混ざってこの星へ来た。羽に目玉の付いた蝶は酷く危険だ」

 ルビーとルチルは恰も凍結したように暫く動けなかった。





 

 

 






              

               












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オブシディアン(王家の守り) 菊田 禮 @kurimusontaiga-4018

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