アジュは浮気の概念をおぼえた!

 いきなり背後から声がした。シルフィだと思う。思うけど振り返れない。なぜ振り返れないのかは、俺自身にも検討もつかなかった。

 なんとか思考をまとめよう。俺はベッドに腰掛けている状態だ。そしてベッド側から声がする。つまりこのままじゃ眠れない。


「アジュ……来ちゃった」


「完全にホラーの入り方だな。ちょっと怖かったぞー」


 いつもの空気に戻すため、茶化してみよう大作戦だ。ただし決して振り向かないようにね。


「アジュは……何か怖くなっちゃうようなことをしたの? わたしの声はわかるよね? わたしが来ると怖いの?」


「いや別にそんなことは……」


 急に背後にこられたら誰だって怖いよ。言わないけど。言わないほうがいい気がしているから、今はこの勘に従おう。


「ふーん、何か隠してたりしない? わたしたちにもしてないこととか、誰かにしてたりしないよね?」


 いつもの明るさが消えている。問い詰められている? 何かシルフィの機嫌を損ねたか。声のトーンが低いままで一定している。


「いや、俺は国王としてだな……」


「イズミちゃんと寝たの?」


「いや違うんですよシルフィさん」


 反射的に否定していた。なぜそうしたのかはわからない。だが俺の中の何かがそうしろと告げている。


「フランはフランなのに、わたしはシルフィさんなの? どうして?」


「ストップ、ストップだシルフィ」


 やべえぞシルフィさんのトーンが変わらない。助けて。この状況と解決方法がわからない。なぜこんなことに。


「今わたしのことさん付けで呼んだ気がする」


 怖いわ。耳元でささやくように話しかけられる。なのに密着してこない。なんだこの状況は。


「ずるい。わたしのほうがずっとアジュのこと見てるのに。ずっと一緒だったのに。一緒に寝るの我慢してたのに」


 なんとか空気変えよう。もう少しいつもの明るくて軽い雰囲気まで戻せばいいだけだ。やれるやれる。気持ちの問題だって。


「アジュはもう、わたしに飽きちゃったの?」


 めっちゃヘビィな質問きましたけども。なんだよ今どういう感情なの。


「質問の意味が……」


「意味がわかってるのはわかってるよ。アジュはね、わかってるのに無意識に選択肢から外すんだよ。けど逃さない」


 後ろから抱きつかれる。両腕が俺の胸に回され、がっちりとホールドされた。


「イズミちゃんと寝たんだよね? 何回寝たの? わたしより多いの?」


 刺激しないように、慎重に対応しよう。どう言えばシルフィが納得するのか大至急考えないといけない。落ち着け、こういう時こそ機転を利かせるんだ。


「イズミの匂いがするわ」


 イロハがベッドの匂いを嗅いでいる。なんだお前どっから湧いてきた。


「お前らどうやって来た」


「わしがワープもできんと思ったら大間違いじゃ」


 曖昧魔法万能やね。しれっとリリアもいるよ。全員来やがったか。


「リリアにつれてきてもらったんだ。アジュが他の子と寝てるから」


「人聞きの悪いことを」


「事実よね?」


「まあ、結果的には」


「アジュ、こっち座って。ここきて」


 ベッドの真ん中あたりを手でぽんぽんしている。行ったら抜け出せない気がする。けど逃げるのも違うっていうか、逃げられないよなこれ。


「これでいいか?」


「うむ、では聞いていくのじゃ」


 リリアが俺の膝に座り、背中を預けてくる。凄く自然に素早くやるよなあ。抵抗する時間がない。


「イズミと寝たのはどうして?」


「怖かったんだと。同門と戦うことになるかもとか」


 俺は説明というものが苦手だ。だがなんとかイズミの事情をかいつまんで話すことに成功したと思う。


「なるほど。自分の積み重ねてきたものが通用しないかもって、怖かったんだね」


「あいつ小動物っぽいからな。震えながらベッドに入ってきたし、なんか追い出せなかった」


「動物に優しいことが仇になったわね」


 別に性的な意味で見てもいないし、欲情もしていない。それは断言できる。ホラー映画見て一緒に寝て欲しい子供みたいだった。


「心情が理解できんわけではないが、複雑じゃな」


「アジュはそうやってすぐ浮気する。すぐ女の子といちゃいちゃする!」


「浮気ってなんだよ?」


「他の女と寝たのでしょう。いけない人ね」


 イロハに首とか肩を甘噛みされる。そんなに痛くないけど、これ狼の習性かなんかなのかな。お詫びに撫でてやると、少し静かになる。けど怒ったままだ。だってしっぽが揺れていない。


「これは浮気の概念をちゃんと理解しておらんな」


「そんなことある?」


「こやつはちょっと特殊じゃ。そこを教えなかったのはミスじゃな」


 やれやれといった顔でリリアが呆れている。こいつはこいつで怒っているようだ。声の高さと揺れに、細かい動きで理解できる


「よいか、わしらが知らん男と、えっちな理由がなくとも一緒に寝ているところを考えるのじゃ」


 急に妙な要求を叩きつけられたな。昨日の俺とイズミとは違うものをイメージするのだろうか。リリアがいて、知らん男が一緒に寝る。多分くっついて。


「あー……うわあ…………なんだこの気持ち……なるほど……これが浮気なの、か?」


 凄く嫌な感じだ。この気持ちを言語化できないし、単語も思いつかん。不快な何かが溜まっていく。俺の人生において、経験することのない感情が渦巻いていた。


「なんだこれ……?」


「本当に理解してなかったのね」


「だってモテたことないし、浮気するっていうシチュが存在しなかったんだよ」


 根本的に区別できていないのだ。だって経験ないもの。女と一緒になにかするっていうだけでも本来ありえないのに、そこから恋人とか浮気なんて概念に至る機会がない。


「これ浮気なのかなーっていう発想がそもそもできない。モテない男ってそういうもんだぞ」


「極端な経験不足から来る弊害じゃな。大切な人が存在していなかったから、それ用の対応と心が育っておらぬ」


 リリアが立ち上がり、俺を胸に抱いて頭を撫でてきた。すると妙な気分が消え、落ち着いて体を預けられる。


「よしよし、嫌なことは忘れるのじゃ。わしらが離れることはないぞ」


「落ち着いたから大丈夫だ。というかだな、浮気も何も、そもそもまだそういう関係じゃないよな?」


「恋人お試し期間なの忘れてるでしょー?」


「そういやそうだった」


 試験とか色々ありすぎて忘れていた。お試し期間っていつまでだっけ? なんか俺重要なこと言っていた気がするけど思い出せん。


「私達はアジュのことしか考えていないのに」


「悪かったよ。なるべく気をつけてはみるからさ」


 まあいいさ。浮気という概念は理解できた気がする。全部じゃないけど、なんとか学んでいくしかないだろう。発揮する機会がないほうが望ましいんだけどな。そんな感じで今回のトラブルも無事終わりそうだ。


「あとフランに何をしたの? くっつくって何?」


 終わっていませんでした。


「このくらい? このくらいくっついたの?」


 俺を抱きしめるシルフィの力が強い。今日はやたら積極的だな。また心配させたのか俺は。


「違うわこのくらいよ」


 イロハが逆方向から抱きついてくる。やはり力が強めだ。これは怒っていますね間違いない。


「張り合うな。遭難しかけたって言っただろ」


 仕方がないので全部話す。雪山で川に落ちたこと。救命行為だったことを説明した。下着でくっついたことは、隠すつもりだったのに言わされた。どうして気づけるのかわかんなくて怖い。


「ああしなきゃ俺も死んでいた。死なせるわけにもいかなかった」


「うーむ……事情が事情じゃな」


「これは仕方ないわね」


「死んじゃうのは嫌だよね」


 ここでちゃんと理解を示してくれるのは、素直にありがたい。基本的に賢いんだよな。なぜか今のような奇行に走るケースがあるけど。


「とりあえず一緒に寝ないのは理解した」


「こういうこともしちゃだめ。好きな人としかしないんだよ」


 三人で俺にくっついてくる。なるほど温かい。安心する匂いだ。やはりこいつらと他の人間は違うんだなあと実感した。


「こういう時は撫でればいいんだろ?」


 前に学習したので実行に移す。シルフィを撫でるのも慣れてきたな。


「ふへへー、もっとして。フランよりして」


 気持ちよさそうにじゃれついてくる。遊んで欲しい犬みたいなんだよなあ。かわいい。もっと遊んであげよう。


「よしよし、めんどくさいやつだな」


「そんなめんどくさいわたしを好きでいてください……」


「はいはい」


 シルフィの機嫌が治ってきたな。次はイロハをなんとかしよう。とりあえず噛んだり、噛んだところを舐めるのを止めるぞ。


「ほらもう噛むなって。俺が悪かったから」


「匂いが上書きされるのが辛いのよ。だから形を残そうと思って」


「舐めても残らないだろ」


「純粋に興奮するから舐めたいのだけれど」


「それは純粋ではないぞ」


 ピュアな人に謝りなさい。頭から背中までをゆっくり撫でてやると、少しだけ落ち着いたらしい。しっぽが軽く揺れだしたので、このままなでなでを続行する。


「最近アジュの供給が少ないわ。もっと我慢できるくらいに適度な報酬が欲しいのよ。決壊するまでが長くなるわ」


「全然わからん概念を持ち出すな」


「私達はいつも欲望に負けないよう、手を出さないように我慢して、気持ちに蓋をして生きているわ。けれど押さえつけているだけじゃ、どこかで破裂するの。だから細かく発散できるように管理しなきゃだめよ」


 体を擦り寄せてくるので、適度に撫でつつ話を聞いておこう。こういう場合はなにかしらのヒントを与えてくれているのだ。


「ある程度の要求には答えていくべきか。今までこんなことなかったよな?」


「今は不安定な状態じゃろ。仲がいいけど恋人ではない。一線は絶対に超えない。そんな中で新しい女が出るのは不安になるわけじゃよ。まして今は試験で物理的に離れておる」


 離れている時間が長いと会いたくなるまでは理解できる。ガス抜きを適度にやれというのもわかる。対処法が確立されていないけど。


「あとアジュが急にモテだしたからね」


「モテているわけじゃないだろ。遭難したら命をだいじにしないと死ぬし、イズミも恋愛を発展させるために来たわけじゃないぞ」


「下着でくっつくのを許す時点で、多少の好意はあるのよ。あと一緒に寝たら、そういうところから恋に発展しちゃったりするの」


 他人が俺に好意ねえ……想像できん。好かれる存在じゃないだろうし、こいつらがレアケースなだけじゃね?


「いやでも俺のこと好き? とか聞くのキモいだろ。どう判別すればいい? 思い上がって勘違いとか痛いから嫌だぞ」


「とりあえずベッドに女の子を入れない。キスとか下着で抱きついたりしない」


「それは理解できる」


「そうやって健全に接していれば、勘違いなんてしなくとも、何も発展せんじゃろ。普通に過ごせるのじゃ」


 好きかどうか聞く必要すらないほど健全に生きるわけだな。妥当な作戦だ。


「俺でもできそうだ」


「うむ、そういう気配りを考える時期じゃぞ」


 リリアが布団に入り、ごろんと横になっている。察したぜ。簡単じゃないか。俺も布団に入って横に寝ればいいんだ。


「こういうことだな?」


「そういうことじゃ」


 はい正解。これが経験と知恵だ。ここから撫でるし、軽く頭を抱いて引き寄せるという応用力を見せつけてやる。


「ほほう、行動力がついてきたのう」


 にやけ顔のリリアはレアでかわいい。もう少し髪を撫でてやろうではないか。応用力のついた俺をなめるなよ。


「女の子に手を出すなら、まずはわしらが優先じゃ。正式に付き合って、一線超えて、それでも余力が残っていたら、メンバーを増やせばよい」


「すげえアレな発言だな。増やさないから安心しろ」


「よーしリリアに続こう!」


「せっかく来たのだから、四人一緒に寝ましょうね」


「だと思った」


 夜遅いし、ここから帰れとは言わない。誘いに乗ってやるのもいいだろう。

 やはりこいつらだと寝ることに抵抗がない。むしろ落ち着く。


「アジュ、どうしても仕方ない時ってあると思う。仲間を救うために行動するのは止めないけど」


「そういうことがあったらちゃんと話して欲しいわ。そうしたら受け入れるから」


「隠れてやるのはいかんのじゃ。今のバランスを崩してはならんぞ」


「わかっている。悪かったよ」


 そういや朝あいつらが来たらどう説明すりゃいいんだろう。きっと明日の俺は言い訳を思いついてくれるだろう。心労が尋常じゃないため思考を放棄し、明日に願いをかけながら四人で眠るのであった。

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