冥府の支配者ヘル
逆さフウマ城の最下層。
今までの瘴気にまみれた場所とは違い。神聖な力に満たされた場所だ。
天守閣のはずなのに、全方位が木で覆われた窓もない部屋なのが気になる。
「あの中央にいる女が?」
「ヘルでござる」
広い部屋の中央。床に描かれた大きな魔方陣と大量の札。注連縄の先に、光る糸で縛られた女が居る。
顔の左半分を薄紫の髪で隠した、存在そのものが不吉な、嫌な予感を植えつける女だ。
「人間の女性にも見えるわね」
人間の女が座り込み、両手をだらりと左右に投げ出してうつむいている。そうとしか見えなかった。
「力も封印されておる。今は肉体の半分腐った、性根の腐りきった女でござる」
コタロウさんはヘルを全力で嫌っている。
まあ里侵攻からの世界を死者で満たす! とかやろうとすれば嫌うわなあ。
「あとはあれをどう殺すかでござる。封印を解けばほぼ不死の存在。かといって封印を破れぬ程度の力では、そもそも殺し切れぬ」
「ま、そこは俺の出番ですね」
『ソード』
ソードキーで出る剣に切れないものも、殺せないものもない。
「こいつならそのまま殺せます。この結界は踏み越えていいものですか?」
「失礼ながら、フウマ以外は触れるだけでも危険でござる。ううむ、お館様は不思議な力をお持ちでござるゆえ、何が起きるか想像もつきませぬ」
「いいですよ。慎重にいきましょう」
別に制限時間なんてない。ゆっくりでいい。結界から離れて作戦タイムだ。
「ご先祖様、ここに鬼が入ってこないのは何故です?」
「ここはやつらにしてみれば主の間。近づくことすら恐れ多く、それでいて自分の持ち場を離れるという概念も希薄なのでござるよ」
「入ってくる心配がなけりゃそれでいい」
眠っているように目を閉じた女。ピクリとも動かない。神話生物の一種であれば呼吸も不要。つまり心臓の鼓動なんかを確認しようとしても無駄。本当に生きているのかわからなくなってくる。
「結界はどうやって開くものなんです?」
「拙者のフウマ結界術とフェンリルの力を使って解除する。イロハ、合図と同時に結界に影を触れさせるでござる」
「わかりました」
結界の消し方はこれでわかった。後はコタロウさんとイロハの安全だけなんとかすればいい。
「ちなみに結界と紐は別でござる。あれは妻と同じ場所からもたらされたもの。結界を解いてもあれだけはヘルを縛る」
「結界を解いて首をはねる、が最適解かね」
俺が結界を無効化しながら中に入って殺すというのもありだが、剣が結界を切ってしまい、予測不可能な事態になるのを避ける。剣はなんでも切れすぎなんだ。
「これは……なに? 影が光っている?」
イロハの影が青白く光りだす。フェンリルの力だ。何度も見ているから間違いはない。
「この結界はフェンリルの力の半分とフウマの力を合わせたもの。力が呼応しておるのやも」
「半分? 聞いていないぞ?」
「私も知りません」
「妻の力は半分を封印に、半分を次代に受け継がせたのでござる」
そういうのは最初に聞きたかった……ってことはフェンリルにはまだ強くなる余地があるってことか。
なんとか手に入れよう。俺が楽できそうなら取り入れる。
スローライフは仲間を強くすることでより充実するわけだな。
「結界を解きましょう」
「いけるか?」
「方法はここに来るまでに教わったわ」
「うむ、お館様は後方へ」
二人が印を結び、影が結界へと伸びていく。
やがて結界が青白い光で染め上げられた。
「ちょっと綺麗だな」
周囲を警戒してはいるけれど、ヘルは動く気配が無い。
なんとなく結界を見てみる。魔方陣のように図形ではあるが、所々に文字が使われていることがわかった。これ漢字だ。漢字やひらがなの文章になっている気がした。
「第一段階解除。暴れる気配もござらんな」
何重にも描かれた結界が、外側から順番に光っていく。
それは幻想的で、しばらく見とれていたが同時に違和感もあった。
「なんだ……なんだこの感じ?」
「結界は後二つ。お館様準備を」
「ああ、わかった」
結界に歩み寄り、ヘルの近くの文字が照らされている。ヘルの右手で隠れていた部分だ。
それは縦書きで、他の文字とは何か違う気がして……無意識に書いてある文字を読んでいた。
「フェンリルの力を奪い取る能力?」
俺が言葉にするのと、文字が光るのは同時だった。
「止まれ!! なにかおかしい!! 結界を張り直して……」
「なっ!? 影が!?」
イロハの足元の影が青く発光し始める。明らかに異常な光り方だ。
「イロハ!!」
倒れそうになるイロハを抱きとめる。
イロハに影がない。影を抜き取られた?
「イロハ!? おのれヘル! イロハになにをしたでござる!!」
影は紐をすり抜けて、ヘルの中へと誘われた。
イロハは目を閉じているが呼吸はしている。死んではいない。だが動かない。目を開けない。
「クックキキキキ」
初めてヘルが動いた。自分を縛る糸を掴み、笑いながら立ち上がる。
言い様のない不快感と苛立ちが襲う。
「イロハに何をした!!」
コタロウさんは、瞬間的にヘルに向けて飛び出していた。
「クカカカカカカカ!! この時を待っていた!」
紐は俺とコタロウさんを縛るように、ヘルの壁になるように襲い来る。
「馬鹿な!? 紐がヘルに操れるはずがない!!」
「クキャキャキャキャキャキャキャ!! 哀れなりコタロウ! 愚かなりフウマ!」
紐が神聖な力を放ち、俺とコタロウさんを縛り付ける。
だが問題ない。その神聖さこそ、切れるという証だ。
「調子に乗るなよ!!」
紐は剣により糸くずになる。あいつに好き放題はさせない。
「何者だ貴様? 長年妾を縛り付けておった忌々しき封印を破るとは」
イロハは俺の腕の中だ。あまり無茶はできない。どうする?
「これから死ぬやつに名乗る名前なんざねえんだよ!!」
「ヘル! 覚悟!!」
コタロウさんが飛び出し、ヘルに切りかかる。
刀は見事、ヘルの脳天に突き刺さった。
「コタロウ。おまえは簡単には殺さぬぞ」
ダメージゼロ。確実に刀がヘルの頭部に刺さったのを見た。現に刺さっている。
「こいつ……本当に不死身か」
ヘルの右手から生み出される爆炎を避け、俺と並ぶコタロウさん。
「やっぱこいつで斬らなきゃダメだな。ちょっとだけイロハをお願いします」
楽には殺さない。だがまずはイロハだ。コタロウさんにイロハを預ける。
「死んでいるわけじゃない。ヘルに力が奪われただけでござる」
よかった……張り詰めていた何かがゆっくりと緩んでいく。
心の底からほっとしているこの気持ちは……リリアが危なくなった時と同じだ。
あの時もそうだった。俺の中から何かが抜け落ちていく感覚。
「そうか……大切なんだな……俺は……」
理解したら頭が冷えた。よしよし冷静になってきたぜ。
少なくとも俺はイロハが大切なんだ。
失うのが怖かった。こんな腐りかけ女のせいで失われていくことが気に入らない。納得いかない。
「気付かせてくれた例だ。できる限り屈辱的に、醜く無様な死を与えてやるぜ、ヘル」
「無駄じゃ。何をしようが手遅れじゃ。愉快よの……これより妾の世界が始まる。新世界の創造が、今この瞬間から始まるのだ!!」
ヘルの右手には大きな……筆か? 黒い筆だ。それを高速で動かし空中に文字を書く。
『ヘルの地獄を呼ぶ能力』
尋常ではない揺れが起きる。常人には立っていることすらできない。
「地震? こんな場所で地震だと?」
「その筆……まさかヘル! 影筆の術を!?」
影筆の術? あの筆が術? フウマの忍術を使えるってことか?
「なんだか知らんが、お前が死ぬことに変わりはねえな」
ヘルに肉薄して足元から剣を振り上げる。回避行動をとろうとしているが、俺のほうが早い。
前髪と顔をがっつり切り裂いてやった。
「妾の髪が……」
二発目を入れようとして見てしまった。髪で隠された奥の顔。青く変色し、腐った左半分の顔を。
「見たな……妾の顔を!!」
醜く歪んだ顔は、ここまで倒してきた鬼と同じように思えた。それがキモくてちょっと止まる。
「もう二度と見ることはねえけどな!!」
ヘルを真っ二つに両断した。手ごたえ……なし?
切り刻んだヘルの中から一瞬だけ文字が見えた。
『幻影を作り出す能力』
気に入らない。この文字も斬っておく。
「逃げ……るわけねえか。なんかの時間稼ぎだろう」
俺の質問に答えるかのように部屋が吹き飛んだ。
『エリアル』
近くに居たコタロウさんと魔法陣の足場を作る。イロハを抱えていてくれるだけでありがたい。
どうやら天守閣はかなり上にあったようだ。地面までが遠い。飛べてよかったよ本当に。
「これは…………これが地獄か?」
眼下には氷と土と草花で構成された大地が広がっていた。
俺は鎧のおかげで少し涼しいくらいだし、寒ければその寒さすらカットできる。
だが生身のイロハには寒すぎだ。フェンリルの加護もない今のイロハでは一時間も待たずに凍死してしまう。
『ガード』
ガードキーで薄い魔力の膜を張って保護してやる。
薄くても強力だし、コタロウさんが抱えるにはこっちの方がいいはずだ。
「ここが妾の世界。新たなる世界の始まりの場所。ついに、妾はフェンリルとフウマの極意を手に入れた!」
氷でできた祭壇の上でもう勝った気でいやがるヘル。
「お館様。お待ちください! あれは影筆の術! あれを使えるということは、今のヘルは全知全能の神に近づいております!」
「それがどうした」
関係ない。つまり簡単には死なないんだろ? 一発殴って死なれても俺は納得できない。
徹底的に叩き潰す。フェンリルの力も取り戻す。俺の手は二本あるんだ。両方こなす程度やってみせるさ。
「いくぜヘル。ここよりもっと凄惨な地獄を見せてやるよ」
この氷の世界を、あいつだけの地獄に染める!
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