新しい家と入学式

「んう……ねむ……」


 ふかふか布団の中でぼんやりと呟く。もうちょい寝ててもいいじゃないか。

 布団を頭までかぶり直す。陽光なんぞ二度寝したい俺にとっては降り注ぐだけ迷惑だ。


「んにゅう……できれば昼まで寝たいのう……」


 女の声がする。完全に同意しよう。

 いいじゃないか昼まで寝てても。惰眠を貪る、なんて有意義な時間だろう。


「まあよい、そろそろ起きるのじゃ、アジュ」


 アジュ、と呼ばれた。心臓が跳ねる。俺の名前、新しい名前。

 指先で目やにを取りながら上半身を起こす。


「お前、なんで俺のベッドに……とりあえず起きろ」


 夢じゃなかった。掛け布団をめくると、俺の横で丸まって眠るリリアがいる。

 なぜか全裸で。


「お前はなんで服着てねえんだよ!」


「んー別によいではないか。見たいじゃろ? 見たければ見たいですとはっきり言うのじゃ」


「いらんわ。前を隠せ前を」


 見たいと言うのは今後の生活に何一つプラスにならない。別に見たくもない。


「情けないやつじゃのう。ほれ、もう着替えたのじゃ」


 いつの間に着替えたのか、リリアは学校の制服のような何かに着替えている。


「お前はどうして俺のベッドにいたんだよ?」

 

「わしはこの世界の案内人じゃ。おらんでどうする」


「マジで異世界なんだよなあ……なんとも妙なことになったな」


 ようやく思い出した。全力全開でインドア派の俺は、森を歩いているだけで疲れ果てた。

 そしてリリアに案内された家で、ろくに説明も聞かず寝てしまったんだ。


「マジじゃ。ここではおぬしは勇者様候補じゃ……ふあぁ……」


 本当に異世界に行けるのか半信半疑だったけど、あんなことの後じゃなあ。


「でかいあくびだな。あーあーヨダレ出てるし」


「にゅおお……いかん、わしのかわゆい顔が台無しじゃ」


「あと布団に入られると困る。すげえ驚いたわ」


 女の子がいる意味のわからなさと、自分のベッドに他人がいることにビビる。


「耐性をつけてやっとるだけじゃ。どうせ手を出す度胸などないじゃろ」


「ぐうの音も出ないとはこの事だな」


「唐突におぬしの外見チェーック。一回ちゃんと見ておくのじゃ」


 リリアが扇子を開くと、目の前に鏡が現れる。

 空中で静止している鏡に写る俺は見慣れた黒髪黒目、だが髪がスッキリしていた。


「なんかさっぱりしてるな」


「ああ、転移するときの力をちょいとばかし拝借して体を少し弄ったのじゃ」


「少しだけか」


「少しだけ変えて、自分自身のままモテモテになる方が気持ちいいじゃろ?」


 中々俺のツボを抑えてくれるじゃないかこいつ。

 完全に顔を変えてしまうのは整形手術みたいでちょっと気が引ける。


「まず邪魔な前髪をバッサリ切った。横は耳が出る程度に切り、後ろは刈り上げない程度にしてある」


「美容院とかで雑に注文するとそうなるな」


「十五歳まで若返らせて、ほくろを全部除去して顔をシュッとさせて、ヒゲを剃る」


 これが魔法の力か。便利にも程ってものがあるな。


「思った以上にスッキリしたな」


「もうちょっと筋肉つけたほうがよいのじゃ」


「インドア派なんだよ俺は」


 俺の膝の上に座り、二の腕とか触ってくるリリア。

 女の子に触られた体験がない。どうしていいのかわからんな。

 朝っぱらからいい匂いさせてんじゃねえよ困るだろ。


「そうだ、ここ俺が部屋なんだったか?」


 ぐるりと部屋を見渡し、わかることは昨日寝た部屋だということ。

 二十畳くらいか、白い壁に覆われたそこそこでかい部屋だ。

 朝日が差し込んでいるベランダからの景色を見るに、少なくともこの部屋は一階じゃないな。


「ここはおぬしの新しい家じゃ。この学園内にある。寮暮らしではハーレムが作れんじゃろ」


「家もらえるっておかしくないか? ハーレムも作れる気がしないしさ」


「おぬしは突然転移したわけではない。わしがこの世界に招待したのじゃ。招待客に住むところも与えず、なんの準備もプレゼントもなしというのは礼節に欠けるじゃろ」


「その結果が超パワーの装備とでかい家か。まあ、ありがとな」


 鎧の力は確認できたし、元の世界も嫌いなので、この待遇は非常にありがたい。

 なぜここまでしてくれるのか知らないけれど、お礼は言っておこう。


「とりあえず入学式じゃ。諸々の手続きはしてある。ちゃきちゃきいくのじゃ」


「この世界がどんなか知らんが、生活するための金も無いぞ」


 展開が早すぎてついていけない。テンポ良すぎるのも混乱するわ。


「出世払いでよいぞ」


「ヒモ野郎みたいだな」


 出世払いって返すイメージがないな。


「生活だけでなく、能力や外見まで面倒みてもらう。新時代のヒモじゃな」


「新たな時代の担い手か……罪悪感しかないな」


「あったのじゃな……罪悪感」


「俺も驚いているよ。女の子に貢がせるってもっと気分がいいもんだと思ってた」


 リリアがちっちゃいから余計に罪悪感が凄いな。


「コメントに困るわい。勇者の発言ではないのじゃ」


「勇者ってのがまずピンときませんけど?」


「それも授業でわかる。今は入学式じゃ。ほれほれベッドから出た出た」


「お前がどかなきゃ出られないって。とりあえず膝からどいてくれ。」


 ベッドから体をもそもそ動かす。俺が体を動かすと、横にどいたリリアも合わせて動く。

 ちょっと可愛いとは思うけど口には出さない。俺のキャラじゃないし。

 俺のキャラってなんだと言われれば、もちろん童貞非モテだ。


「ってベッドでかいなおい!?」


「すごいじゃろ? 『力士が四人でいちゃつけます』がキャッチコピーじゃ」


「それ考えたやつ馬鹿だろ!?」


 プレゼンどうやって通したんだろう。


「四人の力士が寄り添って眠る写真が公表され大不評じゃった」


「えぇ……誰か止めてやれよ」


「それは流石に冗談じゃ。しかし……」


 扇子で口元を隠しながらも、ニヤけた口の端が見えている。

 邪なことを考えている時のクセか?


「複数の女の子を連れ込むなら広いほうがいいじゃろ?」


「この俺にそんな甲斐性を求めるとは……人を見る目というものを養うんだな」


「女の子絡みだと、卑屈じゃのう」


「そもそも女に手を出したりなんぞしない」


 出す度胸もないし、俺がそこまで好かれるとは思っていない。


「いやいやちょっと考えてみるのじゃ。まず十人くらいの尻が並んでおると仮定して」


「まず仮定ぶっ壊れすぎだろ」


「では、壁に十個の尻が嵌っておるとして」


「さらにぶっ壊してどうする!」


 それもうエロじゃなくてホラーだろ。


「異世界さんなら……それでも異世界さんならなんとかしてくれる……はずじゃ」


「異世界さんへの期待値高いなおい。お前の中で異世界ってなんだよ」


「そらハーレムできる心のオアシスじゃろ」


 十人の尻や胸が並ぶ部屋は心のオアシスにはならないと思うよ。

 こいつの倫理観がちっともわからん。


「それでも手は出さないぞ」


「迫って来る美少女に手を出さんと?」


「最悪、うつ伏せになって寝たフリするさ」


 絶対にない状況だが、数え切れないほど考察してある。

 迫る女に対して、これが俺自身にできる精一杯だ。


「女に恥をかかせまくりじゃな」


「男は何で恥かいていいんだよ。女だけずるいだろ」


 この辺がモテない秘訣である。こういう事に納得がいかなくて、女にいいイメージがない人もいるだろう。

 小さなことからコツコツ童貞拗らせたさ。


「恥かかせたら、プチ復讐になるとか思っとるな?」


「正解。そして唯一のモテチャンスも逃すだろう。でもそれでいい」


「意識改革からじゃなこれは」


「うっせ、それよりさっさと行こうぜ」


 リリアが扇子を閉じると俺の服が白を基調とした制服に変わる。

 ブレザーっぽいな。紺のズボンに、白い上着。シンプルでいい。

 長袖でネクタイはなし。そもそも存在していないらしい。


「それが制服じゃ。入学すると一着貰える。購買でも売っておる」


「動きやすくていいな。何から何まですまない。助かるよ」


 お礼はちゃんと言っておこう。口に出す。心の中で終わらせない。

 でもこいつは何で俺にそこまでするのだろうか。

 俺自身の価値なんてゼロどころか、今なおマイナスだろう。

 勇者候補というものはそれだけ価値があるのかね。


「それもよいか。ああ、それと気づいておるか?」


「何にだよ?」


「初対面の時より、砕けた口調になっとるぞおぬし」


「どうかな……俺にはわからないさ」


「わしに気を許しておるということじゃな」


「女を本気で信じたりはしない。認めない。お前の気のせいだ」


「ほいほい、ならば信じさせるだけじゃ」


 この話題は分が悪いのでおしまいだ。

 部屋を出て歩き出す。後ろからリリアがついて来る。


「俺は……アホなのか……」


 部屋を出て十分くらいして知らない場所しかないと気がついた。

 異世界に来て浮かれすぎた。リリアも途中で教えてくれよ。


「おおぅ、ここにアホがおるのじゃ」


 リリアの呆れた視線が痛すぎる。

 中庭っぽい場所で黄昏れる迷子の俺に、リリアという救世主が!

 助けられる側かよ俺。もっとこう女の子がピンチだから颯爽と助ける的なさ。


「きゃああああぁぁ!!」


 そうそうこんな感じの悲鳴あげて。

 今都合よく上から落ちてきそうな娘さんとかね。


「……うえぇ!?」


 屋上の柵が一部壊れて落下している。

 後を追うように、今にも落ちそうな女の子。

 おいおいどうすればいい。ここから上に行ったんじゃ間に合わないぞ。


「さっそく出番じゃな」


 そう言うと、リリアは俺の左手を取り腕輪の宝石の部分に、鍵を差し込む。


『ヒーロー!』


 俺の左腕あたりから声が聞こえる。あの時の鎧だ。

 そして頭が女の子を助けるという想いに支配されていく。こんなの俺の考え方じゃない。


『ソニック』


 またリリアが何かした。それが何を意味するのかが、漠然と頭に流れ込む。

 あまりにもゆっくりと、スローモーションのように落ちてくる女の子。

 壁を駆け上がり、落ちてくる赤毛の女の子を抱きとめる。


「よっと。ケガはないな」


 屋上まで飛び上がり、無事を確認して女の子を降ろす。

 そこで女の子と目が合う。おかしい、スローな世界で俺を認識できているはずがない。

 なのにこの子は俺と目を合わせている。


「もう落ちるなよ」


 聞こえているかわからないがそれだけ言って去る。

 近くにはこちらへ駆けて来る姿勢で止まっている女の子がいた。

 このパーカー着てる子は友達だろうか。

 必死な表情から、この子を心配していることが伺える。


「…………こいつら昨日の連中か?」


 屋上から飛び降りる。衝撃はない。そして世界が元の速度に戻る。

 ソニックキーは世界を遅くして、俺だけがその中で加速するキーだ。

 役目を終えたと言わんばかりに、体から光の鎧が消える。


「無事か。こんなことで少女の命が失われるのは惜しいからのう」


「おい、勝手に鍵を……」


 使うなよ、と言おうとしたところで鐘がなる。

 知らないけど、授業のチャイム的なやつじゃないのかこれ。


「急がねば入学式に遅れるのじゃ。このままでは悪目立ちするぞ」


 それだけは避けよう。異世界で常識もなく、知り合いもいないまま、悪目立ちは自殺行為だ。


「今度ははぐれないようについて来るのじゃ」


「悪かったよ。それじゃ、案内よろしくな」


 とりあえず入学式には遅れなかった。

 あらゆる分野の達人育成のための学園、ブレイブソウル。

 超有名な勇者様と仲間達が、次代を担う人材育成のために作ったらしい。

 やたら豪華なホールに集められた新入生は、退屈そうに学園長の話を聞いている。

 元の世界ではありえない髪の色をした生徒が珍しく、異世界に来た実感が沸く。

 出身世界なんて別に好きでもない。絶対に戻りたくない。今この時に忘れよう。

 そして入学式は滞り無く終わる。


「さ、勇者科の教室に行くのじゃ」


 廊下で自然に手を握ってくるリリア。

 俺より小さくて柔らかい手がぎゅっと掴んで引っ張ってくる。

 不思議な気持ちのまま、俺達は教室に向かうことになった。

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