第3話 かなしいえがお
その日の深夜、ホズは全身が焼きつくような激痛に襲われ、目を覚ました。それは内側から侵食していき、何者かが体の中を突き破ろうかと暴れているようなものだった。声にもならないうめき声をあげ、ベッドの上でもがき苦しむ。ホズにはそれが永遠の時間のように思えた。この痛みが止まるときには、自分の生命も一緒に終りを迎えるのではないかと。
やがて痛みは引いた。
ホズは肩で息をする。痛みはまだじくじくと疼いていた。
従者があわただしく館を走りまわっている音を朦朧とした意識の中で聞いた。どこか遠くのことの出来事のように思えた。
重たい腕を持ち上げて己の身体をゆっくりとさする。どこにも新しい傷の感触はない。ホズはこの痛みを知っている。ずいぶん昔。まだ、目が見えていた頃と同じものだ。それは視力を失ってからはなくなり、今の今まですっかりと忘れていた。
(バルドル、お前はこれ以上ぼくから何を奪うっていうんだ……)
ドアが叩かれる。
ホズ様、と声がかかると同時に扉は開かれた。ホズはその無礼な行為を咎めず、生きてるよ、とだけいった。声の主を知っていたからだった。
「フッラ、君はフリッグの侍女でしょ」
「私が貴方の心配をしてはいけませんか?」
フッラはホズの居るベッドに静かに足を進める。いいですか、と尋ねてからそっと彼の手に触れた。それからゆっくりと握る。自分より小さな手を。まるで自分が傷ついたように辛そうに顔を歪めて。
「貴方は私がお仕えするフリッグ様の実の子です」
「フリッグの子供はバルドルだよ」
ホズはフッラに顔だけ向けて、無感情にいった。いつの間にか息も整い、痛みも消えていた。
「そんなっ……」
「君はフリッグのお気に入りだ。わかるだろう? 彼女のバルドルへの愛は異常なほど深い。いや、彼女たち、といったらいいかな。オーディンもそうだ」
「それじゃあホズ様があんまりです」
「めったなこというもんじゃないよ。フッラ。フリッグの侍女という立場を忘れるな。誰が聞いているか分からないんだ。他人を蹴落としたいやつなんていくらでも居る」
フッラはまだ何か言いたげだったが、ホズがそれを許さなかった。
「お怪我は」
「ないよ」
「え……?」
信じられないと彼女は目を丸くした。ホズに許しをもらい、身体を調べる。あちこちに残る古傷を見て、彼女はまた心を痛める。しかし、目はそらさなかった。自分はきちんと見なければならない。そう思ったのだ。
「本当にないわ」
彼女は戸惑う。
けたたましい足音で、彼女は我を取り戻した。
その足音は部屋の前で止まり、ドアを叩く。フッラは扉を開けた。
「フッラ様、伝令です」
静かに扉を閉めて外に出る。
扉をきちんと閉めてから、言いなさいと彼女は言った。
「バルドル様はどこもお怪我をなされておりません」
「何ですって」
「はい。時間も遅いので、直接様子を伺いすることは出来ませんでしたが、お部屋におられましたし、変わった様子もないようです」
「……わかりました。下がっていいですよ」
伝令を帰らせ彼女は再び部屋の中へと入る。
「フッラ」
ホズは彼女の不安を感じ取ったのか、やさしく彼女の名を呼んだ。
「まさか……。まさか、バルドル様、また、ナンナ様のときみたいに……?」
ホズはフッラの言葉に笑みで答えた。見ているほうがなきたくなる、悲しい笑顔。
ナンナ、とホズはもらした。それとともに昔の感情がほろり、ともれる。彼はひそかに思いを過去に馳せる。しかし、どんな楽しい記憶も今は全て悲しみにしかならなかった。
過去の積み重ねが、今を作る。
時間というものは一枚岩だ。決して、断片的なものではない。
己の目が見えなくて良かったかもしれないと、ホズは思った。
ナンナ。彼女をもう一度目に映すのはつらすぎるからだった。
北欧神話は語られない エイカ @eika
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