第2話 きみのたくらみ
「ホズ、目が見えるようになりたいとは思わないかい?」
突然ロキがそう言った。
ホズは驚いたが、すぐに平常心を取り戻した。ロキの云うことはいつだって突然でとんでもないことばかりだったからだ。
ロキは神界のトラブルメーカーである。退屈が死ぬほど嫌いで、いたずら好き。自分が面白いと思えば何でもやる。後先なんて考えもしない。今が楽しいかどうかだけが重要なのだろう。そういう神だった。
ホズの館にロキが訪ねてきていた。こうして、二人で話す仲になったのもロキによる気まぐれがもたらした結果である。昔は面識こそはあるが、私用では会話したこともない、その程度の知りあいだった。たとえ回廊ですれ違っても互いに声をかけることもなかったのだが、ある日突然、ロキはホズに声をかけた。その時のことを振り返っても、ホズは未だにロキの意図が分からないままで、不思議に思っている。
ロキはトラブルメーカーでこそあるが、人を惹きつける魅力がある。ホズはもう見る事はできないのだが、ロキの容姿が男とも女とも見える中性的で美しい顔立ちであり、恋情の噂も絶えないことはよく耳にしている。
さらに、性格も剽軽で、会話するととても楽しいのだ。ホズはそんな人気者と、神界でやっかいものである自分自身とはとても釣り合わないとずっと思っていた。
「ねぇ、どうなんだい?」
「えっと……」
突拍子もない発言で暫く黙り込んでいたホズに、ロキは痺れを切らしたのか、再び尋ねた。
(今更目が見えたところでどうする)
ホズは心の中で毒づく。
彼は目が見えない。しかし、生活には困っていなかった。従者もたくさんいるし、長い間そうやって過ごしてきたからだ。
さらにこれは予想外の副産物なのだが、五感のうち一つを封じる事で己の力が高まっていたのだ。ホズは戦の神であり、生まれながらにして力が強い。その力が視力を失ってから大きくなっていた。現在はあまり使いどころがないが、それでもないよりはある方が良い。
ホズとしてはここで怪しげな提案に乗るよりは現状を維持していた方が良いといった具合だった。
「そりゃあ見える方がいいけど……」
ホズは言葉を濁す。
ロキの思惑を図ろうとしていた。
「だよね!君ったら僕の顔を長い事見てないしさ。稲穂のような美しい基金の髪。長い睫毛。知性をひめた瞳は光の加減で何色にも輝く。こんな美形とお話しているのに、目にする事ができないなんて、君はなんて可哀想なんだ!」
ロキはそんなホズの思考を知ってか知らずかべらべらと言葉を並べる。
ホズは力が抜けた。ロキはと言えば、胸を張って自信満々である。
ホズは小さな怒りを覚えた。自身の“目”の話題を出すものだから、身構えていたのだ。しかし、聞かされたことと言えばナルシストの自画自賛であったのだから、無理はない。
「三代美形にも入ってないのによく言うよ。知らないの?君はただのおかまだって、陰口言われているのを」
「それはモテない男どもが喚いているだけだろ。中性的だと言ってほしいね。それに男は完璧すぎない方がモテるものさ」
仕返しのつもりも含んでいるのだろう、多少棘のある言い方であったのだが、ロキには通じないようだった。かといって、ふざけてもいない。本気でそう思っているような口ぶりだ。おそらく、自分の魅力によほどの自身があり、他人からの評価も受けなれているのだろう。
そう、ロキの美しさは本物だ。
彼には独特の魅力がある。華奢だが、無駄のない筋肉が付いていて、背は高く足が長い。容姿は整っているのだが、どこか妖しさを秘めており、艶やかである。そのアンバランスが彼を惹きたてていた。
ロキがこの神の国、アースガルドにやってきて神々の仲間に加わったのは、ホズの視力がまだ失われていない頃であった。だからこそホズはその無神経さに腹が立っているのだ。詳細までは知らなくとも、この話題に簡単に触れていいものではないことをロキは知っている筈だからだ。
そんなに簡単に視力が回復するのならとうの昔に治療している。ロキは今度はいったい何を企んでいるのだろうか。聞いたら巻き込まれるだろうと考え、ホズは自分から話題を蒸し返すのはやめた。嫌な予感がしたのだ。
「まあいいけど。奥さん居るんだから慎もうよ」
ホズはため息をついて、当たり障りのないように受け答える。多少の腹立ちはこの際我慢したようだ。ロキに向けたところで意味がないということは重々承知だった。
「相手から僕を求めてくるんだからしょうがないよ」
「はいはい。じゃあぼくはそろそろ休むから…帰ってくれないかな。自慢話はたくさんだ」
ホズはロキを手で押して帰るように促した。
その手をロキは握って、先ほどまでのおどけた口調とは変わって、真剣な声色で言葉を発した。
「待って」
その空気をホズは感じとる。
ロキはそれを話を続けて良い合図だと捉え、話を続けた。
「目が見えるようになりたいんだろ」
「……どちらかといえば見えた方がいいよ。でもぼく目がつぶれてるんだよ。治しようがないと思うんだけど」
「人すら作れる神が、眼球くらい作る方法はあるだろ」
確かにそうだ、とホズは思った。しかし素直にロキに耳を傾けはしない。探るように言葉を慎重に選んでいく。
「ロキは何を企んでいるの? ぼくは巻き込まれるのはゴメンだからね」
「僕は何も企んでないさ」
心外だとロキは白々しく言った。ホズは顔にこそ出さなかったが、非常に不愉快だった。散々人の心をいたずらに荒らしたくせに自分の手の内は明かそうしないところが気に食わなかった。
「近頃、退屈でね。思い付きだよ」
ホズはなんとなく腑に落ちなかったが、それ以上ロキは何も言わないことを知っていた。種明かしをするペテン師などいない。
「ね、僕が君に世界を見せてあげる」
「……好きにしたらいいよ」
そういう口説き文句はご婦人にしてこそふさわしい。ホズは彼の言葉がひどく陳腐なものに思えて仕方がなかった。
世界ならとうに見ていた。楽園に隠されている、世界の真の姿を。
ホズの表情が、醜くゆがんだ。ロキはそれを決して見逃さなかった。
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