第2話四川省ロマンティック

 世の中が勝手に俺を香港へと連れて行ってくれる。

 日本をってからというもの、俺は、俺の行動がすべて周りのお膳立ぜんだて通りであるような気がした。決して他力本願たりきほんがんというわけではないのだが。

 とはいえ明日どうなるのかまったくわからない。俺は日本を捨てたことにあきらめはついていたが上海の生活に不安も感じていた。俺たちは着の身着のまま外国行きの船に乗ったに等しい。上海の人たちが何語をしゃべっているのかさえ俺は知らない。中国語? 広東語かんとんご? 俺は英語すらおぼつかないというのに。

 俺と真帆は海に浮かぶ大型フェリー船の甲板かんぱんの上でギラギラ太陽の下、まだ見ぬみやこへと向かっていた。

 さぁ、どうする?


「俺が大御所おおごしょだったらよかったのに」

 俺のつっこみ待ちのキャラも手伝い、真帆にぼやいてみせた。そう、俺が大物芸能人だったら真帆との件も表に出る前にもみ消せたに違いない。たまたま超メジャーな真帆とのロマンスで日本全国に知れ渡ったが、そもそも俺は騒がしいバラエティー番組に人数合わせで呼ばれるようなうだつの上がらない三流芸能人である。


「はいはい、もう気持ち切り替えてください」

 真帆の言い方はまるで飼い犬のしつけだ。

「これからどうする?」

 俺は不安を隠せない。

「一ヶ月くらい上海観光しよう」

「それから?」

「ちっちゃい男だな、もっと気を大きく持てよ」

 たいした度胸どきょうだ。今の俺たちの立ち位置は理解しているのだろうか。日本を脱出したのはいいが今現在放浪ほうろうの旅も同然である。

「上海で一ヶ月遊んだあと我われは四川省しせんしょうの山奥へと向かいます」

「なにそれ?」

「そこで中国人の友だちから東京ドーム7個ぶんの土地を借りる予定です」

「はぁ!?」

 驚愕きょうがくの事実である。驚きと同時にあくまで無邪気むじゃきな真帆に腹が立つ。


「坊や、大規模農業でもやるか?」

「あのさぁ、俺たちが上海行き決めたの昨日だよね?」

「今はこれがあるからな」

 真帆は俺にスマホをかざした。日本で使ってるものより少し大きい。

「……私はもう日本の銀行に預けてたお金、全部中国に移したぞ。いちいちあっちから日本にアクセスするの面倒だし」

「なんなんだ、一体」

 ちくしょう、見渡す限り海かよ。俺が抱えている悩み事などおおかまいなしだ。波はおだやかだがこれでも地球上をダイナミックに対流しているのだ。船はそれを切り裂くように上海へと向かっている。海風が強い。しおの香り。

 

「日本はどうする?」

「そこは一つ……無視で」

 俺は真帆のさりげないもの言いにため息をついてしまった。重大発言だというのに。

 この女は昔からこうだ。以前、ある衆議院議員のパーティーに呼ばれたとき、公衆こうしゅう面前めんぜんで議員本人に「もう私に声をかけるな」と言ったらしい。その議員は彼の女性事務職員に対するセクハラ問題でマスコミをにぎわせていた男だったからだ。の強い議員ははなぱしらをへし折られ、恥をかいた。真帆をなめてかかると痛い目に遭う。それが周りが下した真帆の評価だった。


 ちくしょう、こいつにはかなわん。

 俺はスマホをいじる真帆を横目で見ながら地団駄じだんだんだ。

 「落ち込んだら空を見ろ。誰でも同じ空の下生きている。皆平等なのだ。重大な悩み事も実は些細ささいなことなのだ」

 これは、関係がラブラブだった頃、俺が当時の妻に言ったロマンティックなセリフ。

 俺は所どころにぽっかりと雲が浮かぶ青空を見上げた。皮肉な展開だ。そして一瞬だけ真帆と元妻を比べ、すべて受け入れるしかないと観念かんねんした。


 もう戻れない。四川省が俺たちを待っている。

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エスケープ Jack-indoorwolf @jun-diabolo-13

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