第21話 フォルテ、屋敷に戻る

「お姉様、戻られてからずいぶん沈んでおられるみたいだけど、何かありましたか?」


 ピアニシモは今日はフォルテが戻って気分が落ち着いたのか、ベッドに起き上がっている。

 三日の不在にずいぶん心を痛めたようだが、今は安堵の表情を浮かべていた。


 しかしそれとは正反対にフォルテはひどく沈んでいた。


「ゴローラモがいないの……」


 妹のピアニシモにだけは、ゴローラモの事を話していた。


「ゴローラモが? 

 それはこの三日の不在と関係あるの?」


 しかし、王宮にさらわれていた事は内緒だ。

 これ以上心配させて心労をかけたくない。

 占い師の仕事が忙しかったとだけ伝えている。

 それを証明するように50000リコピンもの大金を持って帰ってきた。

 しかし、その多過ぎる大金にピアニシモは逆に不安を滲ませた。


「お姉様、何か危険な仕事をなさってるのではないでしょうね?

 私のためと思うなら、どうか危ない事はしないで下さい。

 私はこうしてお姉様と静かに暮らせるだけで充分なのです」


「大丈夫よ、心配しないで。

 とにかくこのお金があれば、偉いお医者様に来てもらえるわ。

 さっそくピッツァに頼んでお医者様の手配をするから待ってて」


 フォルテはこれ以上追求されないように、早々に部屋を辞した。

 そして言葉通り、ピッツァにお医者様の手配を頼もうと厨房に向かった。


 ◆    ◆



 ピッツァは厨房でたくさんのトマトに囲まれて紙に何やら書き込んでいた。


 昨日ラルフ公爵のサロンの近くまで迎えに来てくれたピッツァは、フォルテを連れ帰った後再びサロンに行って大量のトマトを持ち帰っていた。

 宰相は意外に気前のいい男で、後宮で着ていた青のドレスを装飾品もひっくるめて手土産にプレゼントしてくれた。

 それらの荷物に紛れてトマトも怪しまれる事なく持って帰る事が出来たのだ。


「さっそく研究してるのね」


 フォルテが厨房に入ると、ピッツァが途端に笑顔になった。


「フォルテ様、ゆうべはよく休まれましたか?」

 ピッツァもこの三日間、生きた心地がしなかった。

 ピアニシモとは別に、ピッツァには事情を詳しく書いた手紙を渡していた。


 だいたいの状況は知っている。

 だから尚更心配で仕方なかった。

 昨日ラルフ公爵から戻って来たと連絡を受けた時は飛び上がるほどに嬉しかった。


「ええ。大丈夫よ。

 王宮でも睡眠と食事は充分とれていたの。

 宰相以外はそんなに悪い人もいなかったわ。

 アルトなんかはとても感じのいい好青年だったし」


「アルト?」


「そうよ。そのトマトを育てている人なの。

 本当は王様の護衛騎士なんだけど、庭師に変装してトマトを育ててるの。

 この大量のトマトをくれたのもアルトよ」


 フォルテの何かを思い出すように楽しげな様子に、ピッツァは心が騒いだ。


「まさか……その護衛騎士はフォルテ様のことを……」


 探るように尋ねるピッツァに、フォルテは笑い声をたてた。


「嫌だわ、ピッツァったら。そんなんじゃないのよ。

 だいたいアルトは男色だから、女性は好きにならないわ」


「だ、男色なのですか?」


「そうなの。世の女性達が知ったら残念がるぐらいのイケメンなのにね」


「そ、そうなんですか……」

 ピッツァは、ほっと安堵の息をついた。


「ところで何かいい料理は思いついた?」


「ええ。このトマトは道端になっているトマトと違って、ずいぶん酸味が抑えられて、お腹にも優しいように品種改良されてますね。

 一人でここまで研究されるとは大したものです。

 これなら充分食用に使えます。

 実は今からこのトマトを潰してソースを作ってみよかと思っていたのです」


「まあ! 手伝うわ!

 あ、その前に、ピアニシモにお医者様の手配をしたいの」


「分かりました。すぐに手配して参りましょう」


「じゃあ、その間に私はこのトマトを洗っておくわね」



 フォルテはトマトの籠を持って井戸に向かうと、水を汲んで一つ一つ丁寧に洗い始めた。

 井戸の向こうにはヴィンチ家の庭園が広がっている。

 蔦の茂った柵に隔たれてはいるが、遠くに季節の花と遊歩道が見えていた。


 昔は両親とピアニシモと一緒によく散歩した場所だ。

 遊歩道のずっと奥に母テレサの大切にしていた薔薇園があるが、今では足を踏み入れる事も出来ない。


 あんな日々はもう二度と戻って来ないと思うと胸が締め付けられるが、すぐに考え直す。

(いいえ。占い師でもっと稼いで、いつか小さくても薔薇園のあるお屋敷を建てるの。

 そうしてピアニシモと二人、幸せに暮らすわ。

 夢なんかじゃないわ。すでに60000リコピンもあるのだもの)


 王宮で手に入れた金貨がフォルテの希望を強く支えていた。


「あら? フォルテではなくて?」


 希望に溢れながらトマトを洗うフォルテに、庭園の方から声がかかった。


 マルゲリータだった。


「こんな所で何をしているの?」


 わざわざ柵を開けてこちらにやって来る。

 しかもその後ろにはペルソナまでいた。

 どうやら二人で遊歩道を散歩していたらしい。


「ごきげんよう、マルゲリータ」

 フォルテはトマトを置いて、スカートをつまんで令嬢の挨拶をした。


「挨拶などどうでもいいわ。

 それより何をしているのか聞いてるの」

 なぜか非難が混じっている。


「何って……井戸の水でトマトを洗って……」


「あなた、確かピッツァの話では三日間伝染性の強い病気にかかって部屋で寝込んでいたのよね。うつるととても怖い病だと聞いたわ」


 そういえばピッツァは私の留守を怪しまれないよう、そんな風に義母に伝えていると言っていた。


「そんな恐ろしい病のくせに井戸の水に触れるなんて!

 信じられない! 屋敷中の人間にうつすつもり?」


「あ、いえ、それは……」

 迂闊うかつだった。

 この状況はそんな風にもとれるのだ。


「すぐにこの井戸を閉鎖して!

 ああ! お母様に伝えなければ!

 なんて恐ろしい人! 

 わざとうつそうとしたのね!」


「いえ、そんなつもりは……」


「きゃあっ!! こっちに来ないで! 

 うつるじゃない!

 ああ……気分が悪くなってきたわ」


「大丈夫かい? マルゲリータ」

 ふらりと倒れこむマルゲリータをペルソナがあわてて支える。


「ああ……ペルソナ様、ひどく胸が苦しくなってきました。もしかしてこの一瞬でうつされたかもしれませんわ」


 なんて大袈裟おおげさな……と思った。

 フォルテの場所からマルゲリータまでは結構距離がある。

 しかも本当はそんな伝染病になどなっていない。


 しかし、ペルソナはキッとフォルテを睨みつけた。


「フォルテ! あまりに不注意じゃないか?

 うつる病気なら人にうつさないように配慮するべきだろう!

 マルゲリータにもしもの事があったらどうしてくれるんだ!」


 まるでかたきを見るようなペルソナの視線に衝撃を受けた。

 家族ぐるみで仲良く育ったはずのペルソナは、もう以前のペルソナではなかった。


 マルゲリータの事しか考えられない男になっていた……。


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