第3話 不遇の公爵令嬢、舞踏会に行く権利を奪われる
「毎日トマトばっかり食べてブクブクに太ってるらしいわよ」
フォルテは屋敷の厨房で焼き菓子をつまみながら銀髪の料理長に話しかけた。
「え? 誰の話ですか?」
誰もが振り向くようなイケメン料理長は生地を伸ばして薄いパンを形作りながらフォルテを見下ろした。
「もう、ピッツァったら聞いてなかったの?
王よ、王様。デルモンテ国王様」
「え? 国王様は太ってるんですか? 金髪の美青年だと聞いた事がありますが」
「バカねえ。そんなの嘘に決まってるでしょ?
王様の側近なんて、何でも美化して伝えるんだから。
百歩譲って金髪だとしても、美青年なわけないでしょ」
「はあ……。そういうもんですか……」
二十代半ばの料理長は、器用に同じ形の薄パンを鉄板に並べた。
指先の魔法使いとまで言われるピッツァ料理長は、若いがとても腕のいい料理人だ。
本当はあちこちの貴族から引き抜きの誘いがかかっているのだが、フォルテのためにここにとどまってくれている。
「なんでもトマトが好き過ぎて、自分の畑まで作ってるらしいわ」
「トマトとは……、赤い実をつける毒を持つ作物ですよね?」
「そう。あの
「食べても大丈夫なんでしょうか?」
「さあね?
デブなら毒も薄まるんじゃないの?」
「そういうもんじゃないと思いますが……」
ピッツァはフォルテの言い分に苦笑して続けた。
「昔一度トマトを料理に使えないものかと葉や茎や、まだ青色の実を煮詰めてみた事がありますが、残念ながら腹痛をおこしてしまいました。致死には至りませんが、食す作物ではないのだと、その後使った事はありませんが……」
「王様ってぐらいだから、凡人とは違う体質なんじゃないの?
在位期間だけは長いけど、大した政策もしないろくでもない王だけどね」
「10才で即位したんですから仕方ないですよ」
「ここだけの話よ。
若い王をずっと操ってきた重臣達が、このところ言う事をきかなくなってきた王にクーデターを起こす動きが出ているみたいよ」
「フォルテ様、またそんな恐ろしい情報をこんな所で気軽に言って……。
誰かが聞いてたらどうするんですか」
「大丈夫よ。
他に誰かいたら教えてくれるから」
「え? 教えるって誰が?」
フォルテは慌てて口を押さえた。
側近のゴローラモの霊の事を知ってるのは、妹のピアニシモだけだった。
「か、勘ってヤツね。
ほら、私って昔から勘がいいでしょ?」
「ええ。それはそうでございますが……」
母テレサの死も、父の公爵の死も幼いフォルテは予知していた。
フォルテはゴローラモが霊として付き添う前から、勘のするどい子供だった。
いや、そういうフォルテだからゴローラモが見えるのかもしれない。
「しかし、そんな情報をいったいどこから……」
「最近占いの仕事がすっかり評判になって、王宮の重臣なんかもお忍びで来る事があるのよ。
恋愛関係がほとんどの婦人方と違って、国政の相談なんかが多いの」
「フォルテ様の得意分野でございますね」
「まあね。した事もない恋愛相談よりはよっぽど答えやすいわ」
フォルテは父が死んでから誰も入る事のない書斎に、こっそり入り込んで書物を読み漁るのが趣味のような変わった子供だった。
しかし、その根底には不遇な自分の立場に対する猛烈な怒りが流れている。
こんな政治をする国王のせいで、自分と妹は不幸なのだと……。
「まさかクーデターが成功すると占ったのですか?」
ピッツァは生地にチーズをのせる手を止めて尋ねた。
「ううん。さすがにそんな事にはなって欲しくないしね。
クーデターが起これば、数年は国が乱れるわ。
それに……成功しないだろうと思うの」
フォルテがそう思うなら、成功しないのだろうとピッツァは胸を撫で下ろした。
二つのうちどちらを選ぶか。
その選択においてのフォルテの勘は、幼い頃から本当に優れていた。
「それにしても、やはり占い師などやるのは危険ではないですか?
男性と二人きりになったりして、もしもの事があったら……」
ピッツァは、フォルテが占い師をする事には最初から反対だった。
三年前、貧困に耐えかね働くと言い出した時は本気で心配した。
「大丈夫よ。『青の貴婦人は40代の未亡人』という設定で変装してるから。
誰もその正体が17の小娘だなんて思ってないわ」
「でも万一ヴェールを取られて顔を見られたら……。
きっとフォルテ様の美しさに心奪われ……」
心配するピッツァをよそに、フォルテはぷっと吹き出した。
「もう。
そんな風に思ってるのはピッツァだけよ。
顔を見られたら、こんな小娘に相談してたのかと怒る人はいるかもしれないけど」
自分の言葉を笑い飛ばすフォルテにピッツァは不安を滲ませた。
この公爵令嬢は知らないのだ。
自分がどれほど美しい容姿をしているか。
社交界にデビューする前に両親を失い、屋敷の中しか知らない少女には、その美しさを讃える男性達と出会う機会がなかった。
さらには公爵が死ぬ前に犯した失態によって、未来さえも失った。
だから……。
子爵の三男坊でしかない自分だが、料理の腕で立身出世を果たし……。
身分は落ちてしまうが、お金には一生困らない豊かな暮らしを保証するから……。
そしてもちろんフォルテが一番の条件に上げる病身の妹姫も引き取って……。
妻に迎えたいと秘かに願っていた。
身分違いの自分などが畏れ多い事だと、何度も恋心に蓋をしてきた。
しかし、最近はこんな自分の妻になる方が、この屋敷に暮らすよりはずっと幸せになれるのではないかと思い始めていた。
なぜなら……。
{フォルテ様、ナポリ夫人がこちらに向かってきます}
霊騎士が風のように姿を現わし、フォルテの横にひざまずいて告げた。
「いけない! お
フォルテは食べかけの焼き菓子を慌てて棚にしまい、公爵令嬢にしては質素なドレスの上からメイド用のエプロンをつけた。
「フォルテ様、この生地をこねて下さい」
ピッツァは慌てて、まだ成型してない生地を大皿にのせて渡した。
フォルテは髪を後ろに束ね、大急ぎで手を洗い生地をこね始めた。
それとほぼ同時ぐらいに廊下から甲高い声が響いた。
「フォルテ! フォルテはどこ?
またピッツァのところなの?」
やがて厨房の戸口に義母のナポリ夫人が姿を現わした。
フォルテは今気付いたという様子で、生地を丸める手を止め、布巾で軽く拭ってからドレスの両端を持ち上げ貴族の娘の礼をした。
「ごきげんよう、お義母様。
こんな所にまで何の御用でしょう?」
見事な挨拶をする義理の娘に、ナポリ婦人は細すぎる眉を吊り上げ、口端を陰険に歪めた。
「またピッツァの手伝い?
本当に役に立ってるのかしら?」
「非常に助かっております、奥様。
ちょうどチーズののったパンが焼き上がりました。
良かったらお召し上がりになっていかれますか?」
ピッツァが代わりに答えて釜からパンののった鉄板を出した。
チーズの香ばしい匂いとチリチリ焼ける音が食欲をそそる。
「あら、美味しそうね。
じゃあ一つだけ……」
ナポリ夫人は途端に機嫌を直して料理人に微笑みかけた。
「美味しいわね。
これは何というパンなの?」
「まだ試作品の段階で名前はございません。
もう少し改良して今度の王宮での品評会に出品したいと思っているのですが……」
「ピッツァなら、きっと優勝するわね。
何を作っても美味しいんだもの」
ナポリ夫人は年甲斐もなく、色っぽい目でピッツァを見つめた。
幾つもの入賞作を持つピッツァを料理人として召し抱えている事が、ナポリ夫人の自慢でもあり、見目麗しい容姿も大変気に入られていた。
「ピッツァ、助手が欲しいならもう一人料理人を雇ってもいいのよ。あなたがフォルテに手伝ってもらいたいというから、ここに寄越しているけど、こんな素人が手伝っても役に立たないでしょう?」
「いえ、決してそのような事はございません。フォルテ様のおかげで多くのアイデアが浮かんでおります。
どうかこのままお手伝い頂けたらと思います」
公爵令嬢が料理人の手伝いなど普通はしない。
ピッツァもさせるつもりなどなかった。
だが、ここの手伝いが無くなったら、フォルテはもっと過酷な労働に回される所だった。
いや、実際に下女がやるような掃除や洗濯をさせられていた時期もあった。
それを見かねたピッツァが、自分の助手に使わせて欲しいと頼み込んだのだ。
それが無理なら別の貴族の屋敷に行くとまで言って、ようやく了承してもらった。
「あなたがどうしてもと言うなら仕方ないわね。
ああ、そうそう。フォルテに用を言いつけに来たのだったわ」
「フォルテ様にご用ですか?」
ピッツァは、まさかまた下女のような仕事をさせるのかと不安を浮かべた。
「昼からペルソナ様がいらっしゃるのよ。
お茶を出して欲しいの」
その言葉にピッツァはぎょっとして隣りのフォルテを見た。
フォルテは傷ついた顔で唇を噛みしめている。
「ほら、マルゲリータとの婚約話が進んでいるでしょう?
ペルソナ様ったらずいぶんマルゲリータが気に入ったようで、三日と空けず会いに来られるのだもの。
ああ、ピッツァ。美味しいケーキでも作っておいてちょうだいね」
「か、畏まりました。ですが……お茶は誰か別の女官に出してもらっては……」
ピッツァは、なんて意地の悪い女だろうかと思った。
ペルソナというのは、幼少からフォルテの婚約者として両家で約束を交わしていた相手だった。
しかし今は、ナポリ夫人の連れ子であるマルゲリータが婚約者にとって代わろうとしている。
「あら、知らない間柄でもないのだし、ペルソナ様も久しぶりにフォルテに会いたいと言っておられたのよ」
だからと言って給仕の女官として会わせる事はないだろうとピッツァは怒りが込み上げた。
「ですが……」
反論しようとするピッツァの腕をフォルテが引いた。
「いいのよ、ピッツァ。私もペルソナには一度会っておきたかったから」
両親の葬式から一度も会っていない。
「でも……」
不安そうなピッツァにフォルテは微笑んでみせた。
「大丈夫。心配しないで」
「ああ、そうだわ。あなたにも朗報があったのよ、フォルテ」
ナポリ夫人は今思い出したように、意地の悪い顔でフォルテをチラリと見た。
「先日、王宮より招待状が届いたのよ。
一ヶ月後の収穫祭の最後に、王宮で舞踏会が開かれるの。
そこで王に気に入られた娘が、新たに後宮に召されるらしいのよ。
侯爵以上の名家は、一人だけ娘の参加が許されているの」
「王宮の舞踏会?」
フォルテは弾んだ瞳で頬を紅潮させた。
別に王に見初められたいわけではない。
舞踏会というものに行ってみたいのだ。
「私が……行ってもいいのですか!!」
継母になってから、初めてナポリ夫人がいい人だと思えた。
しかし、そんな思いは僅かの時間で
「嫌だわ、何を勘違いしているの?
図々しいわね」
「え?」
「もちろん、このヴィンチ家からはマルゲリータが行きます」
「え? でも……」
ペルソナとの婚約話が進んでいるのではないのか……。
「田舎公爵のペルソナ様と王様の妃だったら優先順位は決まってるじゃないの。
だからマルゲリータがもし王様に見初められて後宮に入る事になったら、ペルソナ様はあなたに返してあげるわ。朗報でしょう?」
ピッツァは殴り飛ばしてやりたい気持ちを必死で抑えた。
本来なら公爵家の正当な血筋であり、長子でもあるフォルテにすべての権利があったのだ。
ピッツァはチラリとフォルテの顔を
しかし、この数年で奪われる事に慣れた少女は、ゆったりと肯いた。
「わかりました、お義母様。感謝致します」
フォルテはもう一度ドレスをつまんで頭を下げた。
{このくそババアめ! 母親づらしやがって!
精神的に参っておられた公爵様をたぶらかし、まんまと後妻に入り込んだ魔女め!
このっ! このっ!}
つんと部屋を出て行くナポリ夫人を蹴飛ばしながら、ゴローラモが悪態をついている。
「ふふ。やめなさいったら……」
ただ一人見えているフォルテは、苦笑して
「え?」
ピッツァは首を傾げる。
「あ、いえ、なんでもないわ」
ナポリ夫人の様々な仕打ちにも、明るく耐えられるのは、このゴローラモがフォルテ以上の怒りをもって、仕返しをしてくれているからだ。
ただし、まったくダメージを与える事は出来ないが……。
でも、むしろそれで良かったとフォルテは思っている。
「舞踏会に行きたかったのではないですか?」
ピッツァは気遣うように尋ねた。
「まさか。うっかりデブのトマト王の後宮なんかに入る事になったらどうするのよ。
絶対嫌よ! マルゲリータが出てくれて良かったわ」
それはピッツァも良かったと思った。
もし舞踏会に出れば、きっと真っ先に見初められるに違いない。
「でも王様ですよ。王妃になるかもしれないのですよ」
「まっぴらごめんだわ。あんな愚王。
あの王のせいで私達姉妹はこんな境遇になったのよ。
ううん。私はいいわ。
それよりも妹のピアニシモ。
あの子をいいお医者様に診せる事すら出来ないのが許せないの」
フォルテは妹を不幸にしたデルモンテ国王を、決して許さないと誓っていた。
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