第48話 玉座を覆い尽くす闇夜

 王都アフトクラトラスに住む人間達は、そのあまりに異様な光景に息を呑んだ。


 蹄が激しく大地を蹴る音は人々に戦を連想させるのであろう。武人の大国「プロエリウム」が侵略を開始したと勘違いしたのか、住居の中へと駆け込む者もいれば、危うく轢き殺されそうになり胸をなで下ろす者もいた。

 人々が行き交う大通りを黒と青の風が駆け抜けていく。反射的に隅に逃げていく人間の動きからまるで、人の群れを引き裂いていくかのように見えた。

 当然、王都を守護するヴェルデ王国騎士団がそれを見過ごすわけがなく、城門が放たれると同時に白い鎧に身を包んだ騎士達が飛び出していく。突如、周辺を包囲し土足で王都を汚すなど国家に対する謀反と見做されたのだ。勿論のこと後ろで手綱を締めているのは残虐のシルフィリアである。

 城門近辺で黒と青と白の騎士団が混ざり合う。途端に乱戦状態となり王都の大地を血で濡らした。

 我先にと王都へ突撃し、その直剣を仲間の血で濡らしたエスペランス黒色騎士は何を想うのだろうか。目の前で切り裂かれ、また殺そうと自らへ剣を振るうのはかつての仲間達である。

 彼ら黒色騎士団は国王に忠誠など誓ってはいない。捧げる対象はただ一人。双剣聖フラン・エスペランスのみである。

 彼女は言った。王都にいる残虐のシルフィリアの首を斬れと。

 彼女は言った。人として生き、人として死ねと。

 剣に生きる者は剣に死ぬ。それがエスペランス黒色騎士団の「人としての生き方」であり「人しての死」なのだ。


 城門前で陣取る王国騎士団へ炎の嵐が吹き荒れる。

 ミゼリコルド魔法騎士による波状攻撃により陣形の一角が崩れた。その瞬間、まるで破城槌の如く黒色騎馬隊が突撃していく。

 手にした突撃槍で白騎士を串刺しにしながら、血濡れの黒騎士が城の中へとその身を躍らせた。


 王都の上空から戦の光景を見下ろしていたリリーナは、小柄な体を小刻みに震わせていた。

 眼下では夥しい数の死体が量産されていた。黒も青も白もみな屍と化している。だが黒騎士は苦悶の表情を浮かべる王国騎士団とは違い、笑って死んでいた。

 彼女の震えは突撃したい気持ちを抑えるが故に生まれたものなのだろう。リリーナをその行動に導いていたのは監視者であった。

 

「落ち着け。リリーナ。逸る気持ちはわかる。だが例えお前でも最上位魔法<ハイエンドマジック>を行使した直後は疲弊しているはず」


「ゆっくり回復させ激戦に備えるのだ。その為に彼らは死地に赴いているのだから」


 黒色騎士団と魔法騎士団の突撃は王都を蹂躙する為のものではない。

 シオンとフランの奇襲を成功させる為、疲弊したリリーナを回復させる為、シルフィリアの注意を引く為の陽動なのである。言わば「ただの時間稼ぎ」に過ぎない。

 例え猛者で構成されたエスペランス黒色騎士団であっても、あの残虐のシルフィリアを前にして刃を突き立てるなど不可能に近い。対峙すれば死は確定である。

 それでも彼らは首を縦に振ったのだ。行けば死ぬ。まさに死地だ。だが自らが人として生きた証の為、死という深淵の闇へ突き進むのを選んだのである。

 そして、リリーナは彼らがその選択をすることも知っていたはずだ。だからこそ沸き上がるであろう悲しみを封じ込め、激情に耐える為その身を震わせるのである。



 美しく磨き上げられた王宮の床を血の足跡が続いていく。

 馬を捨て王宮内になだれ込んだエスペランス黒色騎士団は、突撃槍を投げ捨てると鈍い光を放つ両刃の直剣を抜き身にする。戦闘の高揚と使命感からくるであろう激情が彼らの呼吸を慌ただしくさせた。

 休む事無く黒騎士の足が大地を蹴る。目の前の階段を駆け上がり玉座の間へと躍り出た。

 その瞬間、彼らが目にしたもの。それは激しい怒りに駆られたかのように体を震わせる銀髪の少女だった。小柄な体からどす黒いオーラを漂わせ、美しい顔を歪ませている。

 その姿はまさに彼らが尊敬する銀の賢者に瓜二つの容姿だが、肌に感じるであろう感覚は死そのものであろう。何故なら彼女は「死の権化」であり「残虐」のみを受け継いだシルフィリアなのだから。

 だが迫り来る死の予感をかき消すかのように黒騎士の咆哮が王宮に響き渡る。直剣を握りしめ血濡れの騎士は凄まじい速度でシルフィリアへと刃を走らせた。


 王宮の壁を赤黒い血が染める。

 それはシルフィリアのものではない。魔力により生み出された刃が黒騎士の胴体を切り裂いた際に飛び散ったものだ。転がる上半身を彼女はその足で頭を踏みつぶす。

 凄惨な光景が広がる中でもエスペランス黒色騎士団は突撃をやめなかった。だが白刃はシルフィリアには届かず無残にも屍となって床へ敷き詰められていく。

 壁と床を血で染め、首や胴体を切断された黒騎士の死体を踏みつけながら、彼女は王宮内に声を張り上げた。


「死ね! 死ね! 死ね! 死ね死ね死ね死ねぇぇぇ!」


「……まったク。美しい容姿が台無しデスネェ」


 シルフィリアの動きが一瞬止まる。

 迫り来る黒騎士の隙間に深淵の闇が蠢いていた。彼女は迸る魔力の刃で襲いかかる騎士達を屠りながら、激情に駆られているであろうサファイアの瞳を闇へと向ける。

 そこにいたのは黒いローブだった。フードを被っている為、外見はわからない。まるでこの場に取り残された闇夜の残滓のようだった。


「黒騎士さんタチ。死んでるとこ悪いんですが、もう少し働いてもらえマスカネェ」


「中位アンデッド・首なし騎士作成<ミドルランクアンデッド・デュラハンメイキング>」


 黒いフードの奥から声が響いた瞬間、黒騎士達の死体が一か所に集まり異形の物体を形成する。それは首のない巨大な騎士となり手にした大剣をシルフィリアへと叩きつけた。

 刹那。火花が散る。彼女の体を覆う魔法障壁により刃はその動きを止めた。それと同時にシルフィリアの左手に炎が渦を巻く。


「上位精霊魔法・炎の嵐<ハイランクエレメンタルマジック・フレイムテンペスト>」


 王宮の床から灼熱の炎が噴出する。火柱となったそれは首なし騎士の胴体を引き裂き、焼き尽くした。


「こんな雑魚で何をするつもりだ?」


「……問題ないデスヨ」


 闇の残滓は黒いフードを開けた。

 そこには皮も肉もない骨だけで形成された頭蓋骨が覗かせている。その口がカタカタと動き流暢な言葉を発した。


「ただの時間稼ぎデスカラ」


 噴き出したるは深淵の闇。

 シルフィリアの周りだけが夜の訪れを迎えたかのように、黒いローブから噴出した黒雲は彼女の周辺を覆い尽くした。

 闇に包まれた頭蓋骨……死の超越者<デッドトランスセンダー>は、骨を鳴らしその口から呪詛の言葉を紡ぎ出す。


「最上位死霊魔法・腐敗する闇夜<ハイエンドファントムマジック・デュケイフィンスターニス>」


 王宮内を暗黒の霧が包み込み、シルフィリアの目の前で焼き焦げた首なし騎士の骸が無残にも溶け出し、一瞬で塵と化した。

 死霊系魔法の中で最も恐れられるものが「腐敗する闇夜<デュケイフィンスターニス>」である。

 それは腐敗するガスであり、触れるだけで全ての物を急速に腐敗させ塵と化す。まさに殺傷能力で言えば耐性に関係なくあらゆるものを死に至らしめる点で、同じ最上位精霊魔法である「白絶の零獄<アブソリュートゼロ>」同様に最も強力な即死魔法である。


 残虐のシルフィリアは漆黒の闇に包まれ姿を見ることはできない。

 通常ならばすでに塵と化し、その存在は抹消されたはずである。だが超越者は踏み込む事無く短く何かを呟いていた。

 時間が経過する度に徐々に闇は晴れ、空気中に消え去っていく。死の超越者は眼球のない空洞で前を見据えた。

 そこにはかつて黒騎士であったであろう塵の山と、不気味な笑みを浮かべた残虐のシルフィリアが立っている。彼女の周りは青白い球体に包まれ、その体に傷一つなかった。


「ギャハハハッ! こいつは驚いた。まさか『腐敗する闇夜』を『人間』に向けて放つ奴がいるとはねぇ」


「別にアナタ。人間じゃないデスカラ。塵になってくれたら楽だったんですケドネェ。仕方ありまセンネ」


 シルフィリアを守っていた反魔法鋼殻アンチマジックシェルが音もなく崩れ去り、霧散して消え去る。

 その瞬間、シルフィリアの足元に三重にもなる魔力増幅魔法陣ソウルアンプマジックサークルが展開される。青い瞳に魔法構成を浮かび上がらせ、彼女の右手に灼熱の炎が燃え上がった。


「減らず口もそこまでだ骨め! 焼き尽くしてくれる!」


 恐らく彼女の行使する魔法は「燃え盛る炎龍<ブレンネンフラムドラグーン>」であろう。

 死ぬまで相手を燃やし続ける灼熱の魔法を目の前にして、超越者はたじろぐことなく骨で出来た指を一本立てて見せた。


「あぁ。ソウソウ。言い忘れてマシタ」


「実は『腐敗する闇夜』も……ただの時間稼ぎデス」


 その言葉にシルフィリアは驚愕したのか目を見開く。

 突如、彼女の周辺に三体の頭蓋骨が浮かび上がり、その口から青白いオーラを放出した。それは球体となってシルフィリアを包み込む。

 それと時を同じくして魔力増幅魔法陣が消滅した。そして彼女の右手に燃え盛る火炎も空気中に霧散して消え去る。


「貴様! 何をした!?」


「アナタの魔法を封印させてもらいマシタ。コレ。下準備が面倒なんデスヨ」


 超越者の持つ頭蓋骨の空洞から殺意とも受け取れる鋭い光が差し込んだ。

 その刹那。残虐のシルフィリアの背後に大地が収縮したかのような速度で、黒い影が迫る。

 手に妖艶な光を放つ大鎌を握りしめ、それは白刃を纏った光の斬撃となってシルフィリアの首元へと軌跡を生んだ。

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