第47話 激震に揺らぐ王都

 王都アフトクラトラスの頭上には、雲一つない澄み切った青空が広がっていた。

 石材と煉瓦作りの街並みの中央にそびえ立つ白い王宮。そこから一本延びる地下通路が存在した。人工的に造られたそれはアフトクラトラスの城壁の外へ繋がっており、万が一の為に国王を王都から脱出させるための緊急避難通路であった。

 勿論、この地下通路の存在を知る者は限られている。国王、かつての七賢者。そして五大貴族の一部当主のみである。リリーナは当然のことながらフランでさえこの存在を知る由もない。

 だが彼女達の身近な存在でこの地下通路に精通した人物がいた。それは五大貴族の一つミゼリコルド家当主であるエレオス・ミゼリコルドである。



 薄暗い地下通路を三人の人影が移動していた。

 一人は黒髪を揺らし真紅の瞳が赤い筋を走らせる長身の女性。一人は長い金髪を携え鋭く光るエメラルドの瞳を持つ女性。そしてもう一人は青い礼服を身に着けた長身の男性である。

 ぼんやりと浮かび上がるランプの光に彼の端正な顔立ちが照らされた。その表情は険しくどこか苦し気に見える。何かに耐えるかのように胸元を掴み、息遣いがはっきり耳に響くほど荒い呼吸を繰り返した。

 彼……エレオスの体の変化にいち早く気が付づき、すぐそこまで迫る終焉の事実を告げたのは、彼の後ろを歩く黒髪の女性シオンである。

 彼女は告げた。エレオスの体はもう限界だと。

 彼の体からはすでに濃密な瘴気が立ち昇っていた。それは動く死体へと変貌する兆候である。もうエレオスに残された時間は残りわずかなのだ。

 その言葉を耳にした時、エレオスは決心したかのように真剣な眼差しで言葉を紡いだのだ。奇襲のための地下通路を案内し、そこで自ら果てると。



 地下通路は一本道ではない。

 追手を排除するために複雑に入り組んでおり、所々、罠すら仕掛けてあるのだ。

 当然のことながら奇襲する人選にはリリーナは含まれてはいない。シオンが断固として拒否したのである。「方向音痴」のことを良く知る彼女なら当然の行動であった。

 エレオスは入り組んだ道を正確に誘導し、罠も魔法で的確に解除していく。だが進むにつれその足取りは重くなりまるで全身に痛みを走らせているかのように、苦悶に満ちた表情を浮かべていた。

 彼は戦っていたのである。自分自身の内からくる闇の気配に。記憶……いや人間性を失うまいと脳裏に刻み込んでいたのであろう。

 フランとリリーナが生み出したであろう光に満ちた未来を。


 だがいずれは限界が訪れる。

 エレオスは視界に映る階段を前にしてついに膝をついた。瞳孔は開き長身が身震いする。端正な顔立ちは蒼白となり顔中から汗が噴き出していた。

 それでも彼は最後の力を振り絞るかのように言葉を紡ぎ出す。


「……ここの階段を上ると直接、王宮へと出ます。あとはあなた方に委ねます」


 震える瞳でエレオスは振り返った。

 彼の視線の先には、悲しみに包まれているかのように陰りが見えた表情を浮かべるフラン・エスペランスの姿があった。

 二人の視線が交差した時、彼女はおもむろに腰に差した双剣へ手を伸ばす。

 フランはもう察していたのだろう。エレオスにはすでに終焉が訪れている。そして人生の最後を彼女に幕を下ろしてもらうことを願っていると。


「……お願いです」


 エレオスは震えながらも笑顔を見せた。それは人として死を迎える男の最後の微笑みだった。


「フラン・エスペランス。未来の女王。私が仕えるべき女王。あなたに最後をお願いしたい」


「私は、一足先に女神の元へ……参ります」


 刹那。白刃が舞った。

 フランは素早い動きで腰の双剣を抜くと、エレオスの首へ光の軌跡を走らせる。刃は笑顔を見せたままの首を切り落とした。

 地下道の壁に血が飛び散る。切断された首が転がると同時にエレオスの胴体はゆっくりと跪くかのように、前のめりに崩れていった。

 エメラルドの瞳を鋭く光らせたまま、フランは双剣についた血を拭うと腰に納める。そして地に伏せる首へ頭を下げた。

 頭を上げた彼女の視線が、シオンの赤い瞳と交わる。


「……躊躇なく斬るとは思わなかったわ」


「意外か? 彼はそれを望んだんだ。人として死ぬことを望んだ。ならそれを叶えてやるのが女王ってもんだろ」


「それとも何か? 仲間を斬るのかとか甘ちゃんなこと。死神が言うわけねぇよな?」


「まさか。褒めているのよ」


 視線を逸らすとシオンは赤い瞳を前に向ける。そしてゆっくりと階段へと歩き始めた。

 その瞳はこれから起きるであろう激戦に向けて、闘志を燃やすかの如く炎のように揺らぐ。


「あなた達人間の覚悟と人としての生き様をね」




 ――アフトクラトラス城王宮内玉座の間


 王宮に座す残虐のシルフィリアは何かの気配を感じたのか、整った眉をピクリと動かした。

 数日前、メルカトール内にエスペランス黒色騎士団とミゼリコルド魔法騎士団が集結していた話は、彼女の耳に届いている。そして街中に巨大な竜が現れたことも。

 メルカトールと言えばエスペランスの別荘がある場所だ。フラン・エスペランスがその場にいた可能性は高く、騎士団を集めて何か謀を企んでいると彼女は考えていたのだろう。その白い竜のこともあり、念のためアフトクラトラスに魔法障壁を展開させていた。

 だがシルフィリアにとって所詮は死者の集まりである。群れようが徒党を組もうが彼女には脅威とはならないことだろう。

 問題はその裏に銀の賢者リリーナ・シルフィリアの影が付きまとうことである。


 シルフィリアは自らが生み出した世界が壊されることを嫌ったのだろう。

 死者で埋め尽くされた世界。魂のない無価値なゴミが生者というダンスを踊る世界。それこそが母親ともいうべき女神が無価値と断定した人間の真の姿。女神の判断を実証する証明。

 それが彼女の求める世界なのだ。そしてゴミで溢れた世界を眼下に見下ろし、愉悦を満たすかのように笑い転げるのである。


 だがシルフィリアの視界に一点の白い影が浮かぶ。

 それは死者の世界にあるまじき姿。生者だ。それもとてつもなく巨大な生命の塊。

 純白の鱗を光り輝かせ、王都の頭上にそれは具現化した。長い首に竜の頭。二枚の巨大な翼に四枚の小さな翼。女性を模した上半身に竜の下半身と長い尻尾を持つ巨躯。そして王都を見下ろす金色の瞳。

 シルフィリアの目が見開く。

 その姿はまごうことなき「世界ワールド監視者オブサーバー」であった。



 監視者の頭上に彼女は腰を下ろしていた。

 その海のように青いサファイアの瞳は金色の瞳と共に眼下を見下ろしている。その瞬間、彼女を三重に展開する「三重トリプル魔力増幅魔法陣ソウルアンプマジックサークル」の光が包み込んだ。

 銀色の髪を陽の光で輝かせ、少女は目を見開く。青い瞳に魔法構成が刻まれ高速で流れていった。それと同時に金色の瞳にも魔法構成が浮かび上がる。

 竜言語ドラゴンズロアにより、監視者とほぼ同時に脳内詠唱を終わらせた少女……リリーナ・シルフィリアは、怒りに震えるかの如く瞳に青白い炎を輝かせた。


「……これは神々の怒りではない。私の怒りだ!」


二重魔法ダブルマジック


「最上位精霊魔法・神々の怒り<ハイエンドエレメンタルマジック・ディオスレイジング>!」


 天地が鳴動した。

 監視者と同時に発動した神々の怒りは、眩い光と轟音で大地を揺らし幾重にも生み出された稲妻が絡み合い轟雷となって王都へ降り注いだ。

 まるでそれは神の怒りを買った堕落の都市を焼き払うかのように、あるいは罪を贖う神の裁きであるかのように、アフトクラトラスを包み込む魔法障壁へと稲妻で形成された龍となってその牙を剥く。

 激しい衝撃音と眩い光が折り重なり、強固な魔法障壁は跡形もなく崩れ去った。


 その瞬間、アフトクラトラスの大地が激震した。

 透明な体<インビジブルボディ>で潜伏していた黒色騎士団と魔法騎士団が一気に王都内へなだれこんできたのである。黒色の騎馬隊は凄まじい速度で王都を駆け、脇目も振らず一直線に王宮へと蹄を打ち付けた。

 黒と青の猛攻はシルフィリアの視界にも映っている。彼女はあり得ないその光景に激情したかのように小柄な体を震わせた。

 目を見開き唇を歪ませ、呪詛の言葉を吐き出す。


「クソが! クソが! クソが! クソがクソがクソがクソがクソがクソがああ!」


「死者の分際で! 死者の分際で! 死者の分際で死者の分際で死者の分際でええ!」


「汚い糞塗れの足で王都を汚すのかああ!」


 シルフィリアの口が止まると体全体からどす黒いオーラの如く闇を立ち昇らせ、サファイアの瞳を黒く染めた。


「ゴミどもが! 皆殺しだ! 鏖殺だ! 脳漿をぶちまけて汚らしく死を迎えさせてやる!」

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