第46話 死者達の反乱
人類は死滅している。
リリーナの口から紡ぎ出されたその言葉は、フランとエレオス。二人を包み込む空気を一変させた。フランはゆっくりと自らの美しい髪に触れ、それを視界に収める。
フランのエメラルドの瞳に映るものは、恐らく普段と変わらない金髪だろう。リリーナの瞳にもそう写っているはずだ。
唯一の例外はその場にいる真紅の瞳を持つシオンだけなのである。彼女の瞳にはリリーナ以外の人間は全て死者に映っていることだろう。何故ならシオンは死者だったリリーナを喰うことで記憶を保有しているからだ。つまり彼女は「全ての人間は死者となった」ことを知っている故に死者に見えるのである。
エレオスは平静さを装ってはいるが、その体は小刻みに震えていた。当然のことだ。生きているはずの自分が実は死んでいるなど、そんな話を耳にすればどんな人間であろうと動揺することだろう。それもこの話をしているのは、彼らがもっとも信頼における銀の賢者の口から紡ぎ出されている言葉なのだから。
リリーナはそんな彼らを視界に収めると再び、その唇が言葉を放つ。
「詳しく話そう」
「今、王都にいる残虐のシルフィリアは『死世界への変換』と呼ばれる儀式魔法によりアフトクラトラス全域の人間の魂を吸収し肉の体を形成した霊体だ」
「それによりアフトクラトラス王国の全ての人間は一瞬で死滅した。今、存在しているのは生前の記憶を元に活動する言わば動く死体だ」
「私達がそうだと言うのですか?」
驚愕したのか目を見開き、エレオスが立ち上がり言葉を発する。それに呼応しリリーナに寄り添うシオンが言葉を紡いだ。
「その通り。リリーナの瞳にはあなた達は生者に見える。自分からもそうでしょう? だけど私の目にはあなた方は例外なくゾンビよ?」
「信じる信じないはあなた方の勝手だけど、もし信じられないのなら侍女でも連れてきて彼女から『死への帰還』でも行使してもらいなさいな。それで判明することだわ」
死への帰還はアンデッド系モンスターを元の死体へと戻す魔法である。
生きている死者にその魔法を行使した場合、生前の記憶は全て失われる。つまり動く死体へと変貌するのだ。
当然、魔法に関する知識に詳しいミゼリコルド家当主ならば、シオンの言葉の意味を即座に理解できることだろう。彼は椅子に腰かけると困惑したかのように頭に手を当てた。
シオンの言葉をリリーナが続ける。
「君達に『死への帰還』を行使した場合、生前の記憶が失われ動く死体と化す。そうなった場合もう元に戻ることはない。与えられるものは死だけだ」
「……一つ、聞いていい?」
今まで沈黙に徹してきたフランがおもむろに口を開いた。
「元の生者へ戻る方法はないの?」
その言葉が耳に響いた途端、フランを見つめるリリーナの表情に暗く悲しみに包まれたかのように陰りが見えた。彼女の表情を見てフランは即座に理解したのだろう。リリーナから視線を逸らしうつむき加減に口を閉ざした。
フランの脳裏に浮かぶであろう返答をそのまま再現するかのように、リリーナの口から残酷な現実が語られる。
「……死者を生者に戻す方法はない。死者は生者には……なれないんだ」
「さらに時間と共に記憶を失っていくように、時間経過により最終的に動く死体となる。どのみち君達に……助かる術はない」
リリーナの言葉によりその場の空気が凍り付いた。何故なら今、この瞬間に彼らには死刑宣告が下されたと同意義だからだ。
沈黙が流れる中、リリーナは悲しみに暮れているであろう表情を一変させ、真剣みを帯びた瞳を光らせる。
これはある意味、賭けだった。
フランに現実を知らしめ、彼女がそれを乗り越えて協力してくれるかどうかの賭けである。失敗すれば彼女は絶望に苛まれ最悪、この場で動く死体と化すことだろう。エレオスにも同じことが言える。
だがリリーナは彼女が持つ人としての強さに賭けた。滅亡の現実が迫る中でも前を見て歩み続けるフランの心の強さを信じたのだろう。
リリーナの期待と自らに迫る滅亡の足音が交錯する中、フランの唇がゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「……リリーナはどうしたいの?」
おもむろに顔を上げた時、彼女のエメラルドの瞳とリリーナのサファイアの瞳が混ざり合った。不安、あるいは恐怖に駆られているであろうフランの瞳とは対照的に、リリーナの瞳は決意を抱いているかのように青白く揺らいでいる。
「いずれは滅亡する世界。だけど動く死体として人を喰らい終える人生など人の生き方ではない」
「私は人として生き、人として死ぬことを尊重したい。何故なら今ここにいる君達は……死者ではない。私にとっては生者だからだ」
「だからこそ奴を殺す。そして全ての元凶を取り除いた後、私は……全ての死者を死に還す」
リリーナのその言葉と同時に時が止まる。
フランは彼女を見つめたまま動かない。だが再び時が動き出したその時、フランの表情は笑顔を形作っていた。
「リリーナの気持はわかったわ。だけど今すぐには返答できない。今日、泊まっていってまた明日ね?」
「今から侍女に案内させるわ」
「ありがとう」
入室し頭を下げる侍女に促されリリーナとシオンは部屋を後にする。
その時、彼女はふとフランを一瞥した。リリーナの瞳に映るフランはうなだれるように視線を下へと落としている。
彼女の表情に一抹の不安を感じたのかリリーナは、憂いを帯びた瞳を前に向けた。ここから先は彼女を信じるしかない。リリーナはそう思っていたことだろう。
二人の姿は侍女に導かれ客室へと消えていった。
翌朝。
眩しい朝日の光が差し込む中、鎧がかすれる音にリリーナは目を覚ました。
彼女はベッドから体を起こし、寝ぼけ眼で周囲を見渡す。シオンの姿は見当たらないようだ。
騒がしい音はどうやら外から聞こえている。リリーナはシュミーズから賢者のローブに着替え、身支度を整えると客室を後にした。
音がする場所は庭園である。そこにたどり着いた彼女は驚愕したのか目を見開いた。
エスペランス邸の庭園に黒い影が埋め尽くしていた。
それはエスペランスの領地を守護する黒色騎士団の姿である。また黒騎士の中に青い染色が施された騎士の姿も見えた。
メルカトール近辺に点在していたエスペランス黒色騎士団とミゼリコルド魔法騎士団が、一夜のうちにここエスペランス邸に集結していたのである。
騎士団の中、一人の女性がリリーナに歩み寄る。
防護の魔法付与が施された黒い呪符を巻きつかせた戦闘服に身を包み、腰元に
「一夜で集まったにしては数多いけどまだ来るよ。アフトクラトラスに存在する全ての黒色騎士団と魔法騎士団が集まる予定になってる」
「……フラン? これは一体……?」
「私はね。思ったんだ」
朝日に包まれた彼女は、まるで女神のように光り輝いている。
フランは真剣みを帯びた瞳をリリーナに向けた。
「私達はすでに死んでいる。だけど今、ここにいる私達は『まだ生きている』んだ。人を喰らって終わる人生なんてまっぴら御免だよ」
「人として生き、人として死にたい。それが私の意思。そしてここにいる人間達の総意だ」
「……それになぁ。リリーナが苦しんでるのに私だけ悠長にしてられないんだよ。役に立たないどころかゾンビ化して足を引っ張るなんて冗談じゃない!」
「そんなことになるくらいなら……あんたの刃になって相手の首刎ねた後、笑って死んでやるよ」
フランの言葉を受けて我慢できなくなったのか、言い終わらぬうちにリリーナの青い瞳には涙が溜まっている。
鋭い表情で語っていたフランは、突如、呆れたかのように肩をすくめると微笑んで見せた。
「って言ったらさ。こいつらも来るってよ。おとなしくしてりゃいいものを。馬鹿な奴らさ」
「我々は弾除けです。フラン様とリリーナ様のお命を守れればそれでいい。それだけで我々は笑って死ねます」
一人の騎士の言葉に全員が頷く。どうやらみな共通の思いを持ちこの場に集結したようだった。
その時、庭園に闇が蠢いた。
朝日が降り注ぐ中、まるで取り残された夜の欠片にように、それはゆっくりとリリーナへ近づく。
黒いローブに身を包んだ何かはフードを上げた。そこには骨だけで構成された頭蓋骨が何もない空洞を覗かせている。
「さすがは女王たる器ですネェ。もしアナタが女王となるのならば、ワタシはあなたに仕えていましたヨ」
その姿に一瞬、驚いた様子だったフランだがすぐさま鋭い瞳を骨へと向けた。
「リリーナ。こいつは?」
「
「仲間というのは語弊があるかもしれませんネェ。どちらかというト……」
超越者の言葉はそこで止まる。何故ならその骨で形成された首元に死神の大鎌が刃を光らせているからだ。
音もなく背後を取ったシオンが、その美しい顔を歪ませ口を近づける。
「仲間でしょう?」
「怖いですヨォ。シオンサン。そうデスネ。仲間ということにしておきまショウ」
「……それより銀の賢者。ワタシに保護して欲しいと頼んだあのダークエルフの幼女は何デスカ?
「彼女は死世界を跳ね除けた生者だ。私にとっては家族も同然。保護するのは当然の行動だろ?」
彼の問いにリリーナは笑顔で答えた。
その時、彼女の頭上で空間が歪む。それは
突如、それは具現化する。
朝日を浴びて純白の鱗が光り輝いた。巨大な二枚の翼で宙に浮き、長い首の先端についた竜の頭から黄金色の瞳が人間達に降り注いだ。「彼女」の頭上を黒い小鳥が旋回している。そのオレンジ色の嘴から「戦争だ。戦争だ」と言葉を発しながら。
フランは茫然とした様子で頭上に浮かび上がる巨躯を見上げていた。
神々しく輝くその姿に人々は畏怖と同時に崇拝の念を抱くのだろう。彼女はおもむろに膝を折る。
それを目にして巨大な
「まさか人から膝を折られるとはな。シオン。たまには下界に降りてみるものだな」
「面を上げよ。女王の器フラン・エスペランスよ。私は『世界の監視者』。そなた達に力を貸す存在だ」
立ち上がるフランの決意に満ちているであろうエメラルドの瞳を見つめると、監視者はリリーナへ視線を移した。
その声は優しく彼女へと語り掛ける。
「神の子リリーナ・シルフィリアよ。……良い友を持ったな」
「はい。私の自慢の友人です」
リリーナは満面の笑みを浮かべそう言葉を紡ぐと、フランを一瞥し前を向く。フランもまた同じ方向へ視線を移していた。
彼女達が見つめる先にあるのは、巨大な城壁を携えた王都アフトクラトラスである。
リリーナの瞳は闘志に燃えるかのように青白く光り輝いていた。
「行こう。王都アフトクラトラスへ」
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