第45話 運命の再会

 行商の町「メルカトール」に夜の帳が降りていた。


 商人が行き交う町なだけあって夜が訪れようと人々が行き交い、馬車が蹄を地面に打っている。酒場では冒険者と商人達が酒を酌み交わし宿屋の看板の下、寝床を求めた旅人で混雑していた。

 煉瓦作りの街並みが続く中、ある場所に一際、目につくほど大きな建物が存在する。そこには双剣に彩られた花の紋章が刻まれた巨大な旗が風に揺らいでいた。

 五大貴族の一つ「エスペランス」の別荘である。

 豪邸の中ではささやかな晩餐が開かれていた。それはこの地を訪れたミゼリコルド家当主を招いたものだった。

 白いクロスが敷かれたテーブルの上に豪華な食事が並び、ワインを片手に長身の男が女性と会話を楽しんでいる。黒い髪を短く後ろに纏めた端正な顔立ちの男性が、ミゼリコルド家当主であるエレオス・ミゼリコルドだ。そして彼と向かい合う形で椅子に着座する女性こそ、美しく長い金髪とエメラルドの瞳を持つエスペランス当主フラン・エスペランスである。


 彼女らが会話する内容はもっぱらこれからのアフトクラトラスに対する未来の展望と、そして銀の賢者リリーナ・シルフィリアの話題だった。

 国王ヴェルデ亡き後、王位継承戦にてフランは激戦に赴くことになる。そんな彼女をアフトクラトラスにおいて実質、一人しかいない賢者リリーナの発言力は後押しすることだろう。

 だがリリーナは人が変わったように王宮に篭っている。元々、冷静な口調の持ち主ではあるものの王宮にいるリリーナは明らかに以前とは違い「冷酷」である。存在そのものが氷のように冷たい。それはリリーナの皮を被った残虐な神がそこにいるかのように。

 エレオスも彼女の行動には危惧している様子で、時より王宮に赴いてはリリーナの様子をフランへと伝えていた。

 彼の話を耳にする度にフランは、眉根を寄せる。

 エレオスから伝えられる内容を聞けば聞くほど「リリーナ本人」とは思えないのであろう。幼い頃から寝食を共にしている彼女のことはフランがもっともよく知るところである。


 彼女は決して全てにおいて冷酷ではない。

 取捨選択の中でもっとも理に適ったものを選択するリリーナは確かに冷徹に映るかもしれない。現に先のプロエリウムとの戦いにおいて軍勢を一人残らず焼き殺した彼女をアフトクラトラスの重鎮は畏怖した。

 だがリリーナは自らを、友を。または国民を守る為に冷徹な判断を下すのだ。自らが非難されることを厭わず、自らの体を盾として罪なき人々を包み込むのである。まるで慈愛に満ち溢れた女神であるかのように。

 自らに対して行う冷徹な判断と相反する慈愛に満ちた女性。それがリリーナ・シルフィリアなのだ。


 だが今、王宮にいるリリーナは冷酷しかない。

 慈愛は影も形もなく消え去り、そこにいるのは自らが思い描く物語をパズルのピースを埋めるかのように冷酷に進行させていく残虐な語り部だ。

 表面上はリリーナと大差ないかも知れない。しかし耳をすませば聞こえてくるのである。

 眼下に映る人間など全て等しく無価値だと。


 フラン・エスペランスは陰りが見える表情で窓の外に視線を移した。

 外はすでに陽が落ちかけ赤い空が広がっている。それは暗闇が訪れる前兆である。まるで彼女の心に闇をもたらすかのように。

 しかしその時、暗闇に紛れてメルカトールに舞い降りた黒い翼は、フランが抱いているであろう疑問に対する答えをその身に抱いていた。



 食事が終わりかけた頃、一人の侍女が慌ただしい様子でフランの元へと駆け寄った。

 彼女がもたらした情報にフランは驚いたかのように一瞬、エメラルドの瞳を見開く。頷くと彼女は席を立ち桃色のドレスを揺らしながら建物の外へと歩み出した。

 エスペランス邸宅入り口前。そこに銀髪の少女と黒髪の女性が立っていた。フランは彼女達を出迎えると笑顔を見せる。


「どうしたの? リリーナ。急にここにくるなんて」


「ちょっと君に話たいことがあって寄ったんだ。いいかな?」


 リリーナはそう口にすると笑顔を形作った。

 その瞬間、フランは落ち着いた表情を浮かべる。安堵感に満ちたような優しい笑顔だ。

 何故なら彼女の目の前にいるリリーナが醸し出す笑顔は、フランがよく知るであろうリリーナそのものだからである。しかし、彼女の後ろで佇む黒髪の女性に視線が映った瞬間にフランは、笑顔を消し去り整った眉を吊り上げ指を差した。


「……ってなんでてめぇが……」


「ここにいるんだよ! でしょ?」


 これから口にしようとしていたであろう言葉を先に言われ、フランはたじろぐように言葉を詰まらせた。

 指を差された先に佇むシオンはその様子を見て、可笑しそうに微笑んでいる。その女性はフランが見てきたであろう残酷な死神ではなかった。

 リリーナの従者のように、また彼女を守る護衛であるかのようにリリーナの傍から離れず寄り添っている。そしてそれがさも当然と言わんばかりに彼女が感じているかのようにも見えるのだ。

 リリーナとシオン。その二人の間に流れる信頼感をフランは肌で感じたのであろう。突如、差した指を下げると笑顔を見せ二人を邸宅へと促した。


「立ち話じゃ辛いでしょう? 中へ入って。……死神。いやシオンか。あんたもな」



 フランに案内され部屋へ足を踏み入れたリリーナの視界に映るのはエレオスの姿である。

 予想外の客の登場に一瞬、目を見開いた彼女だが、すぐそれは笑顔へと変わった。


「おひさしぶりです。エレオス様。何故ここに?」


 エレオスは無言だった。

 もっとも驚いたのは彼なのだろう。端正な顔を硬直させ、口は半開きになっている。そして彼の瞳はある一点を凝視していた。それはリリーナを着飾る賢者のローブである。

 賢者のローブはフランがデザインしたものだが、エスペランス家から友愛の印としてエスペランスの家紋とミゼリコルド家から敬愛の印としてミゼリコルドの家紋が刻まれている。

 エレオスはそれを目のあたりにして、ようやく気が付いただろう。目の前にいるリリーナこそが「真実の姿」なのだと。

 彼は頭を振ると軽く頭を下げ笑顔を見せた。


「これは失礼しました。お久しぶりです。賢者リリーナ様」


「私に様付けは必要ないと何度も言ったはずです。しかしフランとエレオス様が一緒とは好都合」


「ここに来たのは大した用事でもなかったのですが、これは天啓といっていいのかもしれませんね。リリーナ殿とお会いできたのですから」


 エレオスはそう口にするとフランへ視線を移し頷いた。

 彼女はその表情から察したのだろう。フランとエレオスの二人は今、同じ考えを抱いているであろうことに。

 フランはおもむろに彼に語り掛ける。


「エレオス様。お気づきですか?」


「ええ。今、目が覚めましたよ」


「思慮が足りませんでした。考えてみれば彼女が賢者のローブを着ないわけじゃない。『着られない』んですよ。これは世界に一着しかないものなのですから」


 リリーナは黙って二人の会話を聞いていた。

 彼女は恐らくフラン達が何を言っているのか理解しているのであろう。間違いなく王宮に座する残虐のシルフィリアのことを言っているのである。

 賢者のローブは世界に一着しかない。それ故、リリーナに姿形は似せることはできても賢者のローブだけは身につけることができないのである。

 それはフラン達の目の前にいるリリーナが、本物であることの何よりの証拠となるのだ。

 椅子に腰かけたリリーナがおもむろに口を開いた。


「君達が何を話しているのかわかっているつもりだ。あの王宮にいる私の姿をしたシルフィリアの話だろう」


「奴は残虐のシルフィリア。創生の女神の残虐性を受け持つ未完成な私だ」


「そして彼女は世界を終焉させた」


 リリーナの言葉にフランとエレオスは同時に目を見開く。

 二人の体は驚愕に一瞬、震えているように見えた。何故なら彼女の発言が「過去形」だからである。つまり、リリーナはすでに「世界が終焉を迎えた」と明言しているのだ。


「二人には耳を疑うような話かもしれない。信じられないかもしれない。だけど聞いてほしい。そして協力して欲しい」


 その時、リリーナは今ある世界の現実を唇から紡ぐ。


「君達……いや、人類はすでに死滅している」

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