第44話 時は再び動き出す

 最初に神は男を作った。

 だが男は孤独を嫌った。それ故、神は女を作り与えた。

 神は言った。

 楽園で自由に生きるがよい。ただ、知識の木の実を食してはいけない。

 男は神の言葉を守った。だが女は守らなかった。

 女は男をたぶらかし知識の木の実を食した。

 すると女の目は開かれ、全ての知識を得た。

 女は神を殺し神にとって代わり全てを創造した。

 それ故に女は「創生の女神」と言われた。

 女は光り輝く銀色の髪に青いサファイアの瞳を携えていた。

 

 


 闇は全てを飲み込む。

 人も獣も例外はない。だが闇というものはいずれは消え去るものだ。

 朝日が昇れば夜が消え去るように。暗闇であろうとも光を灯せば闇を切り裂くように。

 そして、深い眠りにあろうとも目を覚ませば光を取り戻すように。


 そこは誰も訪れない場所。耳に響くのは何もなくただ静寂だけが支配する世界だった。

 風もなく、葉を実らせた木々が佇んでいる。無数に伸びる枝を横切るものは上空から降り注ぐ陽の光だけだ。

 だがその森林の奥に建築された遺跡の中で、静寂な世界に変化が訪れようとしていた。

 横たわる青白い水晶の中から聞こえるのは脈打つ鼓動。眠り姫は銀髪の少女と黒髪の美女。

 白い肌がほんのり朱色に色づく。そして、海のように青く光り輝くサファイアの瞳がゆっくりと開いていった。


「解放<リベレーション>」


 少女を覆っていたクリスタルが音もたてずに崩れ去る。全ては欠片となり空気中に霧散して消え去った。

 彼女は今だ視界がはっきりしないのか、立ち上がった後も首を左右に振っている。

 その少女の視界に突如、闇が揺れた。

 黒髪である。艶のある美しく長い黒髪が彼女の前で揺れていたのだ。黒髪を携えた妖艶な女性は半ば茫然とした様子の銀色の少女へ向けて、憂いを帯びた真紅の瞳を向ける。


「……リリーナ・シルフィリア。あなたは……」


 そこまで口にして彼女の言葉は止まった。

 何故ならその女性を目にした途端、突如、銀髪の少女は右腕を振りかぶり、白く丸みを帯びた石を投げつけたからである。

 衝撃音と共に石は彼女の顔に激突しゆっくりと下へと落ちていく。石で見えなくなった表情がさらけ出された時、そこにあるのは憤怒の形相をした黒髪の女性……シオンの姿だった。


「何すんのよ! このド腐れ貧乳が!」


「やかましい。牛馬鹿女め。お前はか弱い乙女一人満足に殺せないのか。この似非死神が!」


 険しい表情で眉を吊り上げながら怒鳴る銀の賢者リリーナを前にして、シオンは驚愕したかのように目を見開いた。


「……あなた。何故それを『覚えている』の?」


 水晶の加護<クリスタル・ディバインプロテクション>には制約が存在する。

 それはあらゆる外的要因を排除し、過去へ遡ることが可能である故に作成者である「世界ワールド監視者オブサーバー」が歴史の改変を防ぐ為に魔法構成と記憶を消し去るという制約だ。

 シオンはかつて死者となったリリーナを喰い、彼女に関する事柄が消えない記憶として刻み込まれている故、その制約を受けない。

 だがリリーナは記憶を失うはずである。それならば先程の言葉が開口一番、発言されるはずがないのだ。


「あなた。……まさか」


 目を丸くしているシオンにリリーナは険しい表情を一変させ笑顔を見せると、ちょこんと舌を出してみせた。


「そのまさかだ。魔法構成をいじらせてもらった。水晶の加護発動による制約は今の私には存在しない」


 彼女のその言葉に安堵感を覚えたのか、シオンは柔らかく暖かい瞳を覗かせ笑顔を形作る。


「……道理で前より時間がかかったわけか。本当にずる賢さだけは世界一ね」



 遺跡を出た先に広がる森林の中でリリーナ達は草の上に腰を下ろしていた。

 相変わらずリリーナの体は、浮揚レビテーションの魔法で僅かながら宙に浮いている。二人の目の前には紙が敷かれ、王都と大きく書かれた文字の上に「ギャハハ」と書かれたものと、「骨」と「監視者」の文字も見えている。

 どうやら即席の作戦会議をしている様子だった。


「……王都を攻め落とすには、まず魔法障壁をなんとかしなければならない」


「あの障壁は強固だからな。私の最上位魔法ハイエンドマジックですら破壊できるかどうかわからない」


 王都アフトクラトラスには、外敵から守るために配置された魔法石を利用して、強固な魔法障壁を展開できる設備が備わっている。

 それを破壊しない限り、残虐なシルフィリアへ刃を届ける所か王都へ入ることすらできないのである。


「どうするつもり?」


「私だけの魔法で破壊できないのならもう一人、最上位魔法を行使できる人がいればいいだけだ。攻め込む前に女神の遺産<エリタージュ>に赴き、監視者に協力を要請しよう」


「……というか私達の会話。彼女にはたぶん聞こえていると思うわよ?」


「それなら説明の手間が省けて好都合だ。あと骨だな。奴も迷宮から引きずり出したい」


「それと聞きたいことがある」


 リリーナは地面に置かれた紙に落としていた視線をシオンへ向け、口を開いた。


「神殺しの征服者<クロノスアダマント>の効果を知りたい」


「征服者は万物を遮断する大鎌。それはあのクソ女も例外ではないわ。その代わり制約が存在する」


 神殺しの征服者<クロノスアダマント>の制約は「一振りしかできない」ことである。振ったら最後、再度、召喚するまでその刃は放てない。さらに周囲の霊力を根こそぎ奪う性質も持っている。霊力は死霊魔法の根源に当たる。いわば魔法に対して言うなら魔力に相当するものだ。

 その性質を持つ故に征服者を召喚した後は、一時的に全ての死霊魔法が使用不可能になるのである。それは召喚武器にも該当し征服者の刃で殺せなかった場合、シオンから全ての武器が奪われることを意味していた。


「最後にしか使えない切り札……か」


「そう。征服者の刃で確実に相手を殺せる状態でないと使えないわ」


 リリーナは思案するかのように視線を地面に落とした。

 

 神殺しの征服者は確かに強力だ。

 万物を遮断するその刃を持ってすれば、あの残虐のシルフィリアでさえ殺せる可能性がある。だが仮にそれで首を切り落としたとしても彼女は「本当に死ぬ」のだろうか。

 もし生存していれば振り出しに戻るどころか逆にリリーナ達が殺させる危険性を孕んでいる。シオンが言っている通り「確実に殺せる」タイミングでしか使えないのだ。

 その前段階として確実に彼女へ刃を繰り出せる存在が必要になる。反魔法鋼殻アンチマジックシェルがある限りリリーナの最上位魔法は決め手とはならないのだ。

 リリーナの唇がおもむろに言葉を紡ぎ出す。


「……前回の戦闘を経て思ったことがある」


「超越者は以前、こう言った。かの者の首を刎ねるには『この世の理から反した存在による刃』が必要だと。それが何を意味するのかわかった気がするんだ」


 リリーナは視線を上げシオンを見つめる。その真剣みを帯びた表情に彼女は赤い瞳を向けた。


「……それは『死者』だよ。死世界への変換により死んでいるのに生きている者達。それはこの世の理から反している存在なんだ」


「つまり死者による刃ならあの女の体を切り裂ける」


「……ちょっと待って。その理屈は理解できるわ」


「だけど今生きている死者って要は人間でしょ? あの女に刃を突き立てられる人間なんているはずが……」


 そこまで口にしてシオンの動きが止まった。

 恐らく彼女の脳裏にはある人物が浮かんでいるのだろう。金色の髪をなびかせ柔よく剛を制すを体現する達人の動き。鋭く迫る双剣の刃。

 かつて死神であるシオンと真っ向から剣戟を交わした女性である。

 そしてリリーナの脳裏にもまたその女性の笑顔が浮かんでいることだろう。何故なら同じ人間の中で誰よりも彼女が慕い、共に生きようとしたかけがえのない友なのだから。

 さらに彼女が言う条件に最も適切な戦力でもあるのだ。


「そう。いるんだ。人間の中でシルフィリアに唯一、刃を突き立てられる人物が」


 リリーナは笑顔で語り掛ける。


「双剣聖。フラン・エスペランスだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る