第43話 進化の果てに
シルフィリアの名が刻まれた石碑の前は静寂が訪れていた。
満天の星が生みだす光が銀色の大地を照らす。暗闇の中、シオンの胸元に顔を埋めたままのリリーナは身動き一つしない。
いつしかその体の震えも止まっていた。彼女の銀色の髪へ手を優しく添えるシオンの表情は暖かくも悲しさに溢れ、夜空に浮かぶ宝石を眺めている。
その時、シオンの耳に声が響いた。
小さな声だった為はっきり聞こえなかったが、すぐにそれが自らの名を呼ぶ声なのだとシオンは気が付いたのか、彼女は赤い瞳をリリーナへと向ける。
「……シオン。聞いてほしい」
「もし奴が来たら私が動きを止める。お前が奴を斬れ」
「お前のことだ。私でも知らない隠し玉の一つや二つは持っているのだろう? 私の魔法が通用しない以上、それに期待するしかない」
シオンはそっとリリーナの髪に添えた手を離した。
ゆっくりと体を離す彼女の顔には瞼が赤く号泣の跡がくっきりと残っている。しかしその青い瞳は決意に満ちたかのように光り輝いていた。
「最悪……私ごと斬れ」
その言葉が響いた途端、シオンは右手でリリーナの胸倉を掴み引き上げる。怒りに燃えるかのように赤い瞳を鋭く光らせ、彼女の口が牙を剥いた。
「あんたを斬れだって? このくそったれな世界で私を一人にしろとでもいうのか!」
「このままだと二人とも死ぬぞ? 心中して終わるか? それもまた一興かもな」
リリーナの冷徹な声が響く中、しばらく睨み合うとシオンは突如、胸倉を掴み上げていた手を離す。
青い瞳がシオンを捉えた。彼女の目の前でシオンは今までで見たこともないであろう苦悶の表情を浮かべている。常に冷酷で常に微笑み、立ち塞がる障害を残酷に排除してきた死神は、死の覚悟を決めた「半身」の言葉を前にして明らかに狼狽していた。
そんな彼女にリリーナは、先程の鋭い表情を変え笑顔を見せる。
「シオン。お前は最初、あの森から出る時に言ったな。『世界を確かめるというのなら私はついていきましょう』と。私がこの世界でどう生き、どう判断するのか、それを確かめる為に」
「聞かせてくれ。この旅路の果て。私を見てきたお前の……結論を。その答えを」
シオンの赤い瞳が青い瞳と混ざり合った。そこには苦悶の表情は影も形もなく、常に微笑む彼女本来の表情を見せている。
「この死の世界の中であなたは私の『半身』。失ってはいけないもの。例えこの身を犠牲にしたとしても」
「……それは私も同じだとお前は気が付いているはずだ」
「ならば私の想いも理解できるはずだろう?」
シオンの表情から笑顔が消えた。
彼女にとってリリーナが半身であるのと同様に、リリーナにとってもシオンは失うべきではない存在なのだ。それ故、リリーナはシオンを守るため死を覚悟しているのである。
共倒れなどもっての他だ。死ねば何も残らない。片方が死しても片方を生かそうとする。シオンが自らを犠牲にしてでもリリーナを救おうとするのと同様に、またリリーナもシオンを救おうとしているのだ。
「……それに、議論している時間など私達には残されていない」
突如、リリーナの表情が鋭いものへと変わる。そしてゆっくりと振り向いた。
彼女の視線の先にそれは舞い降りる。
リリーナと同様の銀色の髪。青いサファイアの瞳。白いローブ。だがその表情だけは彼女と違い不気味に歪んでいる。
女神の遺産<エリタージュ>より地上に降りた残虐のシルフィリアが、ゆっくりと歩み出た。
「この世界は失敗作の世界」
「あの方はお嘆きだ。失敗品が跋扈する世界など不要だとおっしゃっている。故にこの世界は滅亡するべきなのだ」
シルフィリアの言葉が響く中、その声に呼応するかのようにリリーナの足が一歩前に出る。
彼女の後ろでシオンは真紅の瞳を光らせた。
「……それは間違いだ。お前の女神に対する歪んだ愛情が生み出した妄想に過ぎない」
「最初に生み出され、誰よりも長く女神と接していた監視者は人類を見守ることを選択した。自分では手を出さず人が神の手を離れ進化していくことを望んだ」
「女神シルフィリアを最もよく知る彼女がそう選択したのだ。女神の真の意図する所は私にはわからない。だが監視者のその行動が最もそれに近いはずだ」
「……完成体は造られるものではない。進化の果てに生み出されるものだ」
リリーナのその言葉が響いた瞬間、シルフィリアの動きがピタリと止まる。小柄な体が小刻みに震えていた。
「……あなたはゴミが宝石を生み出すとでも思ってるんですか?」
突如、彼女の青い瞳が大きく見開く。
まるで激情したかのように瞳孔を広げ体を震わし、常に張り付けていた笑みを消し去ると、その口から呪詛の言葉を銀の大地に震わせた。
「馬鹿かお前はぁぁ! ついに頭イカれたかぁぁ!?」
「ゴミは所詮ゴミィィィィ! ゴミはゴミしか生まないぃぃ! 出すのは汚泥だ! 糞だ! それは虫ケラの価値すらない!」
「もうお前との胸糞悪いお喋りは終わりだぁぁぁぁぁぁ!」
シルフィリアの叫び声が大地にこだましたと同時に、彼女は両手を天へと掲げる。
青白い光が銀色の大地を照らした。掲げた両手に展開した魔法陣と同時にシルフィリアの足元に「
激情に揺れているであろうサファイアの瞳に魔法構成が浮かび上がり高速に流れていく。両手に光る魔法陣の中央に膨大な熱量が収束しつつあった。
それはあの監視者を葬った「燃え盛る炎龍<ブレンネンフラムドラグーン>」である。
リリーナはゆっくりと歩み出た。
魔法構成を刻むわけでもなく、その瞳には殺意すら見て取れない。ただ真剣みを帯びた表情でその唇が一言、シオンへと響かせていた。
「……先程の言葉。忘れるなよシオン」
シルフィリアが両手を前に掲げる。
魔法陣より生み出された対となる炎龍が魔法名と共に放出され、目の前の二人を灼熱の業火で焼き払う……はずだった。
突如、リリーナの足が大地を蹴る。
シルフィリアの目の前まで駆け寄った彼女は、その両手に魔力を込め魔法陣へと飛び込んだ。青白い光を帯びたリリーナの手と魔法陣とか反発し雷にも似た音を響かせる。
「貴様ぁぁぁぁぁ!」
「……どういうつもりで私と瓜二つにしたのかわからないが、それが仇になったな」
「私と同じということは魔力の波長も同じということ。それなら同質の魔力をぶつけて魔法を相殺することも可能だ」
「だがぁ! このまま膠着してもお前に勝ち目はないぃ!」
その瞬間、シルフィリアの口が動きを止めた。
眼前に立ちはだかるリリーナの後ろでゆらりとシオンの姿が揺れる。その右手には暗闇の中でも明確に視認できるほどの闇が収束していた。
それは
シオンの血のように赤い真紅の瞳が光り輝いた。
「最上位死霊武器・神殺しの征服者召喚<ハイエンドファントムウェポン・クロノスアダマントサモニング>」
それは黒色に輝く柄を持つ大鎌だった。
刃渡りは死神の大鎌をゆうに超えるもので、他の死霊武器とは違い刃の部分は先端が湾曲し、磨き上げられた金剛石のように光り輝いている。長い柄の後部には漆黒の鎖が繋がれていた。
「神殺しの征服者<クロノスアダマント>」は万物を遮断すると言われている。その煌びやかな刃は神も悪魔も人も例外なく全てを斬り伏せる。ただし「一振り」しかできない。一振りしたら征服者は消滅し再度、召喚するには相応の時間を必要とするのだ。
征服者に繋がれた鎖が大地と擦れる音が響く。
その瞬間、シオンの体が動いた。征服者を横に構え殺意に塗り固められたかのように真紅の瞳が光り輝く。
彼女の体が迫るその刹那。征服者の姿に怖れを抱いたかのように目を硬直させるシルフィリアとは対照的に、リリーナは一瞬、口元をほころばすと青い瞳をゆっくりと閉じた。
金剛石の刃が空間を裂く。それは横一文字の軌跡となってリリーナごとシルフィリアの体へ斬撃を走らせた。
リリーナ・シルフィリアはゆっくりと瞳を開ける。
自らの胴体は繋がっていた。両手は今だ燃え盛る炎龍<ブレンネンフラムドラグーン>を抑え込んだままだ。
眼前では目を見開き体を硬直させた残虐のシルフィリアが佇んでいる。
その時、彼女は気が付いたことだろう。シオンの繰り出した征服者の刃はリリーナの体のすぐ脇でその動きを止めていたことに。
リリーナは驚愕したのか目を見開き、青い瞳をゆっくりとシオンへと向ける。
「……シオン?」
彼女のすぐ後ろでシオンは斬撃を打ち込んだ姿勢のまま、体を硬直させていた。
その表情は口元をほころばせたいつものシオンである。だがその顔も体も全て小刻みに震えていた。
真紅の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちる。
「……私の牙は……いつしか抜かれていたのか」
刹那。シオンの体は内部から爆発した。
炎龍を解除したシルフィリアが魔法を行使したのである。シオンは体を四散させ涙に濡れる頭だけがリリーナの足元に転がった。
シルフィリアは肩で大きく息をしながら口元を歪ませる。
「は……ははははははっ! 征服者はまずいですよぉ。いくら私でも当たり所が悪ければさすがに死にますねぇ」
リリーナはシルフィリアから離れると崩れるように膝を折りシオンの頭を抱きかかえた。彼女の表情は涙に濡れたまま動くことはない。
青い目を見開き、シオンを失ったことによる恐怖かリリーナは、小柄な体を震わせ目を瞑る彼女の顔を見つめる。そんな彼女の背中へ冷酷な言葉が響き渡った。
「あとはあなただけです。でもこのまま殺してしまってはつまらない。こうしましょう」
「再び『死世界への変換』を発動して……あなたを死者にしてあげますよぉ。ギャハハハッ!」
銀の大地に嘲笑を響かせ、シルフィリアは左手を天高く掲げる。
その手に握られるのは魂縛された監視者の魂であった。それを糧とし死世界への変換を再来させるつもりなのである。
刹那。リリーナの足が大地を蹴った。瞬間移動により彼女の体がシルフィリアの視界から消え去る。
残虐のシルフィリアはそれを追うことはせず、残酷な笑みを浮かべた。
「……どこに逃げようと死世界はクレアシオン大陸全体に及ぶ。逃げ場など……ない!」
逃げ場などない。だがどうしても安全地帯に逃げる必要があった。何故なら残虐のシルフィリアの前であの魔法を行使することは危険だからだ。
方角も定まらない転移を幾度も繰り返す。建物や石の中に瞬間移動しなかったのは奇跡のようなものだった。
女神の遺産<エリタージュ>を中心に大地に光の帯が走る。死世界への変換の前兆だった。
光で世界が包まれようとしている時、リリーナの目の前に佇んでいたのは森の中にひっそりと建つ遺跡だった。
それはシオンと初めて出会ったコンフィアンスの森である。彼女は咄嗟に遺跡の中へと駆け込んだ。
上位瞬間移動の酷使により激しい頭痛に苛まれているのか、リリーナは苦悶の表情を浮かべる。それでも彼女の足は止まることはなかった。
玄室の中に逃げ込むと、ヒカリゴケによりうっすらとエメラルド色に光る室内で、リリーナはシオンの頭をそっと地面に置く。サファイアの瞳から一筋の涙を流し、震えるその口が言葉を紡いだ。
「……何が冷酷な死神だ。こんなか弱い女一人も満足に殺せないのか。死神の名が泣くぞ。シオン」
瞳にため込んだ涙を拭うと、そこには決意に満ちたかのような鋭い表情があった。
リリーナはゆっくり立ち上がると前を見据える。彼女のいた空間を眩い光が飲み込もうとしていた。だがそれに抵抗するかの如くリリーナの足元に「
無言である彼女の脳裏に去来するものはなんだろうか。それは恐らく過去の記憶だったのかも知れない。
死の超越者は口にした。「リリーナ達は負ける」と。そしてそれは言葉通りに現実となった。
足りないものは何なのか。超越者の言う「この世の理から反した存在」とは何か。
口を閉ざし、鋭い瞳で前方を見据えるリリーナには、その解答がすでに出ているのかも知れない。
突如、サファイアの瞳に魔法構成が刻まれる。
それは高速で流れ、
リリーナの唇が魔法の旋律を奏でる。
青く透き通ったクリスタルが彼女とシオンを覆い尽くし、その瞬間、全てが光の海へと沈んでいった。
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