第42話 全てを燃やす双炎龍
灼熱の炎を身に纏った太陽がゆっくりと地上に降り立つ。
体に纏わりつく炎龍はなおも残虐のシルフィリアを焼き尽くそうと咆哮を上げた。だがその業火は彼女へは届かない。
青白い球体に守られシルフィリアの体は傷一つ負っていなかった。青い瞳を重ね合わせ対峙するリリーナは、おもむろに左手を掲げパチンと指を鳴らす。
すると渦巻く炎龍はその姿を空気中に霧散させ消え去った。彼女はどうやら今のシルフィリアには魔法が無駄だと判断したのだろう。燃え盛る炎龍を解除したようだった。
依然、球体に守られているシルフィリアの口が不気味に歪む中、その光景を目の当たりにした監視者が声を響かせる。
「
「御名答です。さすが物知りですねぇ」
物理攻撃に関しては無力だが、その青白い外殻は「全ての魔法」を弾く性質があった。勿論それは
ただデメリットとして「全ての魔法」とは自身が放つものも含まれる。つまり外殻に守られている間は術者本人も魔法が使用できないのである。
「反魔法鋼殻の持つ魔法防御は絶大だ。だが術者本人も魔法は使用できない。どうするつもりだ?」
リリーナがシルフィリアを鋭い瞳で見据え口を開いた。それに対し彼女は口元を歪ませたまま青白く揺らぐ瞳を光らせる。
「簡単ですよ」
突如、シルフィリアの体を三重に展開する「
彼女の体を外的要因を拒むかのように青白い魔法風が巻き起こる。
「解除して叩き潰せばいい。それだけです」
「なるほどな。反魔法鋼殻の対策なんぞ小細工は必要ない。要は……」
対峙するシルフィリアに呼応するかのように、リリーナの足元に三重にもなる魔法陣が展開する。
青白い光に包まれながら彼女は、サファイアの瞳に殺気を纏わらせるかのように青い炎を宿しシルフィリアを睨みつけた。
「お前の放つ魔法ごとお前を叩き潰せば、それで終わりだ」
ほぼ同時だった。
二人の青い瞳に魔法構成が浮かび上がり、高速で流れていく。
同時に展開する魔法陣に発生した膨大な熱量が空間を歪ませる。今まさに灼熱の炎龍が解き放たれようとしていた。
美しく整った唇が同時に魔法の旋律を奏でる。
「最上位精霊魔法・燃え盛る炎龍<ハイエンドエレメンタルマジック・ブレンネンフラムドラグーン>!」
灼熱の炎が生みだす赤き光が監視者の間を激しく照らした。
魔法陣より解放された業火を纏う炎龍は、同じ容姿を持つ二人の少女の中央で衝突し、その体を巻きつかせる。
少し離れた位置でそれを視界に収めたシオンは、肌を刺すであろう熱気と眩い炎による光に目を細めながらただ見守るしかできなかった。
彼女達の体は魔法風が覆い、他者の侵入を拒む。またその周辺は燃え盛る炎龍の熱波により肌を焼くほどの熱量が迸っていた。
不用意に近づくものなら魔法風に巻き込まれ、その身を焼かれることになる。もはや完全に「彼女達だけの領域」と化していたのだ。
力勝負の場合、勝敗を分けるものは文字通り膂力によるものだ。
だが魔法の場合、その明暗を分けるもの。それは術者の持ちえる魔力の強さである。リリーナと残虐のシルフィリア。お互いに「
「……互角か」
シオンがおもむろに口を開く。
炎龍は咆哮を上げ彼女達の中央で均衡していた。その灼熱の牙はお互いを噛み砕かんと突き立てたまま、身動き一つしない。
だが完全な膠着状態に陥ったと見られたその時、シルフィリアが残った左手を突如、頭上へと掲げる。
「……少し。本気を出してあげますよ」
その瞬間、対峙するリリーナの目が驚愕したのか見開いた。
シルフィリアの掲げた左手に魔力が渦を巻く。右手で炎龍を発動させたままその青い瞳に魔法構成が浮かび上がった。
左手の魔法陣に熱量が吸収されていく。炎が収束し巨大な炎龍がその頭を覗かせた。
残酷な光を纏いシルフィリアの瞳が大きく見開く。
「お前さえ死ねば、お前さえ死ねばシルフィリアは一人だけ。世界にいるのは私シルフィリア一人だけ!」
「あの方の寵愛を受けるのは……私だけだ!」
「それ以外は等しくゴミィ! 全て焼け死ねぇぇ!」
呪詛の言葉を口から吐き出しつつ、シルフィリアは左手を前に突き出す。魔法陣から出現したもの……それはもう一匹の燃え盛る炎龍の姿だった。
「
「最上位精霊魔法・燃え盛る炎龍<ハイエンドエレメンタルマジック・ブレンネンフラムドラグーン>!」
赤き灼熱の光が視界を覆う。
撃ち出された炎龍はその体をもう一体の炎龍に絡みつかせ、双炎龍となり耳をつんざく咆哮と共に牙を剥いた。その体は確実にリリーナの放つ炎龍を押しのけ、彼女を飲み込むべく業火に包まれた巨大な口を開けた。
リリーナは魔法を撃ち終わった瞬間である。例え竜言語があるとはいえ、耐えるほどの魔法障壁を瞬時に展開することなどできない。
茫然と立ち尽くすリリーナの青い瞳が灼熱の色に染まっていった。
刹那。リリーナの視界が突如、閉じる。それは彼女の眼前に巨大な何かが移動した証だった。
何重にも張り巡らされた魔法障壁を展開させ、リリーナを守るかのように
彼女は大地に足を根付かせ、持ちえる全ての魔力を魔法障壁に注ぎ込み灼熱の猛火を抑え込んだ。
「……シオン。彼女を連れていけ」
双炎龍が生みだす膨大な熱気の中、躊躇する事無くシオンの足が大地を蹴る。
その体を焼き焦がしながら彼女は、目を見開き固まるリリーナを片手で抱きかかえると脇目も振らず走り始めた。
双炎龍の猛攻を受け、監視者の眼前で展開する魔法障壁が徐々に砕け散っていく。業火の牙が彼女の眼前まで迫る中、監視者はその金色の瞳を抱きかかえられながらも、手を自らへと伸ばすリリーナへと向ける。
リリーナを見つめる彼女の瞳はどこか温かみがあった。
「……離せ! シオン!」
リリーナの瞳に涙が溢れ出る。その雫が走り去る速度により空気中を漂っていった。
雫が流れる先。遠くに見える監視者がまるで娘を助ける為に我が身を盾とする母のように、距離を離していくリリーナを見つめ、金色の瞳を灼熱の炎へと向ける。
その瞬間、最後の魔法障壁が砕け散った。
「離せぇぇぇぇぇ!」
リリーナの魂の叫びも虚しく力をため込んだ双炎龍は、その灼熱の牙をもって暴威を振るう。
彼女の視界の中で、監視者の姿が燃え盛る業火の海へと沈んでいった。
――シルフィリアの名が刻まれた石碑の前にて。
所々、再生しきれずに焼け焦げたままのシオンの胸元で、リリーナは顔をうずめ震えていた。
その小柄な体を震わすものは悲しみなのか、それとも怒りか。あるいは両方だろう。
胸の中で震える彼女に憂いを帯びた瞳で見つめ、その銀色の髪にシオンはそっと手を添える。
シオンの唇がゆっくりと言葉を紡いだ。
「その怒り。ため込んでおきなさい。来るべきその時のために」
「でもその悲しみ。それはここで解放しなさい。あなたにはそれが許されるわ」
堰を切ったように彼女の悲しみが号泣となって石碑の前に響き渡る。
シオンはそんなリリーナを優しく抱きしめた。
――監視者の間。
周辺に今だ炎がくすぶる中、シルフィリアはゆっくりと歩み出た。
双炎龍が生みだす膨大な熱量の余波で、彼女を取り巻く空間は揺らいでいる。結界を張っていた黒い鳥もいつの間にかその姿を消し去っていた。
彼女はある場所へ足を進めると、その口元が残酷な笑みを浮かべる。シルフィリアの視線に浮かぶもの。それは焼け焦げた監視者の骸だった。
魔力のうねりが迸る。それは刃のように空間を裂き、監視者の首を切り落とした。
シルフィリアはそれを勝どきの如く掲げ、監視者の間に嘲笑を響かせる。
「さすが世界の監視者。双炎龍を受けてなおその身を灰にしないとは」
「神の遺産とも呼ばれる存在の魂。それはアフトクラトラスの全民に匹敵する濃密な魂」
「再び死の世界を到来させるには十分すぎるほどの贄だ。ギャハハハッ!」
炎龍が全てを焼き尽くした女神の遺産<エリタージュ>に、彼女の甲高い笑い声がどこまでもこだましていた。
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