第37話 シオンの追憶 前編
リリーナの青い瞳に黒髪が揺れていた。
監視者が鎮座する神殿の外。花が咲き乱れる空中庭園の中でシオンは遠くを見つめ佇んでいた。陽の光を浴びて美しい黒髪が艶やかな光を帯びる。彼女は歩み出たリリーナに背中を向けたまま身動き一つしなかった。
死の世界へ変貌を遂げて以降、常に共に行動し、共に戦ったシオン。そして、監視者の言葉に従えば彼女は言わばリリーナの姉とも言える存在なのだ。
以前よりも一際大きく映るであろうシオンの背中にリリーナはゆっくりと語り掛ける。
「……シオン。聞きたいことがある。『死世界への変換<デッドワールドトランスレイション>』の時、何が起こったか教えてほしい」
「それは監視者から聞いたのではなくて?」
「私が聞きたいのは監視者でさえ知らない死世界への変換直後の話だ」
「お前なら知っているかも知れないと監視者は言っていたよ。……プリメーラ」
その名を呼ばれ、シオンの体がピクリと動く。ゆっくりとその顔がリリーナへと向けられた。彼女は穏やかな表情でリリーナの青い瞳と自らの赤い瞳を重ねる。
対するリリーナは、真剣な表情で見つめていた。
「……全てを聞いたって顔ね。わかったわ。話してあげる」
――死世界への変換から三日後。
空を見上げるシオンの目に陽の光が差し込んだ。
森林に囲まれた中、シオンの姿とその後ろにテントが佇んでいる。木々に差し込む光を仰ぐように見る彼女の視界に一面の青空が広がっていた。雲の様子から恐らく今日は雨は降らないだろう。彼女は雨があまり好きではないようだった。恐らく自慢の黒髪が汚れるからだろう。
さらにもう一つ理由があった。雨を凌ぐ厚手のローブは一つしかない。それだと今、「テントで寝ている人間」と二人で羽織るのは無理があるからだ。
シオンは、一呼吸置くとテントの入り口を開ける。中には一人の少女が眠っていた。銀色の髪に純白のローブを身に纏う少女。だがその美しかった銀色の髪は色あせ、ただでさえ白い肌を蒼白とさせ身動き一つしない。まるで死んでいるかのようだった。
「起きなさい。銀の賢者。そろそろ出発するわよ?」
シオンのその声に目を覚ましたのか、銀の賢者と言われた少女……リリーナは青い瞳を覗かせる。
その細くやつれた腕でゆっくり上半身を起こすと、テントの外から覗き込むシオンへ笑顔を見せた。
「寝すぎたようだな。すまないシオン」
「別に無理しなくてもいいわよ。少し休んでからでいいわ」
彼女にそう答えテントを閉めようとしたその時、リリーナが口を開いた。その目は淀み表情は暗く沈んでいる。
「なぁシオン。『私が死んでからどれくらいたった』?」
少し時間を置き、シオンの言葉が響いた。
「……三日よ」
リリーナ・シルフィリアは死世界への変換により死者となっていた。
シオンとの戦闘中に死の世界へと巻き込まれた彼女の体は変質を遂げる。他の人間とは違いシオンの赤い瞳の前でもその姿は生者のままである。だが死は確実に彼女の体を蝕みその機能を奪っていった。
今、シオンの目の前にいるリリーナは最早、あの強大な力を持つ銀の賢者ではない。歩く事すらままならず、ましてや魔法すら満足に行使できないのである。
リリーナは深呼吸をするとゆっくり立ち上がろうとした。その時、彼女の体がガクッと膝をつく。何が起こったかわからないのか目を丸くしているリリーナにシオンが語り掛けた。
「あなた。気が付いている? その足。『折れているわよ』?」
痛みも最早感じないのだろう。リリーナの足は華奢な彼女の体すら支えられなくなっていた。自らの自重により折れ曲がった足を目にしてリリーナは深いため息をつく。
その後、テントを畳み歩けなくなったリリーナを背中におぶり歩くシオンの姿があった。彼女の首筋にリリーナの吐息と共に声が響く。
「何故、私を助けた? お前は私を殺そうとしていたんじゃないのか? 今なら赤子の手をひねるように息の根を止められるぞ?」
「何故かしらね。自分でもわからないわ」
「ただ一つだけ言えることは、今の弱弱しいあなたを殺した所で何の感慨もわかないってことよ」
その言葉にリリーナは口元をほころばせた。
シオンはリリーナを連れある場所へと旅を続ける。日を追うごとに彼女の体は動かなくなり、銀色の大地にたどり着いた頃にはもう動かせるのは首から上だけだった。手は垂れ下がりただ体に繋がっているだけである。足など最早、原型すら留めてなかった。
シオンの目的地。そこは女神の遺産<エリタージュ>である。
転移の魔法陣にて空中庭園へ足を踏み入れたシオンに、艶のある毛を持つ黒い小鳥が頭上を旋回する。「大変だ。助ける」「リリーナ。助ける」と連呼しながら。数羽の小鳥がリリーナの首元へ身を寄せ、彼女を温めるかのようにその身を震わせた。
神殿の奥にて監視者の目の前にシオンが歩み出る。その両腕には死んでいるかのように身動き一つしないリリーナが抱かれていた。
それを目にした監視者は驚愕したかのように大きな声を響かせる。
「神の子! 突如、私の視界から消えたのは……死んだのか?」
「死んだわ。魂は辛うじて残っているけどそれも時間の問題。今は体の残りカスに留まっているだけよ」
「完成体さえ変質させるのか。あの死の世界は」
「……プリメーラ。リリーナ・シルフィリアをここに連れてきたのは何故か?」
シオンはその赤い瞳をリリーナへ向ける。彼女は眠っているのか目を閉じ動かない。寝顔だけ見れば十八歳の少女である。
その少女とシオンは激戦を繰り広げてきた。一時は共に戦い、そして再び敵となって相まみえる。命を削る戦いの中で恐らくシオンにとってリリーナの存在は大きくなったのだ。言わば好敵手であり、生み落とされてから永遠と続く世界の中で唯一、地上において彼女がその命を狩ることができない存在なのである。
失うわけにはいかない。シオンの脳裏にそんな考えが過ったのかも知れない。
「あんたでも助けられないのか?」
「無理だ。変質した身体を元に戻すことはできない。それが可能なのは創造主である女神シルフィリアだけだ。だが……」
「……時を遡れば助けられる可能性がある。水晶の加護<クリスタル・ディバインプロテクション>だ」
「水晶の加護を行使できれば時間を遡るだけでなく、過去にいる彼女にその魔法構成を教えることができれば、加護により死世界への変換からその身を守ることができる」
「だがそれには大きな問題を伴う。まず第一に私もお前も記憶を失う。二つ目に仮にその問題を乗り越えたとしても過去にいるリリーナ・シルフィリアへ水晶の加護の魔法構成を教える術がない」
「どのみち、希望などありはしないのだ」
その時、一羽の小鳥が監視者の元へと飛来する。「これで。助ける」と連呼しながら旋回した。
おもむろに監視者が手を差し出す。すると小鳥の足から何かがポトリと手に落ちた。それは白く丸みを帯びた石である。声などを保存する
監視者はその石を眺めていたがある事に気が付いたのか、金色の瞳を見開いた。この魔法道具は声などを保存するものだが「魔法構成」も保存可能なのである。それが意味すること。水晶の加護の魔法構成をこの石に保存して過去のリリーナへ渡せることができれば道は開ける可能性があるということだ。
神殿内に監視者の声が響き渡った。
「プリメーラ。二つ目の問題は解決したぞ。だが最大の問題『記憶』はどうする? いくらこの石を使って過去に魔法構成を伝えたとしても肝心の持ち主の記憶がなければ意味をなさない」
「……それなら……名案がある」
消え去りそうなほど小さい声だった。
シオンの腕の中で、リリーナが青い瞳を開ける。その震える口で残る力を振り絞るかのように言葉を紡いだ。
「……私を喰え。シオン」
その言葉に激情したかのように身を震わせ、シオンはリリーナを睨みつける。対する彼女は目を細め優しく微笑んでいた。
「喰えですって? 私はあんたを喰う為にここに連れてきたわけじゃない!」
「だが……先程の会話からするとそれしか……道はないだろ?」
シオンの持つ能力の中に、対象を食すことでその持ちえる情報を入手する力がある。永遠に生きる時の中で、かつて生きた時代と今生きている時代の歴史や人の生き方を記録するように、女神シルフィリアから与えられた能力だった。
彼女にしてみれば煩わしいだけの能力だったことだろう。何故なら取り入れた記憶や情報はシオンの脳に深く刻まれるもので、忘れることすらできないものだからだ。
だがこの場合、リリーナの情報を取り入れることで「水晶の加護」発動後でも彼女に関する記憶が残っている可能性が発生する。リリーナの言う通りこれしか道はないのだ。
監視者が頷くかのように瞬きした。
「確かに。プリメーラの能力ならば可能性はある」
「そこの『女性』もそう言っているだろう?」
リリーナの言葉にシオンは違和感を覚えたのか眉根を寄せる。この場に「女性」として見えるのはリリーナを除けばシオンだけだからだ。
シオンの顔から険しさが消え去る。そう。もうリリーナの目に光は宿っていないのだ。そこにいる
リリーナが体を震わせながら、言葉を紡ぎ出す。
「大丈夫。過去の私はお前のことを信じるよ。何故ならお前は『嘘は言わない』からな。最大の敵だからこそ知り得ることもあるだろう?」
「早くしないと本当に死ぬぞ。さっさと喰え。牛ババァ」
シオンはゆっくりとリリーナを寝かせた。彼女のその表情は今までリリーナが見た事がないであろう穏やかなものだった。だが勿論、リリーナにその表情は見えない。
「……胸はやめておいてやる。ただでさえ貧乳のあんたがさらに胸が無くなれば……寂しいだろうからな」
黒髪が揺れた。
シオンの美しい顔が口を開け、ゆっくりとリリーナの首元へと近づいていく。彼女は自らの首筋にシオンの尖った牙が突き刺さるその瞬間まで笑顔を見せていた。
「過去の私に伝えてくれ」
「死は優しく、生は過酷だ。……だからこそお前は生きなければならない」
……監視者は目を逸らした。
女神シルフィリアが生み出した完成体であるリリーナ・シルフィリア。彼女が死ぬ瞬間を見てられなかったのだ。そして、その喉元が同じ完成体である原初の女性プリメーラに食いちぎられる瞬間を。
シオンはゆっくり立ち上がると口元を拭う。血などほぼ付いていなかった。安らかに目を閉じるリリーナに視線を向けたまま彼女は呟く。
「……不味いわね。肉なんて何もないじゃない」
彼女は真剣な眼差しを監視者に向け、鋭く言葉を紡いだ。
「水晶の加護を使え。
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