第36話 死世界の真実

 小鳥の羽ばたく音が神殿内に響いていた。

 庭園の中で飛んでいた人語を介する奇妙な鳥は、その姿からは予想だにしない行動力と力を有しており、どこからともなく椅子を持ち上げ飛来する。複数の小鳥がその嘴で木製の椅子をくわえて飛ぶ光景など、まず地上では拝むことなどできないだろう。小鳥は椅子を定位置に置くとリリーナの周りを旋回し「どうぞ、どうぞ」と言葉を放った。

 しかし、シオンの前には椅子は置かれない。代わりに一羽の小鳥が飛来し「シオン。立て」と連呼していた。彼女は飛び回る小鳥に鋭い瞳を向ける。


「わかったわよ。立ってるわ。まったくこの扱いの違いは何かしら?」


「動物というものは清く正しい人間に懐くというからな」


 椅子に腰かけ、小鳥を肩に乗せたリリーナがその艶のある毛並みを撫でながら言葉を紡いだ。シオンはそれを耳にして呆れたかのように大袈裟に両手を広げて見せる。


「あんたのどこから清く正しいなんて台詞が出てくるのか興味深いわね。鳥に糞でも落とされればいいわ」


 皮肉めいた口調のシオンを一瞥するとリリーナは、足を組みその青い瞳を監視者へと向けた。純白のローブの二股部分から白く美しい太ももが露わになるが、ここにいるのは鳥とシオンと竜のみである。彼女は一切、意に介さない様子だ。

 両手を膝の上に重ね、銀色の髪を持つ少女は口を開く。


「監視者。私はこの世界を知りたい。何が起こったのか。そして、『奴』が何者なのか」


 彼女の言葉に対する答えが響き渡った。

 

 シオンとの戦闘中に起きた出来事。それは、「死世界への変換<デッドワールドトランスレイション>」と呼ばれる。

 かつて七賢者が作成したアフトクラトラス全域を覆う巨大五芒星。行使者はそれを利用し「死世界への変換」を行使し、一瞬で全ての生者を死者とした。その行使者とは……あのシルフィリアである。

 彼女は元々、肉体を持たない霊的存在であった。だが「死世界への変換」によりアフトクラトラス全域の生者の魂を吸収し、肉の体を得て降臨する。その目的は極めて単純だった。


 全ての生命を死滅させる。


 ただそれだけなのだ。

 彼女のその目的を「死世界への変換」は着実に実行している。死世界はアフトクラトラスの領域を超え隣国をも巻き込み、クレアシオン大陸全てを浸食した。つまり、この世界において生者は最早いないのである。


「創生の女神は二面性を持っている。一つは自らが創造した者への愛や慈しみの精神。もう一つが全ての者を殺戮する残虐性」


「死世界への変換によりこの世に現れたシルフィリアは、その残虐性のみを身に宿している。言わば『残虐のシルフィリア』だ」


「奴は全ての生あるものを憎む。奴の頭には殺戮本能しかない。まるで動く死体のようにな」


 監視者の言葉はそこで終わりを告げた。

 残虐のシルフィリアは、創生の女神が持つ残虐性のみが人の形となって舞い降りたような存在。その足は大地を腐らせ、吐く息は空を舞うものを地に落とし、その手は殺戮しか生まない。まさに「死の権化」と言えるのだ。

 同じく死を司る死神と謳われたシオンでさえ、監視者の言葉に鋭い瞳を輝かせている。彼女の手も死を生むものだが無差別に殺戮することはない。何故なら全ての生命を狩った所で、残るものは無以外の何物でもないからだ。

 リリーナは思案するかのように視線を落としていたが、突如、その顔を上げ監視者を見つめる。


「その『死世界への変換』から私を守ったのは水晶の加護によるものだが、この魔法はあなたが作成したものか?」


「いかにも。『水晶の加護<クリスタル・ディバインプロテクション>』は私の魔法だ」


「水晶の加護には、あらゆる外的要因を排除する防御性能の他に時を遡る効果がある。その為、私はこの魔法に制約を設けた」


「それは、魔法構成の消失と記憶の喪失だ」


 魔法に設けられた制約が意味すること。それは監視者が「歴史の改変」を望まないことであろう。「終焉の迷宮」にて死の超越者が言っていた通り、魔法というものは生み出されたものでありそれによって起こる現象はすべて、作成者が意図したもの……つまり「必然」なのである。

 水晶の加護についての監視者の言葉を耳にして、再びリリーナは視線を落とす。ぼんやりと浮かぶ焦点が定まらない事実。それを脳内から紡ぎ出そうとしているのか彼女の瞳は一点を見つめ動かない。

 突如、シオンが身を翻しリリーナへと背中を向けた。彼女の視線を受けても何も語る事無くシオンはその場を後にする。

 リリーナはその背中を見つめた後、おもむろに口を開いた。


「……シオン。いや『世界ワールド調整者コーディネーター』は創生の女神が生み出した人間の完成体だと聞いた」


「少し彼女のことを聞きたい。構わないだろうか?」


 シオンの姿が視界から消えた後、リリーナはその青い瞳を監視者の金色の瞳へと重ねる。彼女がシオンのことを深く追求するのはこれが初めてである。一時は互いの命を狙い対峙した者。だが今はこの死の世界において共に生き抜く生者なのだ。シオンのことをより深く知る必要があると彼女は感じたのだろう。リリーナの表情は真剣身を帯びたものだった。

 監視者は頷いたかのように瞬きすると声が響き渡った。


「いいだろう。話そう。最初に生み出された女性の話を……な」


「彼女の本来の名……つまり、創造され付けられた名は『プリメーラ』だ。私でさえ覚えている名だ。おそらく本人は忘れたふりをしているだけだろう」


 シオン。いや最初の名「プリメーラ」は、創生の女神により生み出された最初の女性だった。

 魂は不変で個を失わず消滅しない。だが肉体はそうではなく歳を取り次第に朽ちていく。それをよしとはしないプリメーラは自らの魂の力によりあらたに得た肉体を束縛し、不死の体を得ることに成功する。

 彼女は創造された際、創生の女神に酷似した外見で生み出された。長い銀色の髪に青い瞳である。だが永遠とも言える時の流れの中で世界を見、そして旅して歩いた彼女の瞳は血のように赤く染まったのだという。

 プリメーラは女神の遺産<エリタージュ>を出るまで創生の女神の元から離れなかった。そして、女神が生みだす失敗作がまるでゴミのように排除されていく様を横でずっと見ていたのだという。創生の女神は生み出された完成体には惜しみない愛情を注いだというが、失敗作には容赦ない死を与えたと言われる。


「……シオンが人間をゴミのような目で見るのはそれが理由か」


「そうだ。彼女にとっても創生の女神にとっても失敗作は全てが無価値だ。そこには完成体かそうでないかしかない。数など問題にはならないのだ」


「例え失敗作が億の数あろうと全ては無価値。それが女神の意思だ」


「……そして、この世界において完成体は三人しかいない。一人はシオン。もう一人は私。そしてもう一人は……」


「お前だ。リリーナ・シルフィリア。神の子よ」


 リリーナの青い瞳が見開く。

 彼女の脳裏に浮かぶであろう自らに対する全ての疑問が今、ここで解けたことだろう。自らが何故「精霊エレメンタル支配者ルーラー」の階級を持つのか。何故、女神の遺産<エリタージュ>に置かれていたのか。何故、世界でただ一人、竜言語ドラゴンズロアを生みだすことができたのか。


「お前はシオンとは違い、完全なる体と魂を持っている。真の完成体だ。何故なら女神が『自らの名』をつけたのだから」


「シルフィリアが意味するもの。それは『創生の女神』だ。女神の名が『シルフィリア』なのだよ」


「言わばお前は女神シルフィリアの慈しみを受け継いだ神の子。そして、残虐のシルフィリアは女神の残虐性のみを受け継いだ神の子の失敗作だ」


 リリーナはその言葉を耳にして何かを思い出すかのように目を瞑る。

 二度対峙した残虐のシルフィリア。彼女の残虐性は確かに監視者の言う通り創生の女神の二面性を受け継いだものだろう。だが彼女がリリーナを狙うその本質は、もしかしたら完成体に対する嫉妬と憎悪なのかも知れない。

 リリーナは目を開けると、ある疑問が頭に浮かんだのか小首を傾げ口を開いた。


「……しかし、完成体が女だけなのは何故なんだ?」


「それか。理由は簡単だ。女神シルフィリアは同性愛者なのだよ。彼女は男に興味がない。故に完成体は女のみなのだ」


 突如、リリーナは目を見開き体を硬直させる。そして、瞬きすらしない瞳の前に手を立てて見せた。


「ちょっと待て。今、さらっとすごいことを言わなかったか?」


「もう一度言おうか? お前の母親は同性愛者だ」


 リリーナは嘆息を漏らすと、思い悩むかの如く頭を抱える。


「……私の母親が同性愛者とか驚愕の事実だ」


「お前も女神と同様に通常とは異なる資質を秘めているはずだが?」


「断じて言おう。私は通常ノーマルだ。まぁその話はもういい……それよりもう一つ聞きたいことがある」


 彼女は抱えていた頭から手を下げ、先程とは違い真剣な眼差しで監視者へ視線を移した。


「奴の正体と水晶の加護についてわかった。だが一つ不明な点がある。それは『最初の死世界への変換をどう乗り越えたのか?』だ」


「今の私が水晶の加護を行使し生者を維持。そして、その記憶と魔法構成を消失しているのは何となくだが理解できた。だが、水晶の加護の魔法構成を『死世界への変換』前に手に入れなければならないという大前提があるはずだ」


「それをあなたに聞きたい」


 監視者はリリーナの問いを耳にして黙り込む。その口は何も語らず身動き一つしない。今まで彼女の問いに即答してきた監視者を突如、襲った沈黙にリリーナが怪訝な表情を浮かべたその時、おもむろに監視者の声が響いた。


「全てを見、全てを知る私だが、実はそのことだけは何も知らない」


「どういうことだ?」


 小首を傾げるリリーナへ監視者がゆっくりと言葉を紡ぐ。


「つまり、私自身が『水晶の加護』を行使したということを意味する。もしその問いの答えを知りたいというのなら彼女に聞くといい。恐らく彼女なら知っている」


「……それは、誰だ?」


 真剣な表情で語るリリーナを前にして、監視者は「その人物がいた」場所を一瞥すると、自らが持つ金色の瞳と彼女の青い瞳とを交わらせた。


「シオンだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る