第35話 世界の監視者
穏やかな風が銀色の髪を揺らした。
頭の痛みが和らいだリリーナがゆっくりと立ち上がる。
彼女はその巨躯を身動き一つさせない竜狩りの死体を一瞥し、まるで竜狩りが守っていたかのようにその背中に鎮座していた石碑へ近づいた。そこには古代文字でこう記されている。「シルフィリアをここにて託す」と。
どうやら赤子だったリリーナが置かれていた場所が石碑の前らしい。この石の塊を置いたのが拾ったケンウッドなのか、もしくは他の誰かなのかそれはわからない。だが石碑に刻まれている通り、間違いなくリリーナはここにいて、ケンウッドはこの場所で彼女を託されたのだろう。
リリーナは、その石碑に刻まれた自らの名前を指でなぞると、サファイアの瞳でじっと見つめていた。おもむろに後ろで見守っていたシオンが彼女に話しかける。
「そろそろ監視者のいる場所につくわ」
「それはどこなんだ?」
立ち上がりシオンの方へ振り返るリリーナに、彼女は指を上空へ差してみせた。
「上よ」
リリーナはその言葉に驚愕したのか目を見開き、はるか上空を見据える。
女神の遺産<エリタージュ>の中心は、空中に浮かんでいた。
それは竜狩りが守っていた石碑のすぐ近くに魔法陣が設置されており、その魔法陣から瞬間移動にてはるか上空まで移動するのである。
女神の遺産<エリタージュ>。
それは小さな村一つ分の大きさを持つ空中庭園である。庭園と呼ばれるように草木が生え、花が咲き小鳥が飛んでいる。その鳥は地上では見た事がない外見で、全身が艶のある黒であり顔と腹の部分に白い毛を生やしていた。嘴はオレンジ色で先端が黒い。
小鳥は何故か、初めてこの場に来たであろうリリーナへ関心を示したかのように彼女の肩へ乗り「おかえり」と「足、熱い?」を交互に繰り返し声を出していた。どうやら人間の言葉を介するらしい。
リリーナはそんな少し奇妙ではあるものの、可愛らしい小鳥に笑顔を向けながら足を進めていく。
魔法陣からの転移先は、草木と花に囲まれ、所々に石材の柱だけが立っている。そこから進むと大きな神殿が目に映った。石でできているのだろうか。白い神殿である。シオンへ連れられリリーナはその中へと足を踏み込んでいく。
周囲を灯火が照らし出す神殿内は静寂に満ちていた。その奥に何かの気配を感じ取っているのだろう。リリーナの表情はどこか鋭さを窺わせている。
視界が開けた。神殿の奥に鎮座する巨大な空間が口を開けている。そこに佇む巨躯を目にしてリリーナは驚愕したのか目を見開いた。
彼女の目に映るもの……それは、巨大な竜である。純白の美しい鱗を持つその
全身を純白の鱗で覆い、頭には左右に二本ずつ分かれた角を生やしている。長い首と女性の上半身とも見て取れる特徴的な二つの盛り上がりを持ち、首に小さな四枚の翼、背中に大きな二枚の翼を生やしていた。
両腕は、女性の上半身と形容したように人のそれと酷似しており、下半身から竜の足と長い尻尾を携えている。「彼女」は足を折りたたみ腰を地面に付け、両腕を大地に突き立て佇んでいた。
シオンは、慣れた様子で監視者へと近づいていく。
「久しぶりね。監視者」
その瞬間だった。
長い尾がうねり高速でその先端がシオンを叩きつける。凄まじい風圧が周辺へ放出されリリーナの純白のローブを揺らした。
だがシオンは尻尾の一撃を両手で受け止め、膝を折り尾を持ち上げる。伊達に尋常ではない膂力を誇る死神だ。常人なら間違いなく肉塊と化すであろう竜の一撃を防ぎ、その真紅の瞳を監視者へと向ける。
「……何しやがる。普通、死ぬだろこれ!」
「……お前のような馬鹿者にはちょうどいいお仕置きだ。神の子を殺そうとする親不孝者にはな」
人間の女が言葉を発しているかのような声が響く。口は動いていない。部屋全体に声が反響しているかのようだった。
長い尾でシオンを押えつけたまま、監視者は彼女を見下ろす視線をリリーナへと向ける。再び部屋全体に声が響き渡った。その瞬間リリーナが突如、目を見開く。恐らく彼女は監視者の声が「脳に直接響いている」ことに気が付いたのだろう。
「許せ。リリーナ・シルフィリアよ。この女は馬鹿者でな。調整者でありながら個人の感情で動くことがある。あなたを殺そうとするなどとんでもない愚行だ」
「竜狩りの件は申し訳ない。奴への命令は絶対だからな。忠実ゆえの愚行、すまなかった」
まるでシオンの母親であるかのようなその口調に、リリーナは口元をほころばした。
「竜狩りの件は気にしてはいない。むしろ状況を理解するのに一役買っている。シオンについてはすでに和解済みだ。あなたが気にすることではないと思う」
リリーナの言葉を耳にして監視者は、長い尾をそっと元の位置へ戻す。重厚な圧力からようやく解放されたシオンは鋭さを秘めた瞳で監視者を見上げた。
どこからともなく羽ばたいてきた小鳥が「シオン。強い」と何度も口にして周辺を飛んで回る。
「彼女の温情に感謝しろ。シオン」
「ああ。そうね。感謝してるわよ!」
話す内容とは似ても似つかない険悪な表情で、睨みつけるシオンを目にして、まるで親子喧嘩を目撃しているような錯覚にでも陥ったのだろう。リリーナは微笑んで見せた。
「お取込み中すまないが、監視者。私はあなたに聞きたいことがある」
「もっともあなたならば、私の問いなどすでに見抜いていると思う」
金色の瞳を見つめるリリーナへ、監視者はゆっくりとその頭を向ける。竜ゆえに表情から感情は見て取れない。しかしその瞳にどこか温かみを感じ取ったのだろう。リリーナのその顔には巨大な竜を相手にしているのにも関わらず、恐怖や驚愕の類を一切、見て取れない。むしろ、子が親を見るようなそんな表情である。
「……私は全てを見ている。お前が賢者になったことも。フラン・エスペランスと出会ったことも」
「そして、その二人がこの世界を変えたであろう存在だったことも」
「すべてを話そう。お前に」
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