第38話 シオンの追憶 中編
空に浮かぶ庭園の中、音もなく佇む神殿の奥にそれはあった。
見上げるほどの巨大なクリスタルと、それに寄り添うように存在する人と同等の大きさを持つクリスタルである。半透明なその外殻の中に巨躯を持つ純白の竜と、黒髪の女が目を瞑っていた。
「
その声が響いた途端、竜と人とを包み込むクリスタルが音もなく崩れ去り空中に霧散して消え去る。
最初に竜、その後、傍らにいる黒髪の女が瞳を開けた。彼女の瞳は血のように赤く光り輝く。黒髪を揺らしその長身の体をゆっくり動かすと、彼女は神殿の入り口を見据える。
巨大な竜……
「プリメーラ。お前が何をしようとしているのか私にはわからない。だがこれだけは言える」
「……お前は我が子も同様だ。私はお前を信じよう」
「私の母親と呼べる存在は、あのくそったれ女神だけだ」
シオンは手にする白い丸みを帯びた石を懐にしまい込むと、傍らで佇む監視者を一瞥し言葉を紡ぐ。
「監視者。リリーナ・シルフィリアはどこにいる?」
「……知識の都ケントニスだ。書物庫にいる」
監視者にはクレアシオン大陸すべてを見ることができる千里眼とも言える能力がある。それで世界を監視するのが彼女の役目だからだ。
彼女の話だとリリーナはケントニスの書物庫で読書に夢中の様子である。実に読書を愛する彼女らしい行動だが生きているということは、「死世界への変換」発動前の状況なのは一目瞭然だった。
シオンは頷くとその足を神殿の外へと進める。すると一羽の黒い小鳥が彼女の周りを旋回した。その嘴は「乗っていく?」と言葉を発している。
「お願いしようかしら」
彼女がそう言葉を発した途端、小鳥がシオンの目の前に着地する。それと同時に小さな体が急激に巨大化し、シオンはその背にまたがった。
「目的地はケントニス。全速力でよろしく」
黒い翼を羽ばたかせ、シオンを乗せた鳥は女神の遺産<エリタージュ>から飛び立つ。二枚の翼の後方に魔法陣を出現させ鳥の目の前に魔法構成が空中に浮かび上がった。
「
嘴が魔法名を告げたその瞬間、シオンと鳥の姿が一瞬で消え去る。瞬間移動を繰り返しその黒い翼はエヴァーグリーンの広大な森林地帯を抜け、王都アフトクラトラスの宮殿を横切り、地平線の彼方に白い特徴的な建物が立ち並ぶケントニスをその視野に収めた。
シオンの目に映るのは恐らく街並みではない。それはリリーナ・シルフィリアただ一人だけだろう。彼女は死者となったリリーナの記憶と未来を切り開く魔法道具を手に今、ケントニスへ舞い降りた。
その日の書物庫は普段とは違い、人気が少なかった。
椅子に腰かけ銀色の髪を携えた少女が本を読んでいる。その書物は魔法に関する辞典でも歴史の書でもなかった。
ある女性の伝記である。本人が書いたものではなく、著者はモチーフとなった女性から聞いた話をまとめたものだと記載していた。伝記に記されている女性は、人類が創造されてから世界を見てまわり人々の生活や文化を体験し、時には戦争に参加し戦ったという。
少女はその伝記の人物を気に入ったのだろう。一心不乱に見ている。強く気高くそれでいて時に優しく時に残酷なその女性の物語に惹かれたかのように、その手が次々にページをめくった。
その時、少女の手が突如、止まる。彼女の後ろに立つ存在に気が付いたのか、青い瞳が徐々に鋭さを増した。
「……死神か。読書は私の憩いのひと時だ。邪魔をするな」
「別に邪魔をしにきたわけじゃないわ。リリーナ・シルフィリア」
黒髪を揺らし背後に立つシオンのその言葉にリリーナは振り向く。
シオンが自らのことを名前で呼ぶなどほとんどなかったことだ。それ故、彼女の表情はどこか驚いているかのように見える。対するシオンの表情は穏やかなものだった。とても敵意があるようには見えない。
リリーナは手にした本をテーブルの上に置くと立ち上がる。その時、シオンは懐から丸みを帯びた白い石を取り出し、彼女へ投げた。リリーナはそれを受け取り青い瞳で見つめる。
「保存用の
「……あなたはじきに死ぬ」
唐突に耳に響く死刑宣告にリリーナは激情したかのように青い瞳を見開いた。それを口にしたシオンは、憂いさを見て取れる表情を彼女へ向けている。
「何を言っている!?」
「あなたは死ぬ。この世界と一緒に。その魔法道具はそれを乗り越えるためのもの」
リリーナは突如、口を閉ざす。
彼女の目の前に佇むシオンの表情からとても嘘を言っているようには見えないからだ。
かつてシオンはリリーナに七賢者に関する闇の事実を伝えた。国王ヴェルデの真相も彼女に教えた。全てにおいてシオンは「嘘」をついていなかった。
だが世界の滅亡と自らの死。今、存在する平穏が一瞬で消え去る事実をリリーナは受け入れられないのだろう。困惑したかのようにその表情は一点を見つめ動かない。
シオンは真剣身を帯びた赤い瞳を青い瞳と交わらせ言葉を紡ぐ。
「……死者だったあなたから伝言があるわ」
「死は優しく、生は過酷だ。だからこそお前は……」
彼女の背後に光が輝いた。
リリーナを抱きしめるかのように何かが舞い降りる。散りばめられた光が人型を形成し、それは彼女と同様に銀色の髪と純白のローブを携えていた。神々しく光に満ちたその表情は慈愛に溢れ、青いサファイアの瞳をリリーナへ向ける。
細い腕を彼女の首元に回し抱き寄せる。リリーナと同じ顔立ちに組み込まれた唇が彼女の耳元へそっと近づいた。
その口がシオンと同じ言葉を紡ぐ。
「お前は生きなければならない」
光に包まれたその少女は空間に溶けるかのように消え去った。
幻だったのかそれはわからない。だが確実に少女の声はリリーナに響いていたのだろう。何故ならその青い瞳から涙を流しているのだから。
頬を伝う涙に気が付いたのかリリーナは、手でそれを拭い始める。
「な……なんだこれは。なんで……こんな……」
慌てふためくように溢れ出る涙を拭う彼女に、シオンは優しく微笑んだ。
「生きなさい。私が世界で唯一、屈服させることができない銀の賢者リリーナ」
リリーナは彼女の言葉に手を動かすことを止め、涙をため込んだ表情で笑顔を見せる。
彼女はシオンの言葉を信じたのだろう。先程の自らを包み込んだ光と共にシオンが時を超えここに来たことを。
流れ出る涙が収まった後、リリーナはシオンから渡された白い石へ触れてみた。
だが音声は何も出ない。小首を傾げる彼女だがあることに気が付いたのか突如、言葉を紡いだ。
「
リリーナの体を青白い光が包み込んだ。その瞬間、白い石から魔法構成が紡ぎ出され彼女の目の前を流れていく。
浮かび上がるその文字は人間が扱う魔法構成のものではなかった。恐らくその魔法構成は、魔法創造の影響下でも通常の魔法使用者であれば、見る事さえできないであろう。
紡ぎ出される文字を眺めながらリリーナが呟いた。
「……シオン。お前、意地悪な奴だな」
「これは他の魔法使用者ならば魔法構成すら見ることはできない。いや。正確に言えばこの魔法構成を構築して「魔法」として完成させられるのは世界で一人だけだ」
リリーナは自慢げに笑顔を形作りシオンへと向ける。
「
その後。
魔法創造の光に包まれながら、リリーナは着実に魔法構成を構築していく。その横でシオンはふとテーブルに視線を向けた。
そこにはリリーナが彼女が来るまで読みふけっていた本が置かれている。シオンはおもむろにその書物を手に取り、タイトルを見ると微笑んだ。
リリーナが読んでいた書物のタイトル。それは「プリメーラの伝記」である。
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