第33話 世界の調整者

 リリーナ・シルフィリアは奇妙な現象に遭遇していた。

 昼は陽が燦燦と降り注ぎ、熱気が大地に揺らぐ。だが、夜はまるで氷に閉ざされたかのように冷気が周辺を包み込み、彼女の吐き出す息を白く染めた。風もない空間だったはずが、突如、強風が吹き荒れその銀色の髪を激しく揺らす。まったく正反対の二面性を持つ大地が彼女の目の前に広がっていた。

 女神の遺産<エリタージュ>。そこが彼女のいる場所である。エヴァーグリーンの巨大な森林を抜けた更に先、そこはもはや人も魔物も見当たらない。草木もなくただ鈍く銀色に光を僅かに反射する大地だけが続く最果ての地。そこが生命が発祥したとされる大地であり、かつてケンウッドが赤子であったリリーナを天啓と共に拾った場所でもある。

 リリーナは先頭を歩くシオンに連れられ、見渡す限りの銀色の大地を歩いた。目印となる物など何もない。だがシオンの目にはまるで道しるべが見えているかのように、その足は迷う事無く突き進んでいく。

 陽が燦燦と降り注いでいる様子から昼だろう。しかし見上げるリリーナの瞳には太陽は見えない。ただ光だけが地上に降り注いでいるのだ。その時、突然シオンは立ち止まり振り返った。


「そろそろ夜になるわ。テントの準備をしましょう」


 彼女の発言にリリーナは怪訝な表情を浮かべる。どう見ても周辺の状況は昼の様相を呈している。リリーナが小首を傾げるその横でシオンは手際よくテントの準備を始めた。

 強風にあおられても崩れないようしっかり楔を大地に打ち込みテントを広げる。すると彼女はそれを眺めるリリーナへ声をかけた。


「ほら。早く入りなさい」


 シオンに促されテントの中へと足を踏み入れるリリーナ。その瞬間、周辺が何の前触れもなく突如、闇へと包まれた。

 驚愕したのか目を見開き、リリーナはテントから顔を出して周囲を見渡す。


「シオン。どうなっているんだ? この場所は?」


「太陽もなければ突如、夜になる。暖かいと思ったら突如、寒くなる」


「……誰かさんの二面性を現しているのかも……ね」


 大人二人がゆったりできるテントの中で、シオンは中央に小さな焚火を燃やす。彼女が持っているテントは特別製で火に燃えにくい素材で作られていた。

 中央に燃える火を眺めるシオンをよそにリリーナは、おもむろにバッグの中から食材を取り出し調理を始める。干し肉と保存が効くように乾燥させた野菜を塩と胡椒で調味し、パンで挟んだものをシオンへ手渡した。彼女が受け取ると水を熱し、寒さを凌ぐために熱い紅茶を淹れはじめる。その手つきは慣れたものだった。

 同じように調理したパンを頬張り、紅茶を飲んでため息をついたリリーナは、今だ炎を眺めるシオンへおもむろに口を開いた。


「一つ聞いてもいいか?」


「何かしら? 美味しい食事をした後なら口が滑らかに動くかも……ね」


「普段から動くだろうお前は。それより……『神の遺産』について知りたい」


 リリーナは薄暗い中、真剣な眼差しをシオンへと向ける。彼女は微笑むとゆっくりと口を開いた。


「いいわ。話してあげる。どのみち遅かれ早かれあなたには聞かせなければならないしね」


「神の遺産とは……創生の女神が造った二体の完成体を差すわ。片方は人間。片方は竜。彼女達は、この世界の均衡を守るため大地に降り立った」


「それが『世界ワールド調整者コーディネーター』と『世界ワールド監視者オブサーバー』よ。監視者は世界を監視し、調整者は世界に揺らぎが生じた場合、均衡を守るためその元凶を断つ」


 黙って話を聞いていたリリーナは、その言葉がシオンの口から発せられた瞬間、目を見開き彼女を凝視した。

 シオンの別名……死神とは人間がその姿を形容して勝手に名付けたものに過ぎない。彼女の本当の名は「世界ワールド調整者コーディネーター」なのだ。

 先程の話が真実なのであれば、シオンは創生の女神により生み出された人間だということになる。


「シオン……お前は……」


「そう。あなたが想像している通り、私は創生の女神により生み出された人間の完成体の一人よ」


「最も完成体とは言っても魂だけみたいでね。肉の体はそうはいかなかったみたいよ。だから体を次々に変え、今、私はここにいるというわけ」


「それじゃお前は、創生の女神を見たことはあるのか?」


 リリーナのその言葉にシオンは大袈裟に肩をすくめてみせた。


「あのくそったれ女神とはよく喧嘩したわ。肉の体もちゃんと作れってね」


「身体なんて次から次へ変えればいい。情報を得るなら『喰え』ですって。馬鹿じゃないの?」


 彼女には、その肉体を喰らうことで持ち主の記憶や情報を得る能力が備わっている。恐らくそのことをシオンは言っているのだろう。確かに気持ちのいい話ではない。

 リリーナは、思案するかのように視線を落とすとしばらく黙り込んだ。沈黙の時間が流れた後、おもむろに彼女は視線を上げる。


「……シオン。お前は私の正体を知っているのか?」


 リリーナは創生の女神の現身とも呼ばれている。シオンも最初、彼女を見た時そう呟いた。リリーナは自らが何者なのか何故、精霊の支配者という階級を持ちえるのか、シオンなら何か知っているのではないかと考えたのだろう。

 リリーナの問いにシオンは、沈黙すると彼女から視線を逸らした。記憶を遡っているかのようにその手が顎先へと当てられる。

 彼女の問いの答えが浮かんだのか、シオンは視線をリリーナへと向けた。


「正直な話。わからないわ。私が生まれた時、あなたはいなかったもの」


「ただこれだけは確かよ。あなたのその外見はまさに創生の女神そのもの。銀色の髪もその顔も小柄な体も胸が小さいこともすべてね」


「だから私にしてみたらこうしてあなたと旅をするのは、まるで私の創造主と一緒に歩んでいる錯覚を覚えるわ」


 笑顔で語るシオンにリリーナは口元をほころばすと、何かを思い出したかのように突如、自らの貧相な胸元へ視線を移す。

 そして、不機嫌そうに眉根を寄せると声を上げた。


「なんで胸の小ささまで再現するのか! 会ったら文句の一つも言ってやりたい!」


「ぜひ、あなたとくそったれ女神の痴話喧嘩。見てみたいものだわ」


 暗闇に閉ざされ静寂に包まれる中、ぼんやりと光が浮かぶテントの中から僅かに聞こえる笑い声が周辺へと響いていた。


 

 翌日。

 正確に翌日と言えるかどうか怪しい世界だが、少なくとも再び陽が燦燦と降り注ぐ光の世界が到来する。

 シオンの声で目を覚ましたリリーナは、再び銀色の大地を歩み始めた。


 その日は、何も見えない先日の大地とは違い、彼女達の目の前に奇妙なものが佇んでいる。それは、巨大な白い鎧だった。頭からつま先まで全身を覆うフルプレートアーマーである。鎧の傍らには両刃の巨大な戦斧が突き立てられていた。

 座り込み身動き一つしない金属の塊に隠れるように一つの石碑がそびえ立っている。リリーナはうずくまる白い塊を一瞥すると、石碑を調べるべくゆっくりと歩み寄った。

 その瞬間である。突如、彼女の発動している索敵サーチアイの魔法陣が、青から赤へと変色し警笛を鳴らす。反射的にリリーナは強固な魔法障壁を展開させた。

 刹那。彼女の体を凄まじい衝撃が襲いかかる。火花を散らしその小柄な体が弾き飛ばされた。防御の姿勢を維持したまま、交差させた腕の奥から青白くサファイアの瞳が光り輝く。

 リリーナを弾き飛ばしたもの。それは、地面に座り込んでいた白い鎧だった。金属のこすれる音を響かせ、白騎士は両刃の戦斧を握りしめ立ち上がると、すぐ脇にいる彼女へ向け、その戦斧を横一文字に叩きつけたのだ。

 戦斧を構える白騎士を前にして、シオンは驚愕とも怒りとも見て取れる険しい表情で空を見上げると、声を張り上げる。


「……なんで、竜狩りが動く!? 監視者!」


 彼女の発言に対して答えはない。

 重い体を前に動かし竜狩りは、彼女達に死をもたらすべく戦斧を掲げた。

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