第32話 焦熱に揺らぐ深緑

 朝日が木々の隙間に差し込んでいた。

 今だ霧が晴れぬ早朝。遠くから鳥のさえずる声が耳に響く中、夜襲に備えていたハイエルフの戦士が、おもむろに欠伸をする。

 エヴァーグリーン女王ヴィルシィーナの命により、国内のほぼ全ての精鋭が神殿に集結したのは昨日の話である。まるでこれから戦争でも起こすのかと言わんばかりに、神殿内は慌ただしい戦士達が醸し出す緊張に包まれていた。だが末端の戦士には当然、相手など知らされてはいない。

 誰が攻めてくるのかもわからず戦士は夜通しで見張りをしていた。夜は訪れる者もなく、炎が燃え上がるわけでもなく、ましてや怪物が攻めてくるわけでもない。至って平時と変わらず平和な夜であった。

 そのせいだろうか。交代間際で戦士の気が緩むのだろう。見張り役の戦士は明らかに注意力を欠き、またこれから見張りに立つ交代する戦士も目覚めたばかりで、瞼を重そうに目を細めていた。

 彼らはその時、神殿を見渡せる空の上に「揺らぎ」が生じていたことを知る由もない。透明な揺らぎはゆっくりとその姿を神殿へと近づける。神殿の上空にはハイエルフの魔法使用者が展開しているであろう魔法障壁が張り巡らされているが、その境界線間際で揺らぎは動きを止めた。

 そして、透明な「彼女」は、ゆっくりとその唇を動かす。


「上位精霊・不死鳥召喚<ハイランクエレメンタル・フェニックスサモニング>」


 空に神々しいまでの光が生み出された。

 見上げるハイエルフ達の目に飛び込んできたものは巨大な炎の塊である。徐々に翼を形成し、鳳凰を形作ったそれは、集中力を欠いている早朝の戦士達へ炎の雨を降らした。

 弓も通り抜けるその体から吐き出される炎と火の雨により、瞬く間に眼下のハイエルフ達が焼け死んでいく。半端な氷魔法など全て炎の体でかき消されていった。


「不死鳥フェニックスだと!?」


 神殿内で周辺の騒動により目を覚ました女王ヴィルシィーナは、慌てて純白のローブに着替えると神殿上層から不死鳥の姿を目撃する。眼下ではフェニックスが生みだす炎により黒焦げの死体が量産され、鳳凰の咆哮が彼女の鼓膜を震わせた。

 不死鳥などという上位精霊が召喚魔法もなしに出現するわけがない。ヴィルシィーナはそう考えたのだろう。索敵サーチアイの魔法を詠唱し、声を張り上げた。


「陽動だ! 魔法使用者はどこかにいる!」


 その時、彼女の索敵の目の魔法陣がある一点を捉えた。それは、中空に浮かぶ銀色の髪の少女と風になびく黒髪の女だった。

 彼女達は飛行杖に乗り、神殿上部の魔法障壁付近で停止している。戦士達は完全に不死鳥へ注意を取られ、彼女達の存在に気が付いているのは、ヴィルシィーナのみであった。

 

「見つけたぞ! 曲者だ!」


 声を張り上げる彼女を青い瞳が見下ろす。青白く燃え上がる炎のように揺らぐそれを目のあたりにして、ヴィルシィーナは戦慄を覚えたかのように一瞬、体を硬直させた。

 だが、神殿は強固な魔法障壁で守られている。その事実がヴィルシィーナに一時の余裕を与えたのだろう。彼女の唇が歪んだ。


「お前がリリーナ・シルフィリアか。小娘一人の為に私に歯向かった愚か者め」


「あの者を殺せ! そして、首を切り落として私の元へと捧げよ!」


 女王の声を耳にしてハイエルフの精鋭達が続々と彼女の元へと集まってくる。しかし上空で漂うリリーナは、一言も発さずただ静かにハイエルフ達を見下ろしていた。

 同じく眼下を見るシオンが、おもむろにリリーナへ語り掛ける。


「なんか喚いてるけどどうするの?」


「どうせなら一網打尽にしようと思ってな。集まるのを待っていた」


 リリーナの青い瞳に魔法構成が浮かび上がり流れていく。掲げた右手の先の空間が湾曲し、溢れんばかりに巨大な光の塊を生み出した。

 まるで太陽のように光り輝くそれは、次第に細長い槍の姿を形成していく。


「上位神聖武器・神槍召喚<ハイランクホーリーウェポン・グングニルサモニング>」


 リリーナの右手に召喚されたそれは純白に光り輝く槍だった。神槍グングニル。それはかつて神話の世界において、幾度も魔を滅したと言われる神の力を宿した巨大な槍である。

 彼女はそれに魔力を込め、神槍はさらに輝きを増す。シオンはそれを目撃して一瞬、身震いした。


「……あなた。『それを撃ち込むの』?」


「魔法障壁で威力が軽減されるから……まぁ神殿が少し壊れるくらいで済むだろう?」


 美しく光り輝く神槍を目のあたりにして、ハイエルフは初めて見るであろうその光景に息を呑んだ。だが彼らはそれが自らの頭上に降り注いだ際、自分達がどういう未来を描くのか想像できないでいただろう。茫然と立ち尽くしていた。

 そんな彼らを見下ろし、リリーナは無慈悲に言葉を紡ぐ。


「受けよ。神槍の一撃を」


 リリーナの手を離れ、神槍は眩い光と共に凄まじい勢いで神殿へと空間を裂いた。らせん状の光を纏ったその一撃は、衝撃音を響かせ巨大な火花と共に魔法障壁を破壊し、見上げるハイエルフ達の頭上に着弾する。

 地響きにも似た衝撃が大地を駆け巡った。ハイエルフ達は眩い光に包まれ、離れて見ていたヴィルシーナも余りの眩しさにその目を細める。

 光が収まった時、そこにあるのはえぐれた神殿の一部分と、吹き飛び黒焦げと化したハイエルフの死体だった。中には体を完全に消失している者もいる。

 目の前にいた精鋭達を一瞬で失ったヴィルシィーナの前に、残酷な女神が舞い降りた。その傍らには死を運ぶ死神を従えている。驚愕したのか目を見開いているヴィルシィーナに、リリーナは一瞬、何かを呟くとゆっくり歩み寄った。


「エヴァーグリーン現女王ヴィルシィーナだな。その命。私が貰いうける」


 リリーナの手がゆっくりと彼女へと差し出される。だが、死刑宣告を前にしてヴィルシィーナは口元を歪ませた。


「……ふふふふ。小娘が。簡単に殺せるとでも思ったか?」


 その瞬間、ヴィルシィーナとリリーナを含む神殿の床に魔法陣が浮かび上がる。どうやら事前に仕込んでいたであろうそれは、領域魔法フィールドマジックであった。

 リリーナはその青白く光る魔法陣を一瞥すると、笑みを浮かべるヴィルシィーナへ鋭い瞳を注ぐ。


反魔法領域アンチマジックフィールドか」


「御名答。その通りよ」


 彼女の言葉に呼応するかのように再び、続々とハイエルフの男達がなだれ込んでくる。その右手には鈍い光を放つレイピアが握られていた。

 ヴィルシィーナは高笑いを響かせ、リリーナを睨みつける。


「如何にお前が『精霊エレメンタル支配者ルーラー』であろうと反魔法領域の中では手も足も出まい。あとは後ろにいる怪しげな女だけだ」


「殺せ!」


 女王の冷酷な声が響き渡る。しかしそれを嘲笑うかのように、リリーナの含み笑いが彼女の耳に届いた。

 激情したのかヴィルシィーナの眉がつり上がり、彼女は声を張り上げる。


「何がおかしい!?」


 ヴィルシィーナの言葉にリリーナは、目の前にその白く細い指を三本立てて見せた。


「お前の敗因が三つある」


「一つ」


 薬指を折り、彼女は言葉を続ける。その瞬間、駆け付けたハイエルフの一人がリリーナの顔面目がけてボウガンの矢を放った。高速で空間を裂いた矢は、彼女の顔面を貫くことはなく寸前でその動きを止める。

 リリーナのすぐ脇で黒髪が揺れていた。俊敏な動きで彼女……シオンは矢を掴んだのだ。


「後ろにいるその怪しげな女は、召喚武器を使わずとも素手で、お前達全員を殺せる戦闘能力を有している」


「二つ」


 その言葉と共にリリーナは中指を折り畳む。


反魔法領域アンチマジックフィールドは『すでに発動している』魔法に対しては効力を発揮しない」


 一瞬だった。

 彼女の言葉が響いた途端、ヴィルシィーナの周辺を爆発と炎が渦を巻く。それは連鎖し、駆け付けたハイエルフ達を問答無用で火の海へと沈めた。

 断末魔の叫び声と共に体を四散させ、あるいは燃え上がらせハイエルフ達は黒焦げの体へと変貌していく。ヴィルシィーナは見せていた微笑を完全に消失させ、驚愕したのか目を見開き、その場に膝をついた。


連鎖爆撃弾チェインエクスプロージョンボム……いつの間に。詠唱していなかったはずだ!」


「魔法構成に対する知識が足りない。相手に聞こえるほどの大きさで魔法名を口にしなければならない決まりなどどこにある?」


 戦慄したのか体を小刻みに震わせ、床に膝を折るヴィルシィーナへ、リリーナは最後の人差し指を折りまげた。


「そして、三つめ。それは……お前が私を本気で怒らせたことだ」


 彼女の死刑宣告が耳に響いた途端、黒髪が揺れる。

 力を漲らせた右手が、無力感を漂わせる女王の頭部を強打した。その膂力により首はちぎれ飛び壁へ激突する。転がるヴィルシィーナの顔は、恐怖に苛まれたかのように引きつり涙が流れていた。

 リリーナは、血だまりに浮かぶ彼女のその顔を慈悲の欠片も見当たらない冷たい瞳で見下ろすと、汚れ一つない純白のローブを翻した。


「行こう。私達の行くべき場所に」




 その後。

 ヴィルシィーナ政権は、本人の死亡により失墜し、女王無きエヴァーグリーンをエッセ・ウーナが一時的に政権を引き継ぐこととなった。彼はリリーナの計画を知ってから密かに準備を進めていたのである。

 リリーナ達は、そのことを知ると安堵感を覚えたのか、ダークエルフの集落から姿を消した。彼女は姿を消す最後の日までラトレアの傍を離れなかったという。

 

 そして、リリーナ達が姿を消してから数日後。ラトレアは一人、集落の傍にある森の中を歩いていた。

 エッセ・ウーナ政権になってからダークエルフを擁護する声が大きくなり、ハイエルフによる迫害も息を潜める。それ故、以前のようにダークエルフが襲われる事態も無くなり、ラトレアが一人、集落を出ても問題はない平穏な日々がもたらされることとなったのだ。

 ラトレアは夕食に使うであろう食材を手に入れる為、森を彷徨う。その時、彼女はただならぬ気配を感じたのか、一瞬、目を見開きある一点を凝視した。

 彼女の視界に映る者。それはリリーナだった。……だが、ラトレアの目には明らかに別人に写っていたのだろう。彼女は恐怖を感じているかのように身震いし後ずさりをする。

 目の前にいるリリーナは、彼女が決して見せたことはない残酷な笑みを浮かべた。


「おや? 何故ここに生者がいる? ……そうか。お前は精霊をその身に宿しているのか」


「極めて希少な個体だな」


 そう呟くと彼女は、何かを思案するかのように口元へ手を当てた。

 銀色の髪。可愛らしい顔立ち。それに純白のローブ。どう見てもリリーナそのものである。だが、その体から発せられる瘴気にも似た異質な気配は明らかに彼女ではなかった。

 小刻みに体を震わすラトレアへ、銀髪の少女は口を開く。


「おっとすまない。ちょっと考え込んでいたよ。……お前をどうやって殺そうか……をね?」


 不気味にその口元が歪む。

 恐怖に駆られたかのようにラトレアはその場から走り出した。だがその瞬間、彼女の体を灼熱の炎で形成された檻が取り囲む。


「上位精霊魔法・灼熱の監獄<ハイランクエレメンタルマジック・バーニングプリズン>」


 シルフィリアの声が響き渡った。

 檻から発せられる熱気と目の前にいる恐怖を抱くであろうその対象にラトレアは瞳孔を開き、震える体を縮こまらせる。


「特別に炎の勢いを下げてある。……ゆっくり、ゆっくりと……焼け死ぬがいい」


 リリーナの目の届かない森林の中、少女の絶叫と同時に残酷に響く女の甲高い笑い声が響き渡った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る