第31話 激戦へ誘う瞳

 リリーナ達は、エヴァーグリーン国内における最も大きな集落の村長の元を訪れた。

 村長からエッセ・ウーナに関する情報と彼へ当てた信書を受け取り、リリーナは一人でダークエルフ擁護派の最高権力者に会うべくある場所へと赴く。

 そこはエヴァーグリーンにそびえ立つ神の巨木に隠れた森林の中であり、一目につかない密会には恰好の場所であった。また同時に人知れず誰かを始末するにも最適の場所とも言える。それ故、リリーナが警戒するのは当然であり、青い瞳に浮かび上がる索敵サーチアイの魔法陣が周辺を見渡していた。

 彼女が一人で来た理由。それは相手に警戒されないためである。最もいざ戦闘となればリリーナ一人でも恐らく蹂躙できることだろう。だが一人でくることで戦闘の意思はないということを相手に悟らせているのだ。

 程なくして数人のハイエルフを従え、一人の豪華な青いローブに身を包んだハイエルフがリリーナの視界に映りこむ。他のハイエルフ同様に長い金髪を持ち、彫りの深い顔には少々、皺が目立った。それなりに歳を重ねた男であることが伺える外見である。

 彼は彼女の目の前に立つと軽く会釈した。


「エッセ・ウーナと申します。アフトクラトラスから来た賢者リリーナ・シルフィリア様とお見受けしますが間違いないですか?」


 彼の丁寧な言葉遣いにリリーナは同じく軽く頭を下げると、その青い瞳をエッセへと向けた。


「賢者リリーナ・シルフィリアと申します。これを村長ピストン氏より預かっております」


 村長から託された信書をリリーナはエッセへと手渡す。彼はその内容を読み、驚愕したのか目を見開いた。

 しばらく沈黙の時間が流れた後、エッセはその信書を懐へとしまい込む。そして、真剣な眼差しを彼女へと向けた。


「……拝見しました。とても他の方には見せられない内容ですね。正直な話、正気を疑ってしまいます。この信書の内容は本当だと信じていいのですか?」


「勿論です。信書に書いてある通り、私は一人の少女を救う為、全てのハイエルフを敵に回してでも女王ヴィルシィーナを王座から引きずり下ろします」


「……それは、彼女を殺すという意味ですか?」


 エッセのその発言で、周辺の空気が一気に張りつめる。リリーナが警戒を解いていないのと同様に、彼の後ろに付き従っているハイエルフ達もいつでも切り込める体勢を維持していた。

 リリーナは無表情でありながら、瞳は鋭く青い光を放っている。エッセはその光に貫かれたかのように体を硬直させていた。


「あなた方がそう捉えても異論はないと言っておきます」


 彼女のその言葉を耳にして、エッセ・ウーナは思案するかのようにリリーナから視線を逸らした。

 ハイエルフにしてみれば目の前の少女は紛れもない敵である。何故なら、頂点に君臨する女王を殺すことさえいとわないと明言しているからだ。例えダークエルフ擁護派だとはいえ、エッセ・ウーナも女王に忠誠を尽くすハイエルフの一人である。決して敵対しているわけではない。

 だがこの状況において彼の忠誠心に揺らぎが発生しているのが見て取れた。もし、忠誠を尽くす存在なのだとしたらこの場でリリーナを殺そうとしたはずである。それをしなかったのは、女王の与える天啓というものが既に彼女の私利私欲として利用されており、エッセ・ウーナもそれに気が付いているという事実を物語っていた。

 国家の転覆を図るとしたら、リリーナの行動は紛れもない好機なのである。彼女が噂にたがわぬ「精霊エレメンタル支配者ルーラー」であり、伝説の魔人と言われるあの「死神」さえ有しているのならば、ヴィルシィーナの首を落とすなど造作もないからだ。

 沈黙するエッセにリリーナは、おもむろに話かけた。


「……私が要望することは二つだけです。一つ、私達の邪魔をしないこと。二つ、ラトレアの命の保証をすること。それだけです」


「私が何をしようとあなた方は見て見ぬふりをすればいいだけです。もし女王がその首を落とすようなら後はあなた方が好きにすればいい。ただラトレアの命だけは保証していただきたい」


「私とあなたはここで会ってはいない。ただダークエルフ擁護派としてラトレアという少女の命は守りたい。それで問題ないでしょう?」


「ヴィルシィーナ女王がラトレアという名の少女を狙っているのは我々もわかっています。しかし、何故、女王が彼女を狙うのか……その理由をリリーナ殿はご存知ですか?」


 エッセ・ウーナの質問にリリーナは、その綺麗に整った眉一つ動かす事無く言葉を発した。


「それは、ラトレアが『精霊エレメンタル支配者ルーラー』と同程度の階級を持っているからです」


 彼女のその言葉に、エッセは驚愕したかのように目を丸くさせると、リリーナの発言の意味を理解したのか頷く。

 ヴィルシィーナが恐れるもの。それは、ラトレアが魔法使用者として成長した場合、彼女の政権を転覆させる可能性があることなのだ。そうなるとハイエルフとダークエルフの力関係は音を立てて崩れ去る。支配者の階級はそれほどまでに絶大な力を持ちえるのだ。


 エッセは、淡々と語るリリーナの瞳を見据える。

 ヴィルシィーナの目論見はどうあれ、リリーナがラトレアという少女にここまで肩入れをする理由は、当然、彼には理解できないことだろう。しかし彼女の提案する条件を呑めば、ここでの密会など存在しないことになる。そして、リリーナが独断専行で女王を殺したとなれば、後は女王無きエヴァーグリーンの頂点に一時的とはいえ立つことも可能なのである。

 だが、もし条件を呑まなければ……いや、もしラトレアの命を危険にさらしたならば、目の前の少女は何のためらいもなく、その力で暴虐の限りを尽くすだろう。

 ヴィルシィーナの首さえ落とせる力。それは言うなればエヴァーグリーンにおいて、彼女達に立ち向かえる戦力など存在しないことを意味するからだ。

 それがエッセの最も恐れることだったのだろう。彼はリリーナの提案に首を縦に振った。最終的に暴力は全てを覆す可能性があるのだ。


「わかりました。その条件。呑みましょう。あなた方の行動は見ないこととします。この密会も無かったこととしましょう」


「そして、そのラトレアという少女の命も保証いたします。ただ、我々にも限界がある。もしあなたが女王を殺さず、気が狂った彼女が全勢力を持って少女を狙った場合、守り切れる自信はありません」


「それは心配には及びません」


 エッセが承諾したのを確認するとリリーナは、純白のローブを揺らし、身を翻した。


「ラトレアの命を狙った時点で、彼女の命はありません。自らが死ぬその運命が来るまで震えていることでしょう」


 リリーナが背を向けたとほぼ同時に、彼女の元に一人の女が空から舞い降りる。それは長い黒髪を揺らし、真紅の瞳でハイエルフ達を一瞥すると不気味に微笑んだ。

 その瞬間、エッセ・ウーナは悟ってしまったのだろう。瞳を見開き体を硬直させた。彼女らの言っていることは本当に可能なのだ。

 リリーナとシオン。その絶対強者の手にかかれば女王の命など最早、風前の灯なのだということを。

 木々に溶け込むかのように姿を消す彼女達を、エッセ・ウーナはただ黙って見つめていた。



 空が赤く染まり、次第に闇が深まっていく。

 夜の帳が降り、ダークエルフの集落は油を燃やした蝋燭の炎と広場に設置された焚火の炎が、暗闇の中、赤く揺らいでいた。

 ラトレアは、最も大きな集落に小屋を建て、そこに住むこととなった。何故ならエッセ・ウーナの目の届く範囲に少女を生活させたほうが、不慮の事態にも対処しやすいという理由である。村長であるピストンというダークエルフもエッセと親密に繋がっており、彼女を守るという環境で考えればまさに最適な場所と言えた。

 リリーナは、ベッドに腰かけたままラトレアを寝かせ、その黄金色の瞳を見つめる。ラトレアは、瞼を重そうにウトウトとした表情でリリーナを見つめ返し声を発した。


「お姉ちゃん。どこか行っちゃうの?」


「明日、私達は君の元を離れなければいけない。でも今夜は一緒に寝ようね?」


 リリーナはそう笑顔で返すと、安心したのかラトレアは目を瞑る。その時、村長がノックと共に彼女の小屋へと足を踏み入れた。


「夜遅く失礼。リリーナ殿はここに?」


「どうした? ピストン村長?」


「エッセ・ウーナ様からの伝達です。ヴィルシィーナ女王は精鋭のハイエルフを神殿に集結させ、守りを強固なものとしています。まるで戦争でも始める勢いだと……」


「……なるほど」


 リリーナは、村長の言葉を耳にしつつも、その手は優しくラトレアの桃色の髪を撫でている。そんな彼女の表情はまるで幼い妹を寝かしつけてるかのように優しく慈愛に満ちていた。これから激戦へ赴くであろう少女の顔では決してない。

 リリーナは、撫でる手を休めることなく口を開いた。


「かえって好都合だ。ハイエルフの戦士達が神殿に集結しているということは、それだけラトレアが危険な目に遭遇する確率が減るということ。むしろ喜ぶべき事態だよ? 村長」


「……自らの身を省みずに少女の身を案じるのですか。あなたは真に創生の女神……なのかも知れません」


 村長はそう言葉を発するとリリーナへ頭を下げ、小屋を後にする。

 その時、蝋燭の光だけがぼんやりと照らす室内で赤い光が動いた。ラトレアを見つめるリリーナの背後にそれは佇む。


「どうやって攻めるつもり? 正面突破でも私は構わないけど? それとも神殿ごと吹き飛ばす?」


「神殿ごととは脳も筋肉でできているお前らしい発想だ。だがそれだとエッセまで殺しかねないから却下。今回は空からいく」


「狙いはヴィルシィーナただ一人。しかし障害となるものは全て迅速に排除する」


「わかったわ。それでいきましょう。少し休むわ」


 そう口にしてシオンは暗闇の中へと消えていった。

 リリーナは、ラトレアの寝顔にそっと顔を近づけると優しく語り掛ける。


「おやすみラトレア。今度会う時にまた、魔法の勉強を一緒にやろう」




 早朝。

 鳥のさえずる声でラトレアは目を覚ました。瞼の重そうな瞳をこすり、彼女は外へと歩み出る。

 周辺は濃い霧に覆われ、まだ陽は完全に昇り切っていない。どうやら彼女はかなり早い時間に目が覚めたようだ。ラトレアの視界の中に誰一人としてダークエルフの姿は見えなかった。

 咄嗟に彼女はある人物を探すかのように周辺を見渡す。恐らくそれは眠るまで頭を優しく撫でてくれた人物。そう。リリーナの姿なのだろう。だが彼女の姿は最早、そこにはない。

 ラトレアは、何かの不安に襲われたかのようにその体を縮こまらせた。リリーナの身を案じているのか、それとも自らの身を案じるものなのか、その体は小刻みに震える。

 それが何を意味するのか誰にもわからない。

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