第29話 精霊を宿す少女

 精霊魔法は、精霊契約により四大精霊を従属させ行使する魔法であるが、精霊の従属においても階級が存在する。

 それは、魔法のように下位、中位、上位、最上位と幾つにも分かれているものではなく、実質、二つしかない。「支配者級」か「そうでないか」だけである。

 一般的に魔法使用者は種族を問わず後者に属する。何故なら「支配者級」の従属など人間の範疇には存在しないからだ。それ故、魔法使用者であっても精霊の従属に階級が存在することさえ知らない者の方が圧倒的に多い。

 

 「支配者」の階級を持つ者は「精霊エレメンタル支配者ルーラー」と畏怖される。決して尊敬の念など集めない。何故なら支配者の階級を持つというその意味は、「精霊を産み出した者」と同意義だからである。

 精霊を支配する者。それは精霊を産み出した者……つまり、神と同等を差すのだ。精霊の支配者と対峙した場合、同等の階級を持ちえない以上、相手の精霊魔法は発現しない。精霊が自らを支配する者と契約しただけの者とでは、どちらに従うかなど自明の理だ。

 魔法文明が発達したアフトクラトラスを含め、クレアシオン大陸全ての魔法を扱う種族の中で、「精霊エレメンタル支配者ルーラー」の階級を持つ者は、突如、この地に舞い降りた異質な存在を除けば、銀の賢者リリーナ・シルフィリアただ一人である。

 だが、彼女はその「精霊の支配者」が今回の内部紛争の発端であることを今だ知らない。



 深緑の国エヴァーグリーンの中心部に地上からその頂上が見えないほど、天へ向かって頂きを伸ばす巨木が存在する。

 その巨木には神が舞い降り、エルフの巫女へ啓示を下すと言われた。それ故、エヴァーグリーンは代々、神の啓示を受け取る巫女が女王として君臨する。

 ハイエルフ達はその巨木の麓に神殿を建築し女王の玉座を据えた。彼らにとって巫女である女王から賜る神の啓示は絶対服従であり、先祖よりその精神が刷り込まれている彼らは、女王の啓示に疑問を抱く事は決してない。


 エヴァーグリーンの一部の地域に存在する白く美しい木目を持つ木材を材質とした神殿に、一人の女性が立っていた。

 長い金髪にエルフ特有のとがった耳と白い肌。そして美しい顔立ちを持つエヴァーグリーン現女王であるヴィルシィーナである。純白のドレスを揺らし彼女は神殿から見渡せる緑豊かな光景を目にしながら、その美しい顔が唇を歪ませた。

 女王の後ろにハイエルフにしては珍しい全身を漆黒の衣装に身を包む男が頭を垂れている。彼の発言を耳にした途端、ヴィルシィーナは激情したのか声を張り上げた。


「逃がした!? ダークエルフの小娘一人、満足に殺せないのか!?」


「申し訳ありません。手練れの魔法使用者が娘の傍にいる模様です。また、昨夜の夜襲も失敗しました」


「現地の者の話では、その魔法使用者が『精霊エレメンタル支配者ルーラー』であるとの声も……」


 男の声を耳にした途端、彼女は手にした杖で激しく床を叩く。その音でまるで落雷を受けたかのように漆黒のハイエルフはその身を痙攣させた。

 彼女の怒りに支配されているであろう震えた声が神殿に響く。


「支配者が存在するわけがなかろう! あんなもの神話の世界が生み出したただの英雄像に過ぎん。何かの間違いに決まっている!」


 ヴィルシィーナは、ゆっくり男に歩み寄ると顔を近づけた。美しい顔を不気味に歪ませ、彼の耳元で囁く。


「……天啓を握っている私に不可能はない。お前を生かすも殺すも私の言葉次第だというのはよく知っているだろう?」


「必ずあの小娘を殺せ。必ずだ」


 全身を小刻みに震わせる漆黒のハイエルフは、深々と頭を下げるとその場から姿を消した。ヴィルシィーナは、再び眼下に広がる緑の森を見下ろすと口元を小刻みに震わせる。


「……この国は私の物だ。ダークエルフなんぞに渡してなるものか!」




 ラトレアの住むダークエルフの集落にて。

 集落の隅にあるラトレアの小屋の傍でリリーナとラトレアが向かい合い、何かを話し込んでいた。それは、リリーナが彼女に魔法を教えている光景である。

 ラトレアは魔法使用者の素質に恵まれていた。魔法構成の構築や詠唱に対する理解が早く、魔法使用者の才能の片鱗を見抜いたリリーナは、それに心躍らせるかのように魔法の説明を水が落ちる滝の如く小さな口から放出する。その怒涛の勢いたるや呆れたと言いたげにシオンが、肩をすくめて苦笑いするほどである。

 だがリリーナは実演はさせなかった。何故なら、彼女は「精霊エレメンタル支配者ルーラー」である。

 仮にラトレアが魔法を行使したとしても発現するはずがない。しかし、リリーナの制止を聞かずラトレアは、興味本位で下位魔法である火球ファイアボールを唱えたその瞬間、あり得ない現象が起きた。

 魔法名の詠唱と共にラトレアの小さな手から火球が生み出され、それは空中に撃ち出される。シオンとリリーナはその光景を茫然とした様子で眺めていた。特にリリーナは驚愕したのか目を見開き、口が半開きになっている。何故ならラトレアは、「精霊の支配者」がいる目の前で精霊魔法を行使したのだから。


「……どういうことよ?」


 射程から外れ空中に霧散して消えた火球を今だ眺め、シオンがおもむろに口を開く。リリーナも同じく空を見上げたまま身動き一つしない。

 反面、ラトレアは初めて行使した魔法に喜びを隠し切れないのか、椅子に腰かけたまま足をパタパタ動かし満面の笑みを浮かべていた。


「なんであなたの前で彼女、精霊魔法を使えるの?」


「……私の前で魔法を行使できるということは、つまり私と同じ『階級』を持つということだ」


 リリーナは見開いたままの青い瞳を笑顔を浮かべるラトレアへと注ぐ。

 今、目の前で起こった現象はラトレアが「精霊の支配者」と同等の階級を持つことを意味している。つまり、リリーナと同様に彼女も絶大な精霊の加護を受けているのである。

 リリーナの場合は、その出生に「支配者」となる要素があった。では、ラトレアはどうなのか。彼女の場合もまた同様だろう。何故なら、精霊の従属に関しては努力や鍛錬など何の意味も持たないからだ。それらは全て、その者の持つ霊的な素質……つまり魂の構成に由来する。後から付与される類のものではないのだ。

 リリーナはそうあるべく産み出された。それと同様にラトレアもそうあるべくしてこの世に生を受けたのだ。

 リリーナはラトレアにゆっくり近づくと、彼女に顔を寄せ言葉を紡ぐ。


「……君は特別な存在だ。理由はわからないが恐らく私と同等の力を持っている」


 ラトレアはリリーナの話をそのとがった耳で聞いていた。

 実のところ、リリーナ本人でさえ自らが何故、支配者の階級を持ちえるのかわからないのだろう。もし理解しているのならラトレアの正体も説明できるはずだからだ。

 だがラトレアはあの死の世界から自らを守っている生者である。リリーナも生者であるが彼女の場合、「水晶の加護<クリスタル・ディバインプロテクション>」により生者を維持している点がラトレアとの相違だ。ラトレアがその魔法を行使するのは到底、不可能である。ならばラトレア自身が死の世界の影響を受けなかったと言えるのだ。

 リリーナは、ここまでの状況からある答えを導いたのか小さく頷くと、ラトレアの黄金色の瞳を見つめた。


「憶測だが、君は厳密に言うとダークエルフではない。姿形はそうであっても中身は全く違う」


「君は生きている。それは、君自身が死の世界を跳ね除けたということ。その要因は恐らく、君の霊的素質……つまり魂にある」


「君は精霊そのものだ。もしくは、その魂は精霊と結合している。極めて稀有な事例だ」


 それが憶測交じりとはいえ、リリーナが出した結論である。

 霊的には精霊そのものと言えるラトレアは、支配者の従属を持つリリーナの前であっても精霊魔法を行使でき、さらに死の世界の影響も受けなかったのだ。

 勿論、当の本人は、リリーナの言葉を理解できないのかきょとんとした表情を浮かべている。そんな彼女にリリーナは微笑みかけた。


「つまり、魔法使用者として修業すれば私の次くらいに強くなれるということだ」


 リリーナのその言葉にラトレアは、純粋無垢な笑顔を見せる。だが、笑顔で語るその陰で、彼女の発動した索敵サーチアイは常に周囲を警戒し、さらにシオンは明らかにラトレアの周辺へ注意を注いでいたのが見て取れた。

 何故ならリリーナの出した結論がもし事実と等しいのだとしたら、ハイエルフの狙いが何か明白だからである。そして、それを裏付けるかのように索敵の目が警笛を鳴らした。

 

 突如、集落の入り口付近から男の断末魔の叫び声が響く。それと同時に漆黒の服に身を包んだハイエルフが数人、村の中へとなだれ込んできた。

 彼らは邪魔するダークエルフを問答無用で切り殺すと即座にリリーナとラトレアを取り囲む。その殺気を帯びたかのような険しい顔を前にして怯えたのか、小柄な体を小刻みに震わすラトレアとは対照的に、リリーナはたじろくことなく平然と立っていた。シオンはラトレアの傍でまるで彼女を守るかのように立ちはだかっている。

 漆黒のハイエルフが一人、リリーナの前へ歩み出た。彼は血に濡れたレイピアを突き出し、鋭く声を発した。


「そこの小娘を渡してもらおう」


「断ると言ったら?」


「ここで死んでもらう」


 その言葉とほぼ同時に、周囲を取り囲んだハイエルフ達の口から魔法詠唱が紡ぎ出される。だが、リリーナの含み笑いが詠唱が終わりかけたその時、彼らの耳元に届いた。

 彼女の態度に激情したのか目の前の男が声を張り上げる。


「何がおかしい!?」


「いやすまない。余りにも無策すぎて哀れみを通り越して笑みが浮かんでしまった。『井の中の蛙大海を知らず』とはよく言ったものだ」


 リリーナのその言葉にさらに精神を苛立たせたのか、男の号令が響き渡った。それと同時に取り囲んだ複数のハイエルフの掲げる手から紅蓮の炎が巻き起こる。そして彼女を焼き殺す……はずだった。

 だが、炎は生まれない。あるのは自らの異変に気が付いたハイエルフ達の騒めきだけだ。目の前の男は驚愕したのか目を見開く。


「支配者……実在するのか……!?」


「構うな! 魔法を詠唱する前にこいつを刺し殺せ!」


 号令と共にハイエルフ達がレイピアを抜き、刀身が鈍い光を放った。だが、リリーナはそれを目のあたりにしても身動き一つせず、その口が短く呟く。


「十人ほどか。シオン。生け捕りにしろ」


 彼女の言葉が耳に響いた瞬間だった。ラトレアの傍にいた黒髪の女の姿が消え去り、男達の間隙を縫って風が疾走する。その黒い風は通り抜け様に男の後頭部を強打し、まるで糸の切れた人形のようにその場にいたハイエルフ全てが気を失い崩れ去った。

 黒髪を揺らし地面に倒れる男達を横切り、シオンが優雅に歩いて見せる。その美しい顔が残酷に歪んだ。


「さて、楽しい尋問といこうかしら?」


「そういうことだ。こいつらは私の予想を見事に裏付けしてくれたな。ハイエルフの女王の狙いは間違いなくダークエルフではない」


 リリーナの青い瞳が鋭く光り輝く。


「ラトレアだ」

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