第28話 万と一の天秤

 ダークエルフ。それは、ハイエルフと同じ種族でありながら彼らの社会とは隔絶した存在である。

 「ダーク」と名が付くがそれは「闇の眷属」を意味しているわけではない。ハイエルフとの違いはその肌の色のみなのだ。彼らは突然変異体の一種であり、ハイエルフの中から突如として産まれただけなのである。それ故、「ダーク」とはハイエルフ達が彼らを軽蔑し名付けたただの差別用語でしかないのだ。

 

 ダークエルフは褐色の肌を持つ者のみで集落を作り、そこでひっそりと暮らしていた。ラトレアもその一人である。

 彼女の案内でリリーナ達はダークエルフの集落へと足を踏み入れた。そこはハイエルフの集落と同じく巨木を切り抜いて住居とした物や木造の建物で主に三角屋根の一階建てがほとんどである。

 ラトレアと同じ褐色の肌を持つダークエルフの村長は、険しい顔をする事無くリリーナ達を迎え入れた。

 ここに人間がくることはほとんどない。それ故に立ち入りを許される事はほぼあり得ないのだが、彼女達はラトレアを救った言わば命の恩人なのである。村長が断る理由などどこにもなかった。


 ラトレアは集落の端にある小屋で暮らしていた。必要最低限の物しかない部屋の風景は、一目見ただけで彼女がたった一人で暮らしていることを物語っている。

 リリーナ達はラトレアを小屋に残し、村長の家を訪れた。一際、大きな家の扉をノックすると、まるで来ることをわかっていたかのように、部屋の中から彼女達を呼ぶ村長の声が耳に響く。

 扉を開け家の中へと足を踏み入れた。煌々と灯りが灯された室内には顔に皺の入った白い髪に褐色の肌を持つ一人のダークエルフが椅子に腰かけている。

 彼に促され木製の椅子に着座するとリリーナは、村長の顔を見つめた。


「この度はラトレアの命を助けて頂き、感謝します。さらに木々の火まで消火してくださったようで重ねて感謝を」


「その礼ならすでに受け取った。それよりあの放火。ハイエルフの仕業だな?」


 リリーナの全てを洞察するかのような鋭い瞳が村長を見据える。彼はその言葉に頷いた。

 不自然な放火。さらにダークエルフであるラトレアの命を狙ったハイエルフ達。それは彼らによる迫害がエスカレートし、先の状況を生み出したとリリーナは考えたのだろう。燃え盛る一帯は恐らくダークエルフの居住区域であり、集落を燃やそうと火を放ったと容易に想像ができるからだ。

 村長はため息をつくと困惑したかのようにその手で頭を抱えた。


「今、我々エルフとハイエルフは内部紛争状態にあります」


 ダークエルフは自らの事をそう呼ばない。ただの「エルフ」と呼ぶ。それはダークエルフとはただの蔑称でしかないからだ。

 村長の話によると、ここエヴァーグリーンを支配するハイエルフの女王の元に神のお告げが届いたのだという。それによるとダークエルフはこの国に災いをもたらす存在だと警告されたとのことだった。

 元々、彼らの存在を良しとはしなかったハイエルフ達の間でそのお告げは、内部紛争の引き金になるのには十分すぎる要素だったに違いない。それによりここだけでなく他のダークエルフの集落も火を放たれ、惨い所では戦闘行為もあったという。


 リリーナはその話を耳にして怒りにも似た感情を露わにし眉根を寄せた。

 ダークエルフなどハイエルフが付けた蔑称でしかない。肌の色が違うだけの種族が何故、国に害を及ぼすのか。

 そもそも神という存在がたかだか一つの国家を憂いて天啓を施すわけがない。そのお告げとやらがダークエルフを排除するために捏造された「大義名分」に過ぎないということをリリーナは、その時点で理解したのだろう。

 シオンも同様に感じたのか呆れたと言わんばかりに肩をすくめる。


「エルフ同士。殺し合うなど馬鹿の極みね。勝手にやっていればいいわ」


「正直、それには同意する。私達の目標はここエヴァーグリーンを抜け、女神の遺産<エリタージュ>に赴くことだ。君達が戦争しようとそんなことはどうでもいい」


 リリーナのその言葉を耳にして、村長ははっきりわかるほど大きく肩を落とした。

 恐らくラトレアを助けた経緯から、リリーナ達が現状の打開に協力することを密かに期待していたのだろう。仮に戦闘になったとしても数は明らかにハイエルフの方が遥かに多い。数字上の話だけでも国家を覆すなど今のダークエルフには無理な状況なのである。


「私達には戦争で勝てるほどの数はありません。降伏勧告すらない。それでも対話で何とか和平を結ぶしか道が……」


「武力をもって侵略する相手を言葉で制圧できるのか? 殺さんとばかりに突き立てるナイフの刃を生身の舌で弾き返せるのなら、それは死神にすら不可能な大道芸だ」


「それならば私達に生き残る道はないとおっしゃるのか!?」


 真剣な眼差しで訴える村長に綺麗に整った眉一つ動かす事無く、リリーナは彼を見据えたまま動かない。その口は変わらず淡々と言葉を紡いだ。


「先程も言った通りだ。我々は君達の戦争の行方などに興味はない」


「……だが、ラトレアの命の保証ができないというのなら話は別だ」


「ラトレアの……?」


「村長。彼女は孤独の身だな? 家の様子を見ればわかる」


 リリーナの言葉に村長は無言で頷く。

 彼の話によるとラトレアの両親は彼女が物心ついた時に病死したという。それ以降、幼いラトレアを村ぐるみで育ててきたのだ。


「ならば、彼女を安全な場所へと届け、私達は女神の遺産<エリタージュ>へと向かう」


「もし、ハイエルフ達がその障害となるのであれば……全て叩き潰すまでだ」


 リリーナの青白く燃えるかのような瞳を見て、村長は一瞬、恐怖を感じたのかその体を震わせた。

 何故、彼女がそこまでラトレアに執着するのか彼には理解できないのだろう。怪訝な表情を浮かべながらも「彼女だけでも助かるのならば」と村長はラトレアを託すことを承諾した。

 

 村長の家を出るとリリーナは木々の隙間から広がる澄んだ夜空を見上げる。そして後ろに佇むシオンに語り掛けた。


「私はね。シオン。恐ろしいことを考えているのかも知れない」


「万の死者より、一つの生者を助ける。その為には国家を覆す事すらいとわない」


 そこまで口にすると、彼女の表情が唐突に鋭いものへと変貌を遂げる。その青い瞳を後ろにいるシオンへと注いだ。


「もし、エヴァーグリーンという国家がラトレアの死を狙うのなら……私は、その王座を引きずり下ろすだけだ」


 リリーナの瞳に自らの赤い瞳を重ね、シオンは微笑む。そして、彼女に近づくとその耳元に囁いた。


「死者は所詮、死者に過ぎない。放っておいてもどうせいずれは動く死体と化す。それならば唯一の生者を助ける為に彼らを滅ぼす」


「あなたの判断に間違いはないわ。ただそうならないのが理想というだけのこと」


「激戦が予想されるわ。行動は早いほうがいいわね」


 リリーナは頷くと純白の美しいローブを翻し、ラトレアの住む小屋へと足を進める。

 国家と生者である少女を天秤にかけ、彼女が選んだのは少女だった。一つの生命を助ける為、場合によっては万の命を滅ぼす選択をリリーナはしたのである。

 彼女のその小さな手にラトレアの命と国家の命運が握られていた。


 

 静まり返る深夜。全てが寝静まっているのか物音一つせず限りなく無音に近い。

 ラトレアの小屋に設置されている粗末なベッドの中で、毛布に包まってシュミーズ姿のリリーナとラトレアは寄り添うように寝ていた。リリーナのその寝顔は歳相応の可愛らしいものであり、戦闘時に見せる冷徹な表情は欠片もない。

 彼女の寝顔を見つめる二つの赤い瞳は、普段は見せないであろう優しさに包まれたその表情で口元をほころばせる。


「寝顔だけ見たら、本当にまだガキね」


 シオンは常に寝ていなかった。

 寝ずとも死なない体である故、彼女は夜、リリーナが寝静まってから常に周囲を警戒している。勿論、リリーナの索敵の目<サーチアイ>は使用者が就寝していても発動していた。しかしシオンは彼女を休ませる為、その範囲外を索敵し障害が発生した場合、速やかに排除するのである。恐らくリリーナはそのことを知らない。

 暗闇の中、赤い瞳が真紅の帯を引いて動き、一点を見据える。彼女の持つその超人的な感覚が、僅かな差異を察知し異常を知らせるのだろう。

 その肢体が月夜の下、音も無く迅速に動く。走りながらその手に死神の鎌である「死者ザ・デッドオブバンシーび」を具現化させた。


 彼女が違和感を感じたであろう正体。それはダークエルフの集落に忍び寄るハイエルフの男達である。

 彼らは夜襲を仕掛ける為、音を立てずにじり寄っていた。その手に油を染み込ませた布を巻いた木の棒を握りしめ、火をつけようとする。その瞬間、風が彼の首元を横切った。

 木々に赤黒い血が飛び散る。音も無く距離を詰めたシオンの手にする鎌の刀身が横一文字に光の軌跡を走らせ、男の首を切り落としたのだ。突如、崩れる仲間の姿に戦慄したのか目を見開き、ハイエルフ達は周囲を見渡す。

 彼らの瞳に黒髪が揺れていた。闇の中に浮かぶその真紅の瞳は、炎のように揺らいでいる。


「夜襲? 良い趣味とは言えないわね」


「所詮、ゴミは考えることもゴミだわ」


 ハイエルフ達はその声とほぼ同時に魔法詠唱を開始した。だが、それよりも早くシオンはその四肢を躍動させる。

 暗闇の中、幾重にも白刃が煌めいた。死神の鎌は無慈悲にも男達の首を切り落とし、その命を狩る。周辺に血を飛び散らせ、首のない胴体だけとなった死体が転がる中、シオンは死者の叫びを消し去り闇へと消えた。


 ダークエルフの集落の近くにある湖に全裸のシオンが、その身体を水の中へと入れる。月の光に照らされた彼女の肢体は、水滴を纏い幻想的な美しさを醸し出していた。

 水を浴び血の臭いを落とすとシオンは再び集落へと戻り、リリーナの傍らに佇む。彼女は何事もなかったかのように今だ夢の中である。

 そして、シオンはその寝顔を見て再び微笑むのだった。

 おもむろに彼女は、指で可愛らしい寝顔を見せているリリーナの頬を優しく突いてみる。言葉にならない声を上げ、もぞもぞと動くリリーナはまるで愛玩動物のような愛おしささえ感じさせるのだろう。シオンは断続的に何度も突き始めた。

 その時、リリーナの周辺に浮かぶ索敵サーチアイの魔法陣が青から赤へと変色する。瞬時にリリーナが目を見開き上半身を起こした。


「夜襲か!?」


 その勢いにさすがのシオンも驚愕したのか目を見開いたが、すぐさまリリーナから視線を逸らし体を背ける。飛び起きたリリーナは索敵の目の魔法陣で周辺を探索するが、異常は見当たらないのか冷静さを取り戻し落ち着いた表情へと変わった。

 リリーナは、その今だ瞼を重そうにしている瞳をベッドに腰かけるシオンへと注ぐ。疑念を抱くかのように青い瞳は細く彼女を睨みつけた。対してシオンは素知らぬ顔である。


「……何をしている? シオン」


「散歩よ。散歩」


「散歩で何故、お前はベッドの上にいる?」


「たまたまよ」


 のらりくらりと質問をかわす彼女へ突如、リリーナは顔を近づけシオンへ詰め寄った。


「お前。寝ている私に何かしただろう!?」


「し……してないわよ」


「私に悪戯して索敵の目を誤作動させたな!」


 怒涛の勢いでさらに追いつめるリリーナに対し、シオンにしては珍しく冷や汗の雫を垂らしたその時、二人に可愛らしい叱責が飛んだ。


「……うるしゃいですぅ」


 状況的に恐らく寝言であろうが隣で眠るラトレアが言葉を発し、もぞもぞと動いている。リリーナとシオンの二人は沈黙し一瞬、お互いの顔を見合わせ、動かなくなったラトレアへ視線を移すと二人同時に言葉を紡いだ。


「すみません」


 おもむろにシオンの含み笑いが小屋に響く。それを耳にしてリリーナは質問責めを止め、毛布の中へ潜り込んだ。


「寝る。お前も寝ろ」


「……そうね。少し横になるわ」


 その時、リリーナの鋭敏な嗅覚があるものを察知したのか彼女の瞳が一瞬、見開く。それはごく僅かに残る血の臭いだった。

 ハイエルフが夜襲を仕掛けてくる可能性はリリーナも当然、考えていたことだろう。先程、彼女が飛び起きたことがそれを示している。それ故に血の臭いが語る事実にシオンが何をしたのか察したのだろうか。

 リリーナは口元を僅かにほころばすと再び眠りについた。

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