第27話 褐色の少女

 火が放たれ木々が燃える中、少女は走っていた。


 熱気が炎から放出され空間を歪ませる。火を纏った葉が宙を舞い、少女の視界を横切った。夜の闇に包まれた中、まるで灯火を頂く蝋燭のように周辺を燃え盛る木々が赤く照らし出す。

 十歳ほどだろうか。小柄な体を動かし、みすぼらしい茶色の衣装に身を包んだ少女は裸足である。それは、靴を履くまでもなく飛び出さなければならない状況が発生したことを示していた。

 セミロングの桃色に染まった髪を揺らし、褐色の肌により構成されたその表情は苦悶に満ちている。恐らく一目散に駆け出し体力も限界なのだろう。その足取りはおぼつかない。

 その時、足元に転がっていた石につまづき少女は地面に転がる。体に走るであろう痛みに表情を歪ませ、力を振り絞り立ち上がろうとした。その瞬間、彼女の視界に純白のローブが揺れる。

 体勢を崩したまま見上げる少女の目の前には、銀色の髪を揺らし、宝石のように青く光り輝くサファイアの瞳を持つ女神がそこに立っていた。



 時を遡ること数時間前。

 リリーナ・シルフィリアはシオンの案内の元、「世界ワールド監視者オブサーバー」に会うため、「女神の遺産<エリタージュ>」を目指し深緑の国エヴァーグリーンへ赴いていた。

 女神の遺産<エリタージュ>は、監視者が鎮座する場所であり、リリーナがケンウッドによって拾われた場所でもある。選ばれた者しか入れない聖域と言われるが何故かシオンはそこへ至る道を知っているようだ。それは超越者が言っていた「神の遺産」との関連性があるのかも知れない。

 リリーナは彼女が女神の遺産<エリタージュ>の場所を知っていることについて深くは追及しなかった。たどり着くことが目的であり、その過程について論じるのは時間の無駄だからである。

 

 シオンの話によると女神の遺産<エリタージュ>は、深緑の国エヴァーグリーンを抜けた先にあると言う。

 深緑の国エヴァーグリーンはハイエルフが支配する国である。国の面積の大部分を森林が占め、そこに暮らすハイエルフは魔法と弓、レイピアを武器とし狩猟と木造加工品を生活の糧としていた。

 ハイエルフとは金色の髪に長身で白く端正な顔立ちを持つ種族である。両耳が長く先端がとがっているのが特徴だ。寿命も長く、短命でも数百年。長いと数千年は生きると言われる。

 地底に引きこもるドワーフとは非常に仲が悪く交流は持たない。人間も同様で他種族に対して閉鎖的である。だが、魔法を得意とする彼らの持つ独特な言語は「古代言語エンシェントラング」と言われ、人間の手により改良され魔法詠唱に活用されている。


 リリーナ達は飛行杖フライトスタッフでエヴァーグリーンの国境付近に舞い降りた。

 すでに陽は沈み、周辺は暗闇に包まれている。しかし彼女達の目の前には赤い光が煌々と輝いていた。それは灯火の光ではない。燃える赤……炎により生み出された灼熱の光である。


 深緑の国エヴァーグリーンは炎に包まれていた。木々は焼け炎を纏った木の葉が舞い降りる。火炎が弾けパチパチと音を奏でた。

 リリーナは周辺を注意深く見渡しながら、燃える木々の中へと足を踏み入れる。すでに発動している索敵サーチアイは敵意ある存在を認識してはいないようだ。

 木々を抜け細道に出る。周りは頂きに火を灯す木々が立ち並ぶ光景だ。ここまで人の姿はないが森を愛するはずのハイエルフが森林を燃やしたままにするとはよほどの異常事態である。消火活動をするエルフの一人や二人は見当たるはずだがそれすらない。ハイエルフ自身が火を放ったのか、それとも侵略などにより他者に燃やされたのかは不明だ。

 その状況から警戒を怠る事無く、観察の眼を光らせるリリーナの視界にあるものが浮かび上がった。それは、桃色の髪を持つ少女である。彼女は地面に倒れ、力なく立ち上がろうとしていた。

 その苦悶に満ちた表情がリリーナの瞳と重なる。彼女の顔を見た瞬間、リリーナの形のよい眉がピクリと動いた。何故なら白い肌を持つハイエルフではなく、そこにいるのは褐色の肌を持つダークエルフだからである。


「た……たすけ……」


 少女は力なく声を発した。見た目は非常にみすぼらしい質素な服装で、所々ほつれている。

 リリーナは彼女を見据えながら動かなかった。恐らくリリーナの瞳には生者に映っていることだろう。

 だが地下帝国ベルクヴェルクが死の世界と化していたことから、ここエヴァーグリーンも例外ではないと考えるのは当然のことだ。それ故、リリーナは彼女を死者だと思っているであろうことはその態度から明白であった。

 死者であれば別に今ここで助ける必要などない。リリーナはそう判断したのだろう。救いの手を差し伸べようとはしなかった。しかし彼女から一時的に離れ、周辺を見て回っていたシオンが戻ったその時、リリーナはその態度を一変させることになる。


 シオンの動きが止まっていた。

 その赤い瞳は、目の前で倒れ顔を上げている少女を見据え、驚愕したのか目を見開く。リリーナは突如、動きを止めたシオンに小首を傾げ、その表情を見つめた。


「どうした? シオン?」


「その少女……『生者』だ。生きている!」


 彼女の発言を耳にしてリリーナの青い瞳が徐々に見開いていく。リリーナは咄嗟に少女の手を取るとすかさず抱き寄せた。

 何故、この少女が生者なのかその理由は不明だ。だが今のリリーナにとってそんなことはどうでもよかったのだろう。シオン以外に生者がいる。その時点で少女は特別な存在となるのだから。

 突如、態度を豹変させた目の前の女性に抱き寄せられ、少女は驚愕したかのように目を見開くが、その暖かさを全身に感じるのか目を瞑り口元をほころばせた。

 抱き寄せ近づいたその耳元にリリーナの優しい声が響く。


「……君。名は何という?」


「……ラトレア」


 か細くもしっかり耳に響くその声を聞き取るとリリーナは頷き、体を離して彼女と向き合うと満面の笑みを浮かべた。


「先程、君は助けてと言ったね? 君のその願い。私が叶えよう。まずはこの森の火を消さねばな」


 リリーナはラトレアを立たせると手を頭の上まで伸ばし指を鳴らす。その瞬間、冷気が迸り木々を取り込むとその炎を瞬時に消し去った。

 何事もなかったかのように木々を月夜の光が照らす中、ラトレアは目を丸くし周辺を見渡す。リリーナはそんな彼女に笑顔で口を開いた。


「さて、火は消した。あとは君を安全な場所へと連れていかないとな」


 その時である。

 火が消えた周りの状況に驚いたのか声を上げ、リリーナ達の目の前に三人ほどの白い肌を持つハイエルフの男達が木々の間からその姿を現す。突如、消えた炎に怪訝な表情を浮かべながら、男達の視線が細道に佇むリリーナ……いや、その傍らに寄り添う褐色の肌を持つラトレアへと注がれた。

 男の一人が声を上げる。


「いたぞ! ダークエルフだ! 異端者め。殺してしまえ!」

 

 冷酷な言葉を発し、男達は彼女へ近づこうとした。その瞬間、まるで全身を鋭い切っ先で貫かれたかのような殺気を感じたのか、彼らの体が震えと共に固まる。

 月夜の光のみに照らされた暗闇の中で、青白い炎が二つ揺らいでいた。それは、死の予感さえ感じるであろうほど強烈に彼らの体を揺さぶる。ただでさえ白い肌をさらに蒼白とさせ、遠目でもはっきりわかるほど震えるその体を見れば、恐怖に苛まれているのは一目瞭然だった。

 リリーナはゆっくりとそれでいて鋭く言葉を発する。


「殺す? 今、お前達はこの少女を殺すと言ったな?」


 彼女の白い手が静かに前へ差し出される。それに魔力のうねりを感じたのか、咄嗟にハイエルフの一人が魔法の詠唱を開始する。「古代言語エンシェントラング」による高速詠唱である。それは簡単な魔法であれば即座に魔法構成を構築させ、彼の手から燃え盛る火球が打ち出される……はずだった。

 だが、魔法名を口にしたにも関わらず魔法が発現しない。ハイエルフはその事実に驚愕したのか目を見開いた。


「……お前程度で私の前で精霊魔法が使えるとでも思ったのか?」


 リリーナの青い瞳に魔法構成が浮かび上がる。それと同時に彼女は片手で抱き寄せるラトレアの両目を咄嗟に手で塞いだ。


「中位精霊魔法・貫く氷針<ミドルランクエレメンタルマジック・ペネトレイトアイススティンガー>」


 暗闇の中、血が飛び散る。

 突如、高速で打ち出された氷で形成された太い針は、ハイエルフの頭部を貫いた。一瞬で二つの体が頭部を失い崩れ去る。最後に残ったハイエルフは恐怖に満たされているであろうその戦慄した表情で、開いた瞳孔をリリーナに注いだ。


「……『精霊エレメンタル支配者ルーラー』!?」


 それが彼の最後の言葉である。再び射出された氷の針により頭部を正確に射抜かれ、男の体はゆっくり後ろへ倒れていく。

 リリーナは三人の男を殺害するとラトレアの目を塞いだまま声をかけた。


「すまないがちょっと目を瞑ったままにしてくれ。……シオン?」


「抱きかかえろっていうんじゃないでしょうね?」


「御名答。その通りだ」


 リリーナの声を耳にしてシオンは呆れたと言わんばかりに肩をすくめてみせたが、口元をほころばすと彼女の手からラトレアを受け取りそっと両手で抱きかかえる。


「生者なら別か。まるで本当にあなたの従者みたいだわ」


 彼女のその言葉にリリーナは微笑んで見せた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る