第26話 墓石に揺れる花

 最上位守護魔法「水晶の加護<クリスタル・ディバインプロテクション>」は、「使用者」でしか解除できない。

 デッド超越者トランスセンダーは確かにそう言った。その言葉が真実であるのなら、その魔法を行使したのはリリーナ本人ということになる。だが、彼女はその魔法を知らない。


 終焉の迷宮。第六階層。

 超越者が鎮座するその部屋でリリーナは唖然とした表情で頭蓋骨を見据えている。シオンは未だ壁を背に腕を組んだままだ。彼女が見つめる先に着座する超越者は、その骨だけで構成された手で再び、紅茶を口元へと運んだ。

 リリーナは「水晶の加護」の魔法構成を知らない。魔法構成を構築できなければ魔法を行使することは不可能である。魔法大全集に記載されている「時間逆行」が起こり得るとして、それにより記憶に障害が発生し魔法構成を忘れていたとしても、何故、解除魔法は覚えているのか。そして、彼女がその魔法を行使しなければならない状況とは何か。

 全ては未だ闇の中である。


「当然、私もその魔法構成は知りマセン。それ故に解除方法も知りマセン」


「その『時間逆行』による記憶喪失も実例がありませんので、本当に起こり得ることなのかも不明デス」


「魔法大全集に記載されている内容はあくまで伝え聞いたモノ。実証されなければ架空の空論デス。魔法使用者ならその考えはお分かりでショウ?」


「それにそもそも魔法構成を知らないのに解除魔法を知っている時点でおかしいのデス。この点についてはワタシにはお手上げデスネ」


 超越者は骨で出来た腕を広げ天を仰ぐ仕草をして見せた。滑稽極まりないその光景にリリーナは、気持ちが落ち着いたのか口元を僅かにほころばすと紅茶を口にする。

 彼の言う通り、記憶喪失も時間逆行も全て架空の空論でしかない。実証できなければそれは起こらないこととみなす。魔法使用者の間で交わされる暗黙の了解である。


「あんた達、魔法使用者という人種は小難しく考えるけど、忘れたら解除できないんだから解除魔法だけは覚えているんじゃないの?」


 黙って話を聞いていただけのシオンがおもむろに口を開いた。リリーナと対峙する超越者は体をずらしその空洞で彼女を見つめるとカタカタと骨を鳴らす。

 頭上の鳥がその体を三回、痙攣させた。どうやら否定の意見らしい。


「そんなこと当たり前じゃないデスカ。論じるまでもないから話題にさえ上っていないのデス。問題なのは何故、魔法構成だけ忘れてしまうかなんデスヨ」


 彼の言い方が癪に障るのか一度は落ち着いたシオンのその表情が再び険しくなった。身体を前に傾け今にも斬りかかりそうな体勢である。

 リリーナはため息をつくとおもむろに席を立ち、腰から下げているバッグの中から何かを取り出してシオンに手渡した。彼女の赤い瞳に映るそれは丸く成形された小さなパンである。

 席に戻るリリーナとシオンの瞳が重なった。それでも食べて落ち着けと言わんばかりにリリーナは微笑んで見せる。

 無造作に口に放り込み噛みしめるとシオンの口元がほころんだ。何故ならそれは、彼女のお気に入りだったあの甘酸っぱい果実が塗ってあるパンだからである。

 たった一つのパンですっかりおとなしくなったシオンを見て、超越者は感嘆の声をあげた。


「冗談ではなく正直にすごいデス。まるで猛獣を手なずけているかのヨウダ」


「私の料理だからこそ可能な芸当だ。それより話を続けよう。あなたは水晶の加護による記憶喪失をどう思う?」


「ワタシにはそこに何かの意思がある気がしてなりマセン」


「魔法構成だけ忘れるのも不自然デス。魔法というものは造られたモノ。それにより起こる現象は必然デス。つまり、記憶喪失もあらかじめ組み込まれている必然だとイエマス」


 リリーナは思案するかのように視線を下に落とした。

 いかに超越者と言えども全ての魔法を熟知しているわけではない。特にこの「水晶の加護」については余りに情報が少なすぎる。全て架空の空論で終わってしまうのだ。ただ超越者の言う通り、魔法というものは人為的に作られたものだ。それはこの水晶の加護も例外ではない。全てにおいてその魔法を造りし者の意思がそこにはある。つまり「魔法構成を忘れる」ことも「記憶を失う」ことも全て創造主の意図なのだ。

 これ以上、話に進展はないと判断したのかリリーナは、顔を上げると別の話を切り出した。


「水晶の加護についてはこれくらいにしよう。少し聞きたいことがある」


「なんでショウ?」


「あなたはドッペルゲンガーをご存知か?」


 ドッペルゲンガー。それは「もう一人の自分」である。

 精霊や魔物の一種と諸説があるが詳細が不明であり、本人を別な場所へ「投影」しているだけなのか、それとも見た目のみ同一で別な生命体なのかもわからない。

 ケントニスの書物庫にも情報を記載した書物があるが、人類の歴史上、少なくともドッペルゲンガーが見られる現象は確認されている。


「ドッペルゲンガー。もう一人の自分デスカ」


「これを見てほしい」


 リリーナはバッグの中から丸みを帯びた石を取り出すと超越者の前へ差し出した。

 それはティエンダの盗品商にて彼女と同様の外見を持つ人物が、金貨と引き換えに置いていった魔法道具マジックアイテムである。

 超越者はそれを手に取り、眼球のない頭蓋骨で見つめる。


「私と瓜二つの人間。それが置いていった品だ」


「音声などを保存する魔法道具デスカ。アナタのドッペルゲンガーが置いていったト? 中身ハ?」


「ドッペルゲンガーかどうかはわからない。あくまで可能性の問題だ。中身は何もない。恐らく未使用品だろう」


「未使用品デスカァ。……しかしこれは……」


 その時、白い石を見つめる超越者の空洞が一瞬、離れた位置で見据えるシオンの瞳と重なった。

 彼女は超越者を見ていたわけではなかった。明らかに石を見つめている。それも憂いを帯びたようなどこか悲し気な瞳で。

 だがシオンは超越者と目線が合った事に気が付いたようで咄嗟に鋭い瞳に変貌させた。

 一呼吸置くと超越者は骨だけの口をカタカタと鳴らす。


「……わかりまセンネェ。お返しシマス。それにドッペルゲンガーは本人と会うと相手を殺すと聞きマス。どのみち会わないほうがいいデショウ」


 リリーナは頷くと彼から石を受け取り、再びバッグの中へと入れる。そしておもむろに口を開いた。


「もう一つ。これが本題と言ってもいい」


「王都に巣くうかの者を打ち倒す為、力を貸してほしい」


 リリーナのその言葉が部屋に響き渡った途端、超越者の動きがピタリと止まる。リリーナは真剣な眼差しで頭蓋骨に開いた空洞を見つめた。

 王都に鎮座する外見がリリーナそのものである異質な存在の正体は掴めていない。だが、この死の世界において彼女が見た唯一の生者であり、また、リリーナ達を炎龍で焼き払おうとした人物でもある。

 最上位魔法を扱える以上、魔法使用者としての実力はリリーナと同等かもしくはそれ以上。彼女にはシオンという強大な存在がいるとはいえ、戦力増強は必要だというのがリリーナの意図したところだろう。

 しばらく沈黙が流れた後、思案するかのように顎を骨で出来た手で擦っていた超越者はおもむろに口を開いた。


「……残念ながらそれはお断りシマス。何故なら」


「ワタシは負け戦は嫌いなのデス」


 不気味な余韻が部屋に響く。リリーナは敗北宣言を受けてもその顔は変わらず無表情であり冷静だった。

 しかし、彼女の後ろに控える黒髪の女は、その言葉に冷静さを保つのは不可能のようだった。


「骨のある奴だと思ったがそれは見た目だけか。超越者。怖気づいたのかよ?」


「違いマス。戦っても勝てナイ。だから戦わナイ。至極、単純な理由デス。例え、それが銀の賢者と調整者二人がかりでも結果は同じデス」


「ワタシの予想が正しければ……アナタ方は間違いなく負けマス」


「……理由を聞かせてくれないか?」


 リリーナの澄んだ瞳が超越者を捉える。その表情には憤りの感情は見えなかった。


「あの者は異質な存在。この世の理から反した存在デス」


「かの者の首を刎ねるには同じく世の理から反した存在の手による刃が必要。アナタ方はそれには該当しマセン。それ故に勝てないのデス」


 その言葉を噛みしめるかのようにリリーナは沈黙の下、身動き一つしない。

 リリーナと超越者、そして、彼を睨むように鋭い視線を送るシオンの三つの視線が交錯する中、しばらく時間が過ぎると彼女は沈黙を破るかのように立ち上がった。


「……情報提供、感謝する。我々はこれで」


「紅茶は美味しかった。骨に淹れてもらえる紅茶など人生で二度となさそうだ」


 可愛らしい笑顔を見せ、身を翻すとリリーナは入り口の扉へと歩き始める。その時、彼女の背中へ超越者の言葉が投げかけられた。


「アナタは死ぬべきではありマセン。できることならあの異質な存在には近づかないでもらいたいデス」


「何故ならアナタには『やるべきこと』があるからデス」


 リリーナの動きがピタリと止まる。その表情は感情が一切、感じ取れない無表情であり、彼女がその言葉に何を思っているのか読み取ることはできない。

 リリーナは一言も発する事無く、扉を開け姿を消す。後を追うようにシオンも立ち去ろうとするがそこへ超越者が話かけた。


「……調整者」


「何?」


「悪いことはいいマセン。銀の賢者を連れて逃げなサイ」


 彼の言葉が部屋に響いた途端、シオンの全身から針で刺すかのような殺気が放出される。だが、超越者はそれを身に受けてなお、たじろぐことなくその空洞の瞳で見据えた。


「逃げろ? 私に逃げろですって?」


「そうデス。彼女を死なせてはなりマセン。もし、かの者を打ち倒す為ではなく、彼女を生かす為に捨て駒となれと頼まれたら……私は首を縦に振りマシタヨ」


 その言葉を耳にして突如、シオンの殺気が収まった。今だ鋭い瞳を携える彼女はその頭蓋骨を見据えると身を翻す。


「……決めるのは彼女よ。私はそれに付き従うだけ。彼女がどう判断しどう行動するのか。それを見届ける」


「だけど彼女を救えるのは私だけ。彼女を救う為ならば逃げることさえいとわない」


「あなたの言葉。胸の中にしまっておくわ」


 シオンはそう言葉を残し部屋を後にする。

 骨で出来たその頭蓋骨を動かす事無く、超越者はただ彼女の背中をずっと見据えていた。




 その後。

 全てのトレジャーハンターが退散した「永遠エテルネルなる墓地セプルクルム」は再び、生気のない無音の墓地へと戻った。

 神殿前を占拠していた宿泊施設は取り壊され、「終焉フィーニス迷宮ラビリンス」へと通じる黒色の大扉は再び閉じられる。

 ただ、一か所だけ今までとは違う場所があった。それは、神殿前から少し離れた位置にある小さな空間である。

 神殿前広場から隠れる位置にあるその場所には一つの墓石が建てられていた。石を切り出したそれは丁寧に磨かれ、明らかに人の手により生み出されたものであることが伺える。

 その墓石には、この墓地に佇む他の物とは違い、名前が記されていた。「プラヴォート」……墓石にはそう刻み込まれている。

 彼の墓の前には、まるでリリーナを思わせる純白で可憐な花が風に揺れていた。

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