第25話 死の超越者

 リリーナとシオンの目の前に一際、大きな石碑が佇んでいた。


 終焉フィーニス迷宮ラビリンスの最下層である第六階層に足を踏み入れた時、その視界に映り込んだものである。ここに至るまでの階層において同様の石碑は存在したが、第六階層のそれは明らかに大きい。中心には何かを埋め込む空洞が彫られており、それは人の形を模していた。

 リリーナは丈夫な皮で作られたバッグからこれまでに集めた七つの銅像を取り出し、まじまじと眺める。その形状からどうやら最後のこの石碑に全てはめ込むことで先へ進めるようだった。

 彼女は慎重に七つの銅像を石碑にはめ込んでいく。全てのパーツを繋ぎ合わせるとそれは人間の形を彼女達の目の前に現した。

 肉のない骨だけで出来た人である。それはカタカタと笑い声を上げるかのように歯を鳴らし、音に導かれるように後ろの壁が開いていった。

 中は広い空間が広がっており、部屋の隅には本棚が並び、水の入ったガラスの容器には、見た事のない奇妙な姿をした魚が優雅に泳いでいる。木製のテーブルの上には、小瓶が赤や青の液体に満たされ、読みかけの分厚い本がページをめくられるのを今かと待っていた。


 リリーナはその光景に安堵感を覚えたのか表情が落ち着いたものへと変わる。

 最悪、戦闘状態になりえる可能性も視野に入れていたが、彼女の目に映る光景はどう見ても研究室、もしくはいかにも魔法使用者が閉じこもりそうな部屋の様相を呈していた。むしろ、同じ魔法使用者であるリリーナならば、居心地の良さすら感じるかも知れない部屋である。

 現に彼女の青い瞳は、開かれている本や本棚の内容を凝視し、すでに興味を引かれているのを見て取れた。

 そんな彼女を一瞥し、シオンは部屋を見渡す。敵らしきものは当然ながら、そもそもこの部屋には誰もいない。地面に魔法陣はなく何者かが召喚されるわけでもない。入ってきた入り口以外には先に進む扉も通路もない。第六階層はこの部屋のみなのだ。


 シオンは緊張感を解こうと体から力を抜いたその瞬間、動く視界にある者を捕らえた。それは先程、見渡した時には「そこ」にはいなかった者だ。

 骨だった。薄汚いローブを身に纏った骨が椅子に腰かけ、両手でコップを持ち何かを口へ運んでいる。その頭蓋骨の上には一羽の群青色の鳥が止まっていた。

 部屋に漂う匂いは、恐らく庶民によく飲まれている紅茶のものだ。その光景を目にしてシオンの瞳が殺気を纏ったかのように急激に鋭くなる。何故ならその骨は、あの神殿前の広場で遭遇した者と同一だったからだ。

 眼球のない頭蓋骨が二人を見据える。


「……紅茶でも如何デスカ?」


 骨だけで構成された体からは想像がつかない流暢な声が響く。あからさまに敵意を向けるシオンとは対照的に落ち着いた表情を浮かべるリリーナは、彼の問いに頷いた。


「頂こう。デッド超越者トランスセンダー



 シオンの目の前に奇妙な光景が広がっていた。

 木製のテーブルに向かい合うように骨とリリーナが座っている。その手には木製のコップが握られ、果物の匂いがする紅茶が揺れていた。

 無言で骨は紅茶を口へと流し込む。骨で構成されたその体のどこに紅茶が収まるのか、その事実に怪訝な表情を浮かべながらもリリーナはその眼球のない頭蓋骨を見据えた。

 シオンは、少し離れた位置で壁を背にして佇んでいる。離れているといっても彼女の身体能力なら瞬時に骨の首を切り離せる距離だ。冷静なリリーナとは対照的にその瞳は鋭く血のように赤い。

 沈黙の時間が流れる中、静寂を破ったのは超越者の言葉だった。


「……久しぶりデスネェ。お元気でシタカ? 『世界ワールド調整者コーディネーター』」


「ふん。どこかで聞いた口調だと思っていたが……今、思い出した」


 紅茶から視線を逸らす事無く話す超越者にシオンは、壁に背をつけ腕を組んだ状態でその視線を眼球のない頭蓋骨へ突き刺すように注ぐ。

 どうやら知った仲のようだが、彼女の表情には感慨深さの欠片も見えない。


「死霊系魔法のアンデッド作成の第一人者。『死霊魔術師ネクロリッチ』よ。まさかお前が超越者と呼ばれているとはね」

 

 肯定と言わんばかりに頭蓋骨に居座る鳥が体を二回、痙攣させた。

 シオンのその言葉に驚愕したのか目を見開いたリリーナは彼女を一瞥すると、目の前にいる頭蓋骨を凝視する。

 「死霊魔術師ネクロリッチ」……それは、死霊系魔法の中でもアンデッド作成という禁呪に手を染めた魔法使用者の名前だ。ケントニスの書物庫にある魔法大全集にもその名は忌むべき者として記載されている。当然、リリーナもその存在は知っていたことだろう。


「人間でありながらアンデッド作成という禁忌に手を染め開発した挙句、自らもアンデッドと化した頭のイカれた魔法使用者よ。以前……といっても数百年前か? お前と会ったのは」


「随分前ですからネェ。しかし、ワタシはあなたのことを忘れたりはしなかったのに、アナタはすぐ忘れるんデスネェ。今の名前ハ……?」


「シオンよ。お前みたいな引きこもりはすぐに忘れるの」


「アラ。もうそんな歳デスカァ?」

 

 超越者のその言葉に美しく整った眉を吊り上げ、シオンはあからさまに不機嫌な表情で口元を歪ませる。それと同時にまるで否定と言わんばかりに鳥が三回、体を痙攣させた。

 今にも斬りかかりそうな気配を察知したのか、すかさずリリーナが割って入る。


「待て。シオン。話をややこしくしないでくれ。戦いにきたわけではない。話をするためにきたのだから」


 リリーナは青い瞳をシオンへ向け、その動きを制するかのように彼女を見据える。

 シオンはため息をつくと前へ傾きかけたその体を再び、壁に貼りつけ腕を組んで、先程と同様に頭蓋骨を無言で凝視した。その様子を見つめる超越者は、驚嘆の声をあげる。


「すごいデスネェ。あの調整者を制するトハ」


「それよりその鳥はどうも妙だ。何か仕掛けがあるのか?」


 超越者は骨だけの手で頭蓋骨の上に止まる鳥を撫でた。鳥は嬉しそうに二回、体を痙攣させる。


「この子はワタシが最初に造ったアンデッドでしテネ。名前はビクちゃんといいマス」


「会話もできマス。二回、体を痙攣させたら『はい』。三回なら『いいえ』デス。賢いでショウ?」


 リリーナはその言葉に、怪訝な表情を浮かべながら鳥の黒い瞳を見つめた。

 鳥はまるで剥製であるかのように身動き一つしない。視線を骨へ移すと彼女は、白く細い指を超越者の目の前に立てて見せる。


「あえて言うがそれは会話ではない。問答だ」


「それは寂しいですネェ。ビクチャン?」


 鳥が二回、痙攣している。どうやら肯定の意思があるようだ。その時、痺れを切らしたのかシオンが鋭い声を発する。


「そんな骨の相手を真面目にする必要ないわよ。リリーナ。早く要件を済ませなさい。どうせ人を小馬鹿にするような奴よ」


「心外ですネェ。小馬鹿にするようなではありまセン。小馬鹿にしているんデス」


 その言葉に激情したかのように整った眉を吊り上げ、シオンの体が今にも斬りかからんばかりに前へ傾いていく。その瞬間、リリーナの持つ飛行杖が地面を突いた。


「待った。安い挑発に乗るのはお前らしくないぞ。シオン。相手の思うつぼだ」


 彼女の言葉に冷静さを保ったのかシオンは再び、その背を壁へと押し付ける。だがその瞳は依然、超越者を冷たく見据えたままだ。


「さすがは銀の賢者。そんなアナタは何故、ココニ?」


「理由か? それは超越者。あなたに会うためだ」


「超越者の持ちうる膨大な知識とその助力を得る為に来た」


「……それは、王都に座するかの者を打ち倒す為デスカ?」


 何もない二つの空間がリリーナを見据える。彼女は紅茶を口に含むと静かにコップをテーブルへと置いた。

 そして、無表情でありながらも全てを見通すかのように澄んだサファイアの瞳を超越者へと注ぐ。その口がゆっくりと言葉を紡いだ。


「その前にこの世界の事を知る必要がある。そして、最上位守護魔法『水晶の加護』のことも」


「魔法の事は魔法使用者に聞け……デスカ。確かに真理ではありマスネ」


「いいでショウ。『世界の調整者』と『銀の賢者』二人を相手にするほどワタシは馬鹿ではありマセン。協力しまショウ」


「感謝する」


 リリーナの言葉を耳にすると彼はおもむろに語り始める。

 最上位守護魔法「水晶の加護<クリスタル・ディバインプロテクション>」は、実はオリジナルの魔法である。それを生み出したのは人間ではない。「彼女」は自らが鎮座する場所に赴いた選ばれた人間にその魔法の事を教授し、書物として明記させたと言われる。

 だが、その魔法を実際に行使できた人間は一人もいなかったという。つまり、魔法大全集に記載されている内容は、その魔法を生み出した「彼女」から授けられた、言わば他から得た知識を明記しただけなのである。


「彼女……とは?」


「世界に存在する神の遺産の一つ……『世界ワールド監視者オブサーバー』デスヨ」


「『女神の遺産<エリタージュ>』に鎮座すると言われる彼女は、全てを見、全てを知ると言われてイマス。例の王都にいるあの異質な存在については彼女に聞いたほうが早いでショウ」


「……もう一つ聞きたい」


 リリーナは自らとシオンがその「水晶の加護」により守られていたことを超越者に話した。その時、彼の動きがピタリと止まり、その感情が読み取れない空洞でリリーナを見つめる。

 思案するかのようにその骨で出来た指で顎骨を擦り、しばらく沈黙するとゆっくりと超越者は言葉を発した。


「……アナタ。何故、『ここにいる』のデスカ?」


 不気味な余韻を残すその言葉にリリーナは唖然とする。何故なら、自らがもっとも理解できない部分を超越者が明確に指摘したからだ。

 魔法大全集にも記載されている。「解除方法は不明」だと。ならば何故、「リリーナはこの場にいる」のか。何故、リリーナは「解放リベレーション」の魔法で解除できることを「知っていた」のか。

 全ての答えがその骨で出来た頭蓋骨から語られた。


「水晶の加護を解除するのは『使用者のみ』可能デス」

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