第24話 鳳凰は羽ばたけり

 終焉フィーニス迷宮ラビリンスの地下第五階層の扉が音を立てて開いた。


 奥は闘技場を模したかのような石造りの広い部屋であり、どこまでも闇が広がっている。

 暗闇の中でも鮮明に映るシオンの目を持ってしても、部屋には何一つ存在しないただの空間が広がるばかりであった。だが、魔法使用者であるリリーナだけその異変に気が付いていたのか、青い瞳を鋭く光らせ部屋のある一点を見据えている。

 常人には見えないそれは、床に張り巡らされていた。部屋の中央を支配するほどの巨大さを誇る召喚魔法陣である。リリーナ達が部屋に足を踏み入れた瞬間にそれは、青白い光を放ち火柱を生み出した。

 肌を刺すかのような熱量が放出される。噴き出した炎は中空に収束しはじめた。

 それは全てを飲み込むかのような巨大な火球となり次第に翼を形成しだす。炎から産み出された異形の物体は、巨大な翼が羽ばたき長い尾をしならせ、全身を覆う炎が薄暗い迷宮内を赤く照らした。

 羽ばたく度に肌を焼くかのような熱量が三人を襲う中、その鳥に似た口が咆哮を上げる。リリーナはその炎の化身を目にして自らを刺すであろう熱波に目を細めながら口を開いた。


「……不死鳥フェニックスか! 最悪の番人だ」


 不死鳥フェニックス。炎の化身とも言われる上位精霊の一種である。

 その口から業火をまき散らし、その体は羽ばたくだけで炎を生みだす。精霊ゆえ金属の刃物は通らず未熟な精霊魔法などその炎の前には消し去られてしまうのだ。

 また、何よりこの精霊の特徴はその名の通り「不死性」である。例えその身が滅ぼされようとも幾度となく復活するまさに不死鳥なのだ。番人としてなら最悪の組み合わせである。

 瞬く間に守護者の部屋一面を火の海が支配する。人など瞬時に黒焦げにするほどの猛火だ。

 リリーナは自らの体とプラヴォートを守るため上位魔法障壁を張り炎を遮る。シオンは燃え盛る火炎の中で肌を焼きつつもその手に死神デス大鎌サイズを召喚させた。


 全身に力を漲らせシオンは疾駆する。

 霊力を込めた大鎌の刀身は、光の軌跡を生みだし横一文字に不死鳥の体を切り裂いた。だが、白刃を受けてなお、分断された部分を即座に修復しフェニックスは彼女へその炎の体を突撃させる。

 シオンの咆哮と不死鳥の咆哮が共鳴し部屋に響き渡った。体を焼かれ吹き飛びながらも、シオンは妖艶な光を放つ鎌の刀身を走らせる。


「……シオンさん、大丈夫なんですか!?」


 リリーナと同様に障壁に守られ無傷に済んでいるプラヴォートが声を発した。リリーナはその右手で障壁を展開しつつ、シオンと不死鳥の動きを目で追う。


「シオンの体は炎に耐性がある。だが長時間は持たない。彼女がフェニックスの猛攻をしのいでる間に手を打たなければならない」


 死神の体は炎に耐性があり、業火にさらされようとも灰になることはない。だがそれは、決して完全耐性というわけではないのだ。焼かれるのが他の生物と比べて「遅い」というだけなのである。

 現にシオンの表情は体中を焼く炎により苦悶に歪んでいた。痛みは恐らく感じないのだろう。もし痛覚があるのならとっくにその体は動かないはずだ。

 しかし彼女を蝕む灼熱の炎は確実にその体を黒く焦がしていく。

 部屋の中は全て業火が燃え盛る世界。そこに安全地帯などなく、どの場所に移動しようとも容赦なく炎が彼女の肌を焦がす。それは不死鳥に切りかかる際も同様であった。

 シオンの咆哮が部屋に響く。全身に炎を纏いつつも彼女は斬撃を振るのをやめなかった。死神の大鎌が生みだす白刃が幾重にもフェニックスの体を切り裂いていく。

 

 その光景を見据えリリーナは苦悶に満ちた表情を浮かべていた。

 不死鳥の再生能力を上回る魔法は最上位魔法ハイエンドマジックしかない。それにより再生する暇すら与えず瞬時に破壊するのである。時間が経てば不死鳥は再び羽ばたくことだろう。だがこの階層を抜ける時間程度は十分に確保できるはずである。

 しかし今、彼女はプラヴォートを含めた二人分の上位魔法障壁を展開している。この状態だとせいぜい上位魔法までしか併用できない。

 最上位魔法を放つには彼女一人分の魔法障壁で限界なのである。しかしそれは、プラヴォートが焼け死ぬことを意味するのだ。


 プラヴォートは自らの視界に飛び込む炎の先に動けないリリーナを見つめていた。

 シオンが全身を焼かれながらもフェニックスへ果敢に攻め込む状況の中、加勢しない彼女のその理由を彼は理解しているのだろう。それはこの炎の中で自らが生きているのが何よりの証だからだ。だが、それがリリーナの足枷にもなっているのである。

 プラヴォートは意を決したかのように真剣な眼差しを彼女へ向ける。答えなど最初から一つしかなかった。


「リリーナさん」


 突如、耳に響く彼の声にリリーナは振り向く。彼女の視線に写る彼の表情は、優しくそれでいて悲しみに満ちたものだった。


「僕を守っているからあなたは動けないのでしょう? 足枷を外すべきです」


 プラヴォートはゆっくりと障壁の範囲外へと後ずさりを始める。リリーナはそれを止めようと咄嗟に手を伸ばそうとするが、彼はそれを制するかのように言葉を放った。


「……僕はもう死んでいます。知っているんです」


 リリーナの青い瞳が驚愕したのか大きく見開く。彼女の差し伸べる手がピタリとその動きを止めた。


「何故……それを……?」


「シオンさんから聞きました。僕は生者ではない死者なのだと。だからあなたとは一緒になれない。生者と死者が共に生きるなんてあり得ない話なんですから」


「僕のせいであなたが苦しむのは耐えられない。だから僕はここで……死に戻ります」


「僕は死んでいます。だけど今は生きている。せめて死ぬ時は人として死にたい。そして、あなたを生かして死にたい」


「ただ……ただ一つだけ忘れないで」


 プラヴォートの体がゆっくりと後ろに傾いていく。両手を広げて倒れ行くその体を炎が照らした。


「僕があなたを想う気持ちに嘘はありません。僕は本当にあなたの事が……好きでした」


 リリーナが何かを叫ぼうとするその瞬間、笑顔を見せた彼の体を炎が飲み込む。

 不死鳥が生み出した業火はプラヴォートの無防備な体を瞬時に焼き焦がし、もはや判別ができないほどの黒焦げの体へと変貌させた。

 

「……この……馬鹿!」


 彼女の瞳から一滴の雫が流れ出る。それは、空気中を漂い魔法障壁の範囲外へ飛び出すと、部屋を覆い尽くす熱量で瞬時に蒸発した。

 その時、リリーナの体を覆い尽くすかのように三重トリプル魔力増幅魔法陣ソウルアンプマジックサークルが展開される。涙を浮かべる彼女の青い瞳に魔法構成が浮かび上がり、高速で流れていった。

 竜言語ドラゴンズロアによる脳内詠唱で魔法構成を完結させた彼女の左手に魔力の渦が生み出され、それは青き光を纏い増幅されていく。


「地に堕ちろ! フェニックス!」


 リリーナの口が魔法名を奏でる。それと時を同じくして周囲の炎をかき消すかのようにすべてを凍結させる冷気が迸った。


「最上位精霊魔法・白絶の零獄<ハイエンドエレメンタルマジック・アブソリュートゼロ>!」


 空中に羽ばたく不死鳥の体を凍てつく氷獄が覆い尽くす。それは部屋に燃え盛る炎を瞬時に消し去り、フェニックスの体を構成する業火さえ封じ込め、シオンを除く全てを凍結させた。

 水属性の最上位魔法である「白絶の零獄」はあらゆる物を凍結させる。それは言わば絶対零度でありその氷獄から逃れる術はなく、例え冷気に耐性があろうとも確実にその体は活動を停止する。全てを覆い尽くす白い世界は、まさに範囲内にいるあらゆる物を死に至らしめるのだ。

 いかに不死鳥とも例外ではない。身に纏う業火はかき消され、動きを停止するとその体は一瞬で跡形もなく消え去る。そして、空気中に放出された精霊の残滓と水分が凍結し、まるで細氷のように舞い降りた。

 リリーナはそれを見上げながら、小さな口から白い息を吐き出した。全身を黒く焦がし、いまだ再生しきれていないシオンが彼女の元へと歩み寄る。


「あの男は?」


「……死んだよ。自ら炎に身を投げて。本当に……馬鹿な男だ……」


「こんな私を好きになるなんて……本当に……」


 部屋中を覆う寒気に震えるかのようにリリーナの体が小刻みに揺れる。だが、それが寒さから来るものではないことは明白だった。

 シオンはそんな彼女の頭をポンと優しく撫でると、おもむろに床に転がる黒焦げの死体へと視線を移す。

 それは苦しんだ後さえなく穏やかに死んだのが見て取れるほど、歪みもなく横たわっていた。不死鳥が消え去る際に残した細氷がまるで雪のように彼の死体へ覆いかぶさる。


 リリーナはプラヴォートの遺体へゆっくり近づくと、涙を拭い彼を見つめた。

 恐らく、彼はリリーナのことを本気で想っていた。だが受け入れられるわけがない。何故ならこの死の世界において愛情などあり得ないからだ。

 しかし彼女はプラヴォートのことを忘れないだろう。何故なら彼女を愛した最初で最後の男なのだから。

 リリーナは指で短く何かをなぞると念能力サイコキネシスで、プラヴォートの遺体の上に降り積もる細氷で花を形成した。氷の花はまるで彼を彩るかのように美しく光り輝く。

 それを見つめるとリリーナは微笑みを浮かべ言葉を紡いだ。


「さようなら。私を愛してくれた最初で最後の人……」

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