第23話 踊らされる死者

 リリーナ達は第五階層の探索を終え、墓地へ帰還していた。


 彼女を苦しめた魔法禁止区域は第四階層のみ施されており、第五階層の探索は比較的、順調に進む。階層守護者前にそびえ立つ石碑の在りかとそれにはめ込むであろう「終焉の頭」と呼ばれる人の頭を模した銅像も入手し、あとは、階層守護者を討伐するのみである。

 リリーナ達の目的は、デッド超越者トランスセンダーに会うことであるが、プラヴォートをはじめとするトレジャーハンター達は財宝が目当てである。リリーナ達が邁進することにより彼らも迷宮の奥へと足を踏み入れるに至ったが、道中の魔物ですら彼らの手には負えず、また、これといって収穫も見込めない為、次々と退散していく現状がそこにはあった。

 終焉の迷宮がある神殿前の広場は、徐々に人が減っていき、今では僅かな希望を持つ少数の熟練ハンターのみ残っている状態で、閑散とした雰囲気に包まれている。

 プラヴォートはそんな状況になった現在でも未だリリーナの元から離れず迷宮へと足を踏み入れていた。そこには財宝などではなく、彼個人の想いがある故にプラヴォートを死地へと突き動かしていたのかも知れない。



 暗雲とした空の下。生ぬるい風が銀の髪を揺らしていた。

 トレジャーハンターの姿もめっきり減り、広場前は再び、人気のない静かな「永遠エテルネルなる墓地セプルクルム」へ戻りつつある。いつものように浮揚レビテーションで僅かに浮いたまま足を綺麗に前で折りたたんだ姿勢で座るリリーナは、目の前で燃える焚火を見つめていた。

 シオンは相変わらずマイペースな様子で、地上に戻った際、再びその姿を消す。

 何度も繰り返す彼女の行動に何か意図があるのではないかと考えたのだろう。リリーナは探すのを止めていた。そもそもシオンが一人でリリーナの前からいなくなることなどあり得ないのである。何故ならシオンはリリーナにとって唯一の生者であり、また彼女にとってもリリーナは唯一の存在なのだから。

 無言でシオンが姿を現すのをただじっと待っているリリーナの隣へプラヴォートが腰を下ろした。その姿を一瞥すると彼女は口を開く。


「以前、会った骸骨は終焉の迷宮が六階層まであると言っていた。明日には五階層を突破するだろう。そうすると超越者まで一直線だ」


「君はお役御免ということか。今まで助かった。ありがとう。それなりの謝礼は用意する」


 リリーナは無表情で淡々と言葉を紡ぐ。プラヴォートはその言葉に反応する事無く、空のように淀んだ表情で焚火を見つめている。

 今までとは明らかに違う彼の態度にリリーナは怪訝な表情を浮かべつつ、プラヴォートを見つめた。


「どうした?」


「……僕は謝礼とかいりません」


 彼の発言に小首を傾げるリリーナへ、プラヴォートはその顔を彼女の近くまで寄せる。

 シオンに忠告されていた。住む世界が違うと。生きる世界が違うと彼女は言っていた。だがリリーナが超越者の元へたどり着くことは、すなわち彼の前から姿を消すことを意味する。リリーナへ個人的な感情を抱いているであろうプラヴォートをその事実が後押ししていた。もう目の前の青き宝石を手にすることはできないのだから。

 突然、吐息がかかるほど近づいてきた彼に驚愕したかのようにリリーナは目を見開くと、立ち上がり素早く距離を取る。そして、頬を上気させたその顔で手にする飛行杖フライトスタッフをぶんぶんと無造作に振り回した。


「ち……近づくな!」


 顔を赤らめ当たりもしない杖を振り回す彼女の姿が妙に可愛らしく見えたのだろう。プラヴォートは優しい笑顔を顔に浮かび上がらせた。


「すみません。じきに会えなくなると聞いたらなんか寂しくなって……」


 リリーナの杖を振り回す手がピタリと止まる。構えていた杖を地面に突くと気まずそうに左手で銀の髪をとかし始めた。目線はプラヴォートから逸らしているがその頬は今だ上気したままである。

 彼はゆっくりと立ち上がると真剣な眼差しを彼女へと向けた。


「リリーナさん。僕は……あなたのことが好きです」


 彼女の髪を触る手が止まる。驚愕で青い瞳が大きく見開き、ゆっくりとその顔が前を向きプラヴォートを凝視した。彼の言ったことが理解できない。信じられないといった様子である。

 プラヴォートはそんなリリーナへゆっくりと近づいていく。


「超越者の元へたどり着けば僕はお払い箱です。でもできることならあなたと旅を続けたい」


 彼の言葉がリリーナの耳に響き渡る。それはプラヴォートが率直に抱いている彼女への想いなのだろう。

 リリーナはその言葉を受け、再び視線を彼から逸らす。しばらく沈黙した後、おもむろに彼女は声を漏らした。


「……そうか。君は私にそういう感情を抱いているのか」


「だからシオンは、地上に戻ったらすぐに姿を消すんだな」


 リリーナが顔を上げる。そこには先ほどまでの頬を上気させた表情ではなく、優しい微笑みがあった。


「正直に話そう。こんな私でも好意を寄せる男性がいるのは嬉しい。シオンに自慢したいくらいだ」


「……だが、その想いは受け取ることはできない」


「それは身分の違いですか?」


 すかさずプラヴォートが彼女に詰め寄る。リリーナはそれに対し微笑みを消し去り、冷徹とも見て取れる冷たい表情を浮かべた。


「身分など問題にならない。私と君とでは『生きる世界が違う』んだ」


 彼がその言葉に反応して目を見開く。あのシオンが言った言葉そのものだからだ。理解できないと言いたげにプラヴォートは腕を左右に広げ、リリーナに真剣な表情で問い詰めた。


「シオンさんにも言われました。それの意味を教えてください!」


「それはできない」


 リリーナは彼の問いに間髪を入れずそう答える。そして、さらに詰め寄ろうとするプラヴォートを振り払うかのように身を翻すと、彼女の冷たい言葉が彼に突き刺さった。


「君がその感情を抱いているのがわかった時点で、明日の探索を終了したら君とはお別れだ。それ以降はもう私の前に姿を現さないでくれ」


「それでも、もし君がまだ私と共にいたいと言うのなら……その首。死神が刈り取ることだろう」


 シオンが地上に戻った際に姿を消す理由をリリーナは理解したのだろう。

 彼女はプラヴォートを監視しているのである。そして、もし彼が自らの想いに付き従い行動するようなら、シオンはプラヴォートを殺すつもりなのだ。

 何故ならその想いはリリーナを苦しめるだけに過ぎないのだから。もしリリーナが彼に特別な感情を抱くようであれば待っているのは破滅……ただそれだけである。


 不気味な余韻を残し、リリーナはその姿を暗闇へと消し去った。プラヴォートは返す言葉もなく消えゆく彼女を見つめている。

 その瞬間、まるで死神の鎌を首元へ突き付けられているかのような恐怖を感じたのか、彼は大きく身震いをした。

 戦慄したかのように蒼ざめたその顔が自らの後ろに佇む黒い影にゆっくりと注がれる。そこにいたのは鋭い刃物を突き刺すような視線を向けた黒髪の女だった。


「……あなたと私達は生きる世界が違う。それの意味を教えてあげるわ」


「あなたはもう死んでいる」


「死んでいる人間と生きている人間が共に生きられるわけがない」


 墓地を生ぬるい風が吹き、プラヴォートの茶色の髪を揺らす。彼の瞳孔は完全に開ききっていた。

 顔中に汗を垂れ流し、まるで自らの体の無事を確認するかのように手を広げ見据える。彼の体は外見上、どう見ても生者の体にしか見えない。だがプラヴォートの命は、すでにそこにはないのである。

 驚愕と恐怖に苛まれているかのように小刻みに体を震わせる彼を見据え、黒髪の女……シオンは言葉を続けた。

 

「ある時を境に人もドワーフも死滅した。残った生者は私とリリーナだけ。あなたは外見上は生者に見えるけどそれは見せかけに過ぎない」


「人としての記憶が薄れると同時にあなたの体は死者のそれとなる。リビング死体デッドにね」


「あなたも冒険者の端くれなら、リビングデッドがどういうものなのか……知っているでしょう?」


 シオンのその言葉を耳にして顔を上げたプラヴォートは、彼女の言葉の意味を理解したのか陰りが見える表情を浮かべ、視線を地面に落とした。

 彼はじきにリビングデッドと化す。もしリリーナと共にいたいというのならプラヴォートは、その結果リビングデッドとなりリリーナを襲うのだ。そこに愛情など関係がない。あの自らの愛する娘を食った男のように。

 リリーナが何故、突き放すのか。シオンが何故、監視するのか。全てを理解したのだろう。プラヴォートの体から震えが消え、彼は真剣な眼差しをシオンへ向けた。


「リリーナさんにも言われましたが、明日の探索を最後に僕は……姿を消します。僕が彼女を想う気持ちに嘘はありません。だからこそ僕は消えます」


「もし、探索中に僕がリビングデッドと化すようなら……」


「その時は私があなたの首を切り落としてあげるわ」


 プラヴォートの言葉をシオンが続けた。

 シオンが監視をしていた最大の理由は、プラヴォートがリビングデッド化するのに最も早く察知できるのが彼女のみであり、その兆候が見られる場合、即座に殺す為である。

 リリーナはプラヴォートが自らを育てた親とも呼べるケンウッドの家系に属する人間と知って、他の人間とは違う感情を抱く可能性がある。現にリリーナは死者と知りながらも彼とは穏やかに話をしていた。プラヴォートの存在はリリーナにとって「危険」なのである。

 それ故、リリーナに迷いを生みだしかねず、またフラン・エスペランスの時と同様に個人的な感情を抱いた人間を死に還すという苦痛を可能な限り避ける為、シオンは秘密裏に動きリリーナの知らないところで彼を殺すことを選んだ。

 全てはリリーナの為なのである。


「できることなら今すぐこの場であなたを切り殺したいところよ。でも彼女がそう言うのならいいでしょう」


「どのみち彼女の前から姿を消さなければならない。あなた自身が消えるか私に殺されるか、選ぶのはあなた自身よ」


「生者のように生きるあなた達死者は、遅かれ早かれ全てが破滅の道を辿るもの。悲しい生き物ね」


 身を翻すと背を向けたままシオンはそう呟き、まるで幻であったかのようにその姿が彼の視界から消え去る。プラヴォートはその様子を黙って見つめていた。



 翌日。

 迷宮の入り口がある神殿前に三人は立っていた。

 シオンは普段通りに口元を僅かに微笑ませた表情だが、リリーナのその顔はどこか陰りが見える。プラヴォートはそんな彼女を一瞥すると真剣な瞳を前に向けた。その表情には暗さは無く、恐怖心も感じられない。

 何故なら彼にとって今日は、リリーナと共に行動する最後の日なのだから。

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