第21話 女神への懸想

 終焉フィーニス迷宮ラビリンスが口を開けている神殿前の広場に、透き通るような美しい声が響いていた。

 まるで小鳥がさえずるかのようなその声の持ち主は、周囲を見渡すと小首を傾げる。動く度にそれに呼応するかのように銀色の髪が揺れた。


 リリーナ・シルフィリアは無事、地上に帰還していた。

 シオンの獅子奮迅の働きにより彼女は魔法禁止区域を突破すると、まるで鬱憤を晴らすかの如く魔法により迫り来る障害を排除し、地上へと足を進める。

 その人の変わりようにシオンは呆れたと言わんばかりに肩をすくめていたが、第三層守護者の部屋にてゴライアスの無残な死体を目撃して目を丸くしたリリーナを見て、それに笑顔で返していた。

 そんなシオンだが地上に戻った時、リリーナが目を離した隙にふらりと姿を消す。彼女に食べさせようと料理のレシピをメモに書くほどまで意気込んでいたリリーナにとっては肩透かしを食らったようなものだ。

 彼女は、ため息をつくと人気の少ない場所へ歩き出した。


 焚火の前には先客がいた。帽子を脱ぎ、茶色の髪を炎に照らしたプラヴォートである。

 リリーナは、無言で彼の隣に座り込むとじっと炎を見つめる。そんな彼女に彼は話しかけた。


「……シオンさん、見つからないんですか?」


「……全く。あいつはどこいったんだ」


 プラヴォートの言葉に頷くとリリーナは両手で自らの体を掴む。一瞬その華奢な体が身震いした。

 特に寒さは感じないであろう気温である。だがリリーナのその様子は、まるで寒さに震えているかのように縮こまっていた。

 プラヴォートは、彼女の行動に怪訝な表情を浮かべ、そっと話しかける。


「どうしました?」


「……彼女がいないと……不安なんだ」


 リリーナは寒さで身震いしていたのではない。明確な死の予感をその体が感じていたであろう故の身震いである。

 あの魔法禁止区域で彼女は死に直面した。シオンがもし彼女を見捨てたら、もしくはゴライアスに苦戦するようなら、死者の戦士が繰り出す斬撃がリリーナを切り裂いていた可能性もあるのである。

 戦に身を置く者が死を恐れないと言うのは、一人安全な場所から傍観している立場の人間が士気を高める為に語る詭弁である。人は誰しも死を恐れる。それ故、自らを鍛え、危機的状況を乗り越える為に判断力を養い、障害を排除する為の技術を身に着けるのである。

 それは、絶大な力を持つ銀の賢者とは言え例外ではないのだ。

 だが、リリーナの場合は戦闘だけではない。この世界で生者は彼女とシオンだけなのだ。シオンがいなければリリーナは真の意味で孤独となるのである。そんな状況など通常の精神では到底、耐えられるものではないのだ。

 うずくまるリリーナを見つめ、プラヴォートはおもむろに語りだした。


「……以前、シオンさんと少し話をしました。彼女はリリーナさんのことを『半身』のようなものだと言ってました。この世界で二人といない存在だと」


「僕にはその意味がよくわかりません。でもリリーナさんとシオンさんは、友や仲間といった関係ではなく、もっと違う何かを感じます」


 プラヴォートは見ていたのだ。

 第四階層へ助けに来たシオンのその手を。彼女の手はボロボロだった。皮が剥けるとかそんなものではない。肉が露出し骨まで見えていた。

 それは、彼女が自らの体をかえりみずに金属の鎧に身を包む死者の戦士を素手で殴り倒してきた証拠なのである。

 例え彼女の体に強力な再生能力があるとしても、それを上回る速度でシオンは敵を駆逐してきたのだ。ひとえにそれは、リリーナの元へいち早く到達する。ただそれだけの為なのである。

 プラヴォートの話を耳にして、リリーナは顔を上げた。その口元はどこかほころんでいる。


「……そうか。あいつ。そんなこと言ってたのか。普段、私のことを色気がないとか馬鹿にするくせに」


「そうなんですか? 僕にとってはあなたはとても魅力的だと思いますけど」


 彼の言葉に一瞬、目を見開くと頬を上気させ彼女は視線を逸らした。そんなリリーナに笑顔を見せるとプラヴォートは、暗く淀んだ空を見据える。


「僕は父の跡を継いでトレジャーハンターになりました。この迷宮にも自分の力を試す為、また、財宝を狙うためにきました」


「でも僕はすでに宝石を見つけていたんです」


 彼は真剣な眼差しでリリーナを見つめた。その視線を感じたのか体を一瞬、震わせ、彼女は青い瞳をプラヴォートに向ける。


「宝石は迷宮ではなく別な所にありました。僕の目の前にです」


 リリーナは、瞳を重ねたまま彼の言葉をじっと聞いている。炎に照らされているせいだろうか。その可愛らしい顔はほんのり朱色に染まっているように見える。

 プラヴォートがそっと彼女に近づこうと上半身を傾けかけたその時、リリーナの顔がきょとんとした表情に変わり小首を傾げた。


「宝石? どこにある? そんなものないぞ?」


 その瞬間、プラヴォートは、意気消沈したかのように大きく肩を落とす。彼のそんな様子を見ても彼女は小首を傾げたままだ。

 どうやら本気で彼の真意は伝わってはいないようだった。プラヴォートはそう察したのか苦笑して見せる。

 首を傾げつつもリリーナは、おもむろに立ち上がった。


「もう一度、探しに行ってくる。……全く。想像探索イマジネーションサーチでも使うか」


 そう呟きながら、彼女の姿が視界から消えるとプラヴォートは大きくため息をついた。しばらくそのまま考え込むかのようにうなだれる彼は一瞬、何者かの視線を感じたのかハッと顔を上げ周囲を見渡す。

 その時プラヴォートの視線の先に黒髪が揺れていた。

 黒髪の女……シオンの瞳は、リリーナに向ける優しいものとは真逆の冷酷で氷のように冷たいものである。彼女はゆっくりとプラヴォートの元へと歩み寄った。


「シオンさん。さっきリリーナさんが探して……」


「……忠告したはずよ?」


 プラヴォートの声を遮るかのようにシオンの声が響き渡る。その言葉の意味を即座に理解したのか、彼の瞳は真剣な眼差しとなって彼女を見据えた。


「私達に必要以上に関わるな。そう言ったわよね?」


「確かにそう聞きました。ですが僕は彼女のことを……」


「その先を口にしてはいけない」


 シオンの冷たい言葉がプラヴォートの耳に響く。水を打ったかのように二人は静まり返り、墓地に吹く生ぬるい風が茶色の髪と長い黒髪をなびかせた。


「私達……いやリリーナとあなたとは決定的な隔たりがある。それは決して相いれないもの。決して交わらないもの」


「彼女が賢者という地位にいて、僕がただのトレジャーハンターだということですか?」


 プラヴォートは、シオンを前にしても臆することなく言葉を言い放つ。その行動から恐らく彼は本気でリリーナに好意を寄せているのだろう。

 そして、シオンはそれに気が付いている故に、彼を止めようとする意思がそこにあろうことは彼女の発言から明白だった。


「違うわ。地位とかそんなものではない。あなたと彼女は住む世界が違う。生きる世界が違う」


「あなたとリリーナは、『生きているか死んでいるか』ほどの決定的な差があることを理解することね」


 シオンは、不気味な余韻を残す言葉を響かせ、その姿を闇へと溶け込ませるかのように消え去る。

 プラヴォートは無言で険しい表情を浮かべ、その後ろ姿をじっと見据えていた。


 

 終焉の迷宮。第四階層。

 階層守護者が鎮座する部屋へと通じるであろう石碑の前に、三人は立っていた。

 前回、遭遇し窮地に陥った経験を踏まえ、今回はプラヴォートが石碑の周りを入念に調べて回る。特に異常はないのか彼は、少し離れた位置で見ているリリーナとシオンに頷いて見せた。

 石碑に刻まれているはめ込む部分は縦に細長い形状をしている。この階層で入手した「終焉の体」と形状が一致していた。

 今回はプラヴォートがその銅で出来た上半身を模した像を慎重にはめ込む。するとカチッと何かが動く音が耳に響き、石碑の奥にある壁がゆっくりと開き始めた。

 部屋の中は闇が広がるばかりである。しかし、そこへ足を踏み入れたリリーナは何か違和感を感じたのか目を見開き、咄嗟にシオンへ叫んだ。


「ここは『魔法禁止区域』だ!」


 素早くシオンはリリーナをかばうかのように体を前に出す。それと同時にリリーナは腰から精霊エレメンタル竜牙ドラゴンファングを取り出し彼女に手渡した。

 プラヴォートの持つランプの光に照らされ周辺を囲む石の壁には、リリーナの発言通り魔法禁止区域特有の奇妙な文字が一面に広がっている。

 魔法禁止区域は、侵入者や守護者問わず全ての対象に効果がある。つまりこの場を守護する者は「魔法を一切使用する必要のない」相手だということだ。


 ランプの灯火よりも遥かに早くシオンの瞳は、広い部屋の中央に位置する玉座を見据えていた。そこに着座している男を視野に納めた瞬間、彼女は驚愕したのか目を見開く。

 近づくにつれ、リリーナの視界にもその男の姿が映し出された。彼は白い鎧に身を包み兜は着けていない。

 玉座の左右には大剣が突き刺さっており、その彫りの深い顔は虚ろな瞳でありながら、全身から威圧的なオーラを醸し出している。

 部屋に侵入した人間をその目で視認すると、男は立ち上がり物理的な圧力を伴う闘気を放出させた。その姿を一目見て、シオンと同様にリリーナもまた驚愕を感じたのかその青い瞳を大きく見開く。


「……剣王ヴェルデ」


 リリーナが短く呟いた。

 彼女の目の前にいるのは、まさにあのアフトクラトラス国王であり、かつての剣王ヴェルデに相違なかった。

 剣王と謳われた彼は生に執着し、七賢者の傀儡と化した。そして魂転換ソウルトランスレイションでただ生きながらえるだけの虚しい生きた骸と化した彼は、最後は一騎打ちにて勝利したエスペランス家当主、フラン・エスペランスにその最期を見届けられたはずだった。

 だが、彼はこうして第四階層の守護者としてリリーナ達の前に立ちはだかったのである。

 放出される並の相手なら萎縮するであろう闘気の中、シオンは動じる事無くゆっくりと距離を詰める。その表情は怒りでも憎しみでもない。歓びを体現するかのように口元が歪んでいた。

 見開いた瞳は、炎のように赤く光り輝きヴェルデを見据える。


「会いたかったわ。剣王。150年前の剣戟。その続きを楽しみましょうか」

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